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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第6章 求められるもの
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    祝福される存在へ④

「クマできちゃってるね」

 ヘアメイクの女性が、昴琉の目の下をそっとなぞった。


「最近忙しいもんね。ちゃんと休めてる?」

「はい、平気です」

 昴琉は微笑んで答えた。確かに、鏡に映る自分の目の下には、くっきりとクマができていた。疲れているように見えるその表情を、昴琉はきゅっと引き締めた。


「気を付けないとだめですね。顔に出てたらみんなに心配かけるから」

「そうそう。無理したらダメ。今大事な時期なんだから」

 慣れた手つきで下地を塗り広げながら、女性は言った。肌の上を滑る指から伝わる心地よい体温に、頭がぼんやりとしてくる。


 今日は今から雑誌の撮影だった。それが終わった後は、また別の現場へと向かうことになっている。最近はずっとそんなスケジュールが続いていたから、さすがにちょっと疲れているんだろうな、と他人事のように思った。


「そういえば、映画の主演決まったんだっけ?」

 忙しなく手を動かしたまま、女性が弾んだ声で言った。それに、昴琉は「はい」と答える。


「まだオファーを受けただけで、発表もまだですけど」

「これから楽しみだね。相手役、翠ちゃんになるんでしょ。ちょうど仲良いし、今一番話題の二人だし、ヒット間違いなしだね」

「そうですね。僕も光咲さんと一緒で心強いです」


 答えながら、昴琉は映画の内容について思い出した。


 『大災厄』の悲劇を描いたラブストーリー。魔法という存在が禁忌になり、魔力を持つ人が差別されるようになったきっかけとなった事件。魔力を持って生まれてしまった昴琉が、人と違う生活を過ごすことになった原因といえる出来事。


 よりにもよって、それを題材にした作品の主演を、自分と、そして光咲翠が演じる羽目になるとは。


 誰もが知る『大災厄』を取り扱うだけあって、かなり大きな企画だし、有名な監督や演出家が製作に関わると聞いている。そんな作品への出演を、製作側から指名してもらえたのだ。受けるよりほかに選択肢がないことは分かっている。母親だって、それを踏まえたうえでオファーを引き受けた。けれど。


 それはあまりにも、悪趣味じゃないか。


 鏡に映る自分の顔が目に入る。嫌というほど見た顔。間違いなく自分の顔だけれど、実は自分の顔じゃないと言われたら受け入れてしまえるような、自分からずれた自分の顔。


 何となく、予感していた。

 あの映画に出演することで、自分の中の何かが終わるのだろうということを。


 あの悲劇の登場人物を演じれば、『藍代昴琉』は魔法を批判する存在として世間の目に映るだろう。そして、ヒットしてしまえば、おそらくまた、魔法に対する世間の印象が悪い方に傾くだろう。


 昴琉が先導となって、魔法を批判する流れを作ることになる。

 そんなことになれば、自分は、もう。


「勢いすごいよね、最近」

 ふと、背後から話し声が聞こえた。スタッフの声だった。


「人気すごいし、出しておけば間違いないから。アイドルとしても役者としても完璧だし、世間の評価も高いし、安心だよね」

「そうですよね。元々人気だったのに、最近はさらにうなぎ登りですし。留まるところを知らないって感じですよね」

「光咲翠と共演するってのも、成功する未来しか見えないよな。衰える流れなんて全く想像できない。これからもこのままずっと、トップを張り続けるんだろうなあ」


 何度も聞いた言葉。その言葉が、なぜか今日は重くまとわりついてきた。


 これからも。

 このまま。


 映画が成功して、本当に完璧な『藍代昴琉』になって。


 その後もずっと。

 ずっとずっとずっとずっとずっと。

 際限なく、演じ続けるのだろうか。


 そうなったら、自分は。

 一体どこへ、行きつくのだろうか。


「目を閉じて」

 指示された通り、目を閉じる。目の下に触れる感覚。クマを隠すためのコンシーラー。


 これから先、このまま止まることができないなら。


『世界から嫌われる存在でいるなんておかしいに決まってるじゃない。世界から祝福される存在であるべきなんだから』


 ずっとずっと、求められるがまま、望まれるがまま、進み続けることになるなら。


『ママがあなたを、誰よりも素敵で、世界から必要とされる特別な存在にしてあげる』


 それならいっそ。

 いっそ、この瞬間で。


 全て、止まってしまえば――。


 ふと、肌に触れるブラシの動きが止まる。周囲の音が、プツリと途絶える。


 あれ、と。

 違和感に気づくのに、少し時間がかかった。


 本気じゃなかった。


 願ったわけじゃない。祈ったわけじゃない。

 何となく、頭の片隅で、ぼんやりと、そう思っただけだった。


 もう何年も、現れていなかった感覚。

 ゆっくりと、目を開ける。その瞬間。


 青く煌めく目をした自分と目が合った。


「……」

 目の前が真っ暗になるとは、こういうことなのだと思った。


 よくできた劇のセットのように、一切の動きを止めた人たち。

 焦りも何もかもを通り過ぎて、自分の中にあるのは、ただ一つ、絶望感だけだった。


 自分の鼓動だけが聞こえる空間の中、足音が近づいてくる。大きくなる足音とともに、自分の人生の終わりへのカウントダウンが始まっていることを自覚する。


「失礼しまーす」

 ドアから顔を覗かせたスタッフの動きが、その異様な部屋の様子を前に固まる。声を失って立ち尽くすスタッフと、鏡越しに目が合う。


 それと同時に、パッと、部屋にかかった魔法が解けた。


 一瞬のうちに、元の風景を取り戻す周囲の人々。つい先ほどと変わらない景色。その空間の中に、甲高い悲鳴が響く。

 昴琉の目を見て、驚愕した表情を浮かべているヘアメイクの女性。皆の視線が、一斉に昴琉に集まる。


「……どういうこと?」

 昴琉を凝視して、震えた声で女性は言った。

「嘘。だってそれ」


 昴琉を見たまま、言葉もなく固まったスタッフたち。魔法は解けたはずなのに、時が止まったような空間。机から転がり落ちたメイク用具が床と接触する軽い音が、世界が壊れていく音と重なる。


 ああ。


 もう、無理だ。


「すみません。今まで隠していて」

 あまりにもあっさりと、昴琉の口から言葉が出る。足掻くための言い訳も、言おうという考えさえ浮かばなかった。昴琉は、いつも通りの笑顔で微笑んで言った。


「僕、もう辞めます」

次の話は、7月26日(土)の22時半ごろに投稿する予定です。

よろしくお願いします。

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