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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第6章 求められるもの
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第3話 再契約①

「昴琉おはよう」

 ノックする音が聞こえた直後、母親が部屋の扉を開けた。机に向かったまま、特に何もせずにぼんやりとしていた昴琉は、慌てて母親の方を向いて笑顔を作った。


「調子はどう?」

「何ともないよ」


 立ち上がって、母親の前まで移動する。昴琉の答えに、母親は「そう」と微笑んだ。そして、あからさまに疲れている様子で、大きくため息を吐いた。


「どうしたの?」

 聞かなければいかない気がして、昴琉は尋ねた。すると、そう尋ねられるのを待っていたように微笑んで、母親は「そうねえ」と言った。


「昨日から、ちょっと体調が悪くて」

 ちらり、と母親の目が昴琉を見る。物を溶かす成分が入っているような、含みのある口調で母親は続けた。


「昨日、お買い物から帰ってきた後、昴琉に会いにここに来てから、体調が悪くて」

「……」


 嫌な汗が、背中を伝う。吐き気に似た焦りが、腹部を圧迫する。


 昨日、母親が買い物から帰ってきた後、というのは、烈と柚に会った直後のことだ。


 もちろん、昴琉自身も魔力を使ったけれど、烈の魔力も残っていたのも影響して、あの後のこの部屋の魔力濃度はかなり高くなっていた。だから、それに当てられて体調が悪くなったのだろう。


 母親は、烈が魔力を持っていることを知らない。だからこれは、他の人が訪ねてきたことを疑っているのではなく、再び昴琉が魔力を発現させたことを責める意味を持っていた。


 言い訳もできず黙ったままの昴琉を、しばらく蔑むような目で見つめた後、母親は短くため息を吐いた。


「まあいいわ。気のせいかもね」

 投げやりにそう言うと、不機嫌そうな顔から一転、母親はニコリと笑顔を浮かべた。


「はい、昴琉」

 母親は、後ろ手に持っていたものを昴琉に差し出した。

「新しいスマホを買ってきたの。前の、壊れちゃったんでしょう。不便だったわよね」


「あ……」

 差し出されたスマホを前に、少し反応が遅れたのを取り繕うように昴琉は笑った。


「ありがとう。わざわざ買いに行ってくれたんだ」

 お礼を言って受け取ると、母親は「あなたのためだもの」と微笑んだ。そして、不意に昴琉のことをぎゅっと抱きしめた。


「少しずつ戻ればいいわ。大丈夫。私も、世の中の人たちも、みんなあなたのことを愛しているんだから」

「……うん」


 昴琉は頷く。一度捨てた、温かい感覚。戻ってきたのだと思い知る。


「じゃあ、ゆっくり過ごしてね」

 昴琉から離れてそう言うと、母親は部屋を出ていった。


 足音が十分に遠ざかったのを確認した後、昴琉は手元のスマホをじっと見つめた。自分を縛る道具。家出するときに捨てたはずの道具。


 どうしてかは分からない。けれどふと、あのときのやり取りを思い出した。


『ユズ、スマホ買ったんだね』

『『特別プロジェクト』の報酬ももらったし、いい機会だからって、お兄ちゃんが買ってくれたんだ』


「……」


 あの二人は、もう来ないだろうな。

 二人の姿を思い浮かべて、昴琉はそっと目を閉じた。


 自分から拒否したのに、来てほしくない、これ以上かき乱してほしくないと思っているのに、どうしてそんなことを思うのか不思議だった。


 昨日は本当に驚いたな、と昴琉は思い返す。まさか烈に加えて、柚までがここまで来るとは思わなかった。彼以外の人が、この部屋の前まで来ることになるなんて、以前の昴琉には想像できないことだった。


 けれど、それももう一度きりだ。


 あれだけはっきりと、戻るつもりはないと拒絶したのだ。あの二人も、そして他の参加者たちも皆、優しくて頭がいいから、きっとこれ以上干渉してくることはないだろう。


『本当にまた、元の生活に戻りたいって思ってるの? またあっちの『家』に戻りたいって、本当に少しも迷ってくれないの?』


 ふと、昨日の柚の言葉が頭の中で再生される。


『だって、藍代くん、全然これでいいって顔してないよ』


 ……。

 分からない。


 笑えるようになっている。『藍代昴琉』を取り戻す兆しが見えている。皆、昴琉を待っている。だから、母親の言う通り戻るべきだ。


 道を外れたら行く場所なんてない。なかったことにして、その道に戻ることができるなら、自分を取り戻すことができるなら、それが一番だ。一度、全てを失う絶望感を味わってしまった今、それが自分にとって一番良い選択だ。


 仕方がない。ここで変に反抗して、母親の機嫌を損ねてしまえば、より面倒なことになる。これからここで生きていくなら、元の形に収まるのが一番だ。


 そう、思っているのに。


『いい機会だから、参加者のみんなでグループでも作るか』

『何か寂しいよね、二人がいないの』


 リセットされた連絡先とトーク履歴。唯一追加されている、母親の連絡先。

 どうにも重く感じて、昴琉はそっとスマホ机の上に置いた。


 昴琉は離脱したのだ。もう、『特別プロジェクト』とは無関係になった。かなり微妙な立ち位置の企画だから、部外者が関わることは許されないだろう。だから、もう二度と、彼らに会うことはない。


 彼らの名前がここに現れることは、これから先絶対に――。


「……え?」


 身体の奥でそっと灯された熱。マッチの火が大きく燃え広がっていくように、その熱がぶわりと大きくなる。


 まずい。

 慌てて目線を落とすと、スマホの黒い画面に反射する自分の目が見えた。何度も憎んで呪った、青い光。


 何で、急に。


 胸を押さえる。深呼吸をしようとすればするほど、呼吸が荒くなっていく。抑えようとしているのに、そんな努力も虚しく、熱は身体の外へ溢れていく。


 落ち着け。

 早く、落ち着かないと。


 普段ならこれだけで落ち着くのに、なぜか今日は落ち着く気配はなかった。むしろ、次第に魔力が膨張していく。こんなに制御できないのは初めてだった。


 勢いに負けてよろめくと、机とぶつかった。その拍子に、スマホが床に落ちる。重く鈍い音が響き渡る。

 あ、と思うと同時に、そのまま近くにあったゴミ箱が足に触れた。置いてあるだけの空のごみ箱が、軽い音を立てて転がっていく。


「昴琉ー?」


 母親の声。心臓が跳ねる。

 まずい。


「大丈夫? 今大きな音がしたけれど」

 近づいてくる足音。


 ダメだ。

 今、来られたら。


 収まる様子のない魔力が、部屋で渦巻いている。経験したことのない事態に、身体も頭も混乱していた。


 隠さないと。早く落ち着かないと。


 近づいてくる足音。もう数秒も猶予はない。魔力が暴走しているところを見られてしまえば、母親は、また。


 耐えられなくなって、昴琉は膝を床に着いた。熱さと絶望感でくらくらする。


 何度繰り返せばいいのだろう。


 自分の中の呪われた力に振り回されて、母親に怯えて、何事もなかったかのようにごまかして、偽って、笑って、演じて。

 これからまた、求められるがまま、一生これを続けていくのだろうか。そうすることを選ぶしかないのだろうか。


 目をつむる。息を吐く喉は、焼けるように熱い。


 誰か。


 誰か、助けて。

次の話は、7月29日(火)の18時半ごろに投稿する予定です。

よろしくお願いします。

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