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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第2章 日常と変化

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第2話 魔法研究者①

「ただいま」


 玄関の扉を開けて、事務的に挨拶をする凪沙に続いて、柚たちは「お邪魔します」と彼女の家に足を踏み入れた。



 凪沙の家は、町の外れに建っている、小ぶりな洋館だ。


 周りに他の建物もなく、一棟だけひっそりと建っていることや、ずっと前に建てられたらしいのに管理する人もいなくて古びていたこともあり、昔は幽霊が住んでいるだの呪いの家だのと噂され、格好の肝試しスポットだった。しかし、およそ十年前、凪沙がここに住み始めてからは、人の気配のある、小綺麗な洋館に変わったのだった。


 普通の家よりも大きくておしゃれで、物語の中だけで見るような凪沙の家は、柚にとっては一つの憧れであり、心が躍る大好きな場所だった。ファンタジーな世界を夢見る年頃を過ぎた今でも、この弾むような気持ちは変わらない。



 そんな凪沙の家に、柚たちは、一度『道』を使ってそれぞれの自宅に帰ってから、再び集合していた。


 ちなみに柚の場合、柚が無事に辿り着けないことを危惧した凪沙が、柚の自宅まで来てくれて、二人でここまで自転車をこいできた。凪沙には、柚の家と凪沙の家の間を往復させてしまうことになってしまったが、そのおかげで、迷うことなくここまで来ることができた。本当に感謝しかない。


「久しぶりだな、ここに来たのも」


 靴を脱ぎ終えた勝元が、しみじみとした様子で言う。それに、同じ調子で柚と創も頷いた。


 と。


「おかえりなさい」


 普段なら聞こえてこない、元気な返事が返ってきた。その声を認識すると同時に、一つの部屋のドアから覗いた顔を見て、柚は「あ」と声を上げた。


(あらた)くん」

「あ、柚姉ちゃん、久しぶり」


 柚を見て、創の弟、蒼柳新(あおやぎあらた)は無邪気な笑顔を浮かべた。


 柚にとって、創やその家族とは生まれたときからの付き合いで、当然新とも幼い頃から親交があった。物心がつく前からよく遊んでいたから、新は柚を本当の姉のように慕ってくれて、そして柚も新のことを弟のように思っていた。


「凪沙ちゃん、お邪魔してます」


 凪沙に対して、丁寧にお辞儀をする新。それに、凪沙は「うん」と答えた。その様子を見ると、新は、凪沙が柚の家へ出発した後にここに来たみたいだった。


「勝元くんも来たんだね。久しぶり」

 新が、その人懐っこい笑顔を、今度は勝元に向ける。勝元も「おう」と答えた。


「久しぶり。前会ったのは、三か月前くらいか。そのときと比べて、更に背が伸びたな」


 近くに寄った勝元が、新の頭をくしゃっと撫でる。それに、新は「そうでしょー」と誇らしそうに笑った。勝元の隣では、弟に背の高さを超されつつある創が、少し不満そうな顔をしていた。


 こうして見ると、やはり創と新はよく似ていた。顔のパーツや、異常に良いバランスが同じ。けれど、創が愛らしい顔をしているのに対して、新は少し男の子らしい雰囲気の顔をしているから、かなり印象が違って見える。


 まあ、二人とも天使なことには変わりないけど。


 柚の視界に二人の顔が入って、同時に眺めることができた。何だかすごく贅沢だ。百合が見たら発狂しそうだ。



「ああっ」


 そのとき、急に新が声を上げた。


「創兄、顔に……」


 新が、遠慮がちに手を創の頬に近づけた。きょとんとした顔の創は、新の手がギリギリ触れないでいる自分の頬に触れると、初めて絆創膏の存在に気が付いたように「ああ」と呟いた。


「昼に走ったら転んじゃって」

「そんな、また……」

「大丈夫。そんなにひどい傷じゃないよ」

 そう言って創は、見ている方が心配になるほど心配そうな顔をしている新ににこりと笑いかけた。

「ありがとう、心配してくれて」


 新の顔がパッと赤くなる。「あ、えっと、あ、うん……」としどろもどろに返事をして、一歩創から離れる新。彼もまた、創の笑顔に対する免疫がない人の一人だった。兄弟だけど。


 新は所謂ブラコンなんだよ、と前に百合が言っていたのを思い出した。


「それに、新こそ怪我してるよね。膝、どうしたの」

 創が新の膝を見て言った。見ると、正方形の大きめの絆創膏が、新の膝に貼られていた。それでは覆いきれずに、生々しい擦り傷が絆創膏の隅から覗いている。


 新も創同様、今までその存在を忘れていたという反応をすると、何でもないことのように言った。


「今日の部活で転んだんだ」

「部活って、サッカーだよな」

 勝元が聞くと、新は「うん」と答えた。


「春休みに部活の大会があって、そこで俺たち負けたから、最近の練習は気合入ってるんだ」

「新も試合に出たのか?」

「うん」

「へえ、すごいな。あんな強豪校で」


 勝元が感心して言うと、新は素直に「ありがとう」と答えた。


 新が通っている中学校は、有名な進学校だが、中高一貫の私立の学校ということもあるのか、強い部活が多い。中でもサッカー部は特別強く、全国大会まで進む年もあるそうだった。


 新がサッカーを始めたのは、中学に入学した去年の夏。体育の授業での活躍を見て、サッカー部の部員たちにスカウトされたそうだ。まだ始めてから一年もたっていないのに、先輩たちの中に混ざって、ユニフォームをもらって活躍している。


 そんなわけで、彼は女子からの人気がありえないほど高く、大規模なファンクラブまでできている始末だ。蒼柳新、恐ろしい子。


 ちなみに、ファンクラブを作ったのは、柚の妹であるあいつだったりする。こっちも恐ろしい。



 柚たちは、新がいた部屋、リビングに入った。そこで、柚は再び「あ」と声を上げた。


 リビングにどんと置かれた、高そうだけど少し古めのソファー。その端に、ちょこんと大人しく座っていたのは、柚の弟、柊人(しゅうと)だった。


 あんたもいたんかい。


 柚にひらと手を振る柊人。その首には、愛用のヘッドホンがかかっている。


「柊人も久しぶりだなー」

 勝元が言うと、柊人も小さく「久しぶりです」と答えた。


 新と柊人は、歳が近いということや、柊人が内向的な性格なのに対して、新はそれを無視して踏み込んでいけるほどの快活さを持っていることもあり、昔から仲が良かった。だから、二人が集まっていることは普通のことなんだけれど。


「二人で来てたんだね」

 柚が言うと、凪沙が「そうだね」とほんの少しだけ難しそうな顔をして頷いた。


 柚たちがこれから話す内容は、もちろん、魔法の技術が使われている『道』についてだ。それを二人に聞かれてしまうことも、そしてそれに関わってしまっていると少しでも知られることも問題がある。第一、柊人には話さないでおこうと、ついこの間決めたばかりだった。


 二人には、四人がここに来た理由をどう説明すればいいのだろうか。不安になって凪沙を見ると、彼女はほとんど聞こえない声で「大丈夫」と囁いた。


「大丈夫。上手くやるから」

「うん」


 凪沙の言葉は、いつも信頼できる。柚は、安心して、なるべく自然になるように気を付けて息を吐き出した。


 ふと、視線を感じた。その方を何となく見て、ぎょっとする。


 柊人が柚と凪沙の方を、静かに見つめていた。柚と目が合って、柊人は気まずそうにパッと目を逸らした。そして、さりげなくヘッドホンを装着する。


 あ、ヤバい。

 そういえば柊人、今ヘッドホンつけてなかったんだった。


 ぶわっと背中の汗腺から冷や汗があふれる。気づかれたことは確実だった。


 どうしていいか分からず、硬直する柚。その状況を察して、凪沙はバンと柚の背中を叩く。どこから出たのか分からない変な声とともに、柚は硬直状態から脱した。


「ほら、お客様は座ってて」

「はーい……」


 素直な返事をすると、柚は大人しく、並んでいるソファーの、柊人から離れた位置に座った。創と勝元も、柚の後に続いてソファーに腰掛けた。


 それを待っていたように、この凪沙の家で住み込みで働いている、所謂お手伝いさんである(うめ)が、お盆に人数分のお茶とお菓子を乗せて持って来た。ソファーの前の机に、慣れた手つきで「どうぞ」とそれを置いた。


「梅さん、ありがとうございます」

 柚がお礼を言うと、梅は皺が多くて人のよさそうな顔に、更に皺を作って「いいえ」と笑った。


「皆さんと久しぶりに会えて、私も嬉しいですよ。ゆっくりしていってくださいね」


 そう言って、梅はゆっくりとその場を離れ、リビングに置いてある棚の上から、シンプルな封筒を持って来た。そしてそれを、一人立っていた凪沙に差し出した。


「旦那様と奥様からのお手紙ですよ」

「うん、ありがとう」


 封筒を受け取った凪沙は、その口をハサミで丁寧に切った。そして、その中から紙を取り出して、ふっと笑顔を浮かべた。


 中から出てきたのは、便箋ではなく、何枚かの写真だった。柚が凪沙のそばに寄ると、凪沙はスッと写真を柚に見せてくれた。写真にはそれぞれ、この辺りでは見られないような、現実にあることが信じられないほど綺麗な景色や動物の姿などが映されている。柚は思わず歓声を上げた。


「すごく綺麗」

 ため息が混ざったような感嘆の声を洩らす。これはどこの国の風景なんだろう。


 写真を順に眺めていると、最後に、二人の人物が写された写真が見つかった。幼い子供のように無邪気に笑う、二人の男女の写真。裏返すと、そこには豪快な文字で『元気にしてますよー 父さんと母さんより』と書かれていた。


「お父さんとお母さん、元気そうだね」

 柚が言うと、凪沙は、呆れたような顔をした。


「今もかなりの頻度で送ってくるんだよ、写真。わざわざこんなふうにしなくたって、わかるのに。今時スマホだって普及してるんだから、簡単にメッセージだって送れるのにね」


 写真家らしいよね、と言う凪沙の顔に、微かに嬉しそうな表情が見て取れた。嬉しくなって、柚も「そうだねー」と笑う。



 凪沙の両親は、今、海外を飛び回っている。父親は写真家で、母親はジャーナリスト。柚は良く知らないけれど、どちらも世界的に有名で、かなり忙しいらしかった。ちなみに両親ともに日本人だ。


 凪沙がここに引っ越してきたとき、凪沙の両親は、凪沙を送り届けるため、一緒に日本に来た。しかし、仕事の都合で、凪沙の暮らす環境が整ったのを見届けるとすぐにまた日本を出て、それからずっと海外を拠点に生活している。柚たちが凪沙と知り合ったのはその後だったから、柚たちが凪沙の両親と会ったことは一度もなかった。



「凪沙のお父さんとお母さん、会ってみたいな」


 一緒に写真を見る凪沙と柚に優しい目を向けて、創は言った。凪沙が「やめたほうがいいよ」と写真から目を離さずに言った。


「自由な人たちだし、一緒にいると疲れると思う」

「そうかな。きっと話したら楽しいよ」

「……まあ、そうかもしれないけど」


 凪沙は、棚の中から分厚いファイルを取り出した。プラスチックの袋が付いていて、書類をそのまま入れられるタイプのファイル。その、何も入っていないページを開くと、見ていた写真を丁寧に差し込んだ。


 同じようなファイルは、棚の中にいくつもあった。凪沙は、送られてきた写真を、こうして全部保管している。



「さてと」


 ファイルを元の位置に戻すと、凪沙は梅を振り返った。


「湊はどこ?」

「湊さんは、今は研究室にいますよ。もうすぐいらっしゃると思いますけど」



「うん、いらっしゃいましたよー」



 と。


 梅の言葉のすぐ後に、妙に間延びした声が続いた。その声に、柚たちは一斉に声をした方向を振り向いた。


 リビングの入り口の扉の前。そこには、ヨレヨレの白衣に身を包んで、感情の読めない気だるそうな表情をした青年、入月湊(いりつきみなと)が立っていた。

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