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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第3章 不和と隠し事

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    事情と衝突 ③

「ここにいるみんな、優しいから言わなかったみたいだけど、こんなに雰囲気が悪くなった原因は桜草樹さんだってこと、分かってる?」


 空気がひび割れたような音が、耳元を震わせたような気がした。


 息を吸ったのか、吐いたのか、分からないけれど、何人かの緊張した息づかいが聞こえて、そしてすぐに消えた。


 皆が分かっていて、敢えて口にしなかったこと。勝元が、言及するのを丁寧に避けたこと。凪沙を見つめる皆の目は、結局言ってしまうのか、とでも言いたそうな様子だった。


 突然浴びせられた直接的すぎる言葉に、桜草樹は目を見開いた。微かに開かれたり閉じたりしている口からは、なかなか言葉が出てこなかった。


「そ、それは……」


 桜草樹が、凪沙から視線を逸らした。その顔には、今までに見たことのないほど痛々しい表情が浮かんでいた。


「それは、分かって――」

「分かってないよ」


 桜草樹の言葉を床に叩き落とすように、凪沙は言った。


「魔法関連のこと、調べてるんだっけ。桜草樹さんの最近の行動が、どれだけ私たちを不安にさせて、追い詰めたのか分かってない。桜草樹さんは、私たちの置かれた状況が世間に晒されることをそこまで深刻に捉えていないのかもしれないけど、そうじゃない人だっているの」


「……分かって、います」


 傷つきながらも、それでもはっきりと桜草樹は答えた。凪沙の目に、ほんのわずかに苛立ちや呆れのような光が浮かぶ。


「さっきの勝元の提案にも、納得してなさそうだったけど」

「そんなことありません。皆さんの意見ですから、きちんと守ります」


 桜草樹は、パッと顔を上げて、再び凪沙の顔を見た。熱を帯びた目で凪沙を見据える桜草樹。それに対して凪沙は、少し目を細めた。


「そういう問題じゃないよ、もう。今までの行動のせいで、もう信じられなくなってる。私は何度も注意してきたのに、無視し続けたのは桜草樹さんだよ。桜草樹さんの存在が、私にとっては危険なものになってるの」


「私の存在が、って」


 桜草樹は、凪沙を睨んだ。


「その件に関しては、申し訳なかったと思っています。でも、そこまで言われるほどではないと思います」

「別に、桜草樹さん自身がどう思っていようが、私には関係ないよ」


 桜草樹の言葉は、凪沙は雑に受け流した。その態度を見て、桜草樹の目に敵意が増す。


 部屋に満ちた空気が、何か大きい生物に上から踏まれているように、歪んで、密度が増しているようだった。ごめんと言った、凪沙の真意。分からないけれど、きっとまた、彼女は柚たちを守ろうとしているのだと思った。


 こんなことを、凪沙にさせていいのだろうか。


 やめてほしかった。凪沙が誰かを傷つける姿なんて、見たくなかった。けれど、どうしても、声が出てこなかった。



『大丈夫じゃなかったんだ』



 いつかの凪沙の声が、脳内で再生される。誰よりもたくさんのことに気が付ける凪沙。きっと、こうしないといけない何かが、あるはずなのだ。



 きっと、あるはずなんだ。



「ねえ、さすがにそろそろやめたら? 桜草樹サン、ちょっとかわいそうだよ」


 緊迫した雰囲気に耐えかねた天瀬が、凪沙に対して声を上げた。凪沙は、天瀬に一瞥もくれずに、鋭く言った。


「天瀬くんは黙ってて」

「はーい」


 困ったような顔をすると、天瀬は大人しく返事をした。


「……じゃあ、はっきり言うよ」


 凪沙は、正面から桜草樹に向き直った。そして、迷いもなくきっぱりと言い放った。



「迷惑だから、しばらくここに来ないで」



「……っ」


 桜草樹は、目を見開いた。瞳が、微かに揺れる。


「……どうして、ですか。なぜあなたに、そのようなことを指示されなければならないのですか」

「桜草樹さんがここに来るのは、危険だから」


 動揺を押し殺そうとしている桜草樹の声に対し、凪沙の言葉は、どうしようもないくらいに落ち着いていた。


「赤羽さんがおっしゃっていたことも、守ると伝えましたが」

「見えないところで破るつもりじゃないの」

「どうして、そんなことを――」

「違うの?」


 確信しているような凪沙の問いに、桜草樹は言葉を詰まらせる。その様子を見て、凪沙はため息を吐いた。


「社長から何も聞けなくて行き詰ったら、また柚と創に色々聞くつもりだよね。三人は私と違って優しいから、周りから見えないところで個人的に聞けばいいとでも思ってるんでしょ。やっぱり、危険性が何もわかってない」


 小馬鹿にしたようにも取れるその言葉に、桜草樹は苛立った様子で口を開いた。


「危険性、と言いますが、入月さんはあまりにも深刻に考えすぎではないですか。仮に私が白葉さんや蒼柳さんに陰で魔法関連のことを尋ねたとしても、それがそこまでの大事になるとは思えませんし、入月さんの私への言葉は、大袈裟すぎると感じます」


「大袈裟じゃないよ」


 凪沙は、少し語調を強めて言った。


「その些細なことのせいで、生活が壊れる可能性だってゼロじゃない。疑いをかけられるだけでも、生きづらくなる。どこから情報が漏れるか分からない。今この状況で他の人に知られるのは危険だっていう話になってたの、聞いてたでしょ」


「……それは、そうですけど」


「それに、社会的な立場ばかり気にしてるけど、私たちの状況を知ってしまった相手が、もし今事件を起こしている魔法使いとか魔法研究者だったら、っていうことまで考えたことある? このことを公にすると脅されたりして、事件に加担させられたり、事件の被害者になったりすることだってあるかもしれない。最悪、命の危険性だってあるの」


 そして、凪沙は再びため息を吐いた。


「勝元は、魔法に対する考え方に違いがあるからこうなってるって言ってたけど、本当にそうだと思う。今まで魔法なんかと全く関わりのない安全な生活を送ってきたお嬢様とは、考え方が違うの」


 ざわり、と空気が動いた。凪沙の言葉は、桜草樹を傷つけようという意思が明確に感じ取れるくらいに棘のある言い方だった。


「……私だって」


 凪沙を睨む桜草樹が、震える声で言った。


「私だって、全く関わりがないわけじゃありません。危険があることも、分かります。でも、その上でやらなければならないことがあるんです。何よりも優先すべきことなんです。だから――」


「だから、黙って合わせてほしい、って?」


 凪沙が、桜草樹の言葉を遮った。


「それは身勝手すぎるよ。桜草樹さんにも大切な事情があるように、私たちにも大切な事情があるの。それを犠牲にして、自分たちや家族を危険に晒してまで、桜草樹さんに合わせる義理はない」


「それでも、そうしなければならないんです。やらなければ、ならないんです」

「じゃあ、話してみて」


 凪沙の視線が、真っ直ぐ、桜草樹に向けられる。


「誰かが生きられなくなっても構わないくらい大切な、桜草樹さんの事情を、私が納得できるように、今ここで」

「そ、れは」


 桜草樹は俯いた。そして、消え入りそうな声で言った。


「……言え、ません」

「そっか」


 桜草樹の調子に合わせるように、力を抜いて凪沙は言った。


「じゃあ、協力できない。こっちに合わせてもらう」

「で、でも」

「自分は何も話せないのに、何も言わずにただ自分に合わせてほしいって? 甘いよ、それは。自惚れないで。何も言わずに従ってくれる人なんて、あなたの家にはいても、ここにはいないの」

「……」


 俯いたまま、桜草樹は黙り込んでしまった。その拳は固く握られていて、彼女の悔しさが表れていた。そんな様子を少しの間眺めた後、凪沙はゆっくり口を開いた。



「これは、桜草樹さんのためでもあるんだよ」



 何も答えない桜草樹に対して、凪沙は、まるで致命傷となる場所を見極めているかのように、続けた。



「しばらくここに来ないで。取りあえず、昨日の報道の波が収まるまでは、来ないでほしい。世の中の人が敏感になってる今知られたら、あっという間に広められるから。桜草樹さんのよく分からない事情の犠牲になるのは避けたいの」



 さらに、続ける。



「これは、お互いのためでもあるんだよ。桜草樹さんだって、もしこのプロジェクトに参加していたことが公になったら、家の評判を落とすことになるんじゃないの。自分の不用意な行動のせいで、『桜草樹家の長女』が問題を起こしたとして、たくさんの人に非難されたら、桜草樹さんはそれから今まで通りに生きていける?」



 放たれた言葉が空を切る。乱れることなく同じ方向に、明確な行き先を持って。

 止まらないで、飛び続ける。



「でも、万が一そうなっても、桜草樹さんの場合は家の力でそんなことくらい揉み消せるから問題ないのかな。護衛の人が守ってくれるみたいだから、事件に巻き込まれる可能性も低そうだし。それなら今までみたいなことをしていても心配ないね」



「……あなたに」



 ぼそりと桜草樹は言った。



「何?」


「あなたに、何が分かるんですかっ」



 顔を上げないまま、昂った感情を床に叩きつけるように、桜草樹は叫んだ。



「私の事情も知らないで、勝手なこと言って。私だってどうしたらいいか分からないんです。でも何とかしようとしているのに、みんなのために、何とかしようとしているのに、何でそんなことを言うのですか。私のことなんて、私の家のことなんて、何も知らないくせにっ」


「……それを言ったらダメだよ」


 震える桜草樹の拳を、凪沙は無感動に眺めた。


「その知らないことを話さないって言ったのは桜草樹さんだ。自分だけで勝手に抱え込んでいる問題を、勝手に私のせいにされても困る。何も言わなくても分かってもらえる、なんて考えは甘えだって、さっきも言ったよね。物分かりが悪くて呆れるよ」


「そんなことっ」


「桜草樹さんの行動にどんな重要な意味があったとしても、そのせいで私が望まない結果になるなら、私はそれを許さない。だから、しばらくここに来ないで。絶対に」



 深く、静かな、凪沙の目。その目に、ふと彼女の兄の面影を見て、ザっと鳥肌が立つ。

 見つめられた相手の全てを無意味にしてしまうような、そんな暴力的な視線。



 違う。

 それは違う、はずだ。



「もう、分かったよね」


 凪沙の声が、まるでドラマの演出の一部であるかのように、鮮明に部屋に響いた。



「ここにあなたの居場所はない。本当に迷惑だし、邪魔だよ」



 鋭い言葉が、正確に彼女に突き刺さった。びくり、と桜草樹の身体が震える。


「そんな、こと」


 拳の震えも、さっきと比べると、目に見えて大きくなっている。


「でも、だって、私は――」


 桜草樹は、パッと口元を押さえた。その顔は、昨日と同じくらい真っ青だった。苦しそうに細められた目の端には、今にも零れてしまいそうな涙の粒が湛えられていた。


「桜草樹さん」


 思わず、と言った様子で勝元が呼びかけた。彼女はそれに反応することなく、急いで背を向けると、口元を押さえたまま、部屋の扉の方へ駆けていった。



 扉が勢いよく開けられ、そして閉じられた音が、残された部屋の空気を揺らした。



 桜草樹の乱れた足音が、次第に遠ざかり、そして完全に聞こえなくなった。



 しばらくの間、誰も、動かなかった。桜草樹がいた熱を残したまま、時間を止められてしまったようだった。


 凪沙は、静かに桜草樹が飛び出していった扉の方を見つめていた。その目からは、桜草樹に対する怒りも、自分が言ったことへの後悔も感じられなかった。自分の言葉が彼女に与えた影響がどれほどのものか、じっと観察し、考察しているような雰囲気さえ感じられた。柚は、サッと凪沙から目を逸らした。



 見たくなかった。凪沙のことも、凪沙のことを見る他の参加者のことも。



「――はあ」



 唐突に、大きなため息とそれに続く舌打ちが沈黙を破った。


「お前、何がしてえんだよ」


 そう言ったのは、今までずっと何の反応も見せずにいた、中梛だった。


「さっきから見てりゃあ、事情がどうとか言って、一方的に年下のヤツいじめてさ。頭おかしいんじゃねえの」


 中梛は、凪沙に対して鋭い視線を向けた。凪沙は、彼をちらりと見ると、表情を変えずに言った。


「ずっと黙って見てただけの中梛くんに言われたくないよ」

「あ?」


 中梛の眉がピクリと動く。それに構わず、凪沙は続けた。


「私は桜草樹さんをここから遠ざけたかったから、そのための行動を起こした。私のことを止めようと思えば止められたのに、何もしなかったのは中梛くんだよ」


 その言葉を受けて、中梛はもう一度、苛立たしそうに舌打ちをした。


「お前のそういう態度、マジで気に食わねえ。もっともらしいこと言って、自分が偉くて正しいみたいな顔して、澄ました顔で他人を言い負かそうとしてさ。頭おかしいぜ」

「……」


 凪沙は、無言で中梛を見た。そして、静かに「そうだね」と答えた。


「私のことがそう見えるなら、そう見てくれて構わないよ。実際、私は自分勝手だからね。他の人のことなんて、いちいち気にしていられない」


 そう言いながら、凪沙は自分のカバンを手に取った。


「じゃあ、私は先に帰るよ。お疲れさま」


 凪沙は、誰のことも見ないまま、スタスタと扉の方に歩いていって、部屋から出ていった。

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