事情と衝突⑤
扉が閉まると、部屋には柚たち三人だけとなった。
「柚、平気?」
柚に寄り添うようにかがんでいた創が、立ち上がって柚に手を差し出した。その手を掴んで立ち上がると、柚は「うん」と頷いた。
「ごめんね、急に変なこと言い出して。まさか自分がこんなこと言うなんて思ってなかったよ」
力が抜けて座り込んでしまった足に、また立つだけの力が戻ってきたようだった。柚は涙を拭いながら、えへへ、と笑った。創もそれに合わせて「そうだよね」と微笑むと、そっとハンカチを差し出した。柚はそれを受け取ると、軽く頬の涙を拭いた。
「でも、柚がああやって言うのも当然だよ。大丈夫」
肯定的な創の言葉に、感情が落ち着いてくる。柚はゆっくり深呼吸をした後、「ありがとう」と答えた。
勝元が気を遣って、近くの椅子に座るよう柚を促した。柚はお礼を言うと、ゆっくりその椅子に腰かけた。
「ごめんな、柚。嫌な思いをさせて」
申し訳なさそうに謝る勝元に、柚は首を横に大きく振った。
「勝元くんは悪くないよ。急に怒ったりしてごめんね」
勝元は、柚の謝罪の言葉をそのまま受け入れるつもりはなさそうだったけれど、それでも特に反論することなく、「ああ」と小さく頷いた。そして、肺に溜まっていた空気を吐き出すように、大きくため息を吐いた。
「ごめん。色々ありすぎて、正直何をどう捉えればいいのか分からない」
それに同意するように、柚と創も頷いた。今どういう感情を持つのが正解なのか分からないけれど、漠然とした不安に似た塊が胸のあたりに引っかかっているようで、何となく気分が悪かった。
「……まあ、一番気になるのは凪沙のことか」
「そう、だね」
やはり、このぐちゃぐちゃとした感情の中心にいるのは、凪沙なのだろう。柚は、小さく息を吸うと、なるべく自虐的にならないように気を付けながら口を開いた。
「凪沙ちゃんがあんなことを言いだしたの、私のため、なのかな」
自分で口にした言葉が、じわりと、肩に重くのしかかってくる。先程までの凪沙と桜草樹のやり取りが、脳内に鮮烈に映し出される。
『桜草樹さんの存在が、私にとっては危険なものになってるの』
『本当に迷惑だし、邪魔だよ』
相手への悪意を、隠すこともなくぶつけようとする言葉。それが凪沙の口から放たれたということを、柚は未だに信じられない気持ちでいた。
確かに、凪沙は歯に衣着せぬ物言いをすることが多いし、人が言いにくいような厳しいことを正面から言うことだってある。けれど、それは大抵、相手のためを思っての言葉だった。間違っても、相手のことが気に入らないから攻撃しようなんて考えるような人ではないはずだった。
「途中で凪沙が名前を出してたし、柚のため、っていうのも、あるとは思うけど……」
創が、心配そうな顔で答えた。
「でも、たとえそうだとしても、あそこまで攻撃的になるのは、凪沙らしくないと思う」
「ああ、そうだよな」
勝元も同意した。
「さっきの凪沙は、明らかに桜草樹さんを傷つけようとしてたし、かなり一方的だった。中梛も言ってたけど、やっぱりどう見ても、凪沙の方に非があるのは確かだ」
「でも、凪沙ちゃんは――」
「分かってる」
柚の言葉を、勝元は遮った。その目は、悔しさを浮かべながら、じっと床の方を向いていた。
「柚の言いたいことも、分かってる。俺だって、凪沙が意味もなく人を傷つける人だとは思ってないし、思いたくない。凪沙のことだから、こうしないといけない何かが、きっとあるはずなんだ。だけど、今のところは何も分からないから、どう捉えていいのかも分からない」
「……うん」
柚は、素直に頷いた。分かっている。三人とも、同じ気持ちなんだ。
あの場で悪かったのは凪沙だということも知っている。けれど、その裏に何か事情があって、凪沙はそのために一人で動いていると、信じている。
「凪沙ちゃんがあんなことをしないといけなかった事情って、何だろう」
「桜草樹さんがまた柚と創に魔法関連のことを聞こうとしていることに対して注意してたから、それと関係したものとか。やっぱり、桜草樹さんが色々と聞いてくる中で、柚たちのことがバレて、ネットに晒されて今まで通りの生活が送れなくなるとか、事件に巻き込まれるとか、そういう感じ、なのか?」
勝元は難しい顔をした。
「それだったら、俺たちがここに来る頻度を減らして、なるべく桜草樹さんと接触しないようにすればいい気もするけど」
「でも、僕たちが接触を避けても、桜草樹さんがまた別の人に対してとか、別の場所で同じことをすれば、同じ危険がある気がする。『道』を使ったプロジェクトに参加してる時点で、無関係の人から見れば、来る頻度は関係なくみんな同じ扱いになるだろうから、もしもプロジェクト自体が世間に知られたら、僕たちも結局それに巻き込まれる、と思うし」
「あー、そっか」
創の言葉を受けて、勝元は自分の髪をくしゃっと触った。
「プロジェクトの運営側が俺たちのことを把握してるだろうから、プロジェクトとか五科工業が問題になれば、そこから情報が広まる危険性も増えるってことか。そう考えると、言い方は悪いけど、桜草樹さんをここから遠ざけようとするのは妥当って感じだな」
「でも、ここから遠ざけるだけだと、創が言ってた『別の場所で』っていうのは防げないよね」
「確かにそうだな。桜草樹さんの行動すべてを制限することはできないから、危険性を低くするために、取りあえずここからは遠ざけようって感じかな」
そして、勝元は少し考えるような仕草をして、「うーん」と唸った。
「そうだとしても、凪沙の取った行動は気になるよな」
「誰かに対して、面と向かって悪口を言うなんて、普段の凪沙なら取らなさそうな行動だよね」
創が、表情を曇らせて言った。勝元も頷く。
「ああ。桜草樹さんをここに来させないためにとる行動としては一番簡単ではあるけど、凪沙ならもっと別の方法でうまくやるだろうし、わざわざあんなことをするのはよく分からない」
確かに、と柚は思う。いつも思慮深く物事を進める凪沙が取る手段としては、ちょっと荒々しすぎるし、必死すぎるような気がした。
「何か大変なことが起きるから、手段を選んでいられない、みたいな……?」
創が、不安げにそう言った。
「大変なこと……」
柚は、考えを巡らせる。今考えられる中で、柚個人が一番恐れているのは、柚や柚の家族が危険に晒されること。大変なこととは、それと関係することなのだろうか。それとも、それ以上のことなのだろうか。
人への干渉を好まない凪沙が人を傷つけることを選ぶほどのこととは、一体何なのか。
今までに、凪沙が必死になっていたことは何だっただろうか、と思い返す。そして、頭に浮かんだ答えに、柚は思わずドキリとした。
大変なこと。
人の命に、関わること。
まさか、ね。
そう思いつつ、柚はそっと勝元の方を見た。勝元も、柚と同じことを考えたのか、険しい顔で柚を見つめ返した。
「……あいつ、一体、何を見たんだ?」
そう呟く勝元の声は、深刻な声色だった。誰に聞くわけでもないその問いに、柚も創も、答えることができなかった。
凪沙が何を考えているのか、凪沙が何を見て、何のために行動しているのか、柚には全く見当がつかなかった。どれだけ頭を悩ませたところで、凪沙の考えていることなんて、誰にも分からないのだ。
「凪沙ちゃん、聞いても教えてくれない、よね」
柚が言うと、二人も俯くように頷いた。
「多分な。いつも、絶対に教えてくれないし」
「何でも一人で解決しようとしちゃうから」
「そうだよね……」
柚は、涙が張り付いた頬と、腫れぼったい目元を軽く押さえた。
いつもそうだ。凪沙はいつも一人で、柚たちが知らないうちに、何でも解決しようとしてしまう。自分がその後周囲からどう見られることになるのかなんて、気にせずに。
「一応連絡してみるよ。まあ、多分事情を聞いても『何となくそうしただけ』とか言ってはぐらかすだろうけど」
勝元は、立ち上がってスマホを取り出した。そして、文字を打ち込んだり消したりを何度か繰り返した後、送信ボタンを押した。その様子を眺めながら、柚はふと、凪沙と次に会えるのはいつだろう、と思った。
スマホを持っていない柚が凪沙と連絡を取る方法は、柚の家にある固定電話だけだ。しかし、柚が自宅にいる時間は長くはなく、いつでもそれを使って連絡が取れるわけではなかった。
そして、柚だけではなく、すぐに壊してしまうという理由から同じくスマホを持っていない創とも、連絡を取り合うのには少し不自由がある。このプロジェクトが始まる前、なかなか四人で会えていなかったのにも、連絡の取りにくさが大きく関係していた。
ここ最近は、このプロジェクトに参加して直接会うことで、その問題が解消できていた。けれど、凪沙が悪く見られてしまっている今、彼女がいつも通りここに来ることは難しいのではないだろうか。
「凪沙ちゃん、しばらくここに来ないことになるのかな」
柚が呟くと、創も「うん」と目を伏せて答えた。
「多分、来づらいと思うから。でも、そうなると、しばらく話せないかもしれないね」
創も、柚と同じことを考えていたみたいだった。彼は、悔しくて仕方がない、といった様子で、弱々しく言った。
「凪沙は話してくれないかもしれないけど、凪沙が何を考えているのか、ちゃんと聞きたいな。凪沙が悪い印象を持たれ続けるのも、僕たちがそれをしっかり否定できないのも、嫌だよ」
「うん。そうだね」
柚は頷いた。創の言う通り、このまま凪沙の立場が悪くなってしまうのを見ているのは嫌だった。
「返信は、しばらく来なさそうだな」
勝元がスマホの画面を見つめながら言った。そして、勝元は柚と創のことを見た。
「二人は、これからどうする?」
「どうする、って?」
柚が聞き返すと、勝元は「バイトのこと」と答えた。
「単純に、凪沙が危惧している何かが起こるかもしれないっていうのもあるし、それとは別に、こんなことがあって、他のメンバーと会うのも気まずくなってるけど、明日からもここに来るかどうか」
「ああ……」
確かに、凪沙のことばかり気にしていたけれど、柚たちがここに来ることにも問題があるのを忘れていた。
『マジで気持ちわりいよ、お前ら』
『四人だけでくっついて、庇い合っちゃって、何かちょっと変だよなーとは思ってたけどさあ』
二人の言葉を思い出して、ぐっと胸が圧迫される。熱が再びじわじわと胸の中で膨らみそうになるのを、柚は何度か呼吸を繰り返して抑えた。
「行かない方が良いのかな」
創が、少し沈んだ声で言った。
「凪沙のこととかで対立しちゃったし、それに、今まで他のみんなに嫌な思いさせてたみたいだし」
「まあ、確かに」
勝元が、同意を示した後、小さくため息を吐いた。
「ここに来てから、なるべくみんなと交流するようには心がけてきたけど、もう少し配慮が必要だったかな」
「そんなことないよ」
柚は慌てて勝元の言葉を否定した。
「勝元くんは十分気にかけてくれてたよ。多分、みんな私の行動が嫌だったんだと思う。いつも勝元くんたちに頼ってばっかりだったし」
「いや、でもやっぱり、無作為に選ばれて、みんな知り合いもいない中リスクを負ってここに来ている中で、知り合いの四人が集まっている、っていうのは気になるだろ。それに加えて、悪く見える人を庇ってる状況なんだから、みんなが俺たちに対して不信感とか不満を持ってもしょうがないと思う。そこはもう少し気にするべきだった」
「確かに、そうかもしれないけど……」
でも、それが正しいとしても、決して勝元の責任ではない。もしも柚が、自分の行動が皆にどう受け止められるのか考えて、その上で皆と接していれば、きっとこんなことにはならなかった。
「……ごめんね、勝元くん」
創が、勝元のことを見て言った。
「僕、今まで勝元くんに頼りすぎてた。いつも、僕はみんなと全然話せてなくて、勝元くんに任せてばっかりだったし、それに今日だって、もし僕が最初に天瀬くんの言葉を否定してなければ、上手く収まったかもしれないのに」
「そんなこと気にしなくていいって」
勝元は、少し笑顔を浮かべて、創の髪をくしゃりと撫でた。
「創は今まで十分頑張ってたし、柚だって頑張ってた。それに、凪沙をあれ以上悪く言われたら、最初に創が怒らなくても、すぐに俺たちが怒ってた。誰のせいとかじゃなくて、しょうがないことだったんだよ、きっと」
その言葉に、創はまだ思うところのあるような顔をしていたけれど、素直に「そうだね」と同意した。
「まあ、そうは言っても、俺たちの立場が悪いのは事実だし、しばらくここのみんなと距離を置くことも一つの手だとは思うけど」
そんな前置きをした後、勝元は柚の方に目を向けた。
「柚は、どうしたい?」




