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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第3章 不和と隠し事

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第4話 覚悟の結果 ①

 会社での出来事から、一晩が明けた。



 月曜日。五月の連休の中、一日だけ入れられた平日に対しての文句が、賑やかな教室を飛び交っていた。

 普段なら柚も同じように感じているであろう嘆きも、どうでもいいと思えるくらいに頭が重かった。柚は、ゆっくりと息を吐く。



『人のこと傷つけて、それで自分らは守ってもらえて、それで満足かよ』



 その言葉が、昨日の夕方からずっと、ぐるぐると脳内を巡っている。



 帰宅して一人になり、一度冷静になると、あれだけ強く身体を支配していた恐怖や不安が、不思議なほど小さくしぼんでしまった。後に残ったのは、情けなさと罪悪感だった。そしてその感情は、自ずと凪沙の行動に向かっていった。



 凪沙が、柚のために人を傷つけたこと。

 それを、受け入れてしまったこと。



 この出来事の原因は、おそらく柚だ。それならば、柚のせいで起きてしまったことに対して、柚はどうすれば良いのか。その問いについて、一晩中考えてみた。けれど、答えは出なかった。


 凪沙が悪く言われてしまうのは辛い。でも、実際に凪沙が悪い。凪沙がそんなことをする理由も、詳しくは分からない。


 凪沙は柚を守ろうとしてくれているのかもしれない。けれど、そのせいで一人が傷つけられ、何人もが嫌な思いをした。


 凪沙の行動は間違っているのかもしれない。でも、それを、凪沙が守ろうとしている柚自身が否定したら、凪沙の気持ちを無下にしてしまうことになるのかもしれない。


 凪沙は柚よりも、ずっと多くのことを見て、知っている。その上でした行動を止めたら、凪沙が危惧している何かが起こってしまうかもしれない。何も知らない柚が、感情のままに動いてしまうことで、より悪い結果になってしまうかもしれない。



 じゃあ、私は、どうすればいい?



「柚ちゃん、おはよー」


 明るい声。ハッと顔を上げると、そこには、いつもと変わらない笑顔の咲が立っていた。


「咲ちゃん、おはよう」


 柚も笑顔を浮かべて挨拶を返した。すると、咲は突然表情を翳らせた。そのままじっと柚を見つめる咲に、柚は驚いて「どうしたの?」と尋ねた。


「あ、いや、その」


 ふと、視線を感じた。見ると、連休の話で盛り上がっていたはずのクラスメイト達と目が合った。彼らは、バツの悪そうな顔をして、すぐに目を逸らした。


 何が、あったんだろう。


 依然として、クラスメイト達の注意はこちらに向いたままのようだった。柚は急に不安になって、目の前に立つ咲を見つめ返した。


 咲は、少し目を逸らした後、再び柚の顔を見て、言いにくそうに口を開いた。


「やっぱり、金曜日のこと、まだ気にしてる?」

「金曜日のこと?」


 何だったっけ、と思ったところで、柚は「あ」と呟いた。


 そういえば、咲とクラスメイトが、魔法使いのことで揉めてしまったのは、前の金曜日だった。咲から『司者』の話を聞いた後、彼女と会うのは今日が初めてだった。クラスメイトの視線も、柚たちのことが気になったからだったのだ。あの後、色々ありすぎて、すっかり忘れていた。


「そういえばあったね、そんなこと」

 柚がそう言うと、咲は拍子抜けした顔で、目を瞬いた。


「え、そんな感じ?」

「うん」

「……ほう」


 どういう感情なのか分からない表情で、咲は柚をしげしげと見つめた。


「柚ちゃん、暗い顔してたから、そのこと、気にしてるのかと思って」

「大丈夫だよ。前も言ったけど、本当に気にしてないから」


 柚が手をパタパタと振ってそう言うと、咲は「そっか」とホッとした様子で微笑んだ。


「じゃあ、どうしてそんな暗い顔をしてたの?」

「あ、えっと……」


 柚は口ごもった。凪沙のことも、桜草樹のことも、わざわざ咲に話す内容ではない。どうしたものかと思って、誤魔化すように窓の外を見ると、ふと、道路にパトカーが多くあることに気が付いた。


「パトカー、多いよね」


 柚の視線の先を見て、咲が言った。


「誘拐された女の子が見つかってから、また同じような事件が起こることを警戒してるみたい。学校に来る途中、警察の人を何人も見かけたよ。怖いよね」

「……うん」


 確かに、言われてみれば、柚も登校途中に多くの警察官を見かけた。子供を送迎する親の車も、いつもより多く走っていた気がする。



 誘拐された、女の子。

 土曜日にニュースを見たときのショックと、そして、そのときの桜草樹の様子を思い出す。凄惨な事件。何かに追い詰められているような、桜草樹の態度。



「怖いよね。見つかった女の子、ひどい状態だったんでしょ」

「私の弟、小学生なんだけど、今日は休校だって。弟はよく分かってないから喜んでたけど」

「今までに誘拐された子、小さい子ばっかりだよね。まだ見つかってない子もいるし」

「犯人が狙ってるのって、小さい子だけなのかな。私たちはさすがに大丈夫だよね?」



 事件のことについて話す声が、あちこちから聞こえてきた。こんなに身近で、こんなに衝撃的な事件が起きたのだ。話題にならないわけがなかった。


 誰かが再生しているニュースの映像から、注意を呼び掛ける音声が聞こえてくる。T市にお住まいの方、特にお子さんは、被害に遭わないように気を付けて、と、繰り返し呼びかけている。



「今まで起きた誘拐事件、ほとんどがT市で起こったものなんだろ。またこれからも狙われるのかな」

「相手は変な力使うのに、警察が対処できるのかな。前みたいに攻撃で爆発みたいなのが起こったら、倒されるしかないじゃん、私たち」

「やっぱり、一回魔法使いをみんな捕まえた方が良いんじゃないの。普通に生活してる魔法使いの中に、犯人が紛れてるかもしれないじゃん」



 交わされる会話は、魔法使いを危険視しているものが多かった。しかしそれは、金曜日の、魔法使いの女子高生を非難するときの空気とはまた別のものだった。遠くのものを、ただ受け入れられないから非難しているのではない。すぐ近くで起こった事件について、皆、自分の命が危険に晒されることを、そしてそれに関わる魔法使いの存在を、純粋に恐れている。


 咲は、ただ黙って、不安に満ちた顔のクラスメイトを見つめていた。柚も、それに合わせて彼らのことを眺めた。



 魔法使いへの差別や存在の拒否。それは、きっと自己防衛の一つだ。



 もちろん、魔法使いの悪い話を伝え聞いたまま信じて、一方的に非難しているところもある。けれど、実際に魔法使いは、人間には太刀打ちできない強大な力を持っている。


 魔法使いには、人間の常識なんて通用しない。武器を持っていなくても、彼らは簡単に戦うことができる。思いもよらない方法で、人間を連れ去ることだって、それを殺すことだって、きっと簡単にできてしまう。


 そんな未知の存在への恐怖を取り除こうとするのは、当然のことじゃないだろうか。自分たちの命を守るために、危険因子を排除したいと思うのは、普通のことじゃないだろうか。



 咲が、ふと何かを思い出した様子で、スマホを操作した。険しい顔で、何かを探すようにしばらく画面を見つめた後、咲は少し表情を和らげた。


「前、ネットで魔法使いだって拡散されちゃった子、特に騒がれてないみたい」

「本当に?」


 咲が見せてくれた画面を覗き込む。確かに、金曜日にはSNSの話題のほとんどを占めていたあの子に関連するものは、画面のどこにも見当たらなかった。柚は、小さく息を吐く。


「T市に住んでる子じゃないみたいだけど、T市には近いから、もしこの事件の犯人みたいに言われてたらって思って。大丈夫そうだから、安心した」

「うん」


 柚は、しみじみと頷いた。騒がれていないことに安心したのもあるけれど、咲がそんなところまで気にしていたことへの驚きも大きかった。すぐに次のものへと入れ替わるネットの話題の一つ。そこで騒がれた人のことを、数日経った後に自ら思い返して心配できるなんて。


 かつて自分を助けてくれた『司者』に会いたいか、という問いに、その人の生活を壊してしまうかもしれないから、無理に探し出して会うようなことはしない、と答えた咲。それでも、ただ純粋にその人のことを知りたくて、『司者』のことを調べた咲。彼女は本当に、力を隠して生きている人たちのことをよく考えているのだ、と改めて思った。


「でも、もしそうやって言い出す人がこれから出てきたら、また、前みたいになるのかな」


 その子の名前なんてどこにも載っていない文字の列を眺めながら、柚は言った。


「そうだね」

 咲は、画面を見つめたまま、やるせなさそうに目を細めた。

「そんなふうに、ならないといいけど」


 自分の力ではどうにもできない不特定多数の人の行動を、ただ悪い方向に行かないようにと願うことしかできない無力さ。それを湛えた咲の顔を見て、柚の胸がちくりと痛んだ。


 自分たちの身を守るために、危険だと思われる人を攻撃して、排除しようとすること。それは、当然のことだ。でも、その当然のことのせいで、あの子の生活は壊されてしまう。一方的に、傷つけられてしまう。



 誰かが守られる代わりに、傷つく必要のない別の誰かが、傷つくとしたら。

 それは、どうなんだろう。



「……ねえ、咲ちゃん」


 呼びかける。咲が、我に返った様子で、パッと柚の方を見た。


「どうしたの?」

 突然名前を呼ばれ、キョトンとした顔で聞き返す咲。その目を、柚は真っ直ぐ見つめて言った。



「私、悩んでることがあるんだ」



 柚の視線を反射するように、柚を見る咲の目が、緩やかに真剣な光を帯びていく。


「うん」


 真っ直ぐに、柚の目を見つめ返す咲。それを見て、柚は小さく息を吐くと、躊躇うことなく口を開いた。


「どうすれば良いのか、分からなくて。もし良ければ、相談に乗ってほしいな」

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