参加者と従業員③
「皆さん、初めまして。五科誠司の妻、五科葵です」
そう言って頭をペコリと下げたのは、可愛らしい小柄な女性だった。ボブカットの綺麗な髪が柔らかく揺れる。
「すみません。急に呼んでしまって」
景山が謝ると、葵は穏やかに笑った。
「いいよー。きぃちゃんの頼みだし。役に立てるなら嬉しいよ」
「ありがとうございます」
葵につられて、景山も穏やかに微笑んだ。なるほど、確かにあの優しそうな社長の奥さんだ、と柚は密かに納得した。
ところで、きぃちゃんとは?
「景山さんの名前、季緒だからじゃない?」
凪沙がこっそり教えてくれた。なるほど、と柚は頷く。景山のことをあだ名で呼ぶなんて、葵は景山と随分親しい仲のようだった。
「もしよろしければ、これからも来ていただけないでしょうか。あの子だと心配で」
「もちろんいいよ。最近、やることもなくて暇だったし」
笑顔で景山の申し出を承諾する葵を見て、柚たちは胸をなでおろした。
「葵さーん」
炊事担当だったはずのルリが甘えるように葵に駆け寄った。
「ルリも料理できるんですよ。ちょっと調子が悪かっただけなんです。あのロボットだって、何かちょっと緊張しちゃったのか何なのか……」
葵の服の裾を小さな両手で握って、ルリは必死に訴える。その頭を、葵は優しくなでた。
「分かってるよ。でも、折角だから私にも何か手伝わせてほしいな。ほら、ルリちゃんはロボットで洗濯とか掃除とか、いろいろ効率よくできるし、それに他にできる人がいない『道』の管理も必要でしょ。私にできるのは料理くらいだから」
ね? とルリの顔を覗き込む葵。ルリは一瞬キョトンとした顔をした後、少し自慢げな表情を浮かべた。
「仕方ないですね。じゃあ、料理はお任せします。他の仕事は、優秀なルリが受け持ちますよ」
「うん。ありがとう」
葵がまたルリの頭を撫でる。驚くほど扱いが上手い。
「さすがですね」
景山も感心して言った。
「それにしても、これはカレー、なのかな。なかなか見ない色だね」
葵が、机の上で紫色の臭気を発している液体を見て苦笑いした。あれがカレーと分かったことがすごい。
「歓迎パーティーをやろうとしてたですよ」
「歓迎パーティーか……」
苦笑いを続けながら、葵は並べられた皿を眺めた。
「うーん、今からパーティーは厳しいよね。どうしようかな……」
眉を寄せて、葵は考え込む。
「もう『道』は使えるんだっけ」
「はい。もうルリが設定したですよ」
「そっか。それなら、みんなには一回帰ってもらって、今日の夜、改めてここに集まる感じでいいかな。それまでに、料理とかの準備を済ませておくから」
「それがいいですね」
葵の提案に、景山が頷く。景山が柚たちの方を見たので、柚も頷いた。
「それじゃあ、六時ごろ、ここに集合で。もうここに住んでいる子には、今から簡単に昼食を作るから、後で教えてね」
葵が生き生きとした顔で皆に呼び掛けた。
「ふふ、楽しみだなあ。みんなの話、聞きたいと思ってたんだ。きぃちゃんも来る?」
「多分来ません」
「えー、残念だな。じゃあ、料理取っておくから、後で取りに来るといいよ。頑張って美味しいのを作るから」
「はい。ありがとうございます」
ニコニコと笑う葵に、景山がふっと微笑む。葵は、人をもてなすのが好きみたいだった。可愛らしいその様子に、柚も思わず景山と同じ顔をした。
横を見ると、勝元も同じように微笑んでいた。柚と目が合い、お互いに笑うと、勝元は軽く手を上げた。
「じゃあ、また後で――」
「あの」
勝元の言葉を、急に強い声が遮った。皆の視線が、一斉に声の主の方に向く。
声を発したのは桜草樹だった。彼女は睨むようにきっと前を見据えると、葵に向かって言った。
「それ、私は参加しません」
「え?」
葵が軽く面食らった顔をして、桜草樹の顔を見つめ返した。
葵が何か言おうと口を開きかけた。その口から言葉が発せられるより先に、桜草樹は強い口調で続けた。
「申し訳ないですが、私は他のことで忙しいので、そんなものに参加している時間がなくて」
「ちょっと、そんな言い方しなくても――」
思わず声を出したが、その先はさっと出された凪沙の手に制された。柚は渋々、口を閉じる。頭の中には、歓迎パーティーの準備に張り切っている葵の笑顔でいっぱいだった。
もっと他の言い方だってあるのに。
桜草樹は、柚に目を少しも向けなかった。桜草樹を睨まないように、そして葵の顔を見ないように、柚は顔を伏せる。身体の内側が熱でぞわぞわと気持ち悪かった。
「うん、わかった。強制じゃないから気にしないで。ごめんね、押し付けるみたいになっちゃってて」
その声が、今までの雰囲気と変わらなくて、柚はそっと顔を上げた。葵は、また元の優しい微笑みに戻っていた。
「いえ」
憮然とした態度で、桜草樹は答えた。「それでは、失礼します」と、誰の姿も目に入れずに部屋を出ていく。その姿が見えなくなったところで、今度は後ろの方にいた中梛が声を出した。
「俺もパス」
そう言って、返事が返ってくる前に、中梛はスタスタと部屋を出ていった。
「オレ参加するけど、スバルはどうする?」
天瀬が聞くと、藍代は迷うことなく答えた。
「僕は参加しない」
「なんで?」
「その方が良いから」
ごく自然な口調で答える藍代。その目は、誰のことも見ていなかった。
「俺はちょっと確認しないといけないです。許可が出るかどうか」
櫟依はそう言うと、面倒くさそうにため息を吐いた。それを見て、慌てて三ツ花も「私も」と続けた。
「私も、一度帰って許可を取らないと」
「わかった。じゃあ、二人の分も一応用意しておくから、来られそうだったら伝えた時間に来てね」
葵はそう言うと、柚たちの方に目を向けた。
「四人はどうする?」
「俺は参加します」
勝元がすぐに答えた。そして、柚たちの方を向く。
「どうする? 行ける?」
「うん、私は行く」
「僕も、大丈夫だと思う」
凪沙と創が頷いた。柚も「うん」と答える。
四人の答えに、葵は嬉しそうに「よかった」と笑った。陰りのない、変わらない笑顔。それを見て、柚の喉元に、ぞわぞわとした感覚が絡まる。
気にしているのは、自分だけだ。
柚はそっと背中の後ろで手を組んで、目を伏せた。自分の爪先が目に入る。自分が小さいことを自覚した。
ふと、頭の上に温かい感覚が降りてきた。驚いて顔を上げると、目の前には葵の優しい顔があった。
「柚ちゃん、だったよね」
「あ、はい、えっと」
戸惑って葵の顔を見つめると、葵は「ふふ」と笑った。
「みんなの顔と名前、先に教えてもらって、ちゃんと覚えてきたんだ。せっかくだし、仲良くできたらいいなって思って」
「そう、なんですね」
柚の言葉に、葵は嬉しそうに頷いた。
「ありがとう。柚ちゃんは、優しいんだね」
葵の手が、ゆっくりと柚の髪をなでる。その目は、蓮人が柚を見るときの目と同じだった。どうしようもなく悔しかった。
「そんなことないですよ」
柚はにっこりと笑って言った。後ろで組んだ手を解いて、少し姿勢を変える。
「ただ、けっ、金持ちが、って思っただけですよ。貧乏人の僻みです」
その言葉に、少し驚いた顔をした後、葵は笑った。頭の上の手が離れるのを確認して、柚はほっと息を吐いた。
「それじゃあ、取りあえずは七人の分と、あときぃちゃんたちの分も用意しておくね。あ、昴琉くんのは別で部屋に持って行った方が良いかな」
「ルリの分は?」
「もちろん、ルリちゃんの分も用意するよ」
ルリに笑いかけた葵が「また後で」と手を振る。柚たちも、各々別れの挨拶をすると、部屋を出ていった。