第1話 テレビの報道①
四月半ば。新学期が始まって一週間ほど経った土曜の昼。柚たちは『家』の食堂で昼食を取っていた。
「もしもーし。どしたの?」
食堂の入り口付近に立って電話している天瀬の声が、ゆったりとした空気の中に響く。女子メンバーに対して話しかけるときはいつもそうだけれど、電話で話す声は普段より一層甘かった。
「ん? あー、うん。そうだね」
耳に当てたスマホから女の子の声が聞こえた。会話の内容までは聞こえないけれど、相手の声が相当怒っていることは分かった。
柚は、近くの席にいる創や勝元、三ツ花たちと目を合わせた。皆揃って箸を止めて、少し気まずそうな表情をしている。柚は、天瀬がいる位置が背中側になるような席に座っていることを、心底良かったと思った。
「あー、ごめんね。嫌だったよね。じゃあ――」
『――――!』
一際大きい、叫び声に近いような女の子の声が、柚の耳まで届いた。思わずびくりとする。
「あ、ちょっと――」
そう言ったきり、天瀬の声は止まった。電話の声も、もう聞こえなかった。
「どうしたんだ?」
電話を終えて早々、しれっと席に戻ってきた天瀬に、勝元が尋ねた。天瀬は困ったような笑顔を見せた。
「彼女と別れましたー」
「そんな軽いノリで……」
勝元が呆れた顔をした。
「すごい怒ってたみたいだけど、何かやらかしたのか?」
「あー、はい。他の女の子と遊んでたのバレちゃって」
絵にかいたような修羅場だ……。
「何でそんなことを……っていうか、彼女いたんだ」
「はい。言ってなかったでしたっけ」
「うん、初めて聞いた。どれくらい付き合ってたんだ?」
「えーっと、一週間?」
答えながら、いただきまーす、と途中だった食事を再開する天瀬。それに促されるように、手を止めていた人たちもまた箸を動かし始めた。
「短いな。あんまり落ち込んでないみたいだけど、好きじゃなかったのか?」
質問を続ける勝元。こういうのを自然とやってしまうところが、彼のすごいところだと柚は思う。
「好きでしたよ。向こうもオレのこと好きって言ってくれてたし」
あっさりとそう答える天瀬。
「でも、いつもこんな感じだし、まあ、そんなもんかなーって」
「……そっか」
何とも言えない表情をする勝元。彼にとっても未知の領域らしかった。
「……ちなみに、今まで付き合った人数は?」
「えーっと……」
天瀬は指を折って数え始めた。それが両手になり、折り返し地点に差し掛かったあたりで、面倒になったのか、手をパッと広げてリセットした。そして、愛嬌のある笑顔で、勝元に対してニコッと笑った。数えるのを諦めたらしい。
「……天瀬は本当に、見た目を裏切らないな」
笑って誤魔化す天瀬に、勝元は苦笑いを浮かべた。それに、天瀬は「えー」とふざけるように言った。
「そうっすか?」
「うん。第一印象からほとんど変わってないの、メンバーの中じゃお前くらいだぞ」
確かにそんな気がする、と柚も心の中で頷いた。
「藍代。天瀬って昔からこうなのか?」
勝元が、近くの席で集まって食べている柚たちから、二席くらい離れたところで息を潜めるようにして座っている藍代に話を振った。彼は、微かに驚いたように顔を上げて勝元の方を見たが、すぐに顔を元の位置に戻して、こくりと頷いた。
「少なくとも、中学生のときにはもうこんな感じだったと思います。よく知らないですけど」
「中学生か。人それぞれだとは思うけど、少し心配になるな」
「……まあ、烈が勝手にやってることですし」
「まーねー。オレ自由にやってるし。ちょっと前まで恋愛禁止だったスバルくんには分からないことなんだよ」
ひらひらと手を振る天瀬。この二人の関係は、やはりよく分からない。
「そんなことよりさ」
天瀬が、少し首を傾けて勝元を見た。
「センパイだって、彼女の一人や二人、いるでしょ?」
「いや、いないよ。いたこともないし」
一人や二人って何だよ、とツッコミながらそう答える勝元。天瀬は目を丸くした。
「え、嘘だ。告白されたりしないんですか」
「されないってことも、ないんだけど……」
たくさんの人を敵に回しそうな発言をして、勝元は申し訳なさそうな笑顔を浮かべた。
「あんまりそういうのは、興味がないというか」
「へー」
そんな人もいるんだー、とでも考えていそうな顔で、天瀬は相槌を打った。
「じゃあ、凪沙センパイとか、ツクルとかは?」
天瀬は、今度は凪沙と創の方を見た。急に話を振られて、ちょうどご飯を頬張っていた創が「んん?」と驚いた声を出した。一方の凪沙は、心底面倒くさそうな目を天瀬に向けた。
「いない」
短く答える凪沙。氷点下ほどの冷たさに、天瀬は「俺からすれば、凪沙センパイの印象が一番変わらないよ」と弱々しく呟いた。
「僕もいないよ」
口の中のものを急いで飲み込んだ創も同じように答えた。
「へー、意外。三人ともモテそうなのに」
そう言った天瀬の目が、ふと柚の方を向いた。目が合って、ドキリとする。
この流れ的に、次は私が聞かれるのだろうか。
そう思って密かに構えていると、天瀬は、過去の彼女の人数を数えようとして誤魔化したときと同じように、ニコッと笑った。そして、何事もなかったかのようにフッと柚から目を逸らした。
「……」
何なんだよ、あの人。
いや、言いたいことは分かるけど。
聞かれるまでもなく、確かにいないんだけど。
「えー、みんなそんなもんなのかなあ。ねえ、タカシ」
と、天瀬は唐突に、隣で黙々と食事をしていた櫟依に話を振った。突然名前を呼ばれた櫟依は、顔をしかめて、食器が載っているお盆と自分の身体をスッと天瀬から遠ざけた。
「何、急に」
「いや、タカシ、今日は何か静かだなーって思って」
「俺いつもそんなに喋ってるわけじゃないけど」
このままやり過ごせると思ったのに、と櫟依はため息を吐いた。
「で、どう思う?」
「どう思う、って、付き合っている人がいないことについて?」
「そー。普通はそんな感じ?」
「そういうの、俺に聞かれても……」
櫟依は、勝元たち三人の顔をゆっくりと見回した。
「……別に、高校生の時点で恋人がいないのは全然珍しいことじゃないし普通だと思う。けど、この三人のスペックでいないってことに関しては、普通じゃない、かもしれない、とは思う」
言いにくそうに、少し聞き取りにくい声で言うと、三人の反応を見ないようにするためか、櫟依は顔を伏せた。気まずさを誤魔化すように、彼はぱくりと一口ご飯を食べた。
「なるほどー」
天瀬が、やけに神妙な顔で頷いた。その様子を横目でちらりと見ると、櫟依はまた、視線を自分のお盆の上に戻した。
「まあそんなの、そういう縁があったかとか、環境の違いとかもあるんじゃないの。俺にとっては、天瀬の人間関係の方が馴染みない」
「そっか」
「なになに? 恋愛の話?」
突然、雰囲気の違う穏やかな声が加わった。見ると、机の近くに、可愛らしい薄紫のエプロンを付けた葵が立っていた。
「みんな、若いねえ。青春だねえ」
「葵サンだって十分若いじゃないですか」
口説き文句のような言葉を、そうと感じさせないほど自然に言ってのける天瀬。本当にこなれている。
「ちなみに、葵サンは昔どうだったんですか?」
「私? 私は全然付き合ったりとかはしてなかったな。彼氏なんて本当にずっといなくって、数年前にやっと誠司くんとって感じだよ」
「えー意外。葵サン可愛いのに」
おい。
「じゃあ、社長とはいつ知り合ったんですか?」
今度は勝元が質問した。
「あ、答えにくかったら、言わなくて大丈夫ですけど」
「ううん、大丈夫だよ。えっとね……」
葵は、少し目を伏せた後、勝元の方を見て微笑んだ。
「初めて会ったのは、小学生の頃だよ」
「えっ」
葵の答えに、その場にいる皆が目を丸くした。
予想以上に早かった。出会ったのはもっと遅い、例えば大学時代などだと勝手に思っていたのに。
「そんなに早くから?」
「うん」
驚いた顔で言う勝元に、葵は少しくすぐったそうに笑った。
「五年生のときに、誠司くんが同じクラスに転校してきて、そのときに」
五年生、というと、十一歳を迎える学年だった。柚は、以前部活動についての話になったときに社長が話していたことを思い出した。
確か社長は、五科家の養子になったのは十歳くらいだったと言っていた。それと同時期に、葵の通っていた小学校に転校してきたということなのだろうか。
「同じクラス、ってことは、同級生だったんですね」
「そう。それで、それから中学校を卒業するまで一緒だったんだ」
「へえ。そうだったんですね」
勝元が嘆息するようにそう言った。
「じゃあ、そのときから仲が良かったんですか?」
「仲が良かったというか、何というか……」
そこで、初めて葵が口ごもった。葵は、勝元から少し視線を逸らした。
「よく話したり遊んだりってことはなかったけど、他の人よりは話してたというか、家の方向が同じだったからよく会ってたし、会ったら少し話したりする、っていう感じだったというか」
はっきりしない言葉を続ける葵を見て、柚は、お、と思った。葵の頬が、ほんのりと赤くなっている。
これは……。
「もしかして、そのときから……?」
控えめに勝元が尋ねると、その瞬間、葵の顔がパッと赤くなった。「えっと」と呟きながら、彼女は柚たちがいる机の方から顔を背けた。
「あれ、でもさっき、社長とは数年前からって」
天瀬が少し不思議そうに言うと、葵の顔の赤みが更に増した。耳まで赤くなっている。
ということはつまり、出会った頃から社長のことを想い続けていて、やっとそれが成就した、ということだろうか。
すごく一途なんだな、と柚は思わず笑顔を浮かべた。本当に素敵だ。何だか柚まで顔がぽかぽかと熱くなってきた。
「私が、その、一方的にっていう感じだったから……」
「じゃあ、付き合い始めたのも、葵サンから?」
「ううん。それは向こうから……」
「おー。ちゃんと社長のこと落とせたんだー」
「ちょっ」
人の顔はここまで赤くすることができるんだ、と感心するくらいに頬を染め上げて、葵は天瀬の方を見た。その顔がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているのを見て、彼女は少し怒ったような顔をした。
「もう、私の話はいいの。気になるなら誠司くんに聞いて」
社長に丸投げする葵。社長にそんなことを聞くのは、さすがに恐れ多いけれど、天瀬あたりだと遠慮なく尋ねてしまいそうな気もする。それはそれで逆に怖い、と柚は思った。
「そうそう。私、みんなにおかわりどうかなって聞こうと思って、ここに来たんだった。忘れるところだったよ」
そう言うと葵は、まだ余熱が冷めない顔色のまま、柚たちを見回した。
「ご飯のおかわり、どうかな? 特に男の子は食べ盛りなんだから、遠慮しないでね。ほら、創くん、どう?」
「あ、じゃあ、もらいます」
茶碗を持って立ち上がろうとする創を、葵は慌てて止めた。
「いいよ、私がよそってくるから、ちょっと待っててね」
そう言って茶碗を素早く持つと、葵はパタパタと厨房の方に歩いていった。
少しして、葵は戻ってきた。この往復の間に、顔の赤みは引いたようだった。
「はい、どうぞ」
葵は創のお盆の上に、持って来た茶碗を置いた。それに、創は「ありがとうございます」とお礼を言い、もう一度手を合わせると、運ばれてきたご飯を食べ始めた。
「……ずっと思ってたんだけど」
櫟依が、静かに口を開いた。その目は、創のお盆の上をじっと見つめている。
「蒼柳が食べる量、何か、おかしくない?」
ご飯を頬張る創。その手元には、漫画に出てくるような、山と言うよりタワーと言った方が適切であるほどに盛り付けられた、嘘みたいな量の白米があった。
「それはオレも思ってた」
天瀬が大きく頷いた。
「前もさー、夜ご飯食べよーって思ってここ来たときに、ツクルが先にいて食べてて、今日は夜ここで食べてくのって聞いたら、夜ご飯前にお腹すいたからちょっと食べるだけだよー、とか言ってたことがあって。そのときもご飯の量これくらいだったから、おやつ感覚でこんなに食べる人いるんだって、ホントにビビった。これ、普通なの?」
「うん、まあ、創はいつもそんな感じだよな」
勝元が創の方を見て、苦笑いをした。それに、創も苦笑いを返した。
「これくらい食べないとお腹すくんだよ。あ、もちろん、他の人と比べて、ちょっと食べる量が多いのは自覚してるけど」
ちょっとじゃないよ、全然。
創の食べる量は尋常じゃない。その細い体のどこにそんな量が入るのかと思うくらい食べる。食べ放題に連れていけば、元が取れるどころの話ではない。食べないよりは良いけれど、彼の身体がどうなっているのか、時々心配になる。
「でも、同じクラスの運動部の子とかは、お昼だけでご飯何合も食べてたりするし、僕が特別多いわけじゃないと思うけど」
「でもツクル、運動も何もやってないんでしょ?」
「うん……」
そんなことを話している間にも、創の前にあるご飯はみるみるうちに無くなっていく。美少年が大きな一口で食事を平らげていく様子は、飽きることなく見ていられるな、と柚は思った。疲れたときとかに眺めていたい。
そう言えば、昔はこんなに大食漢ではなかったはずだ。創とは、記憶がない頃から知り合いだけれど、本当に幼い時期は他の子と変わらない、というよりむしろ小食ですらあった印象がある。これが変わったのは、確か、彼が交通事故に遭って、何とか生還した、あのときからだ。生命を脅かすようなことが起こると、身体が生きるための行動をしようとするのだろうか、と柚は勝手に思った。
「いくら食べても太らないって良いよねー」
葵が、創をニコニコと眺めながら言った。それに、凪沙が「でも」と続いた。
「運動もしていなくて、脂肪にもなっていないんだとしたら、そのエネルギーはどこに使われているんだろうね」
「そうだよな。最近は背が伸びてるけど、摂取したエネルギーには見合ってなさそうだし」
勝元も、至って真面目な顔でそう言った。暗に身長が低いことを指摘された創は、複雑そうな顔で微笑むと、空になった食器を前に「ごちそうさまでした」と手を合わせた。




