招待状④
四月一日。エイプリルフール。
「おお……」
柚は、五科工業の本社ビルの前に、セーラー服姿で立っていた。
五科工業。IT事業や電化製品などの機械開発などを扱う、日本の代表的な超一流企業。都心に大きな本社ビルを構える、誰もが名前を知っている会社。数年前に社長が病気で亡くなり、その息子である現社長が僅か二十四歳でその跡を継いだことでも、というかこっちの方が大きく、話題になったそうだ。
五科工業の製品は柚の家にもあって、毎日のように使っているけれど、これから先の人生、この場所とは縁はないだろう、なんて思っていたというのに。
「と、都会だ」
すっごい都会だ。もうそれしか言葉が出てこない。
一度も見たことがないほど高いビルがひしめき合っていて、空が狭く、遠い。地元R県の一番の都市の駅前でも栄えているという認識だったのに、そんなものの比じゃないくらいの都会っぷりだった。
目的地である目の前のビルを見上げる。落ち着いたグレーの壁を目で辿っていくと、遥か遠くにその先端が見えた。高く昇った太陽の光が、その部分で鋭く反射している。後光がさしているように神々しく見えた。
それにしても高い。めちゃくちゃ高い。ビルが覆いかぶさって倒れてくるような錯覚を覚える。見ているだけで身体がそっくり返って後ろに倒れてしまいそうだった。
巨大な建物を前に戦く柚の横を、涼しげな顔でスーツ姿の格好いい大人の方々が通り過ぎていく。時々、怪しいものを見る目で視線が送られてくるのが痛い。田舎臭い学校指定のリュックサックで来たことが急に恥ずかしくなった。
柚は、会社の前に伸びる道の隅に避難した。顔が熱い。今になって、不安が熱をもって膨らみ始める。あの建物の入り口を通ることが、何かとんでもないことのように思えてくる。
スカートの裾をぐっと握る。これから、誘拐されたらどうしよう。柚についてかなり詳しく知っているようだったから、下手なことをしたら個人情報を晒されるのだろうか。そんな悪い想像が柚の身体を動かなくした。
大丈夫。ここまで来たんだから。目の前にあるのは、間違いなく、あの五科工業なんだから。
柚は自分に言い聞かせると、「よし」と呟いて、足を一歩前に踏み出した。
会社に入っていく人たちに紛れて、同じように入り口に向かって歩く。視界が熱で不安定だ。周りの目を気にしながら、柚は目立たないようにこそこそと歩いた。
入り口をくぐる。そして、立ち止まってしまわないように気合を入れながら、柚は目の前に見えてきた窓口と近づいていった。
息を吸う。
「すみません。あの」
リュックの中から、届いた封筒を取り出した。それを、係の女の人に差し出す。
「その、お、お願いします」
差し出した封筒が震えている。柚はもう一度息を吸った。
「ああ、はい。では、こちらにどうぞ」
係員は、封筒をちらりと見てにこやかに笑うと、立ち上がってエレベーターの方へ歩き始めた。柚は慌ててその後をついていく。
エレベーターには、柚と係員の他に、社員だと思われる人たちが数人乗っていた。一階ごとにエレベーターは止まり、次々とその人数は減っていく。十階を通過したころには、エレベーターに乗っているのは柚たちだけになってしまった。
床からの不安定な感触に酔いそうになる。どこまで行くのかと不安に思っていると、エレベーターは静かに止まって扉を開けた。
エレベーターを降りた左側は壁で、右側には廊下が真っ直ぐ伸びていた。清潔感のある白色の壁と、それと同じ色の床。伸びる廊下の左手側の壁に、扉がぽつぽつと続いている。
柚がエレベーターから降りたのを確認した係員が、廊下を進んでいく。係員の足元を注意深く見ながら、柚も後ろを歩く。廊下の奥の方まで進んだところで、彼女はそこにある一つの扉の前で止まった。そして、柚を振り返ると、右手でスッとその扉を示した。
「こちらになります」
「あ、ありがとう、ございます」
しっかりと頭を下げる。係員はクスリと笑うと「いえいえ」と廊下を戻っていった。
息をゆっくり吸って、倍の時間をかけてそれを吐き出す。身体の震えはもうほとんど収まった。大丈夫だ。柚は目の前の扉を、三回、ノックする。
「どうぞ」という声が聞こえた。柚はドアノブにかける手に力を入れた。
「失礼します」
扉を押す。その先には、スーツ姿の美人な女性と、選ばれた他の参加者と思われる人たちの姿があった。
その部屋には、学校の教室のように机とイスが並べられていて、そこに他の参加者たちは座っていた。スーツの女性は、その机の前に立っていたため、ちょうど先生と生徒のような位置関係だった。
時間に余裕を持って来たつもりだったけれど、既に思ったよりもたくさんの人が集まっている。もっと早く来た方がよかったかもしれない、と後悔した。
「白葉柚です。よろしくお願いします」
部屋の中に数歩分入って、深く頭を下げる。向けられた視線が痛い。数秒後、柚はおずおずと顔を上げた。そして。
「……え?」
な。
頭が真っ白になる。
な、なんで。
「……ゆ、柚?」
厳正なる抽選で選ばれた調査対象の中。驚いた声で柚の名前を呼ぶ彼は。
そして、その隣で平然とした顔をしている彼女は。
「勝元くんと、凪沙ちゃん?」
そこに座っていたのは、小学生時代からの友達、所謂幼馴染である、赤羽勝元と入月凪沙だった。
え。
なぜに二人がここにいるのだ。
「はい、白葉柚さんですね。私は社長秘書の景山季緒という者です。では、空いているお席にどうぞ」
スーツの女性が、思考が完全にフリーズしている柚に、その状態を知ってか知らずか冷静に挨拶をした。何を言われたのかよく理解できなかったが、柚は取りあえず「はい」と返事をしておく。
柚は無意識的に二人の方に近づいていった。二人の後ろの席が空いていたので、流れで取りあえずそこに座る。
「あ、えーっと、大丈夫か?」
身体の向きを後ろに向けた勝元が、驚いた表情を残したまま苦笑した。そして、ちらっと凪沙を見る。凪沙も同じように、イスに横向きに座るようにして柚の方を見ていた。勝元の視線を受けて、彼女は落ち着いた表情を変えないまま、ほんの少し顔を傾けた。
「あ、えっと、ふ、二人も選ばれたんですか……?」
ぼんやりとした思考のまま、二人に尋ねてみる。すると、凪沙が「うん」と頷いた。
「そうだよ。選ばれた」
「マジですか」
びっくりなんだけど。
勝元を見ると、彼は「だよなー」と笑った。
「俺も驚いたよ。この部屋入ったら凪沙が座ってて。今日、エイプリルフールだし、凪沙に騙されたのかと思った」
「私、そんな大掛かりな嘘つくほど暇人じゃないよ。こんな面倒なことわざわざするわけないでしょ」
「まあ、そうだろうけどさ。それにしたって――」
勝元が、柚たちから視線を外して、柚たちにだけ聞こえるくらいの声で呟くように言った。
「凪沙がいたってだけで本当に驚いたのに、柚までって。何か……」
最後を、言いにくそうに濁す。
厳正なる抽選。
それで、この三人が選ばれた。
これは、つまり。
柚の表情を見て、凪沙が軽く頷く。勝元と凪沙が、柚と同じことを思っていることが分かった。
おそらくこれは、偶然なんかじゃない。
「はい、では、皆さん集まりましたし、少し早いですが説明会を始めさせていただきます」
景山が良く通る声で言った。柚はハッとしてその方を向く。二人も姿勢を戻して前を向いた。
さっきは混乱していて意識していなかったが、景山はすごくきれいな女の人だった。切れ長の目に白い肌、整った顔立ち。タイトスカートのスーツに包まれた細い身体は、その服装ゆえにスタイルの良さが際立っていた。鋭さのある美人だった。
「先ほど、電車の事故により、一人遅れるとの連絡がありましたので、その方を含めて、選ばれた方は十人ということになります」
柚は、そっと目線を動かして、同じように景山の話を聞いている他の人たちを窺った。そこに座っている人たちは全員、柚と同じくらいの年齢のようだった。一人一人の顔を確認して、そして、ぎょっとする。
有名人が、約一名。
これ以上混乱してはいけない。柚はその人を見なかったことにした。
景山が、一人一人にホチキスで止められた何枚かの書類を配っていった。見ると、そこには『特別プロジェクト』の説明がまとめられていた。
「この研究は、社長自らが取り組んでおられるものです。ですので、詳しい説明は社長にしていただきます」
景山がそう言い終わったとき、ノックと共に、部屋の扉が開いた。




