第2話 『司者』①
朝の教室。柚は、椅子に座って、机のそばに置いたリュックの中からペンケースを取り出しながら、ゆっくりため息を吐いた。
凪沙と桜草樹が衝突した日から、数日が経過した。あの日から、二人とも『家』に姿を見せていない。元々、毎日『家』や会社に来るメンバーではなかったから、ただタイミング的にそうなっているだけかもしれない。けれど、あの一件のせいで来にくくなっているのかもしれない、とも思う。
そのせいで、柚自身、あれから一回も凪沙と顔を合わせていないし、連絡だって取っていない。それは、創と勝元も同じみたいだった。
今会っても話せることはないけれど、それでもやはり、凪沙のことは心配だった。それに実際、この件に関しては、柚のせいで起こったことだとも言えるのだから。
「朝からため息なんて吐いてどうしたの、柚ちゃん」
いつの間にか近くに来ていた咲が、柚を見てそう言った。
「随分深刻そうだけど、もしかして、恋のお悩みかな?」
「違うよー」
分かってて聞いてるんでしょー、と言うと、咲はいたずらっ子のように、ニコッと笑った。
「でも、本当にどうしたの? 悩みがあるんだったら、この咲さんが聞いてあげるぞ」
「うーん、悩みというか、何というか……」
「あ、もしかして、友達関係とか?」
言われて、柚はドキリとした。厳密には違うかもしれないけれど、広く捉えれば、今の状況はそのカテゴリーにあてはまる。
どこまで話すべきなのか、どこまではぐらかすべきなのか。思考を巡らしながら口を開くと、柚が言葉を発するよりも先に、咲が「あ」といった。
「でも、柚ちゃん友達いないし、友達関係の悩みなんて、友達ができないってこと以外ないか」
「なっ」
びっくりするほど辛辣なこと言われた。
「私にも、友達くらいいるよ」
「ホントに? 具体的な名前、言ってみてよ。私が知らない人でもいいから」
「いいよ。えーっとね」
柚は手を出して、指を折って数える準備をした。そして、凪沙たちの名前を思い浮かべて、ハタと止まった。
あれ?
あの三人って、友達なのか?
あの三人との関係性を、友達としてカウントしていいのだろうか。
普通の人たちにとって、友達、って、どういう認識なのだろうか。
「おーい、柚ちゃーん」
じゃあ、あのプロジェクトの参加者はどうだろうか。最初と比べて、話す人は良く話すようになったし、同学年の人とかは特に、友達っぽいあれじゃないのか。
でも、話すだけだ。お互いのことなんて、出身地くらいしか知らないし、プライベートで関わるかというとそうでもないし、第一、仲の良いあの三人との関係が友達でないのなら、その他の人なんてほとんど赤の他人と言ってしまえるんじゃないだろうか。
「おーい」
目の前でひらひらと何かが揺れた。ハッとして、そこに焦点を合わせる。揺れていたのは咲の手のひらだった。
「咲ちゃん」
「あ、やっと戻ってきた」
咲は、申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめん、さすがにいじめすぎたかも。怒っていいよ」
「いや……」
柚は、パーの状態の自分の手を眺めながら言った。
「咲ちゃん」
「な、何?」
「……友達って、何?」
「え、何? ホントに大丈夫?」
ガチで心配されてしまった。こっちは結構本気で言ったというのに。
「……哲学、だよ」
「哲学……」
お互い、収拾がつかなくなってしまっているようだった。
そのとき、ふと教室の空気がざわついた。悪口を言っているときの、あの独特な空気に似たものが、教室の中のどこかから流れてくる。
その中心は、すぐに見つかった。教室の真ん中の方。クラスメイトの何人かが、一人の席の周りに集まって、スマホの画面を見ているようだった。
これ、ヤバくない、という声がざわつきの中から聞こえた。どうしたのだろう、と思って眺めていると、咲がその集団に少し近づいて、「どうしたの?」と尋ねた。急に話しかけに行くなんて、と柚は内心ぎょっとする。
「何かあったの?」
「ああ、これ」
話しかけられたうちの一人が、咲にスマホを見せた。咲が目配せしてきたから、柚も立ち上がって、咲の隣から画面を覗いた。そして、その画面に映るものを見た瞬間、柚の心臓が、脳を突き抜けてしまうくらい強く、どん、と動いた。
『反逆者、発見』
SNSの投稿に踊る、扇情的な文言。それが何を意味しているのか、すぐに分かった。
「何か、魔力持った人が見つかったらしいよ。しかも、割とこの近くで」
柚たちに画面を見せていた子が、柚たちに見える状態のまま、その画面をスライドした。現れた顔写真。それは、活発そうな女子高生の顔だった。
「『司者』だっけ? 何か、そういうのらしいよ」
その子の名前、住所、家族構成とその写真、親の勤め先。そして、通っている学校名。
ああ。
柚の口の中が、カラカラに乾いていく。
これは、凪沙が通っている高校の名前だ。
「ヤバいよね。ここ、割と名門の私立校じゃん。こんなすごいところにも紛れてるなんて、衝撃なんだけど」
「待って、ヤバい。この子、前に練習試合で会って、対戦した子なんだけど」
「え、マジで。かわいそう」
いつの間にか、教室のあちこちから声が聞こえるようになっていた。皆、各々のスマホの画面を熱心に見ている。
「その子、どんな子だったの?」
「普通にいい子だったんだけどな。あー、最悪」
「クラスでも結構人気だったらしいね、この子」
「同じクラスの子、騙されてたなんてかわいそー」
「えー、じゃあ、意外と俺らの近くにも隠れてたりして」
「こわ。そうなったら、俺もう学校来ないかも」
「でも、普通に危ないよね。この子、急に暴走したらしいよ。ほら、その動画も上がってる」
「え、こんなになるの。人死ぬレベルじゃん」
「怖いね。普通に学校に来てるだけなのに、それに巻き込まれる可能性があるってこと?」
新しい投稿が、文字が、次々に、画面上を流れていく。
「でも、『司者』は、普通の魔法使いより危険じゃない説、聞いたことがあるけど」
「えー、そうかな。『司者』って『破壊の司者』のことでしょ。あの、教科書に書いてあるやつ」
「そもそも、魔力持ってる時点で危険に決まってるじゃん。実際、こんなふうになってるわけだし」
「あー、何で俺こんなところに住んでるんだろ。親がもっと金を持ってれば、こんなとこいなくて済むのに」
「でも、最近はこのあたりだけじゃなくて他のところでも色々危ないらしいから、どこに行ったって変わらないんじゃない?」
「そうかもしれないけど、リスクは減るよな」
妙に高揚した空気。普段大っぴらに発言することのない、皆の中に積もっていた恐怖や不安が、ここぞとばかりに吐き出される。
「怖いよな。魔法使いなんて、みんないなくなればいいのに」
「ね、百年前はどうだったか知らないけど、今の私たちには関係ないのに」
「魔法使いなんてもう昔のことだと思ってたのに、なんで今更出てくるんだろう。ずっと隠れてくれてたら平和だったのに」
「ホントにね。魔法使いなんて――」
――魔法使いなんて。
害でしか、ないのに。
「――そんなことないっ」
突然、今までの流れの中では異質な、悲鳴に似た声が響いた。
「そんなこと、ないよ」
ピタリと、皆の声が止んだ。膨らんでいた熱気が、その一言だけで、ぺちゃりとつぶれる。クラスメイト全員が、呆気に取られた顔で、ただ一人のことを見つめている。
柚は、目を見開いて、隣に立つ咲のことを見た。
「魔法が使える人みんなが、悪いわけじゃないよ」
そう、咲は、怒りのまじる声で、堂々と言った。
「どういう、こと……?」
一人の女子が、信じられないものを見るように、咲を凝視して言った。
「咲、どういう意味で、そんなこと……」
「そのままの意味だよ」
咲は、真っ直ぐその目を見つめ返した。
「確かに、魔法のせいで傷ついた人はいるけど、でもそれを、無関係の私たちがこんなに騒ぎ立てて、晒す必要もないんじゃない」
「無関係じゃないよ。近くで起こったことだし、実際にその子と関わった子もいるんだよ」
「でも、別に危害を加えられたわけじゃないでしょ」
「そうだけど、でも、被害を受ける可能性だって、なかったって言いきれないじゃん。だってあの『大災厄』を起こした人たちなんだよ」
「でも――」
「え、まさか」
男子の一人が、口を開いた。
「まさか、お前も魔法使いだとか、言うんじゃないだろうな」
空気が、動いたら皮膚が切れてしまいそうなくらいに、鋭く張り詰める。恐怖と、絶望が入り混じった眼差しに、咲は初めてたじろいだ。
「違う、けど」
「じゃあ、何で魔法使いの肩を持つようなことを言うんだよ」
「私は、魔法使い全員が悪いっていうのは、一方的すぎるんじゃないかって――」
「この中にだって、知り合いが被害にあった人、いるんだよ。咲の友達の中にだって、家族が被害にあった人もいるし、咲も最近、被害に遭ったって言ってたじゃん」
今度は違う女子が、口を開く。
「そうだけど、でもそういうことが言いたいんじゃないよ。私だって、魔法使い全員が良い人だなんて思ってない。ただ、全員が悪い人だって決めつけない方が良いって言いたいだけで」
「だから、それ、被害に遭った人たちに対しても、同じこと言えるの? 咲は気にしてないのかもしれないけど、本当に嫌な思いした人だっているのに」
「そうだよ。それは酷くない?」
「それに、そういう発言すること自体、危ないよ。お前もこの『司者』の子みたいに晒されたいわけ?」
「違う、違うよ。だから、私は――」
「――咲ちゃんっ」
思わず、叫んだ。咲の身体が、びくりと震える。
身体が沸騰しているように熱かった。柚は、ぎこちない動作で柚の方に顔を向ける咲に、縋るような思いで言った。
「もう、やめて」
咲の目が、我に返ったように見開かれた。そして、徐々に顔が歪んでいく。咲は、パッと柚から目を逸らして、俯いた。
「……ごめん」
消え入りそうな声で、咲はそう言った。
「ごめんね、柚ちゃん」
絞り出されたその声に、柚は、何も答えられなかった。
「みんなもごめん、変なこと言って。傷つけて、ごめん」
咲は、素直に頭を下げた。皆の熱も冷めたようで、教室のあちこちから、「いいよ」という声と安堵が、ぽつぽつと浮かび上がった。
教室の扉が開いて、担任の先生が教室に入ってくる。それをきっかけに、クラスの皆は、いつも通り、何事もなかったかのように、自分の席に着いた。




