手のひらの上の後悔③
「はじめまして。五科工業の社長で、『特別プロジェクト』を担当している、五科誠司と申します」
社長は、蓮人と朔也に丁寧に挨拶をした。
「白葉柚さんのお兄さんと、蒼柳創くんのお兄さんだよね。いつもお世話になっています」
「あ、はい。白葉蓮人です。いつも妹がお世話になっております」
蓮人も名乗って頭を下げた。朔也も立ち上がると、「蒼柳朔也です」と礼をした。
この部屋に椅子は一つしかないため、朔也が、今まで自分が座っていた椅子を社長に勧めた。しかし、社長はそれを断ると、柚の近くにスッと屈んだ。
「体調は大丈夫? 辛くない?」
そう尋ねる声は、いつも通り、無条件に信頼を預けてしまいたくなるほどに穏やかだった。柚は、戸惑いつつも「はい」と答えた。
「ご迷惑をかけてしまって、すみませんでした」
謝ると、社長は「気にしないで」と微笑んだ。
「大丈夫。会社でのことは、こっちで何とかしておくから」
「……はい」
どこまで何をどうするつもりなのか、何もわからないけれど、この件は社長を信じて任せることしかできない。柚は小さく頷いた。
「さてと」
社長はゆっくり立ち上がると、警戒心をむき出しにして社長を見る、蓮人と朔也の方に目を向けた。
「これからのことを話したいと思っているんだけど、いいかな」
「はい」
「よろしくお願いします」
二人は社長の言葉に、それぞれ頷いた。
社長はそれを確認すると、口を開いた。
「まず初めに、『特別プロジェクト』の参加についてだけど、これには契約通り、これからも継続して参加してもらうつもりだ」
それを聞いて、柚たちは息を呑んだ。前置きも特になく、社長はさらりと本題へと入った。それがあまりにも自然で、純粋に驚いたのだ。
社長は、そんな様子を気にすることもなく、同じ調子で話を続けた。
「もちろん、アルバイトの方には参加せずに、定期的に機械の点検を行うために来てもらうだけでも大丈夫だよ。他の参加者と距離を置いてもいい。初めにも言った通り、アルバイトは本当に任意だし、参加者と無理に仲良くする必要はないからね。けれど、これだけは保証する」
社長は、柚たちを見回して、変わらない穏やかな口ぶりで言った。
「参加者の皆は、誰も、白葉さんが『司者』の力を持っていることを口外しない」
深緑の瞳に、その深さに、捕らえられたような感覚がした。
聞き間違い、だろうか。
その瞳に引きずり込まれているように、身動きができなくなる。無感覚のまま、深く、深く、知らないどこかに落ちていくようだった。
聞き間違いじゃ、なかったとしたら。
どうして。
どうして社長は、そんなことを。
「だから、わざわざ参加者の皆を口止めしなくても大丈夫」
にこやかに、何でもないことのように、そんなことを口にする社長。火照った全身から、ドッと冷や汗が吹き出す。
まるで、こうなることを初めから予想していたような。
まるで、ここにいる全ての人が彼の手のひらの上にいるような。
凪沙や湊に対するときとはまた違う、底知れない何かを見てしまった感覚。
一体、柚の生活は、どこまで彼に握られているのだろう。
「……どうして、そう断言できるのですか」
朔也が、社長を正面から見据えて言った。そこで、初めて社長は困った表情を見せた。
「うーん。どうして、って言われても、理由は詳しく話せないんだけど……」
その顔が、またすぐに、余裕のある表情に戻った。
「まあ、お察しの通り、とだけ答えておくよ」
「……そうですか」
朔也の目が、一層鋭くなった。
ここに参加者を招集するにあたって、五科工業は、参加者それぞれに直接招待状を届けに来た。そして、それぞれに脅しのような言葉を使い、参加を拒否できないようにしていた。参加者たちの弱みとなる情報を握っていることを、仄めかして。
プロジェクト初日に、参加者のメンバーやプロジェクトの内容を知ってからずっと、疑っていた。柚の『司者』の力のことを、五科工業が知っているのではないか、と。今の社長の口ぶりからして、それがほとんど確実であることが分かった。
隠している情報を広められるかもしれないから、迂闊に拒否できない。きっと、柚以外の参加者も、そのようにしてここまで連れてこられているのではないだろうか。社長は、今回もそれを利用して、参加者の皆に対して、柚の力のことを口止めしようとしているのではないだろうか。
「いくつか質問してもいいですか」
睨むように社長を見て、それでも冷静さは失わずに、朔也は尋ねた。社長が頷いたのを確認して、朔也は口を開いた。
「あなたは、柚の力のことを知っていて、ここに招いたのですか」
ドキリ、と心臓が跳ねる。そんなに直接的な質問を、他ならない社長本人にしてしまって大丈夫なのか。冷や汗が、乾くことなく吹き出してくる。
社長は、少し間を置いた後、ゆっくりと声を発した。
「うん。そうだよ」
柚は目を見開いた。社長は、何てことないように、悠然と佇んでいる。
認めるんだ。
朔也を見つめる社長の横顔を凝視しながら、柚は衝撃に囚われていた。
認めてしまうのか。社長は。
「……」
朔也も、ここまで素直に答えるとは思っていなかったのだろう。拍子抜けした顔をして一瞬黙ったが、すぐにまた表情を引き締めた。
「今まで、力のことが外部に知られないよう徹底して生活してきました。どのように調べて、力のことを突き止めたのですか」
「それは、まだ話せないかな。まあ、色々とね」
社長はにこりと笑った。
「心配しなくても、普通に調べただけじゃ、君たちの力について知ることは出来ないと思うよ。だから、僕以外の人がちょっと調べたところで、簡単に知られてしまう状態ではない。現状、君たちの情報を掴んでいるのは、僕たちくらいだよ」
白々しい笑顔。一度は素直に認めたけれど、全ての質問にはっきり答えるつもりはないらしかった。
「……君たち、って」
社長の視線が、ゆっくりと動く。その視線は、蓮人に向いて止まった。
蓮人は、ぎゅっと強く拳を握った。そして、震える声で社長に尋ねた。
「社長は、柚以外にも、僕たちのことについても、ご存じだということですか」
「うん。もちろん」
社長は頷いた。蓮人の目が、大きく、見開かれる。
「どこまで」
途切れ途切れの声で、蓮人は聞いた。
「どこまで、何を、知っているんですか」
怯えのような感情で揺れる蓮人の瞳を、社長は優しく見つめ返した。
「そんなに深くは知らないよ。僕が知っているのは、二人も『生命の司者』の力を持っているっていうことくらいだ」
そんなに深くは、というのが、具体的な何かを指しているのか、それとも特に意味を持っていないのか、判断できなかった。
どこまで、何を。
蓮人が聞きたかったのは、おそらくあの日のことだ。
もし、そのことまで知られていたとしたら。
社長の言葉全てに従わざるを得ないくらい、本当に、まずい状況になるのではないだろうか。
「そこまで調べて、柚をプロジェクトに参加させて、一体、何をするつもりなんですか」
蓮人は、必死に目を逸らさないようにしながら、社長のことを真っ直ぐ見た。
「柚に何をさせるつもりなんですか」
「柚の力を魔法研究に利用するつもりではないですか」
朔也も続けた。
「魔法を利用した道具も使っているそうですが、柚の力も研究して、何かに応用しようとしているのではないですか」
魔法研究の実験対象として呼ばれた可能性。それも、前から考えていたことだ。
魔法研究では、魔力を持つ人たちが合意なく連れていかれて、実験対象とされてしまうことが多い。研究者が、力を隠して生活している魔法使いを見つけ出し、魔力のことを黙っているかわりに実験に利用するという事例を、柚は耳にしたことがあった。今回の五科工業の手口は、それに通ずるものがある。
今まで生きてきた中で、魔法研究者に捕まることはそれなりに危険視してきたつもりだ。けれど、実際にその危険が自分の身に差し迫っていると思うと、そのリアルさに、底知れない恐怖が襲いかかってくる。
蓮人と朔也の緊張が、肌をピリピリと刺激する。二人も、柚と同じ恐怖を感じているのが分かった。柚は、固唾をのんで社長の返答を待った。
「うーん」
社長は、本当に蓮人たちと話しているのか疑いたくなるくらいに、緊迫感のない声を出した。
「いずれ協力してほしいと思っている、とだけ言っておこうかな。悪用するつもりはないから安心して」
そして、社長はニコリと微笑んだ。
「大丈夫。悪いようにはしない。僕のことを完全に信頼してほしいとは思わないけれど、取りあえずは僕に任せてほしい。君たちの秘密は守るし、守られるように手を回してある。だから、これからもプロジェクトへの協力を続けてくれると嬉しいな」
「それで、素直に頷くとでも?」
朔也が低い声で言った。
「魔法絡みのことで、外部に知られたくない弱みを持っているのは、そちらも同じなはずです。こちらがそれを匿名で告発することも可能ですが」
躊躇うことなく、朔也は敵対心を投げつけた。それを受けた社長は、微笑んだまま、少し眉を寄せた。
「そうだなあ。じゃあ、言い方を変えようか」
そう言った社長の声は、いつも通りとても穏やかだった。けれど、社長の顔を見て、身体の中身が抜け落ちていくような恐怖に包まれた。
表情が変わらないまま、社長の目だけが、注意して見ないと分からないくらい少しだけ細められた。その瞳に宿る穏やかな光が、ろうそくの火を吹き消すように、静かに消えた。
ゆっくりと、社長は柚たちを見回した。そしてその目は、誰を見るでもなく、どこか一点に止まった。その一点は、柚のところではないはずなのに、なぜかずっと目が合っているような感覚がした。
「僕は、君たちや、君たちの周囲の人たちの情報を、他の人が知りえないところまで掴んでいる」
社長は、微笑みを浮かべたまま、口を開いた。
「もしこちらに従わなければ、それらの持っている情報を全て公表する」
深い深い森の暗がりを思わせるような瞳で。
訪れたものを飲み込んでしまいそうな、その瞳で。
社長は、そう言った。
「人生をかけているんだ。簡単に手放すわけがないだろう」
せわしなく動いているはずの心臓の音さえ、聞こえない。持っているはずの感覚も感情も吸い取られていく。
誰も、声が出せなかった。
いつも遠慮なく強い言葉を口にできる朔也でさえも、何も、言わなかった。
「だから、これからもプロジェクトへの参加は続けてもらう。もしプロジェクトへの参加を拒否したり、続行の妨げになるような行動を取ったりするならば、そのときはどうなるか、もう分かってくれたよね」
社長は、ニコリと笑った。
「ごめんね、脅すようなことをして。でも、悪いようにはしない、っていうのは本当だよ。危険な研究に利用したりはしないから安心して」
今までの空気が嘘だったように、いつも通りの調子を取り戻して、社長は言った。そして、柚の方に目を向けて、ベッドの脇にスッと屈んだ。
「白葉さんもごめんね。体調がすぐれない中、こんな話をしてしまって。ゆっくり休んでね」
柚を見つめる社長の目は、蓮人を思わせるような、優しいものだった。柚は、そっと息を吐き出しながら、「はい」と掠れた声で答えた。
逆らえない、と思った。
蓮人や朔也でも敵わない。柚が知っている他の大人でも、きっと。
彼は、違うのだ。
「それじゃあ、僕はこれで。下にいる他の参加者の子たちとも少し話そうと思うから、まだ何かあったら声をかけてね」
社長は立ち上がると、軽く手を振った。そして、何事もなかったかのように、扉の方へ歩いていった。
「あの」
朔也が、その後ろ姿に声をかけた。
「最後に一つ、伺ってもいいですか」
「うん、もちろん」
振り返った社長が、にこやかに答えた。朔也は、僅かに躊躇った後、口を開いた。
「創は、何のために呼ばれたのですか」
真っ直ぐに社長を見る朔也の瞳が、微かに揺れたように見えた。
「俺を、おびき出すためですか」
社長は、少しの間彼の瞳を見つめると、これまでと同じような調子で答えた。
「それも一つの理由ではあるけどね。今は、まだ」
社長が、朔也から目を逸らして、背を向けた。そのまま玄関の方へと進んでいく。
「いずれまた。そのときが来たら、きっと分かるはずだ」
「……そうですか」
朔也は、そっと目を伏せた。その様子をちらりと振り返ると、社長は靴を履きながら言った。
「大丈夫。彼にも危害は加えない。もちろん、入月さんと赤羽くんにもね。ただちょっと協力してもらいたいだけだ」
そして、社長は扉の前に立つと、再び部屋の中の方を向いた。
「あと、将来的に、君たち二人にも協力をお願いすることがあるかもしれない。そのときは、ぜひ協力してほしい」
「……」
朔也と、そして蓮人は、ただ黙って社長のことを見つめた。社長は、少し困ったように微笑むと、「じゃあ」と部屋を後にした。




