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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第3章 不和と隠し事

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    『司者』②

「柚ちゃん」


 呼ばれて、顔を上げる。そこには、気まずそうな顔の咲が立っていた。


「これから、少し話せる?」


 皆、それぞれ帰り支度や部活の準備をしつつも、咲と、そして柚の様子を窺っている空気が感じ取れた。それを、咲も感じたのか、柚だけに聞こえるような声で続けた。


「あ、もちろん、この後バイトとかがあるなら、全然いいんだけど」

「大丈夫。時間あるよ」


 頷いて、柚は立ち上がった。クラスメイトの注目が、更に柚たちに集まる。


 柚がリュックを背負ったのを確認すると、咲は歩き始めた。柚もそれに続いて、教室を歩いていく。


 大丈夫かな、あの二人、という声が、どこかから聞こえてきた。



 大丈夫かな、結構仲良かったのに。

 でも、今朝のはさすがに。

 白葉さんがかわいそうだったよね。



 その声の主を確認することなく、柚は教室を後にした。






「ここでいいかな?」


 そう言って、咲が示したのは、柚の通学路の途中にある、小さな公園だった。滑り台とブランコが申し訳程度に置かれていて、後は草が生い茂る広場のような空間があるだけの、寂れた公園。ちょうど、学校からも少し距離があるところだった。


 柚が頷くと、咲は自転車を降りた。そして、入り口に立っている棒の隙間を、自転車を押しながら慎重に通って公園に入ると、そのそばに自転車を寄せてとめた。柚も、それにならって自転車をとめる。


 公園にベンチはなく、柚たちは、自然とブランコの方に向かった。鎖で吊るされた板が二つ。それぞれに腰掛けると、ちょうど横並びになって、自ら顔を向けなければ、相手の顔が見えない状態になった。


「柚ちゃん」


 座ったブランコが安定するとすぐに、咲は口を開いた。


「朝は、ごめんね。変なこと言って」


 苦しそうな声。ゆっくり顔を向けると、咲は自分の爪先を見つめながら、もう一度「ごめん」と謝った。あまりにも、悲痛な表情だった。


「本当に、どうかしてた。私、ムキになってあんなこと言って。柚ちゃんのこと、考えてなかった」

「いいよ、そんな。その、傷ついたわけじゃないし」

「そんなことないよ。だって――」


 咲の顔が、勢いよく柚の方を向く。それに合わせて、激しく鎖が軋む音が響いた。



「だって、柚ちゃんのお父さんもお母さんも、魔法使いのせいで」



 ギシギシと、軋む鎖。



『咲の友達の中にだって、家族が被害にあった人もいるし』

『でも、今朝のはさすがに』

『白葉さんがかわいそうだったよね』



 声が、蘇る。咲の泣き出しそうな顔と、その声が、混ざり合って、そして離れていく。



「……それ」


 柚の口から、掠れた声が出た。


「それ、やっぱりみんな、知ってるの?」


「……うん。知ってる子は、多いかも」

 咲は答えると、再び柚から視線を逸らした。


「詳しいことは、みんなも、私も、何も知らないけど、噂には、なってるよ。柚ちゃんのお父さんとお母さんが、昔被害に遭ったんだって」

「そう、なんだ」

「でも、家族や知り合いが被害に遭ったっていう人は時々いるから、柚ちゃんだけが噂されてるっていうことでも、ないんだけど」


 噂、か。


 同じクラスにいても認識されないような、目立たない存在である柚の噂も、こうして、知らない間に、知らない人に伝わっていく。そう思うと、背筋を冷たいものが滑り落ちていく感覚がした。


 柚自身、クラスメイトが柚のその事情を知っていることを、今までも薄々感じてはいた。魔法関連のことは繊細な話題だから、本人に直接聞くことも、その話題に触れることも避けられている。だから、今回の咲のようなことがない限りは、直接的な発言をされることはないのだろう。


 そう考えると、蓮人や柊人、そして百合の周囲でも、同じ噂がされているのではないだろうか。

 そんな噂をされていることを感じながら、三人はそれぞれ、生活しているのだろうか。



 かわいそう、という視線を。

 三人は、それぞれどんな気持ちで聞くのだろうか。



「ありがとう、教えてくれて。もう、大丈夫だから」


 柚が笑いかけると、咲は素直に「うん」と頷いた。


「でも、咲ちゃんは、どうしてそんなに、魔法使い全員が悪いわけじゃないって思ってるの?」


 純粋な疑問を口にしてみた。咲が口を開きかけたのを見て、柚は慌てて付け加える。


「あ、別に、怒ってるわけじゃなくて、ただ気になるなーって」

「うん、わかってるよ」


 少し微笑むと、咲は軽くブランコを揺らして、その爪先を眺めながら話し始めた。


「私ね、まだ幼稚園に通ってた頃、魔法使いに助けられたことがあるんだ」

「魔法使いに?」

「うん。それも、多分『司者』に。『生命(いのち)の司者』、だったと思う」


 その単語に、柚は軽く息を止めた。


 今朝クラスメイトが口にしていたのと、同じ単語。


「あ、『司者』ってね、三種類いるんだって。『生命の司者』と、『(とき)の司者』と、『創造(そうぞう)の司者』。その中の、『生命の司者』に、助けてもらったんだ」


「助けて、もらった……?」

「うん」


 助けてもらった、と咲はもう一度繰り返した。


「友達と遊んでたとき、行き過ぎた悪ふざけだったのか、それとも嫌がらせだったのか分からないけど、そのせいで一度、大怪我をしたことがあったんだ。そのまま放っておいたら、死んじゃうんじゃないかってくらいの怪我だったと思う。周りの子はみんな、自分のせいじゃない、って逃げちゃって、一人じゃ、動けなくて。――そんなときに、ただ一人、私に近づいてきてくれたのが、その『生命の司者』だったんだ」


 咲の顔が、柔らかく、温かく、微笑みを浮かべる。


「大丈夫、今治してあげるね、って、優しく、私の怪我を治してくれて、人が近くを通ったタイミングで、見つけてもらえるように声を出してくれて。その後すぐいなくなっちゃったし、私も気を失ってたみたいだから、その後のことは、よく分からないんだけど」


「そう、だったんだ」


 ため息のような声が出た。咲が嬉しそうに頷く。


「その人、どんな人だったの? 年齢とか、性別とか」


「それが、全然覚えてないんだよ。目が覚めたら、記憶が曖昧になってて。でも、綺麗な模様が浮かんだ、光る緑色の目をしてたってことだけは覚えてたから、後で調べてみたんだ。そうしたら、その目は『生命の司者』が持つ目なんだって分かったから、きっとそうだったんだろうなって」


「そっか」


 『司者』について調べるのは、文献へのアクセスのしにくさから見ても、周囲の目を避けなければいけないことからしても、なかなか難しかっただろうに。自分を助けてくれた人のことを知るために、そこまでするなんて、咲らしい、と柚は思った。


「助けてもらった後は、大丈夫だったの? 急に怪我が治って、その、逃げちゃった子たちに怪しまれなかった?」


「不思議そうな顔はしてたけど、でも、なかったことにできたから良かったって感じで、そのまま流されたみたい。まだ小さかったし、そんなに深く考えてなかったのかも。あ、でも、ちゃんと後で謝りに来てくれたよ。それも多分、私の怪我がなくて安心したからだと思うけど」


「それは……」


 良かった、のだろうか。


「良かったんだよ、それで」

 柚の心中を見透かしたように、咲はそう言って笑った。


「……会いたい? 助けてくれた人と」


 少し考えてから尋ねると、咲は「うーん」と唸った。


「会ってお礼は言いたい、けど、無理には会わなくていいかな」


 咲は、顔の分からないその誰かを見るように、眩しそうに空を仰いだ。


「きっとその人も、自分が持ってる力がバレないように、静かに生きていると思うから。もし積極的に探すようなことをしたら、その人の人生を壊すことになっちゃうし」


 生い茂った木の隙間から、光が落ちて、咲の顔の上でチラチラと揺れる。もう夏が近づき始めているのだと、ふと思った。


「だから私、今朝、あんなふうに騒がれて、自分の命の恩人の存在を否定されたような気分になって、あんなこと言っちゃったんだ。自分でもびっくりしたし、子供っぽかったなって思う。ごめんね、そんな個人的な理由で、柚ちゃんのこと傷つけて」

「ううん、それは大丈夫。本当に、気にしてないから」


 柚が、手をパタパタと振って否定すると、咲は「無理しなくていいよ」と笑った。


「でもね」


 咲が、柚の方に向き直った。少しも歪むことなく、真っ直ぐに、その目が柚を捉える。


「やっぱり私は、助けてくれたあの人を、いなくなればいいなんて言えない。おかしいことだって、そのせいで誰かが傷つくかもしれないって、分かってるけど、これだけは、否定したくないよ」


 震えた声。けれど、強い意志の感じられる声だった。


「分かってもらえないとは思うけど、でも、私がこういう考えを持ってるってことは、知っててほしいんだ。魔法使い全員が、悪いわけじゃないって」


 息が止まってしまうような、無防備なほど真っ直ぐなその目に、心がジクジクと刺激される。どうにかして、その優しい信念に応えたいと思ってしまう。



 私も分かるよ。その気持ち。


 そんな甘い言葉は、それでも、柚の口から出ていくことはなかった。



「……うん」


 柚は、ゆっくりと頷いた。そして、咲にニコリと笑いかける。


「話してくれてありがとう、咲ちゃん」


 咲の顔から、力が抜けていく。咲は、これ以上ないくらいにホッとした表情で、「うん」と頷いた。


「ありがとう、聞いてくれて」


 純粋なその言葉に、柚は、そっと目を伏せた。

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