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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第6章 求められるもの
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    迫る影④

 藍代がいなくなってから、三日が経過した。


『藍代のことについて話し合いたいから、来れる人は明日の朝、食堂に来てほしい』


 昨晩グループチャットに送られてきた、勝元からのメッセージ。それに従い、翌朝食堂に集まったのは、藍代を除いた九名の参加者だった。


「なあ、天瀬」

 席に座ることもなく、落ち着かないまま部屋の隅に集まった後、勝元は早速天瀬に尋ねた。

「結局あれから、藍代は一度もここに来ていないのか?」


「うん」

 天瀬は頷いた。

「あれから一回も見てないよ。荷物を取りに来た様子もなかった」


「私も一度も見かけてないよ」

「ルリもです」

 偶然居合わせて話し合いに参加となった葵とルリも、順にそう答えた。『家』に住んでいる天瀬と、管理をしている葵やルリが揃って見かけていないとなれば、藍代はあれから一度もここに来ていないのだろう。


「そうか……」

 勝元が深刻そうな顔でつぶやいた。他の皆も、同じような表情で俯いている。

 あれからまだ三日だけれど、もう少し待てばもしかしたら、なんていう楽観的な可能性を口にすることは誰もできなかった。


「このままプロジェクトから離脱するってことは、さすがにない、よね?」

 櫟依が歯切れ悪く言った。それに対して、桜草樹は首を横に振った。


「初日に渡された規約には、途中で棄権することは基本的にできないと書かれていました。ですので、会社側としても許可できないような気もしますが」

「え、そんなのあったんだ」

「読んでいないのですか?」


 桜草樹がジトっとした目で櫟依を見た。実は読んでいなかった柚も、突然の流れ弾にドキリとする。そんなことが書いてあったなんて知らなかった。


「だって、断ったり逆らったりする考えなんてなかったし――」

 視線をスッと横に動かしながら、櫟依は慌てて言い訳をした。そしてその途中で、五科工業側の人である葵の存在に気づき、さらに慌てた顔をした。


「あ、これはその……」

「いいの。みんながほとんど拒否権なく参加することになったのは、何となく分かってるから」

 葵は穏やかにそう言うと、少し申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんね。実は私、このプロジェクトについてはあまり知らないの。誠司(せいじ)くんやきぃちゃんが何をしていて、それに何の目的があるのか、全く知らない。多分、知っている情報はみんなとそんなに変わらないと思う」


「そうだったんですね」

 勝元が驚いた声を出した。


 柚も驚いて、葵のことを見つめた。今まで、社長からも景山からも信頼されているであろう葵は、ある程度の情報を知らされたうえで『家』に呼ばれたのだと思っていたのに。


「でも、葵さんも協力はしているわけじゃないですか。詳しく聞こうとは思わないんですか」

「そうね……」

 葵は、静かにつぶやいた。そしてすぐに、少し眉を下げて微笑んだ。

「私が関わっていいことじゃないような気がするから」

 そう言った葵の笑顔は、とても寂しそうだった。


 そのとき、扉の開く音が聞こえた。現れたのは、タイミングの良いことに、景山だった。


「皆さん、おはようございます。藍代さんのことについてお伝えしたいと思います」


 柚たちの近くで立ち止まった景山は、何の前置きもなく唐突にそう切り出した。皆の空気が一瞬で緊張したのを確認すると、あまり良くないニュースについて読み上げるアナウンサーのように、彼女は明瞭な声で淡々と告げた。


「突然ですが、保護者の方の要望により、藍代さんは昨日をもって、この『特別プロジェクト』の参加を取りやめることになりました」


「えっ」

 驚きの声が、綺麗に揃う。


 柚は、信じられない気持ちで、涼しい顔で皆の注目を浴びる景山を見つめた。


 底の見えない人だから、嘘を言っている可能性もある。何かを試されているのかもしれない。けれど景山には、こちらの反応を窺うような雰囲気は見られなかった。それに、先ほど考えてしまった可能性だということもあって、疑うことはできなかった。


 参加の取りやめ。

 まさか、本当に。


「藍代さんが知る皆さんの秘密については、外部に漏れることのないよう徹底しますのでご安心ください。引き続きご協力の方を――」

「ちょっと待て」

 こちらの反応に構わず淡々と続ける景山に、中梛の苛立った声が重なる。


「今まで、こっちの人生に関わるような情報を探って掴んで、脅してまでここに誘い出して、そのくせやめるのは簡単に許すのか。どういうつもりだよ」


「それに関しては申し訳ないとは思っています。ただ、皆さんもご存じの通り、このプロジェクトはかなりグレーですので、もしこの存在を公表されるようなことがあれば、私たちは本当に終わりです。今回の場合、相手はあの藍代さんの母親ですから、なおさら下手な行動はできないでしょう」


「そうかもしれねぇがよ」

 中梛は、鋭く景山を見据えた。

「てめえらも藍代の弱みは握ってるわけだろ。今まで俺らに対して散々やってきたように、上手いこと交渉しようって気はないのか?」


「可能かもしれませんが、こちらも危ない橋は極力渡りたくないのです。ご理解ください」

 取り付く島もない景山の様子に、中梛はぐっと黙り込んだ。その顔が、悔しそうに歪む。


「見過ごすのかよ、あれを」

 奥歯ですりつぶしたような言葉は、彼の、そして参加者皆のやるせない感情を色濃く滲ませていた。


「……そうですね」

 しばらくじっと中梛を見つめていた景山が、ふと口を開いた。


「私たちは、もうこれ以上は動けません。それでもどうにかしたいと思うならば、皆さんでどうにかしてみてください。大切なお仲間を、連れ戻してあげてください」

 人任せで雑な激励を投げかけて、景山は恭しく頭を下げた。


「では、私はこれで。失礼いたしました」

 そう言うと、景山は、柚たちに視線を向けることもなく、すたすたと部屋を出ていった。


「どうする?」

 景山の姿が見えなくなってすぐに、勝元が、どうすればいいか分からず戸惑う皆をぐるりと見回した。

「藍代のこと、助けに行くか?」


 助ける。

 いなくなった藍代を、連れ戻す。


 ざわりと空気が動く。皆、周囲を見回してお互いの顔を見合った。


「私は反対です」

 まず初めにそう言ったのは、桜草樹だった。


「それぞれの家庭ごとに、それぞれの事情があります。その外にいる私たちが、軽はずみに手を出していい問題ではありません。上手くいかなかった場合に一番損をするのは、私たちではなく、藍代さんです」


「俺も、助けに行くのはお互いにとってリスクが高すぎるような気がする」

 櫟依も桜草樹に賛同した。

「相手も相手だから、俺たちが関われる世界の話じゃない気がするし」


「でも、藍代くんにとって元の環境が良いものとは思えないよ」

 二人の反対意見に対して、普段あまり意見を言わない創が、珍しく声を上げた。

「外に知られにくい家庭のことを、こうして外側の僕たちが気づけたんだから、介入する選択肢もあると思う」


「結果的に、藍代さんの家庭を変に壊してしまうことになっても、ですか」

「……うん」

 少し迷った後、創は目を伏せて頷いた。それは、質問の答えに対する迷いというよりも、これを口にしてしまうことに対する迷いのような気がした。


 迷った末、創はそっと目を伏せて言った。

「気づかず放っておいても、壊れるときは壊れるから」


 ずきりと胸が痛む。柚は、同じように目を伏せて、そっと創から視線を逸らした。


 視線を動かした先で、三ツ花と目が合う。柚の視線を受けて、意見を求められていると捉えたのか、三ツ花は躊躇いがちに口を開いた。


「私も、あのままではいけないとは思います。でも」

 不安そうな三ツ花の目が、柚をじっと見つめる。

「本当に、私たちでどうにかできることでしょうか」


「……」

 皆、黙り込むしかなかった。


 今柚たちがやろうとしているのは、言ってしまえば他人の家庭事情に首を突っ込むことだ。藍代を、勝手に母親から引き離そうとしている。その先の責任なんて、柚たちには取れないというのに。


 それに、一般人とは違う世界で、違う常識をもって生きてきた権力のある人に、何の力もない普通の子どもが楯突いたところで、何か変わるのだろうか。余計場をかき回してしまうのではないだろうか。


 俯いた頭がズンと重い。自分たちの無力さと手詰まり感が、どろどろと皆の肩にのしかかっているのが感じられた。


 そんな中、呆れたようにため息を吐くのは、またしても中梛だった。


「考えたって仕方ねえ。まずは藍代に話を聞くべきだ」

 沈んだ顔の皆を見回して、一切の迷いなく、中梛はそう言った。


「助ける助けないは別として、まずあいつの気持ちを聞く。それで、助けてほしいっていうなら全力で助ける。いらねえなら身を引く。まずはそこからだろ」


「……そうだな」

 さっぱりした中梛の答えは、今の空気の重さを蒸発させていくようだった。中梛の言葉に、勝元が頷いた。


「中梛の言う通りだ。藍代の問題だから、あいつの話を聞かないと始まらないよな」

 皆、しっかりと頷いた。柚たちが考えていたって仕方がない。これは、藍代の問題なのだから。


「天瀬は、藍代の家を知ってるんだよな」

 勝元が天瀬に尋ねた。


「知ってる、けど」

 覚悟の決まった表情が並ぶ中、一人暗い顔をした天瀬が、逃げるように勝元から顔を背けた。握られた拳に、力が入る。


「ごめん、オレ」


 震えた声。


「オレ、昔一回、失敗してるから……」


 それは、今まで聞いた天瀬の声の中で、一番弱々しい声だった。


 後悔に満ち溢れて、今にも泣きだしそうな表情。それを見ていると、どうしようもない気持ちになった。


 藍代の母親が来るのを恐れていたこと。ひどい状態の藍代を見かねて、二人でプロジェクトの参加を決めたこと。そして、互いに『司者』だという秘密を明かしていたこと。おそらく、天瀬はずっと、一人で藍代の問題に踏み込んで、一人で立ち向かってきたのだろう。


 ずっと、たった一人で。


「天瀬くん」

 気づけば、柚は天瀬の正面に移動し、彼と向かい合っていた。


「ユズ」

 微かに驚いた目が、こちらを向く。柚は、天瀬を見つめながら、彼の隣にいたはずの藍代の言葉を思い出す。


『これ――良いと思う?』


『自分がどう振る舞うべきなのか。どんな言葉を選んで、どんな行動をするべきなのか、まだ、自分でもよく分かっていなくて』


『話そうと思ったのは、烈と同じ。僕も、そっち側に行きたいと思ったから。ずっと接しにくい人のままでいたらダメな気がしたから。だから、みんなに伝えたいと思って』


 彼が語った言葉の一つ一つ。すべて、『藍代昴琉』ではなくなった彼から出た言葉。それが本心だと、柚は信じたかった。彼のためにも、そして天瀬のためにも、信じないといけないと思った。


「私も、藍代くんに会いに行きたい。会って、直接話を聞きたい」

 揺れる天瀬の瞳を真っ直ぐに見つめて、柚は言った。


「大丈夫。今度は一緒に、助けに行きたい」

「……」


 見開かれた目の中心で揺れる瞳が、ちらりと光を反射する。天瀬の表情が、次第に安心したような泣き笑いの表情に変わる。


「……分かった」


 ニコリと柚に笑いかけて、天瀬は力強く言った。


「スバルに、会いに行こう」

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