第1話 『特殊能力』と体質①
「柚、昨日大丈夫だった?」
心配そうに眉をひそめる美少年の顔が目の前に迫っている。見慣れていても、さすがにドキドキしてしまう。柚は気づかれない程度に顔を横に向けた。
五科工業本社ビル二十階。柚たちは、昨日と同様に第一会議室に集まり、始業時間まで待機していた。
「魔法使いの誘拐事件、柚のバイト先の近くだったんでしょ。病院にたくさん人が運ばれてきてて、もしかしたら柚も、って心配したんだよ」
そう言って、創は更に柚の顔を覗き込む。うっ、眩しい。
柚たちが住む町で一番大きな総合病院である、T市記念病院。創は、その院長の次男だ。
かつて『大災厄』が起きたとき、当時はまだ小さかったその病院に、多くの被害者が運び込まれた。そのため、T市記念病院は、そのときから現在まで、魔法による被害者を多く受け入れている。
魔法の被害には、もちろん攻撃による外傷が多いけれど、魔力という力そのものが身体に影響を及ぼす場合もある。
普段魔力に触れることのない人間が魔力に曝露すると、身体に負荷がかかることで、体調を崩したり一部の身体機能に障害が出たりする、という症状が高頻度で見られる。
症状は、被害者の体質などにも影響されるけれど、基本的に魔力が強いほど重くなる傾向がある。浴びる魔力が耐えられないほどの強さだった場合、意識障害や運動機能の消失などが見られることもあり、目を覚まさないという事例も稀に見られるようだった。
現在、魔法研究やそれに関連する研究が全面的に禁止されている中、T市記念病院では、それらの症状や治療の研究が公的に認められている。この国で、こういった研究が認められている施設は、この病院を含め二つだけらしかった。
そういったことから、魔法使い絡みの事件が起きた場合、多くの被害者はそこに運ばれる。創の自宅は病院の隣で、かつ母親が魔力による症状の治療に関わっているということもあるため、事件の状況は何となく把握できるようだった。
「大丈夫だよ。爆発に巻き込まれるほど近くにはいなかったし」
柚は軽い調子で答えた。それでもまだ心配そうな顔を崩さずに、創は柚を見つめ続ける。
「でも、少し顔色悪いよ。やっぱり――」
「大丈夫だって。あの後警察とかも来て色々聞かれて、家に帰ったらお兄ちゃんからも色々聞かれたから、ちょっと疲れちゃっただけだよ」
柚はせわしなく両手を振った。創がまた口を開きかけたのを見て、慌てて言葉を続ける。
「今日の朝も、少し離れた友達の家まで春休みの課題のノートを持って行って、コピーとってもらったから、そのためにちょっと早起きしたり道に迷ったりなんかして。それもあってちょっと疲れたなってくらいで」
「じゃあ、なおさら心配だよ。今日は――」
「あ、そうだ、その友達、ちょうどそのとき会いに来てくれたんだけどね、その子、普段は事件があった道通るみたいなんだけど、ちょうど事件があったときにはコンビニにいて、巻き込まれなかったから、本当によかったよ。それも凪沙ちゃんのおかげだね。あ、凪沙ちゃん」
柚は、視界の端に凪沙を見つけて呼び掛けた。振り向いた凪沙に、柚は訴えかけるような目を向ける。
「何?」
呆れたような顔をする凪沙。柚は助けて、とじっと目で訴え続ける。
「凪沙ちゃん、危険だって教えてくれてありがとう」
「うん。でも、その子が事件を避けられたのは、柚がコンビニでその子を引き留めてたからじゃないかな。店の外には出てなかったんでしょ」
「あー、そうだね」
柚は、時間をかけてコンビニスイーツを選んだことを思い出した。そのおかげで咲が無事だったとするなら、私の優柔不断も悪いことじゃないな、と思う。
結局あの後、甘いものを食べる気力もなくなって、おごってもらったスイーツは百合にあげてしまったけれど。
「それにしても、柚、本当に大丈夫か?」
勝元が、創と同じように心配そうな顔をして聞いた。
「昨日百合がわざわざ家に電話してきて、いつもならスイーツを拝みながら食べて、好きな味だったら一口も分けてくれないのに、今日は丸ごとくれたからおかしい、って報告してきたけど」
私そんなにがめつくないけど。
「そういう気分じゃなかっただけだよ。誰だってあるでしょ、甘いものいらないや、ってとき」
「でも、創が言った通り顔色が悪いぞ。あんなことがあったんだから、今日ぐらい休んでもよかったのに」
「いいの。過保護だなあ、二人とも」
柚はうんざりした表情をして、勝元と創を見た。最近、二人が蓮人っぽくなっている気がする。
心配してくれているのは、分かっているけれど。
柚は、事件の後のことを思い返した。警察に色々と尋ねられた後、蓮人は血相を変えて柚のもとに駆けつけてくれた。そこから、何があったのか、怪我や体調の変化はないかと、しつこいくらいに尋ねられたけれど、全て、曖昧な返事をしてしまった。逃げるように、誤魔化してしまった。
分かっている。蓮人が何を言いたいのかなんて、分かっているのだ。
「え、何か事件があったの?」
天瀬が興味津々といった様子で近寄ってきた。勝元が「ああ」と答える。
「魔法使いの誘拐事件。また一人、誘拐されたんだって」
「へー」
天瀬はふんふんと頷くと、ポケットからスマホを取り出した。そして、慣れた手つきで画面を触る。
「それって、これのことっすか」
サッとスマホの画面を柚たちの方に示す。画面を覗き込むと、そこには『魔法使いにより女児一人誘拐、十二人負傷』というニュース記事の見出しが目に入った。
「そう、それ」
凪沙が頷いた。
「誘拐って、何のためなんすかね」
「さあ。人質か、実験か何かに使うのか。もしかしたら、その女の子が魔法使いだったってのもあるかもな」
画面をスクロールする天瀬の問いに、勝元が答える。
魔法使い。
あの『大災厄』の後、突然閉ざされた『扉』。そのとき人間界にいた魔法使いは、当然、魔法界へ帰れずに取り残されたままだ。正確な人数は分からないけれど、今も人間界に一定数いるはずだった。
誘拐された子は、魔法や魔力と関係があったのだろうか。それとも、無差別なのか。
「あ」
天瀬が声を上げると同時に、男性アナウンサーの低めの声が、端末から少し粗く聞こえてきた。彼の指が、記事の下の方にあったニュースの映像の再生ボタンに触れたみたいだった。
『――昨日夕方、R県T市で、魔法使いによる誘拐事件が起こりました。この事件で、近くの小学校に通う女児が一人、犯人たちに連れ去られました。また、そのときの攻撃による被害者は十二名。いずれも軽症で、命に別状はないとのことです。また、魔力による周囲の住民への影響は、何件か確認できている状況です。犯人の行方は分かっておらず、警察は周辺の捜査を進めているそうです』
画面が切り替わる。目撃者のインタビュー映像。
『犯人らしき人が、数人いたのを見ました。見かけたとき、少し怪しいな、とは思ったのですが、その後すぐに爆発が起こって。本当にびっくりしました』
『連れてかれちゃった女の子、その直前にすれ違ったとき挨拶してくれたんですよ。もっと早く気づいて止めていれば、助けられたのに……』
「……」
静かに画面を見つめていた凪沙が、急に後ろに下がって離れた。驚いて、四人の視線がスマホの画面から彼女の方に移る。
「……もうすぐ始まるよ。席に戻ろう」
そう言うと、凪沙は柚たちに一瞥もくれずに、自分の席に戻っていった。
「凪沙ちゃん……」
不意に泣きそうな気持ちになる。見ると、創と勝元、そして天瀬も苦い顔をしていた。
ひどい、事件だ。
柚は黙って自分の席に戻った。自分は直接被害に遭わなくてよかった、なんて思うのは、非情なことのように感じた。
席に着いたところで、タイミングよく扉が開いた。ボードを持った景山が、いつも通りきっちりとスーツに身を包んで姿を現す。
「皆さん、おはようございます。本日も、昨日と同じメンバーですね」
柚は周囲に目を向けた。景山の言った通り、昨日と同じメンバーが揃っていた。
「本日の仕事は、昨日同様、掃除や備品の補充、書類整理です。今から担当を伝えます」
景山は手元のボードを見ながら、参加者の名前を呼び、仕事を割り当てていった。仕事の担当は、ほとんど昨日と同じだった。
皆が担当の場所に移動しようと席を立つ。柚もゆっくり立ち上がったところで、部屋の扉をノックする小気味良い音が聞こえた。
「どうぞ」
景山が扉に向かって呼び掛けると、静かに扉が開いた。そこには五科社長が立っていた。
「みんな、おはよう」
社長がにこやかに挨拶をする。「おはようございます」と反射的に答えたところで、ハッと思い出す。
そう言えば、ドラマとかでは、大企業の社長がオフィスに訪ねてきたときは、社員は皆立ち上がって礼儀正しくお辞儀してたような。
柚は慌てて、社長に向かって姿勢を正すと、勢い良く礼をした。ちら、と横目で周りを窺うと、他の参加者たちも皆、「おはようございます」とぎこちなく頭を下げていた。
「いいよ。そういうのはしなくても。みんなは五科工業で働く従業員だけど、一応僕たちが依頼をした立場だから。もっと楽にしていてほしい」
そう言って、社長は余裕のある態度で微笑んだ。おお、格好いい。
「どうしてここに? 仕事は大丈夫なのですか?」
景山が鋭く目を光らせる。それに、その場にいる全員が震えあがる。
景山さん、社長に対しては厳しすぎるような。
「大丈夫ですって。それに、まだ始業時間じゃないですよ」
冷や汗を流しつつ、社長は微笑みを浮かべたまま答えた。
「少し様子を見たいなと思いまして。一応、僕が直接管理している訳ですし」
「まあ、そうですね」
「はい、そうなんですよ」
社長は少し安心した顔をすると、表情を引き締めて、柚たちの方を向いた。
「みんな、昨日はお疲れ様。まだ一日しか経ってないけど、態度もいいし、よく働いてくれるからって、社員から評判が良いから安心したよ。これからも、引き続きよろしくね」
「はいっ」
柚たちはしっかりと返事をした。誇らしい気持ちだった。
「邪魔して悪かったね。それじゃあ、今日も頑張って」
そう言うと、社長はドアノブに手をかけた。柚たちはしっかりとお辞儀をした。
皆がそれぞれ移動のために準備をし始める。柚も同じように動き出したところで、部屋を出ようとしながらふと振り返った社長と目が合った。
驚いて、軽く目礼した。すると、社長は柚を見つめながらおもむろに「白葉さん」と呼び掛けた。開けていた扉を閉めて、部屋の中に少し進むと、小さく手招きをする。
「何でしょうか」
慌てて駆け寄ると、社長は真剣な顔で柚を見た。
「昨日、白葉さんの近くで魔法絡みの事件があったって聞いて。大丈夫だった?」
「あ、はい。巻き込まれなかったので、何ともないです」
昨日のことなのに、もう社長の耳にまで届いていたのか、と柚は微かに驚いた。
「本当に?」
深緑の瞳が、深く、光を反射する。そのまま飲み込まれてしまいそうだった。
それは、柚の奥深くまで、見透かしてしまいそうな。
「……少し、怪我をされた方の手当てをしたくらいです」
社長の瞳に映る自分の姿を見るように、柚は目を逸らさずに答えた。
「心配していただき、ありがとうございます。でも、大丈夫です」
「……そう」
社長が、優しく微笑んだ。
「でも、もし何かあったらいつでも相談してね。僕に言いにくいなら、景山さんや他の参加者の子に相談してもいいし」
「はい、ありがとうございます」
柚は元気よく答えた。それに、一瞬だけ、どこか悲しそうな笑顔を浮かべた後、社長はすぐに穏やかに笑った。そして、ポンポン、と柚の頭に触れた。
「白葉さん、頑張りすぎなんだよ。無理しないように」
「へ、あ、は、はいっ」
頭に乗せられた社長の手にドキドキしながら、柚は返事をした。
社長の手は、男の人の手、という感触だった。昔、蓮人に頭を撫でてもらったときの感覚に似ていた。大きくて優しい手。とても、懐かしい感覚だった。
社長の手が触れたところがじんわりと温かい。柚が熱いのだろうか。
と、そのとき、社長の頭の上に黒い板が現れた。ぎょっとしてそれを見上げると、黒い板が勢いよく社長の頭に叩きつけられた。
バシっ、と痛々しい音が部屋に響く。
「何きわどいことやってるんですか。炎上して抹消されますよ、社会的に死にますよ」
キッと社長を後ろから睨む景山。黒い板は、手に持っていたボードだったようだ。
音から想像できる通り、叩かれた痛みはかなり強かったようだ。社長は頭を押さえてうずくまっている。
え、本当に叩いたのか。
唖然として目の前の光景を眺める。部屋の中にいた他の参加者たちも、皆呆気に取られてそれを見つめている。
「か、景山さんは加減というものを知らないんですか……」
「あなたにはこれくらいどうってことないでしょう」
「景山さんは僕のこと何だと思ってます?」
社長の問いに、景山は柚を落ち着いた目で見つめ、同じように周りを見回し、そして口を開いた。
「……この場合は、セクハラ社長」
「……」
社長は黙って立ち上がり、深々と柚に頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「い、いやいや大丈夫ですよ。何も気にしてないです」
「甘いですよ、白葉さん。もっと厳しく言ってやりましょう」
何、この社長秘書。
「いーぞ、やってやれー」
ヤジを飛ばし始める天瀬。マジで何なんだ。
ああ、もう。
柚は、申し訳なさそうに頭を下げる社長の髪に軽く触れた。
「こ、これでおあいこです」
「……」
驚いた顔をした後、社長は左手で顔を覆った。
「……良い子過ぎる」
顔を覆った指の隙間から、呟きが漏れる。それに、景山が大きく頷いた。
何か恥ずかしくなってきた。
柚はパッと手を離して、社長から目を逸らした。頭にはまだ熱が残っている。
「……分かりました」
景山がため息を吐きながら言った。
「白葉さんもこう言ってますし、取りあえずは良いでしょう。叩いて申し訳ありませんでした」
「はい……」
社長が思い出したように、叩かれたところをさすった。
「それと」
スッといつも通りのクールな顔つきに戻って、景山は言った。
「この後どうなっても知りませんからね」
「分かってます」
社長もいつも通りの、余裕のある顔つきに戻って頷いた。
「お騒がせしてすみません。各自、仕事へ移ってください」
皆にそう告げると、景山は部屋を出ていった。
「ごめんね。じゃあ、頑張って」
社長も苦く笑いながら、扉の方に歩いていく。途中で少しふらついて、デスクの角にぶつかってよろめいている。心配だ。
二人が部屋から去るのを黙って見送ると、皆、移動をし始めた。
「ユズ」
呼び掛けられる。
「行こっか」
天瀬がにやにやと笑って柚を見た。ああ、と柚は心の中でため息を吐く。
何なんだよ、本当に。




