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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第3章 不和と隠し事

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    テレビの報道②

 その日は、勝元と凪沙は用事があるということで、昼食の後、その二人を除いた六人で会社に向かった。


 その後、いつも通りの業務内容を終えると、柚たちは再び『家』に戻ってきた。


 『家』のロビーまで来た参加者の皆はそれぞれ、天瀬と藍代が二階へ、櫟依と三ツ花が地下への階段に向かった。それぞれに手を振って、自分も地下へ行こうとしたところで、「柚」と創に呼び止められた。


「何?」


 振り返る。創はにっこりと微笑んだ。


「ちょっと話がしたくて。最近忙しくてアルバイトに参加できてなかったから、こうして柚と話すのは少し久しぶりだしね」

「うん」

 柚も微笑むと、創もそれに答えるように頷いた。


 少しの間、沈黙が続いた。創が階段の方を気にしていることから、他の人の足音を確認しているのだろうと柚は思った。


 創は、自分の不運体質から、人と一緒に階段を使うことを極力避けている。本人はそれについて特に何も言っていないけれど、見ていれば何となく、意識的に避けているのだろうと察することができた。だから、今のこの沈黙も、きっとそういう意味なのだろうと思ったけれど、いつものその様子とは少し違うような気もした。



「……一週間、よりは前になるけど、そのくらいのときに、兄さんが一度、帰ってきたんだ」


 しばらくして、創は、柚をちらりと見てから顔を逸らし、ゆっくりと口を開いた。柚はドキリとする。


朔也(さくや)くんが?」

「うん。ちょうど、蓮人(れんと)くんが検査を受けに来た日に」

「そうなんだ」


 柚も、創から視線を外して、彼が見ている方と、大体同じような方向を見た。


 なるほど、そういう話か。創のさっきの行動は、この話を人に聞かれないようにするためだったのだろう、と柚は納得した。


 それにしても。


「あの日、妙に帰りが遅いなって思ったらそういうことだったんだ」


 言ってくれたらよかったのに、と言おうとして、止めた。


 あの日、病院から帰ってきた蓮人は、いつも通りに振舞ってはいたけれど、それでも何かいつもと違うことが起きたのだと見て取れた。でも、それを蓮人は話さなかったし、柚も何も尋ねなかった。触れてほしくなさそうな雰囲気を感じ取ったというのもあるし、ただ単に、そのとき柚が蓮人のことを避けていたことも影響しているのだろう。


「何か、蓮人くんから聞いたりしてない?」

 柚の答えがノーであることを知っているような口ぶりで、それでも優しく、創は柚に聞いた。柚は、自分の行動を情けなく感じながら、緩やかに首を横に振った。


「何も、話してくれなかったよ。朔也くんと会ってたなんて、知らなかった」


 ちゃんと話した方が良い、と柊人には言われたけれど、結局蓮人とは話せていない。何となく、距離を置き続けてしまっていた。それが良くないことは、分かっているけれど。


「そっか。わざわざ話すことでもないもんね」

 柚を慰めるようにそう言うと、創は柚の方を見た。


「兄さん、この『特別プロジェクト』のこと、蓮人くんから聞いたみたい」


 柚は、小さく息を吸い込んだ。顔を上げると、創の穏やかな視線が、柚の視線と合わさった。


「まあ、無理矢理問いただしたっていう方が正しいのかもしれないけど。兄さん、そういうところは強引だから」

 そう言って、創は軽く笑った。


 話の流れ的には、創が言うことは、十分予想できたことだった。朔也は、そういう類の話には、分かるまでどこまでも踏み込んでいこうとする人だ。普段、二人はとても仲が良いけれど、そういう状況になると、気が弱い蓮人はいつも朔也の強引さに押し負けてしまう、という印象があった。


 それに、二人とも、他愛のない会話を楽しむような性格でもないし、そうする余裕も多分持っていない。今の時期に二人で長時間話すようなことなんて、きっとこのプロジェクトや、魔法関連の事件についてだけだろう。



 魔法関連の事件。


 おそらくそのとき、柚についての話もされたのだろう。朔也は、蓮人よりもそういったことをよく知っている。だから、蓮人が以前柚に尋ねてきたことへの答えは、朔也から既にもらっているに違いない。もらっていて、何も、言ってこない。



「……『特別プロジェクト』のこと、どこまで聞いたのかな」

「『道』のこととか、裏で魔法研究者が関わっていることとか――前に、僕たち四人が集まって蓮人くんに話したことが、ほとんどそのまま伝わってるみたい」

「そっか……」


 以前、四人で集まって、蓮人も交えて話し合ったときには、プロジェクトは危険ではあるけれど、警戒していても仕方がない、今はそのまま参加しようという結論に至った。しかし、朔也の場合は、それと同じ意見を出すとは限らなかった。


 朔也は、魔法関連の話題についてはかなり敏感だ。少しでも危険があると分かれば、たとえ従わざるを得ないことだったとしても、きっぱり反対するに違いない。


「創、大丈夫だった? 朔也くんから怒られたり、止められたりしなかった?」

 柚が尋ねると、創は苦い顔をした。

「すっごく怒られた。どうして相談しなかったんだって。本当にもう、すごく」

「ああ……」


 怒っている朔也の顔が目に浮かぶ。前に凪沙の家に行ったときにも、バレたら朔也は怒るだろうと話していたけれど、実際その通りになってしまったようだ。


「朔也くんに隠し事しようっていうのが無理なことなのに、どうして先に相談しなかったの?」

「余計な心配、かけたくなかったから」


 そう答えて、創は「でも」と続けた。


「僕がどこまで知ってて、どうして参加を決めたのか、とか、色々聞かれたけど、ちゃんと話したら大丈夫だったよ」

「本当に?」


 柚の印象だと、朔也は自分の意思を曲げない、厳しい人だった。それは、自分の意見を押し付けようとするわけではなく、無理を押して行動しようとする人が周りに多いため、その人達のストッパーになっている、と言う感じではあるのだけれど。可愛い弟相手だと、少しは妥協もするのだろうか。


 本当は、創のことが誰よりも一番心配なはずなのに。


「でも、良かったね。参加を許してもらえて」

 柚が言うと、創は嬉しそうに微笑んだ。


 結局、創がどうしてわざわざ危険なプロジェクトに参加しようと思ったのか、分からないままだ。けれど、きっと創の中にはちゃんとした考えがあって、それはきっと、大事なことなのだろう。創の笑顔を見て、柚は純粋に良かった、と思った。


「この話は、勝元くんと凪沙ちゃんには、もうしたの?」

 尋ねると、創は首を横に振った。


「まだしてないよ。蓮人くんが兄さんに色々伝えてくれたから、まず先に柚に話しておこうかなって思って。単純に、あの二人と話す機会がなかったっていうのもあるけどね」

「そう、なんだね」


 やっぱり、ちゃんと聞いておくべきだったかもしれない、と柚は後悔する。柚の行動のせいで、必要かもしれない情報や話が伝わらないのは避けたかった。今から蓮人に聞くには、少し遅いような気もするけれど。


「大丈夫だよ」

 柚の表情の変化を読み取ったのか、創が今日一番力強い声で言った。


「兄さんは、そういうことをむやみに話す人じゃないし、僕たちのことを真剣に考えてくれるから、頼りになる味方が一人増えたっていうだけなんだよ。良いことだから、柚や僕たちがそれを知らなくたって、悪いことは起こらないよ」


「うん。ありがとう」


 陽だまりのような、温かい創の笑顔と声に、柚のマイナスな感情が溶かされていく。柚は、小さく息を吐いて、知らないうちに身体に入っていた力を抜いた。


「それじゃあ、僕たちもそろそろ帰ろうか」

 創が、ゆっくり歩き始めた。柚を振り返り、申し訳なさそうに笑う。


「ごめんね、そんなにたいしたことじゃないのに、呼び止めちゃって」

「ううん、そんなことないよ。話せてよかった」

 柚は笑ってそう言うと、創に続いて歩き出した。



 と、そのときふと、柚の首筋に嫌な感覚が走った。目に見えない、細い何かに圧迫されているような、ざらざらとした違和感。



 視線。



 柚は反射的に周囲を見回した。人影らしきものは、何も見えない。


 気のせい、だったのだろうか。確実に、誰かに見られている感覚がしたような気がしたけれど。


 きっと、気のせいだったんだよね。


 勘違いなんてよくあることだ。急に足を止めてしまったから、創は驚くか、それとも気づかずに先に行ってしまっているだろうと思い、柚は慌てて前を向いた。そして、目に入った光景に、思わず息を呑んだ。


 創が、普段の彼からは想像がつかないほど迷いも躊躇いもない足取りで、正面に見える階段の方に進んでいった。そして、目を見張るほど慣れた身のこなしで、足音も立てずに階段を降りると、踊り場で止まり、折り返した先の階段を確認するように見た。



 それは、瞬きをしている間に終わってしまいそうな、本当に一瞬の、出来事だった。



 階段の先には誰もいなかったのだろう。緩慢な動きで身体を元に戻した創は、ちょうど柚に背を向けた姿勢だった。柚の視界のどこかで、ちらりと赤い光が点滅したような気がした。


 創、なのか。


 薄暗い空間。静かに冷えた白い明かりの中、それに溶け込むように、それでいて妙に輪郭をくっきりと浮かび上がらせるように佇む背中。そこには、周りを溶かしてしまうほどの優しさをまとったいつもの雰囲気とは全く違う、普段生活していたら目にしないような、何か別の空気が湛えられていた。



 こんな創を、私は、見たことがない。



「つ、くる……?」


 乾いた口を開く。彼はそれに、ハッとしたように振り返った。


「ごめんね、突然。誰かに見られてるような気がして慌てちゃった。僕の勘違いだったみたい」

 そう言って柚を見上げる笑顔は、柚の良く知った創そのものだった。


「……創も、感じたんだ」


 思いの外、自然と言葉が出てきたことに密かに驚きつつ、柚は一歩ずつ確かめるようにして階段を下りた。


「僕も、っていうことは、柚も?」

「うん。私も何となく、誰かの視線を感じたような気がしたんだ」


 創が立っている踊り場まで降りる。踊り場は、一階のロビーから見たときほど暗くは感じなかった。


 思考が、つい先ほど目の前で起こった光景から遠ざかる方向へと、強引に流れていく。言ってしまわないように、考えてしまわないように。その流れに従って、一分前の記憶がどこか遠くに置き去りにされるのを、柚は静かに見守った。


「でも、多分気のせいだよね。私たち、(みなと)さんと話したあたりから、ちょっと神経質になってるんだよ、きっと」

 自分ができる範囲で、一番気楽そうな笑顔を作って、柚は言った。


「それに、もし誰かが本当に聞いていたとしても、プロジェクトの参加者の中の誰かだろうし、特別聞かれて困るような会話でもなかったし、大丈夫だよ」


 多分、と柚は心の中で付け加えた。大丈夫なことでは、ないはずなのに。


「そう、だよね」

 どこかホッとした様子で創は言った。そして、柚の顔を見ると、静かに微笑んだ。


「柚」


 涼しい静寂の中、透き通った囁き声が、波紋のように広がっていく。


「ありがとう」

「……うん」


 柚は、創から顔を逸らして頷いた。


 気になることなんて、何もなかった。

 何もなかった、と思うことにした。

 なぜかは分からないけれど、直感的に、そうしなければならないと思った。


「じゃあ、行こっか」

 創はそう言うと、階段に目を向けて進み始めた。柚も「うん」と答えると、慎重に階段を下る創を待って、その数段後ろを進んだ。


「帰ったら学校の課題やらないといけないかなー」

「そうだね。あ、でも僕は、課題より先にご飯作らないと」

「そっか。たくさん作らないといけないし、大変だよね、蒼柳家の食事担当」

「うん。(あらた)、今日も部活があったみたいだし、きっとたくさん食べるからなあ」

「どんなときでも一番多く食べるのは創だよ……」


 柚の位置から、楽しそうに笑う創の顔が見えた。それを確認して、柚は安心する。


 今はまだ、大丈夫だ。


 それぞれの『道』の前に辿り着く。柚は創に、笑顔で手を振った。


「創、またね」

「うん。またね」


 創も笑顔で手を振った。

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