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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第2章 日常と変化

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    缶バッジの中の偶像②

「あー、疲れたー」


 会社指定の服からセーラー服に着替えた柚は、大きく伸びをした。隣にいた三ツ花が、笑顔を浮かべながら「お疲れさまです」と言った。



 今日来ていたのは、柚と三ツ花、櫟依、中梛、藍代の五人だった。今まで毎日来ていた天瀬がいない以外は、大体いつも通りのメンバーといった感じだった。


「そういえば、今日は三年生の先輩方は来ていなかったんですね」

「うん。やっぱり、受験生だから忙しいみたいで。新学期始まったばっかりなのに、もう授業が大変みたいだよ」

「そうなんですね。皆さん、その、進学校、なんですか」

「そうそう。三人とも、すごく頭が良いんだよ。私だけパッとしないというか……」


 言いながら、柚は「よっこらしょ」とリュックを持ち上げた。案の定、軽くよろめく。


「お、重そうですね」

 柚が体勢を立て直したのを見て、咄嗟に伸ばした手を引っ込めた三ツ花が言った。


「持ってくるの、大変だったんじゃないですか」

「ううん。実は、ここまで中梛くんに運んでもらったんだ」

「中梛さん、ですか」


 三ツ花は、微かに目を見張りながらも、素直に驚いていいのか迷っているような表情をした。三ツ花の反応は、柚自身、よく知っているものだった。柚は少し笑って「うん」と頷いた。


「じゃあ、行こうか」

 声をかけて、柚は三ツ花と共に更衣室を出た。


 柚たちが廊下に出ると、そこには、帰る支度を終えた櫟依と藍代がいた。櫟依が柚たちを振り返って「お疲れ」と声をかけた。


「今日は天瀬も赤羽先輩もいなかったから静かだったな」

「そうだね」


 天瀬とは別の意味なんだろうけれど、勝元も騒がしい要員に含まれていることに心の中で吹き出しつつ、柚は答えた。


「そういえば、荷物大丈夫? 帰りも中梛に持ってもらえば?」

 櫟依が、柚の背中で恐ろしいほどの存在感を持つリュックを見て、無責任にそう言った。柚は素早く視線を動かした。中梛の姿は見られなかった。


「中梛くん、いないけど……」

「あー、いつも気づいたらいなくなってるし、急に現れるんだよな、あいつ。名前呼んだら来るんじゃない?」


 そんな馬鹿な。


「大丈夫。そこまで迷惑はかけられないから。学校からはちゃんと自分で運んできたんだし、帰りは自分で持ってくよ」

「そっか。じゃ、転ばないように気をつけろよ」

「うん」


 柚は頷くと、エレベーターへと向かおうとする他の参加者たちに合わせて歩き出した。その爪先が、床に突き刺さるような、妙な動きをする。あれ、と思ううちに、柚は思い切り前に倒れた。リュックから落ちた何かが、カシャン、と高い音を立てた。


「ぐえ」


 リュックにかかった重力が身体にのしかかる。う、息が。


「だ、大丈夫ですか」


 驚いた声が頭上から聞こえた。首を動かすと、目を丸くした三ツ花が、倒れた柚のそばにしゃがんでいるのが見えた。柚は「大丈夫……」と息を吐いた。


「ちょ、言ったそばから本当に転ぶって、何でそうなるんだよ」

「私も、まさかこうなるとは思わなかった……」


 呆れた顔で柚を見下ろす櫟依に、柚もまた、呆れた顔を返した。自分のことながら、本当に意味が分からない。


 三ツ花の助けもあり、何とか起き上がってリュックを背中から下ろした後、柚は目を閉じて、大きく息を吐いた。息が止まるかと思った。


 正常な呼吸を確認して、目を開ける。すると、藍代が何かを拾っている姿が視界に入った。彼が拾ったものの形を見て、柚の記憶が、急に数秒前まで巻き戻される。



 カシャン、と高い音。

 昨日、リュックのポケットに入れたもの。



 全身の毛穴から汗が吹き出す。長距離を走った後のような、ふわふわした感覚に襲われて、柚はフッと息を止めた。


 これは、ヤバいやつだ。



「なにそれ、缶バッジ?」


 藍代が拾ったものを、横から櫟依が覗き込む。その表面の写真を見て、櫟依は気まずそうな顔で、床に座り込んだままの柚の方を見た。その目が、「そうだったんだ……」とでも言うように生温かいものだったため、柚は、サスペンスドラマの犯人さながらに「違う」と呟いた。


「違うんだよ。それは私じゃなくて」

「いや、いいよ。別に悪いことじゃないし。ただ、今まで藍代のファンだってことを隠してここで毎日働いてたんだなって思って、感心したというか……」

「いや、あの、本当に違って」


 言いながら、柚は恐る恐る藍代の顔を見る。彼の顔には、恐ろしいほどに何の表情も浮かんでいなかった。自分の現役時代の写真が付いた缶バッジを、無表情で眺める藍代。喉の奥がひゅっと詰まる。


「べ、別に、昴琉く――あ、藍代くんのファンだったわけじゃないんだよ」

 思わずツンデレの定型文みたいなセリフを吐いてしまう。その後すぐに、そんな言い方は失礼だったのでは、と思い直す。


「あ、でも、嫌いだったわけじゃないんだけど」

「結局何なんだよ」

「えーっと、つまり」


 文字通り見下してくる櫟依に対抗するように立ち上がって、柚は口を開いた。


「昨日、友達と妹と話してたら、偶然藍代くんの話になって。友達も妹も藍代くんのファンだから、引退のことを知ったときすごいショックだったって話してたんだけど、話の流れで、そのときの私の反応が薄かったことに対して文句を言われたんだ。それを不満に思った友達が、これを眺めて昴琉くんの魅力を理解しろと、この缶バッジをくれたんだよ」


「へー。じゃあ、それは友達から無理やり押し付けられたものだってことか」

「うん、まあ……」


 確かにそうなんだけど、言い方が酷い。柚は、自らのグッズに対してそんな言葉を使われた藍代が気分を害していないか、不安になった。チラッと藍代を見上げると、彼とばっちり目が合った。汗が滝のように吹き出す。


「……あの」

「はいっ」


 反射的に返事をする。声を発した藍代は、柚の返事に微かに驚きつつ、柚を少しの間見つめた後、静かに手元の缶バッジに目を落とした。



「これ――良いと思う?」

「……え?」



 質問の意味が理解できなかった。汗が背中を伝うのを感じながら、柚は聞き返した。


「それは、どういう……」

「僕の魅力、だっけ。理解してないって言ってたから」

「あー」


 え、怒ってる?


 素早く櫟依に目を向けると、櫟依は柚と目が合うコンマ数秒前にサッと目を逸らした。どこにそんな反射神経を隠してたんだよ。


 柚は、自分が追い詰められていることを改めて認識して、ゆっくりと藍代に視線を戻した。そして、精いっぱいの愛想笑いを浮かべて口を開いた。


「……良い、と思いますよ。すごく、格好いいし。魅力が分かってないっていうのは、その、あんまりアイドルの藍代くんのことを良く知らなかったから、そこまで思い入れがないっていうか、熱狂的なほどの興味を持っていなかったというか。でも、魅力を分かってて、本当にファンだって人もいるから、全然、私の意見なんて気にしなくても――」


 ふき出す汗と反比例して、高速で動く口の中はカラカラになっていく。自分の人生はここで終わるのかもしれないと、かなり本気で思った。


 命乞いをする雑魚キャラのような目で、柚は藍代を見つめた。すると彼は、柚の必死さを鼻で笑うかのようにあっさりと「そう」と答えた。


 あれ、案外大丈夫そうかも、と思った瞬間、藍代は「もう一つ、聞きたいんだけど」と再び切り出した。柚は、緩めていた気を引き締めて「何かなっ」と答えた。


 そんな柚をちらりと見た後、藍代は口を開いた。


「僕が引退したとき、その友達や妹さんみたいに、悲しんでた人、たくさんいた?」

「……え?」


 思わず間が抜けた声が出てしまう。櫟依の方を見ると、今度は目を逸らさずに、藍代の質問の意味がよく理解できていないような顔で柚を見た。後ろにいる三ツ花を振り返ると、彼女もまた、同じような表情で柚を見つめ返した。


「えっと、かなりの騒動になって、テレビでもずっとその話題で持ちきりだったよ。全国の、たくさんの人が悲しんでて、今もまだ続いてる感じ、なんだけど……」


 まさか、知らないとでもいうのだろうか。


「え、テレビとか、見てないの?」

 櫟依が尋ねると、藍代はこくりと頷いた。

「あれから見てない」

「スマホのニュースとか、SNSとかは? スマホ持ってれば、絶対目についたと思うけど」

「スマホは捨てた」


 す、捨てただと。

 意味が分からん。私は持つことすらできていないというのに。


「せ、先輩」

 柚の心の中の憤りを察したのか、三ツ花がそっと声をかけてくれた。何だか泣きそうだった。


「え、じゃあ、あれから一か月間、どうやって過ごしてたの?」

 櫟依が尋ねると、藍代は淡々と答えた。


「ずっと家の中にいた。家の前には記者が大勢いて、一歩も外に出られない状況だったし、特にやることも、やりたいこともなかったから」

「家で何してたの?」

「特に何も。気が付いたら一か月経ってた」

「マジか……」


 櫟依が、理解できないものを見るような目で藍代を見た。


「っていうか、体調不良って設定はどこ行ったよ」

「そういえばあったね、そんなのも」

「えー……」


 心底どうでもよさそうな顔と口調の藍代に、櫟依は呆れた顔を見せた。そんな二人の表情を眺めながら、柚はさっきの出来事を思い返していた。


 感情のこもっていない、冷めた声。自分のことなのに、興味のなさそうな顔。彼にとってはきっと、本当にどうでもいいことだったのだろう。質問はしていたけれど、柚の答えになんて、きっと端から期待していなかったのだと、冷静になった今なら分かった。


 それでも、一つ目の質問は、まるで、自分の良さを否定してほしいかのような口ぶりでもあった。柚の勘違いかもしれないけれど、あれは、アイドルであった自分を嘲るように言った言葉なのかもしれなかった。


 だとしたら、やはり、藍代を変えた何かは、確実にあったのだろう。輝いていた頃の自分の姿を、あんな目で見てしまうほどの何かが。



 そんなことを考えていると、当の藍代が柚に近づいてきた。柚が驚く暇もなく、藍代の綺麗な指が「はい」と柚に何か差し出した。受け取って見ると、それは、柚が落とした問題の缶バッジだった。


「……変なこと聞いてごめんね」


 静かにそう告げると、柚が答える前に、藍代は背を向けて、歩いていってしまった。呆気にとられて、缶バッジを受け取った姿勢のまま固まっていると、「ねえ」と声をかけられた。


「俺たちも帰ろ。やっぱり中梛に頼んで、荷物持ってもらったら」

「あ、そうだね」


 櫟依の言葉に頷くと、柚はぐるりと周りを見回した。中梛は、櫟依の言った通り、いつの間にか姿を現していた。彼は、柚たちからは少し離れたところに、柚たちに対して背を向けて立っていた。


 荷物を持ってもらった方が絶対に良いのは分かっているけれど、頼むのは怖い。やっぱり、転ばないように気を付けて、自分で持って帰ろう。そう密かに決めたけれど、行きで荷物を持ってもらったことのお礼を言っていないことを思い出した。


 危ない、お礼言わなかったら後で何かされるかもしれなかった、と自分の行動に冷や汗を流しながら、柚は中梛に近寄っていった。


「あの、中梛くん……」


 中梛は、柚には気づかず、何か手に持ったものをじっと見つめているようだった。何をそんなに熱心に見ているのだろう、と、そっとその手に持っているものを横から覗いて、柚は思わず叫び出しそうになる。


 あった。

 そういえばあったよ、もう一つ。


 中梛の手の中にあるもの。それは、昨日渡されたもう一つの缶バッジ――光咲翠の缶バッジだった。

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