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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第4章 理不尽と責任

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    手のひらの上の後悔③

「はじめまして。五科工業の社長で、『特別プロジェクト』を担当している、五科誠司(いつしなせいじ)と申します」


 社長は、蓮人と朔也に丁寧に挨拶をした。


白葉(しろば)柚さんのお兄さんと、蒼柳(あおやぎ)創くんのお兄さんだよね。いつもお世話になっています」

「あ、はい。白葉蓮人です。いつも妹がお世話になっております」


 蓮人も名乗って頭を下げた。朔也も立ち上がると、「蒼柳朔也です」と礼をした。



 この部屋に椅子は一つしかないため、朔也が、今まで自分が座っていた椅子を社長に勧めた。しかし、社長はそれを断ると、柚の近くにスッと屈んだ。


「体調は大丈夫? 辛くない?」


 そう尋ねる声は、いつも通り、無条件に信頼を預けてしまいたくなるほどに穏やかだった。柚は、戸惑いつつも「はい」と答えた。


「ご迷惑をかけてしまって、すみませんでした」

 謝ると、社長は「気にしないで」と微笑んだ。


「大丈夫。会社でのことは、こっちで何とかしておくから」

「……はい」


 どこまで何をどうするつもりなのか、何もわからないけれど、この件は社長を信じて任せることしかできない。柚は小さく頷いた。


「さてと」


 社長はゆっくり立ち上がると、警戒心をむき出しにして社長を見る、蓮人と朔也の方に目を向けた。


「これからのことを話したいと思っているんだけど、いいかな」


「はい」

「よろしくお願いします」


 二人は社長の言葉に、それぞれ頷いた。


 社長はそれを確認すると、口を開いた。



「まず初めに、『特別プロジェクト』の参加についてだけど、これには契約通り、これからも継続して参加してもらうつもりだ」


 それを聞いて、柚たちは息を呑んだ。前置きも特になく、社長はさらりと本題へと入った。それがあまりにも自然で、純粋に驚いたのだ。


 社長は、そんな様子を気にすることもなく、同じ調子で話を続けた。


「もちろん、アルバイトの方には参加せずに、定期的に機械の点検を行うために来てもらうだけでも大丈夫だよ。他の参加者と距離を置いてもいい。初めにも言った通り、アルバイトは本当に任意だし、参加者と無理に仲良くする必要はないからね。けれど、これだけは保証する」


 社長は、柚たちを見回して、変わらない穏やかな口ぶりで言った。



「参加者の皆は、誰も、白葉さんが『司者』の力を持っていることを口外しない」



 深緑の瞳に、その深さに、捕らえられたような感覚がした。



 聞き間違い、だろうか。


 その瞳に引きずり込まれているように、身動きができなくなる。無感覚のまま、深く、深く、知らないどこかに落ちていくようだった。



 聞き間違いじゃ、なかったとしたら。

 どうして。

 どうして社長は、そんなことを。



「だから、わざわざ参加者の皆を口止めしなくても大丈夫」


 にこやかに、何でもないことのように、そんなことを口にする社長。火照った全身から、ドッと冷や汗が吹き出す。



 まるで、こうなることを初めから予想していたような。

 まるで、ここにいる全ての人が彼の手のひらの上にいるような。



 凪沙や湊に対するときとはまた違う、底知れない何かを見てしまった感覚。


 一体、柚の生活は、どこまで彼に握られているのだろう。



「……どうして、そう断言できるのですか」


 朔也が、社長を正面から見据えて言った。そこで、初めて社長は困った表情を見せた。


「うーん。どうして、って言われても、理由は詳しく話せないんだけど……」


 その顔が、またすぐに、余裕のある表情に戻った。


「まあ、お察しの通り、とだけ答えておくよ」

「……そうですか」


 朔也の目が、一層鋭くなった。



 ここに参加者を招集するにあたって、五科工業は、参加者それぞれに直接招待状を届けに来た。そして、それぞれに脅しのような言葉を使い、参加を拒否できないようにしていた。参加者たちの弱みとなる情報を握っていることを、仄めかして。


 プロジェクト初日に、参加者のメンバーやプロジェクトの内容を知ってからずっと、疑っていた。柚の『司者』の力のことを、五科工業が知っているのではないか、と。今の社長の口ぶりからして、それがほとんど確実であることが分かった。


 隠している情報を広められるかもしれないから、迂闊に拒否できない。きっと、柚以外の参加者も、そのようにしてここまで連れてこられているのではないだろうか。社長は、今回もそれを利用して、参加者の皆に対して、柚の力のことを口止めしようとしているのではないだろうか。



「いくつか質問してもいいですか」


 睨むように社長を見て、それでも冷静さは失わずに、朔也は尋ねた。社長が頷いたのを確認して、朔也は口を開いた。


「あなたは、柚の力のことを知っていて、ここに招いたのですか」


 ドキリ、と心臓が跳ねる。そんなに直接的な質問を、他ならない社長本人にしてしまって大丈夫なのか。冷や汗が、乾くことなく吹き出してくる。


 社長は、少し間を置いた後、ゆっくりと声を発した。


「うん。そうだよ」


 柚は目を見開いた。社長は、何てことないように、悠然と佇んでいる。



 認めるんだ。


 朔也を見つめる社長の横顔を凝視しながら、柚は衝撃に囚われていた。


 認めてしまうのか。社長は。



「……」


 朔也も、ここまで素直に答えるとは思っていなかったのだろう。拍子抜けした顔をして一瞬黙ったが、すぐにまた表情を引き締めた。


「今まで、力のことが外部に知られないよう徹底して生活してきました。どのように調べて、力のことを突き止めたのですか」

「それは、まだ話せないかな。まあ、色々とね」


 社長はにこりと笑った。


「心配しなくても、普通に調べただけじゃ、君たちの力について知ることは出来ないと思うよ。だから、僕以外の人がちょっと調べたところで、簡単に知られてしまう状態ではない。現状、君たちの情報を掴んでいるのは、僕たちくらいだよ」


 白々しい笑顔。一度は素直に認めたけれど、全ての質問にはっきり答えるつもりはないらしかった。



「……君たち、って」


 社長の視線が、ゆっくりと動く。その視線は、蓮人に向いて止まった。


 蓮人は、ぎゅっと強く拳を握った。そして、震える声で社長に尋ねた。


「社長は、柚以外にも、僕たちのことについても、ご存じだということですか」

「うん。もちろん」


 社長は頷いた。蓮人の目が、大きく、見開かれる。



「どこまで」


 途切れ途切れの声で、蓮人は聞いた。


「どこまで、何を、知っているんですか」



 怯えのような感情で揺れる蓮人の瞳を、社長は優しく見つめ返した。


「そんなに深くは知らないよ。僕が知っているのは、二人も『生命の司者』の力を持っているっていうことくらいだ」


 そんなに深くは、というのが、具体的な何かを指しているのか、それとも特に意味を持っていないのか、判断できなかった。



 どこまで、何を。


 蓮人が聞きたかったのは、おそらくあの日のことだ。


 もし、そのことまで知られていたとしたら。

 社長の言葉全てに従わざるを得ないくらい、本当に、まずい状況になるのではないだろうか。



「そこまで調べて、柚をプロジェクトに参加させて、一体、何をするつもりなんですか」


 蓮人は、必死に目を逸らさないようにしながら、社長のことを真っ直ぐ見た。


「柚に何をさせるつもりなんですか」

「柚の力を魔法研究に利用するつもりではないですか」


 朔也も続けた。


「魔法を利用した道具も使っているそうですが、柚の力も研究して、何かに応用しようとしているのではないですか」



 魔法研究の実験対象として呼ばれた可能性。それも、前から考えていたことだ。



 魔法研究では、魔力を持つ人たちが合意なく連れていかれて、実験対象とされてしまうことが多い。研究者が、力を隠して生活している魔法使いを見つけ出し、魔力のことを黙っているかわりに実験に利用するという事例を、柚は耳にしたことがあった。今回の五科工業の手口は、それに通ずるものがある。


 今まで生きてきた中で、魔法研究者に捕まることはそれなりに危険視してきたつもりだ。けれど、実際にその危険が自分の身に差し迫っていると思うと、そのリアルさに、底知れない恐怖が襲いかかってくる。



 蓮人と朔也の緊張が、肌をピリピリと刺激する。二人も、柚と同じ恐怖を感じているのが分かった。柚は、固唾をのんで社長の返答を待った。  



「うーん」


 社長は、本当に蓮人たちと話しているのか疑いたくなるくらいに、緊迫感のない声を出した。


「いずれ協力してほしいと思っている、とだけ言っておこうかな。悪用するつもりはないから安心して」


 そして、社長はニコリと微笑んだ。


「大丈夫。悪いようにはしない。僕のことを完全に信頼してほしいとは思わないけれど、取りあえずは僕に任せてほしい。君たちの秘密は守るし、守られるように手を回してある。だから、これからもプロジェクトへの協力を続けてくれると嬉しいな」


「それで、素直に頷くとでも?」

 朔也が低い声で言った。


「魔法絡みのことで、外部に知られたくない弱みを持っているのは、そちらも同じなはずです。こちらがそれを匿名で告発することも可能ですが」


 躊躇うことなく、朔也は敵対心を投げつけた。それを受けた社長は、微笑んだまま、少し眉を寄せた。


「そうだなあ。じゃあ、言い方を変えようか」


 そう言った社長の声は、いつも通りとても穏やかだった。けれど、社長の顔を見て、身体の中身が抜け落ちていくような恐怖に包まれた。



 表情が変わらないまま、社長の目だけが、注意して見ないと分からないくらい少しだけ細められた。その瞳に宿る穏やかな光が、ろうそくの火を吹き消すように、静かに消えた。



 ゆっくりと、社長は柚たちを見回した。そしてその目は、誰を見るでもなく、どこか一点に止まった。その一点は、柚のところではないはずなのに、なぜかずっと目が合っているような感覚がした。



「僕は、君たちや、君たちの周囲の人たちの情報を、他の人が知りえないところまで掴んでいる」



 社長は、微笑みを浮かべたまま、口を開いた。



「もしこちらに従わなければ、それらの持っている情報を全て公表する」



 深い深い森の暗がりを思わせるような瞳で。

 訪れたものを飲み込んでしまいそうな、その瞳で。

 社長は、そう言った。



「人生をかけているんだ。簡単に手放すわけがないだろう」


 せわしなく動いているはずの心臓の音さえ、聞こえない。持っているはずの感覚も感情も吸い取られていく。



 誰も、声が出せなかった。

 いつも遠慮なく強い言葉を口にできる朔也でさえも、何も、言わなかった。



「だから、これからもプロジェクトへの参加は続けてもらう。もしプロジェクトへの参加を拒否したり、続行の妨げになるような行動を取ったりするならば、そのときはどうなるか、もう分かってくれたよね」


 社長は、ニコリと笑った。


「ごめんね、脅すようなことをして。でも、悪いようにはしない、っていうのは本当だよ。危険な研究に利用したりはしないから安心して」


 今までの空気が嘘だったように、いつも通りの調子を取り戻して、社長は言った。そして、柚の方に目を向けて、ベッドの脇にスッと屈んだ。


「白葉さんもごめんね。体調がすぐれない中、こんな話をしてしまって。ゆっくり休んでね」


 柚を見つめる社長の目は、蓮人を思わせるような、優しいものだった。柚は、そっと息を吐き出しながら、「はい」と掠れた声で答えた。



 逆らえない、と思った。

 蓮人や朔也でも敵わない。柚が知っている他の大人でも、きっと。


 彼は、違うのだ。



「それじゃあ、僕はこれで。下にいる他の参加者の子たちとも少し話そうと思うから、まだ何かあったら声をかけてね」


 社長は立ち上がると、軽く手を振った。そして、何事もなかったかのように、扉の方へ歩いていった。


「あの」

 朔也が、その後ろ姿に声をかけた。


「最後に一つ、伺ってもいいですか」

「うん、もちろん」


 振り返った社長が、にこやかに答えた。朔也は、僅かに躊躇った後、口を開いた。



「創は、何のために呼ばれたのですか」



 真っ直ぐに社長を見る朔也の瞳が、微かに揺れたように見えた。


「俺を、おびき出すためですか」



 社長は、少しの間彼の瞳を見つめると、これまでと同じような調子で答えた。


「それも一つの理由ではあるけどね。今は、まだ」



 社長が、朔也から目を逸らして、背を向けた。そのまま玄関の方へと進んでいく。


「いずれまた。そのときが来たら、きっと分かるはずだ」

「……そうですか」


 朔也は、そっと目を伏せた。その様子をちらりと振り返ると、社長は靴を履きながら言った。


「大丈夫。彼にも危害は加えない。もちろん、入月(いりつき)さんと赤羽(あかば)くんにもね。ただちょっと協力してもらいたいだけだ」


 そして、社長は扉の前に立つと、再び部屋の中の方を向いた。


「あと、将来的に、君たち二人にも協力をお願いすることがあるかもしれない。そのときは、ぜひ協力してほしい」

「……」


 朔也と、そして蓮人は、ただ黙って社長のことを見つめた。社長は、少し困ったように微笑むと、「じゃあ」と部屋を後にした。

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