魔法研究者②
入月湊。
入月凪沙の、七歳上の兄。
海外にいた頃、飛び級制度で大学を十五歳で卒業した天才。卒業後は凪沙とともに日本に来て、この家の地下に研究室と称した部屋を作り、研究をしている。よく知らないけれど、工学系が専門らしい。個人でひっそりと行っている研究で、特に商業的な利益も考えていないため、現在はほとんどニート状態だ。
両親の影響なのか、放浪癖があり、急にいなくなっては遠く離れたところで発見されたりする。何か月も帰ってこないこともしょっちゅうだった。その間音信不通になるが、凪沙も梅も、もうそろそろ慣れたらしく、毎回全く心配はしていない。
前に凪沙に、少しは心配した方が良いのではないかと聞いたことがあるけれど、凪沙は平然と、あいつならまあ大丈夫だ、と言っていた。
そして、湊について語るうえで、最も重要なことが一つ。
それは、彼が、その界隈ではかなり有名らしい、魔法研究者だということだ。
彼が日本に来たのは、他の国と比べて、この国に魔法使いが多くいることが理由だと聞いたことがある。
もちろん、この国で魔法研究を正式に許可されているのは、T市記念病院を含む二施設のみであるため、取り締まりの対象にもなり得るかなりグレーな存在ではあるけれど。
とはいっても彼の研究は、魔力を技術に取り入れて利用しようとするのではなく、どちらかというと、魔力や『特殊能力』を持っている人が、その力を抑えるための研究をメインに行っている。力を抑えることのできるグッズを開発したりしていて、柚は見かけたことはないけれど、その噂を聞きつけた能力を持つ人たちが遠方から訪ねてくることもあるそうだ。
湊の研究が優れていることは何となく知っていたけれど、初めて『家』に行ったときに聞いたルリの話を聞いて確信できた。湊は、魔法研究者の中でも、かなり進んでいる方だ。
「湊さん、遅いよ」
新が少し口を尖らせた。
「あと少ししたら呼ぶって言うから、俺たちここで待ってたのに、もうあれから一時間くらい経ってるよ」
「あー、本当だ。ごめんね」
さして悪びれる様子もなく、湊は言った。
「ボクの感覚だと十分くらいだったんだけどなあ。大人になると、その人の周りだけ時間の流れが恐ろしく遅くなる現象が起こるんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。時間の流れが変わるんだ。新も気を付けるようにね」
「へえ、そうなんだ。気を付ける」
幼い子供のような純粋な目で頷く新。そういえば、この子はかなりアホだった。
「それにしても、今日は大勢来たんだねえ。三人は、結構久しぶり、のような気がするけど、あれ、合ってる……?」
柚と、そして創と勝元を順に見て、湊は首を傾げた。自分の時間に対する感覚に、かなり自信がないらしかった。
「合ってますよ。久しぶりです」
勝元が代表して答えると、湊は「そっかあ」と間の抜けた返事をした。
「それで、今日はボクに何をしてほしいの?」
「えーっとね」
新が持っていたリュックサックから何かを取り出す。それは、どういう力を加えたらそうなるのか想像がつかないくらいにひしゃげたスマホだった。
「これ、壊れちゃったから直してもらおうと思って」
直せるレベルのものじゃない気がする。
「うん、分かった。あ、スマホの画面の反応は上手くいってた?」
「大丈夫だったよ」
新が、手のひらを見るような形で、自分の手にはまった黒い手袋を見た。どうやら、その手袋をはめた状態でスマホの画面を操作するときに、画面が反応するかどうか、ということみたいだった。
新は常にこの黒い手袋を身につけている。それにはちゃんとした理由があって、確かに新は現在中学二年生だけれど、別にそういうお年頃だからつけている訳ではない。
「それで、柊人はヘッドホンの調子が悪いから、調節してほしいんだって」
「りょうかーい」
湊が間延びした声で返事をした。
「っていうか、湊スマホ修理までできるようになったの?」
凪沙が純粋に気になったように尋ねた。
「自分は持ってないのに」
「あー、うん。できるよ。何なら一から作れるよ」
それは色々まずい気がする。
「ボクは別に、スマホを扱う能力がないんじゃなくて、持つ必要がないから持っていないだけなんだよ」
湊は大きく伸びをした。
「それで、凪沙たちは?」
「ああ、えっとね」
凪沙は、迷わず口を開いた。柚は、急にはっきりとした血液の流れを感じながら、そっと凪沙を見守った。創と勝元からも、緊張した空気が伝わってくる。
「ちょっと相談があるんだけど」
凪沙が緊張を少しも含まない声で言った。
「相談?」
「うん」
知らないうちに、拳を握りしめていた。ダメだと分かっていても、思わず唾を飲み込む。巡る血液で体温が上がるのを感じながら、柚は凪沙の言葉を待った。
息を吸う気配。そして、凪沙は涼しい声で言った。
「ドラ〇もんの道具を作りたくて」
「……」
ちょっと何でそうなったのか分からない。
緊張が身体から一気にはがれ落ちる。柚は呆気に取られて凪沙を見た。勝元は、声を出さないというか出せないほどに笑っているし、創までもが堪えられずに顔を伏せて吹き出している。
何があっても平然としている湊が、困惑したような顔をしていた。
「……ドラ?」
「うん。あの道具、作ってみたくて。湊なら作れるでしょ?」
追い打ちをかけるように、なぜか少し可愛らしい感じで続ける凪沙。更に男子二人の腹筋にダメージが加わる。少し目を動かすと、柊人もまた、信じられないものを見ているような顔で凪沙を凝視していた。
普段ほとんど表情が変わらない柊人にこんな顔をさせるとは、ヤバいな、凪沙ちゃん。
「え! 湊さん、作れるの!」
新が、カッコいいロボットや車を前にはしゃぐ男の子のような輝きに満ちた目で湊を見つめた。やっぱりこの子はちょっとアホだ。
「すごいなー。湊さんはやっぱり天才なんだ」
「えー、いやまあ、天才だけどさあ」
新の期待の目に気圧されつつも、聞いている方も気づかないくらいさらりと天才を認める湊。そして、彼は少し首を傾げた。
「ドラ〇もんって何だったっけ。誰かの友達?」
こっちも負けていなかった。
「……昔、二人で見たりしたでしょ」
さすがに想定外なんだけど、と文句を言いたそうな顔をすると、凪沙はまだ笑いの収まらない勝元の足を踏んづけた。
その間に、近くにいた梅が、すかさずスマホで検索した画像を湊に見せた。湊はそれをみて、「ああ」と何とも曖昧な感じで呟いた。
「よく見てたやつだっけ?」
「ううん。一回か二回くらいだと思うけど」
「じゃあ覚えてないや」
「嘘。湊は一、二回見ただけのものも覚えられる便利な脳を持ってる」
「まあ、そうだけどさあ」
湊は「んー」と呟いた。色々放棄したらしい。
「まあいいや。じゃあ、先に柊人と新の方を終わらせるよ。その後に、凪沙たちの相談。四人は少し待っててね」
「うん。ありがとう」
凪沙が答えると、湊はふらふらとリビングを出ていった。慌てて柊人と新も部屋を出ていく。
三人がいなくなると、部屋の温度が下がったような感じがした。凪沙が大きくため息を吐いて、ソファーの、柊人と新が座っていたあたりに腰掛けた。
「じゃあ、少しだけ待とうか」




