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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第2章 日常と変化

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    過去④

「ありがとうございましたー」


 挨拶は笑顔で元気よく。柚は、コンビニを出ていく客に丁寧に頭を下げた。その客がいなくなると、店内には、柚ともう一人のバイトの人だけになった。



 今日は、五科工業での仕事が終わった後、特に何もなく解散した。そして柚は、本日二回目のバイトをしていた。


 自宅から一番近いからという理由で働き始めたこのコンビニは、T市の中心から外れたところにあり、近くのもう少し大きい通り沿いに他のコンビニがいくつかあるため、いつも客はまばらだった。だから、かなり緩く働けている。


 それでも、学校が始まったらこのスケジュールはかなりきついかも、とぼんやりと考えていると、入り口のチャイムが鳴った。いらっしゃいませの『い』まで発音したところで、柚は息を飲んだ。


「咲ちゃん!?」

「やっほー、柚ちゃん。久しぶり」


 そこには、今日体調不良で学校を休んだはずの友達、咲が立っていた。


「熱は大丈夫なの? 体調悪いんじゃなかったの?」

 柚が心配して声をかけると、咲はにっこりと笑った。

「もう良くなったよ。心配してくれてありがとう」

「そっか。良かったー」


 柚は胸をなでおろした。そして、改めて咲の顔を見た。


「……ズル休みか」

「違いますー。朝は本当に体調が悪かったんですー」


 咲が唇を尖らせた。まあ、そういうことにしておこう。


「そういえば、私二組だったみたいなんだけど、柚ちゃん、何組だったの?」

「私も二組だったよ」


 答えると、咲は目を丸くした。


「え、そうなの? じゃあ、今年も一緒なんだ。やった、また課題写させてもらえる」

「喜ぶとこ、そこなの? 今年はちゃんと自分でやりなよー」


 ガッツポーズをする咲に、柚は笑って言った。


「それにしても、咲ちゃん、もうクラス知ってたんだ。先生から連絡が来たの?」

 尋ねると、咲は「ううん」と首を振った。そして、可愛らしいパステルカラーのケースに入ったスマホを取り出した。

「同じクラスになった子が、クラスのグループに招待してくれて」


 何だよそれ。


 クラスメイトのニックネームとアイコンが並んだ画面を、咲が見せてくれる。二年二組、というグループ名の横に、括弧書きで『三十九』と人数が示されていた。ちなみに、柚のクラスは四十人だ。何とも悲しい事実だった。


「知り合い、いたんだ」

「うん。この子とか、この子とか、あと、この子も」

 嬉しそうにアイコンを指さしていく咲。本当に何なんだ。


「大丈夫だよー。柚ちゃんだって、私以外の友達なんてすぐに作れるよ。今度紹介してあげるね」


 咲がポンと柚の肩を叩いた。善意しかないその言葉が、今はとても辛かった。柚は「ありがとう」と小さく答えておいた。


「そういえば、咲ちゃん、いつから体調悪かったの?私が課題のノート渡しに行ったときも、具合良くなかったりした?」

 ふと気になって尋ねると、咲は「うん、実はちょっと」と申し訳なさそうな顔をした。


「でも、熱が出たのは柚ちゃんが来てくれた後だったよ。それまでは、何となく体調悪いかなってくらいだったし」


 柚が謝ろうとするのを察して、咲は慌てて言った。本当は、咲の体調に気がつかなかったことに対して謝りたかったけれど、大人しく「そうなんだ」とだけ答えておく。その様子を見て、咲はほっとした表情をした。


「何かねー、一昨日の夜からそんな感じで。嫌だなあ、そのせいで結局課題終わらなかったんだよ」

「終わらなかったんだ……」


 せっかく見せてあげたのにー、と文句を言いながら、柚は『一昨日の夜』という部分について考えていた。



 一昨日の夜。魔法使いによる事件が起こった、その後。



「……咲ちゃん、一昨日の夜からって」


 柚はぎゅっと拳を握った。きっとそれは、レジのカウンターで隠れて見えないはずだ。そんなことを考えながら、柚は咲を正面から見つめた。


 魔力が人の身体に与える影響は、基本、一時的なものだけど、あまりに強すぎるとそれが後遺症となることもある。魔力が強いと、それだけ影響は広範囲に及ぶ。そして、魔力への耐性がない人ほど、その影響は受けやすい。


 『大災厄』の魔力が残っているこの場所に暮らす咲は、他の都市に暮らす人よりもその耐性は強いだろう。それでも、影響が全くないとは言い切れない。


 柚の視線を受けた咲は、柚が何を言おうとしているのか分かっているようだった。咲は、柚の瞳をしっかりと見つめ返すと、穏やかに微笑んだ。


「そうかもしれないけど、もう大丈夫。それに、ただの風邪かもしれないし」

「本当に、大丈夫なの?」

「うん」


 咲は、力強く頷いて、柚の心配を軽く吹き飛ばしてくれそうな明るい笑顔を浮かべた。その顔を見て、柚の口から思わずごめん、という言葉が漏れる。


「ごめんね、咲ちゃん」

「どうして柚ちゃんが謝るかなあ」

 咲は、今度は困ったように笑った。


「一昨日はたまたま事件現場の近くにいただけで、それはもう不可抗力ってやつだよ。それに、本当にもう何ともないから。明日から学校ちゃんと行くし、課題もやる。今まで私が嘘ついたことなんてなかったでしょ」

「……そうだね」


 胸を張って言う咲に、柚は思わず笑った。この優しいところが、柚は大好きだった。


 咲の様子を見る限り、本当に影響は小さかったみたいだった。魔力も、そこまでの強さじゃなかったのだ。柚は心の中で、良かった、と何度も繰り返す。



 後遺症。

 強い魔力を浴び過ぎた人がどうなってしまうのか。柚はそれを、知っていた。



「それにしても暇だね。お客さん、来ないのかな」

 咲が伸びをしながら言った。柚は苦笑する。


 事件が起きた場所は、道路や建物への被害も少なからずあるらしく、また残った魔力の影響も危惧して、現在封鎖されている。このコンビニはその範囲からは少し外れていて、特に建物などへの被害もなかったため、一応営業している状態だった。


「今までだって来る人少なかったのに、近くの場所が封鎖されてる状態なんだから誰も来ないよ。むしろ、咲ちゃん、あんなことがあったのによく来れたなって思ってる」

「それはお互い様でしょ」


 柚と咲は、顔を見合わせて笑った。


「じゃあ、今日はもうお客さん来ないかな」

「そうかも。来るんだったとしたら、全然危機意識がない人か、柚ちゃんの家族くらいじゃないかな」


 と、その瞬間、タイミングよく入り口のチャイムが鳴った。ハッとして、二人同時にその方を向く。そして、また二人同時に吹き出した。


「え、何? 人の顔見るなり笑い出して」


 怒り半分戸惑い半分といった様子でそう尋ねた客は、柚の妹の百合だった。

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