『特殊能力』と体質④
「あ、おかえりー」
食堂に入ると、勝元が柚と凪沙に向かって手を振った。
「やっぱり迷ってたのか」
「いやー、ご迷惑をおかけしましたー」
柚は「えへへ」と頭を掻いた。
席に着いて、席を離れたときの二倍くらいの量に膨らんだラーメンに「いただきます」と手を合わせる。
「あの、これ、使いますか」
三ツ花がヘアゴムを渡してくれた。柚はありがたく受け取って、手早く髪を結んだ。
「ユズってよく道に迷うの?」
天瀬が聞いた。ぬるい麺を口いっぱいに詰め込んでいる柚に代わって、勝元が答えた。
「そう。昔からすぐに道に迷って、いつもみんなで探しに行くんだよな。方向音痴なんだよ、柚は」
「この建物でも迷うから想像つくと思うけど、学校でも小さいスーパーでも、近所に買い物に行くだけでもすぐに遭難する。たいしたものだよね」
凪沙が付け足して言った。それに、天瀬が呆れたような顔をした。
「それ、もう方向音痴ってレベルじゃないような」
「しょうがないよ。小さいときからこうだったみたいだから」
ぐっと麺を飲み込んで、柚は言った。
「自分では正しい方向に行ってるつもりなんだけど、気が付くと違う方向に進んでるんだよ。治そうと思っても、全然治らなくて」
「あ、でも」と柚は続けた。
「昔よりは良くなってると思うよ。ちゃんと一人で学校行けるし」
「え、逆に昔は行けなかったの?」
大袈裟に驚いた顔をする天瀬。確実に馬鹿にされている。
小学校は幼馴染四人とも同じだったし、通学班という素晴らしい制度があったから何とかなった。中学も創以外は同じだったから、二人に付き添ってもらえば大丈夫だった。迷惑をかけなかったかといえば、そうでもないけれど。
「小さいときって、どのくらい?」
天瀬がそう尋ねた。何でそんなことを気にするんだろう、と思いながら、柚は答える。
「誰もちゃんと覚えてないけど、小学校に入学するときにはもうそんな感じになってた気がする」
「へえ。ってことはさ」
天瀬が、特に気負う様子もなく、まるでその日の天気を聞くような調子で言った。
「それって『特殊能力』なの?」
ピン、と空気が急に張り詰めた音が聞こえた。
突然のことに、無防備だった空気がズキズキと痛い。柚は、涼しい顔をしている天瀬の顔を、敵を見るような気持ちで見つめた。
「『特殊能力』……」
桜草樹が、まるでその話題を待っていたかのように、身を乗り出した。
「それは、無作為に選ばれた人に受け継がれる、超人的な能力のことですよね」
「そー」
天瀬は、妙に熱のこもった目を天瀬に向ける桜草樹を見て確認すると、短く答えた。
『特殊能力』。
例えば、幽霊が見えたり人以外の生き物と話せたりという、人間にはできないことができる能力や、耳がとても良かったり運動能力が飛びぬけて高かったりという、人間の一部の機能が尋常じゃないほど発達している能力だったり。そういう、普通の人なら持っていないような特殊な能力は、そのまま『特殊能力』と呼ばれている。
ある一つの種類の『特殊能力』を持つ人は、この世に一人しか存在しないと言われている。ある『特殊能力』を持つ人が死んだら、早ければその後すぐに、遅くとも数年の間に、他の者にその能力が受け継がれる。受け継ぐ人は、新しく生まれてくる子か、まだ幼い子供であることが多い。だから、天瀬は『小さいときから』という言葉に反応を示したのか。
「ねえ、天瀬」
凪沙が天瀬を真っ直ぐに見た。
「人が何人もいる前でその質問をするって、どういうことか分かってる?」
落ち着いた、静かな言葉。でもそれは、諭すようにというよりも、責めるようにという方が合っているような、そっと刃物を潜ませているような、そんな言葉だった。
無作為に、と桜草樹は言った。しかし、その言葉で表していいほど、その可能性は平等ではない。『特殊能力』を受け継ぐ確率の程度には、偏りがある。
『特殊能力』を持つ者たち。その九割ほどは、魔力を持つ人なのだ。
確かな数値は出ていないけれど、かなりの高確率で、『特殊能力』を受け継ぐ者として、魔力を持つ者が選ばれる。その理由は、彼らが元々持っている魔力と合わさることで、『特殊能力』がより強力なものになる傾向があるからだと言われている。
魔力と『特殊能力』は、多くの場合、同じ人が持つ。だから、人々の意識の中では、『特殊能力』を持っている人と魔法使いとはイコールで結ばれてしまっている。たとえ魔力を持っていなくても、『特殊能力』を持っている人は魔法使いだと見なされ、同じ扱いを受けてしまう。それゆえに、『特殊能力』も魔力と同様に、持っていることを隠さなければならないものなのだった。
凪沙は、じっと天瀬の顔を見据えている。何か言った方が良いとは思うけれど、何の言葉も思いつかなくて、柚は凪沙の横顔を見つめた。
「凪沙センパイさあ」
天瀬は、凪沙の質問には答えずに、いつもの軽薄な笑みを浮かべた。
「怒ってる?」
「そりゃあね」
凪沙がため息を吐くように言った。
「常識的に考えて、そんな質問するなんてありえないでしょ。もし本当にそうだった場合、聞いた相手に死ねって言ってるようなものだよ」
「まあ、そうっすね。すみません、オレ非常識なんで」
天瀬は涼しい顔で謝罪の言葉を言った。
「でも、本当なら、ってことは、ユズは違うってことなんすね」
「当たり前でしょ。柚の方向音痴が『特殊能力』なんかなわけない」
凪沙は諦めたように、天瀬から目を逸らした。
「『特殊能力』っていうのは、普通の人ができないことができる、超人的な能力のことでしょ。柚の場合、普通の人ならできることができなくなってるから違う」
「なるほどねー」
天瀬は納得して大きく頷くと、柚の方を見た。
「ごめんね、ユズ。何か変なこと言って」
「え、あ、ううん。別に大丈夫だよ」
柚は慌てて答えた。
「昔からよく『特殊能力』だって周りの人に言われてたし、かなりひどいし迷惑かけてるから疑われてもしょうがないと思う」
「そうなの?」
「うん」
柚は、今までのことを思い出して苦笑いをした。
クラスの子から『特殊能力』を持っているからと嫌がらせを受けたときも、担任の先生が、凪沙の話と同じような主張を皆の前でしてくれた。柚を擁護しているのか馬鹿にしているのか分からない感じの説明だったけれど。
そういうときは、凪沙もいつも私のことを庇ってくれたな。
柚は凪沙を見ながら思い出した。いつだって凪沙は、自分の言いたいことがうまく言えない柚の代わりに反論して、柚の味方をしてくれた。それが、どれだけ心強かったか、言葉では言い表せないほどだった。
それにしても。
『特殊能力』なんか、か。
「じゃあ、それで言うと、ツクルの不運体質も別のものってことになるの?」
天瀬が、今度は創の方に目を向けた。学習しない天瀬に対し、凪沙は敵意を持った視線を送った。
「うん。僕のも違うよ」
創は、微妙な場の空気に少し困った表情をしながら答えた。
「それに、僕の不運体質は、生まれつきでも、特別小さい頃からあるものでもないから」
「そうなんだ」
天瀬が驚いた顔をした。桜草樹も強い興味を持ったようで、創に対して微かに身を乗り出した。
「いつからですか。きっかけや理由は分かっていますか」
「え、えっとね、確か小学三年生のときからだったかな。きっかけは、交通事故。理由は、まあ、よく分からないけど」
桜草樹の勢いに戸惑いながら、創は質問されたとおりに答えた。
「交通事故、ですか」
「うん。車に轢かれて、病院に運ばれて、そのまま一か月くらい目を覚まさなかったことがあって。無事に目は覚ましたんだけど、それから不運なことがよく起こるようになったから、それがきっかけだと思う」
「そう、なんですね」
桜草樹は少し身を引いて、それでも意識は前へ前へと行くように、じっと創を見つめた。
「どうしてそうなったのか、その理由は本当に分からないのですか」
「うん。でも、一回死にかけて奇跡的に復活したから、何か不思議な力が外側からかかっているのかも――」
「えい」
急に勝元が創の頬を引っ張った。痛かったからか驚いたからか分からないけれど、創が「うへあ」と変な声を上げた。
「ちょ、何、勝元くん」
頬を引っ張られたまま、目を丸くして勝元を見る創。その顔を、勝元はいつも通りの笑顔で見つめた。
その目が、牽制するように強い光を帯びていることに気が付いて、創は「あ……」と呟く。
「ごめん……」
「ん。分かればよろしい」
勝元は、創の頬から手を離した。そして、桜草樹の方を向いた。
「ごめんね。その事故のこと、かなり気にしてる奴もいるから、このくらいで」
桜草樹はハッとすると、気を引き締めるようにキュッと唇を結んだ。先程までの勢いは、火に水をかけたようにスッと消えていた。
「……そう、ですね。すみません、辛い話をさせてしまって」
「い、いや、僕の方こそごめんなさい」
申し訳なさそうに謝る創。その姿を、凪沙が静かに見つめていた。その視線に、柚の心はキュッと痛んだ。
今度は私が、と思って凪沙に声をかけようとしたが、いい言葉が何も思いつかなかった。あの状態の凪沙を助けられるような言葉を、今の柚は持っていないことを知っていた。柚はそっと凪沙から目を逸らした。
と、そのとき、逸らした先で三ツ花と目が合った。目が合った瞬間、三ツ花はかなり驚いた様子で身体をびくりと動かした。予期しなかった状況に、柚も同じように驚いて身体を震わせた。
「え、ど、どうしたの?」
「あ、いえ、何でもないです」
三ツ花がフルフルと小刻みに首を振る。何だよ、びっくりするじゃないか。
私と急に目が合ったから驚いたのだろうか。私そんなに驚かれるような顔してたかな。
三ツ花を見つめて真剣に考えていると、彼女は少し困ったように笑った後、「あの」と自分の腕時計を示した。
「時間、そろそろ戻らないと……」
その針が指す時間を確認して、柚は「あっ」と声を上げる。
「景山さんが会社に戻ってくるように言ってた時間まで、あと十分しかない」




