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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第2章 日常と変化

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    過去⑤

 さすが、タイミングが良すぎる女子中学生。


 柚たちが、百合の質問に何も答えずに笑い転げていると、百合はズンズン近寄ってきて「もう」と頬を膨らませた。


「きっと暇してるだろうなーって思って会いに来てあげたのに、ひどいよ。それに、ちょっと心配もしてたのに」

「ごめんごめん」


 必死になって笑いを収めようとしていると、百合に思い切り殴られた。乱暴が過ぎる。


「いやー、百合ちゃん、久しぶりだね」

 何とか落ち着きを取り戻した咲が、百合に対してそう言うと、百合は可愛らしい笑顔を浮かべて「お久しぶりです」と答えた。


「いつもお姉ちゃんがお世話になっております」

「いえいえ、こちらこそ」


 定番のセリフを交わし合う二人。こういうとき、当人はどういう気持ちで聞けばいいのか、柚は未だに分からない。


「でも、本当にお客さんいないんだね。お給料に影響しないかな」

 キョロキョロと周りを見回す百合。まずお金の心配をするあたり、白葉家の人間だという感じがする。


「それで、百合は何しにきたの?」

 柚が尋ねると、百合はレジカウンターに寄りかかって頬杖をついた。

「フツーにお姉ちゃんを見に来ただけだよ。ちゃんと仕事やってるかなって」

「そうだよねー。やっぱり心配になるよね、柚ちゃん」


 百合の頭を、咲がよしよしと撫でる。百合は、嬉しそうに目を細めながら「そうなんですよー」と答えた。


「お姉ちゃん、最近何か変だし」

「変?」

「はい。ちょっと前から、何か元気ないっていうか。それにお兄ちゃんも、引くくらいガチな顔でお姉ちゃんのこと心配してたし」


「え、そうなの?」

 柚が聞き返すと、百合は「うん」と、頬杖をついたまま柚の方に視線を向けた。


「事件に巻き込まれかけた後、お兄ちゃんがそれについて色々聞こうとしてたでしょ。それなのにお姉ちゃん、お兄ちゃんのこと全力で避けてたから、めっちゃショックだったんじゃないのかなあ」


「えー、柚ちゃんひどーい」

 冗談交じりに話に入ってくる咲。柚は、「しょ、しょうがないでしょ」と反論する。

「だって、お兄ちゃん、色々とたくさん質問してきそうだったし、話せば話すほど心配するし……」


 それに何より、蓮人に心配をかけたくなかった。実際、たいしたこともなかったし、大ごとにすることもなく、笑って終わらせられるなら、それがきっと一番良い。


「まあ、分かるけどさー」

 百合が、柚から目を離して、ぼんやりと宙を眺めるようにした。

「お兄ちゃんがお姉ちゃんのことすごい心配するの、過保護だからってだけじゃないよ。お姉ちゃん、危なっかしいんだもん。それに――ああっ」


 百合が、突然大きな声をあげて、身体を起こした。見開かれた目は、柚の頭を通り越し、天井に近いところを凝視している。


「急にどうしたの?」

「あれ」


 百合が、視線の先にあったものを指さした。その指が示す方を見ると、そこには今コンビニで行われているコラボ企画のポスターが飾られていた。


「み、翠ちゃん、コラボしてたんだ」

 百合が、大袈裟にも両手で口を押さえて言った。



 光咲翠(こうさきみどり)。今一番人気の女性アイドル。最近は女優としても活躍している。


 透明感のある整った顔に、透き通った歌声。そして、誰にでも優しい性格。ファンへの対応もよく、色々なジャンルのメディアで取り上げられ続けている身近な存在である一方で、その身にまとう空気はどこか儚く、人間離れした雰囲気のある子だった。かの蒼柳創のことは柚たちが内々で『天使』と評しているが、光咲翠の場合は公式で『天使』の称号が与えられていた。



「翠ちゃん、可愛いよねー」

 咲がうっとりとした表情でポスターを見上げた。百合も「そうですよねー」と同じ表情をする。

「いいなー。欲しいなー、翠ちゃんのクリアファイル」


 クリアファイルは、一定金額以上買うことでもらえる景品だった。チラ、チラ、と鬱陶しい速さで柚を見る百合。柚は、百合から顔をそむけた。


「買いません」

「えー、ケチ。お姉ちゃんのケチ。そんなんだから神様から方向音痴の呪いをかけられるんだよ」


 順番が逆だ。私の方向音痴はケチになる前から神様に与えられていたのだ。


「それに、そのコラボは結構前からやってるから、もうクリアファイル残ってないよ」

「そ、そんな……」

 百合はがっくりとカウンターに突っ伏した。そんなに欲しかったのか。


「翠ちゃんといえば、最近、映画の主演が決まったよね」


 百合をよしよしと慰めながら、咲が言った。その途端に、百合が勢いよく跳ね起きた。驚いて、思わず「うおっ」と声を上げる。


「そうそう! しかも、撮影のためにここに来るんですよねっ」


 目を最大限に輝かせて、興奮した様子で百合は言った。それに影響されたのか、咲も急にテンションを高くして言った。


「そうなんだよ。こんな田舎で危険な場所に、あの翠ちゃんが来るんだよっ」

「こんな誰も来たくないような汚染された場所になんて、一生待っても来ないと思ってたのに来ちゃうんですよっ」

「確か、夏休みくらいの時期だよね。翠ちゃんに会えるかな。あー、待ちきれないよー」

「エキストラ募集してましたよね。絶対行きましょう。絶対翠ちゃんに会いましょうっ」


 わーわーきゃーきゃー騒いでいる二人。そのテンションに若干引きながら、柚は奥にいたもう一人のバイトの人に頭を下げた。


 百合は、柚と同様スマホを持っていないが上手くやっているみたいで、流行に若者らしくついていっているし、友達もたくさんいる。その友達から、こういう情報を仕入れてくるらしかった。そう言うと、柚の友達が少ないのはスマホのせいではないと認めるみたいで不本意だけれど。


「それにしてもさー」

 存分に騒いで満足した様子の百合が、肩で息をしながら切り出した。


「どうして昴琉(すばる)くんは急にいなくなっちゃったんだろう」

「ぐふっ」


 変に息を吸い込んで、柚はむせ返った。そのままツボにはまった柚に、今度は二人が驚いた目を向けた。


「どうしたの? 何で急にお姉ちゃんが攻撃を食らったの?」

「いや、だって」


 喉の奥に、何とかして出さなければならない何かが引っ掛かっている感覚を抑えて、柚は息を整えた。


「急に昴琉くんの話になったから」

「お姉ちゃん、そんなに昴琉くんのこと好きだったっけ」

「いやいや、そうじゃないんだけど。あの、何で急にその話になったんだろうなーって」

「何でって、前話したでしょ」


 怪しいものを見るような目をした百合が、不満を含んだ声を出した。


「今は、女性アイドルと言えば翠ちゃんで、男性アイドルと言えば昴琉くんって感じで、二人がそれぞれの一番人気で代表格って言われてるんだよ。だから、何となく二人はセットなの。実際、いろんな番組とかライブでも共演してて、同い年だからすごく仲が良いし、二人は付き合ってるって噂まで出たんだよ」

「へえ……」


 聞いたことがあるような無いような話だった。柚の微妙な表情を見て、百合は「話したって」と柚を睨んだ。


「でも、その噂って本当なのかな? 一部のファンが勝手に騒いでるだけで、目撃情報も写真も何もないんでしょ」

 咲が、ポスターの光咲翠を眺めて苦笑した。

「まあ、確かにお似合いだとは思うけど」


「ゆりはないと思うけどなー」

 百合は独り言のようにそう言った。ファンだから認めたくなくてそう言っているのだろうか、と百合を見ると、百合は存外冷静な表情をしていた。


「何かあの二人、確かに仲が良いけど、そういう感じじゃないっていうか。ただ仲が良いっていうより、どっちかっていうと、お互いの利益とか、ファンへのサービスとか、そういうものっぽい雰囲気あるかも」


 好きなアイドルに対して、なかなかシビアなことを言うんだな。


「でも、二人とも顔が良いからいいや」

 急に話を投げ出す百合。諦め方がいい加減すぎる。



「あ、そうそう。何話そうとしてたか忘れるところだった」

 百合がポンと手を叩いた。そして、咲の方を見た。


「昴琉くん、どうして急にいなくなったんですかね」

「体調不良とは言ってたけど……。実際に、会見のとき顔色悪かったし」

「でも、急すぎですよね。身体の状態とか、どんな病気にかかっているかとかも一切公表されてないから、何か揉めたり、問題が起きたんじゃないかって言う人もいるし」

「そうだよね。本当に体調不良だったら、翠ちゃんが公式にメッセージ送るだろうし。言いにくい病気なのか、それとも本当に揉め事が起きたのか……」


 うーん、と深刻な顔で考え込む二人。普段なら興味が湧かないアイドルの話に、柚もまた、真剣に耳を傾けていた。


 五科工業で会った、藍代昴琉。彼は、学校に行かない代わりに一日中アルバイトをしているらしく、そこまで体調が悪いとは思えない。


 そして、アイドル時代の魅力的な姿とは正反対と言っていいほどかけ離れた、暗い表情。他を寄せ付けない雰囲気と態度。聞いたばかりの噂話が、まるで事実であるかのように、ごく自然にその記憶と結びついた。


 きっと、引退に至るまでの間に、彼をあそこまで変えてしまった出来事が起きてしまったのだ。



「まー、考えても分かんないよね」

 咲が諦めたように表情を和らげた。


「昴琉くん自身が何も言わなかったってことは、知られたくないってことなんだろうし」

「そうですよねー」


 百合も緊張を解いて、天井を仰いだ。


「昴琉くん、どこにいるのかな。ちゃんと休めてるといいけど」

「ずっと姿を見せてないみたいだけど、きっと家とかで療養生活送ってるんだよ。身内だけでひっそりって感じで」

「きっとそうですよね。きっといつも通り、笑顔で頑張ってますよね」


 そう言って、何かを悟ったように微笑んでいる二人を横目に、柚は何とも後ろめたい気分になって、そっと顔を背けた。


 実は彼は五科工業でバリバリ働いていて、よく分からないチャラい友達と家出して『家』で生活していて、常に無表情で言葉をほとんど発しないで生きています、なんて絶対に言えない。そしてそれを私が見てきたことも言えない。


「あーあ、もう昴琉くんのこと見れないのかな」

 百合が嘆くと、咲も同じように沈んだ顔をした。


「引退の発表聞いたときは、もうショックすぎて。会見見てるときはずっと泣いてたよ」

「ゆりなんて、それさえも見れなかったんですよ。あの発表、金曜日の夕方だったじゃないですか。ゆり、スマホもテレビも持ってないから、月曜日学校に行って初めて知ったんですよー」

「それは辛い」


 うわー、と今度は悲しみを爆発させて騒ぎ始める二人。本当に忙しい人たちだな、と柚は温かい目でそれを見守った。


「そうそう、私が引退のこと聞いて泣いてたときにさ、柚ちゃんが慰めてくれたんだけど、柚ちゃんのこと見たら『よく分かんないなー』って顔してたんだよ。ひどいよね」


 急に矛先を柚に向けてくる咲。思わず「へっ」と声が出る。


「いやでも、そんなこと言われたって、私あんまり昴琉くんのこと知らないし……」

「え、あれだけ教えたのにまだ魅力が分からないの? お姉ちゃん、ひどいよ」


 百合まで柚を責めてくる。理不尽だ。


「もう、しょうがないなあ。はい」

 咲が持っていたカバンから何かを取り出して、柚に手渡した。受け取って見ると、それは、昴琉くんの写真の缶バッジだった。


 これで私に何をしろというのだ。


「それ、たくさん持ってるからあげる。きっと柚ちゃんは昴琉くんの良さがまだよく分かっていないんだよ。それを持っていれば、昴琉くんの魅力が柚ちゃんにも分かるようになるから。一日一回は眺めるんだよ。あ、あと、翠ちゃんのもあげるね」

「いや、そんなこと……」

「いいから」


 缶バッジを返そうとする柚を、今までの記憶にないくらい強い力で、笑顔で押し戻してくる咲。どこにそんな力を隠していたんだ。怖い。


「いいなー。ゆりも欲しい」


 キラキラした目で、百合は咲にせがみ始めた。咲は嬉しそうにカバンからグッズを取り出して、どれがいいか選ばせている。常にそれだけのグッズを持ち歩く咲に呆れながら、柚はもらった二つの缶バッジ――そのうちの、藍代昴琉の方の缶バッジを眺めた。


 魅力というのが顔の良さのことを指すのだったら、柚にだってそれはもう分かっている。この写真から伝わる、キラキラしたオーラも十分に分かる。けれど――。



「見て見て、お姉ちゃん。これもらっちゃった」


 満面の笑みで柚にグッズを見せる百合。良かったね、と笑いながら、柚は奥に置いてあるリュックサックに、その缶バッジをしまいに行った。

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