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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第3章 不和と隠し事

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    覚悟の結果②

「ありがとう、咲ちゃん。時間取ってくれて」


 柚の声が、二人しかいない教室に響いた。


「全然気にしないで。私も、前に話を聞いてもらっちゃったし」


 咲が柔らかく笑う。すぐ横の窓から差し込んだ光が、その顔をくっきりと照らしている。それを見て、柚も少し表情を緩めた。



「それで、相談って?」


 グラウンドから、運動部の声が聞こえてくる。いつもは教室まではっきりと届くその声も、今日はパラパラと微かに聞こえるだけだった。先生から早めの帰宅を呼びかけられているから、その影響で、活動している部活は少ないようだった。


 柚は、軽く顎を引いた。口の中で言葉を組み立てる。


「……あんまり、詳しくは話せないんだけど」


 余計な言葉まで入れてしまわないように、慎重に言葉を選択する。大丈夫、間違えないように、丁寧に。そう、自分に言い聞かせる。



 ずっと、正面から柚を見つめてくれる咲。大丈夫、彼女なら。



「私と、知り合いとの間で起こったことなんだ。ある一人の女の子が――えっと、じゃあ、Oさんって呼ぶことにするけど――その子がちょっと、不用意な行動を取る子で、もしそれが悪い方に行った場合、私が危険な状況になるかもしれなくて。それで、私のことを昔から知ってる、私と仲の良い子――Nちゃんが、その女の子を遠ざけるために、強い言葉で注意したんだ。その子のことを否定するような、悪口に近い言葉も使って。そのせいで、注意されたOさんは傷ついちゃって」



 本名は言えないから、説明をしやすいようにイニシャルで呼んでしまったけれど、少しわざとらしかっただろうか。不安を感じつつ咲の反応を見ると、彼女は真剣な面持ちで軽く頷いた。柚は安心して、話を続けた。



「Nちゃんはね、頭が良くて、すごく優しい子なんだ。いつも私が嫌な目に遭いそうになると、すぐに守ってくれる。私よりもたくさんのことを見てて、一人でじっくり考えて、いつも一番良いと思う行動を取ってるのを知ってるし、理由もなく人を傷つけるのは、今まで見たことがなかった。でも、そういうことを言ったら、やり取りを見ていた別の子に、悪いことをした人を身内だからって庇うのは気持ち悪い、人を傷つけて自分は守ってもらって満足か、って言われちゃった」


「そんな……」

 咲が、少し悲しそうな表情を見せた。


「言いたいことは分かるけど、その言い方はちょっと厳しすぎる気もしちゃうな。実際、Oさんの行動を見て柚ちゃんたちは不安になったんだし、Nちゃんは柚ちゃんをただ守ろうとしただけなんだよね?」


「……そう、だと思うけど、よく分からなくて」


 柚は、そっと俯いた。あのときの空気の圧力を、肩のあたりに感じた。


「分からない?」


「うん。それまでにも、Oさんが私に変なことをしてこないように注意したりしてたから、Nちゃんの行動の理由に私が含まれてないことはないんだろうけど、でも、それだけじゃないような気もして」



 桜草樹に向けられた凪沙の言葉を思い出す。見たことのない、凪沙の姿。



「きっと、何か大切なことのために動いてるんだと思う。けど、その子はいつも自分だけで解決しようとするし、聞いても、理由は教えてくれないから。Nちゃんが考えていることも、その行動がどのくらい必要なことだったのかも、分からなくて」



 分からない。

 きっと、誰にも。



「それに、Oさんも、何かすごく大切な事情があって、色々と動いているみたいなんだ。理由は言えないみたいだけど、本当に、見てて心配になるくらい、必死で。悪気なんてないんだと思う」



 桜草樹の、苦しそうな顔。あの子にも、譲れない何かがある。



 咲は、黙って柚の話を聞いていた。それでも感じられる咲の存在を確認しながら、柚は俯いたまま、震えそうになる声で言った。



「誰かが傷つく代わりに自分のことを守ってもらってるって指摘されて、本当にその通りだなって。あの子のせいで起こるかもしれないことは、本当に危険で、怖いけど、でも、それでその子のことを傷つけるのは違うと思って。Nちゃんが、私のせいで悪く見られるのも嫌だし、行動の意味が理解できないままなのも嫌だ。けど、私がNちゃんの予想から外れた行動をしたら、防ごうと頑張っていたことが無駄になるかもしれないって、思って」



 最後の方は、もう声が震えて、うまく喋れている自信がなかった。柚は、胸に詰まった空気を吐き出すように、呟いた。



「どう、すれば、いいのかな……」



 独り言のような声が、深い池の中に沈んでいく石のように、鈍く吸収されて消えていく。聞こえていた窓の外の音も、それと一緒に吸い込まれようとしているようだった。


 外から入った光。教室の床に緩く浮かび上がる、窓の形。その影の部分が、時間の流れごと切り取ってしまったように、じっと柚の爪先を覆っていた。



 ああ、ダメだ。

 やっぱり、私は。



「柚ちゃん」



 名前を呼ばれる。その声を、久しぶりに聞いたような気がした。


 ゆっくりと、顔を上げる。目の前には、穏やかに微笑む咲の姿があった。


 少し夏の混じった光に照らされたその顔が、とても優しくて、柚は思わず息を飲んだ。



「柚ちゃんはやっぱり優しいね」


 咲は、なぜか少し嬉しそうに笑った。予想外の言葉に、柚は目を瞬いた。


「優しい……?」

「うん。あ、ごめん。別に茶化してるわけじゃないよ」


 咲は、笑顔を浮かべたまま言った。


「だって柚ちゃんは、自分のせいでNちゃんが悪く見られることも、Oさんが傷つくことも、嫌だって思ってるってことでしょ」

「……うん」


 そういうことに、なるだろうか。でもそれは、おそらく咲が思っているほど良いものじゃない。ただ、自分が原因となってしまったから、二人に対して罪悪感を抱いているだけだ。自分のせいでもたらされた結果を、それに対する責任を、ただ気にしているだけだ。


 そんな柚の表情を見て、咲は困ったように「もう、柚ちゃんは」と笑った。


「柚ちゃんは優しいよ。だって、実際柚ちゃんにとってすごく怖いことが起こるかもしれないんでしょ。優しいNちゃんが人を傷つけることを選ぶくらいのことが。それなら、別に周りに何を言われても、それを防ぐことを優先して、黙って受け入れたって良いと思う。周りの人のじゃなくて、柚ちゃんの人生に関わることなんだし」



 あれだけ頭の中を巡っていた中梛の言葉を、簡単に笑い飛ばすように、咲はあっさりとそう言った。



「でも、柚ちゃんはそれをしたくなかった。自分のせいで誰かが傷つくことが嫌だったんでしょ。色々な気持ちを感じたはずなのに、最後にその気持ちに行き着くなんて、やっぱり柚ちゃんは優しいよ」



 咲は、真っ直ぐに柚を見ている。その目は、自分が言ったことに少しも疑いを抱いていない、どうしようもなく説得力を持った目だった。そんな力強さを前に柚は、否定の言葉だけじゃなく、意味を持たない声すらも発することができなかった。



 優しい、なんて。

 そんなのは、違うに決まっている。けれど、咲がそう言ったから、きっとそれは間違いじゃないんだと思えた。



「どうすればいいか、って、柚ちゃん言ってたよね」


 何も言えない柚に語りかけるように、咲はそう言った。


「それならさ、やめてほしい、ってNちゃんに言ってみたらいいんじゃないかな」

「え……」


 ようやく、口の中で掠れた声が出た。柚は、情けない気持ちで咲を見た。


「でも、それは……」


「うん。確かにNちゃんがやっていることが正しくて、それを止める柚ちゃんは間違ってるのかもしれない。けど、柚ちゃんは、これから何が起こっても、何を防げても、きっとOさんを傷つけたことを後悔することになっちゃうと思う。嫌な思い出を持ち続けることになるかもしれない」



 咲の落ち着いた声が、静かな教室に響く。



「Nちゃんは、柚ちゃんのことをよく分かっていて、柚ちゃんのためなら自分が悪く見られたって良いって思ってくれる子なんでしょ。なら、柚ちゃんが嫌だって言うことはやらないだろうし、そうやって言う柚ちゃんの考えだって分かってくれるはずだよ。もしそれでもダメだっていうなら、きっと理由を教えてくれる。Nちゃんだって、柚ちゃんをこんなふうに悩ませたいわけじゃないと思うんだ」



 柚を引っ張り上げるように、前へ押し出すように。

 彼女は迷いなく言った。



 だからね。



「ちゃんと、伝えればいいよ」



 窓から差し込む光が、それほど強い光ではないはずなのに、きらきらと、咲の瞳を照らす。昼よりも仄かに暗い教室の中で、その目は、水面に反射する朝日のようだった。



「ずっと後悔して、自分を責め続けることになるくらいだったら、ちゃんと柚ちゃんが納得できるようにしないと。きっとその方が、お互いにとっても良いよ。もしそのせいで本当に悪いことが起こったら、そのときは私も一緒に責任を取るから」



 一度も目を逸らすことなく、咲はそう宣言した。柚は、咄嗟に息ができなくなる。



 どうして。



 真っ直ぐな目。その真っ直ぐな思いの先に、自分がいること。柚は、微かに目を細めた。



 どうしてそんなに、眩しいのだろう。



「……うん」


 泣き笑いのような表情になるのを抑えられないまま、柚は頷いた。


「うん。ありがとう」

「いえいえ」


 何でもないことのように微笑む咲に、柚はもう一度「ありがとう」と言った。何度言っても足りないくらいだった。


「ありがとう。ちゃんと、言ってみる」

「うん。頑張れ」


 咲の応援に、柚はしっかりと頷いた。



 ちゃんと、伝えよう。

 凪沙と、ちゃんと話そう。



 守られてばかりなのは、頼ってばかりなのは、もうやめたい。誰かが傷つくのも、見たくない。



 このままで、良いわけがない。

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