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第3話 参加者と従業員①

 翌日、柚たちは再び『家』に向かった。腕時計を受け取るため、全員がロビーに集まっている。


「すごいよ、腕時計もらっちゃった。うわー、一度でいいからこうやってつけて見たかったんだよね。大人って感じがする。格好いい」


 柚が腕時計を付けた左腕を掲げてはしゃぎまくっていると、凪沙が生暖かい目で見てきた。


「柚、小学生?」

「違うよー。普通に感動したんだよ」


 柚はもらったばかりの腕時計の表面をそっと撫でた。照明の光を受けてきらりと光って、うっとりと見つめてしまう。本当に格好いい。


 柚たちは今、チップが埋め込まれた腕時計を受け取りに来ていた。腕時計を元々持っている人はそれに入れてもらっていたけれど、持っていなかった柚には会社から貸してもらえることになった。


 腕時計は、革の白いベルトに銀の土台、白い文字盤に黒の針というシンプルで誰でも使えるようなデザインだった。数字は三、六 九、十二の四つだけが描いてあって、後の数字はメモリだけ。文字盤の右の方には、小さく日付もついていた。ちなみにこれは電波時計だそうだ。電波時計とか何かすごそうで興奮する。


 柚の中では、腕時計な高価なもので、テレビで見るサラリーマンとかのしっかりした大人がつけているものだというイメージがあった。だから、大袈裟に言えば、腕時計を持つことは柚の中ではちょっとした憧れだった。帰ったらみんなに自慢しよう。


 それにしても、この小さな機械の中に、身体の状態を測定できるチップが入っているなんて、最新の技術はすごいな。


 柚が腕時計を矯めつ眇めつしていると、凪沙に軽く肩を叩かれた。


「柚」

「ん? どうかした?」

「すごく見られてるよ」


 凪沙の視線が向く方を見ると、他の参加者たちの注目が柚に集まっていることに気が付いた。身体がカッと熱くなる。


 本当だ。私すごく目立ってる。


 やっぱりはしゃぎすぎたかな。大きい声を出してしまったかもしれない。絶対、見苦しいぞこの田舎娘が、って思われた。柚は苦笑しながら、腕をそっと身体の後ろに隠す。


「突然黙ることもないと思うけど」

「いや、普通に恥ずかしいよ。あんまり目立ちたくないし……」


 小声でそういう凪沙に、更に小さな声で答える。二日目から変な印象が付いてしまいそうで、本当に恥ずかしい。そして、さっきから視界の端にいる、必死に笑いを堪えている勝元が気になって仕方ない。そんなに笑うことないのに。


 と、ふと天瀬と目が合った。心臓が激しく身体の内側を打つ。

 まずい、チャラそうな人と目が合ってしまった。


 目を逸らすと後々酷い目に遭いそうな気がしたため、気まずさに耐えつつ目を逸らさないでいると、天瀬は突然吹き出した。


 え、何か私変なことした?


 戸惑う柚に、天瀬は笑いを含んだ声で言った。


「いや、おもしろいなって思って。ごめんね」


 そして、人懐っこい笑顔を向けると、天瀬は柚から視線を逸らした。

 あ、やっぱりチャラい人だ、と柚は確信する。


 パリピな男子は、柚のような人付き合いに慣れていない人をからかうために、優しくて甘い声を出すことがある。けれどその言葉には、大体自分がその人で遊んでいるという優越感と余裕と少しの侮蔑が滲み出ていることが多い。今のはそれと似たようなもののようにも感じたし、そうでもないようにも感じた。


 取りあえず、ああいう雰囲気の人は、自分とはあまり縁のない人だ。天瀬の他にも、柚とは縁がなかった雰囲気の人は数人いる。なるべくその人達と関わらないようにしようと、柚はひそかに心に決めた。


 悶々と考えていると、創が歩いてくるのが見えた。その手首に巻かれているものが、他の人とは違うのに気が付く。


「あれ、リストバンドなんだね」

 凪沙が柚の思っていたことを言った。創の手首には、腕時計の代わりに、スポーツ選手などがつけていそうな、でもそれよりもシンプルな色合いの、太めのリストバンドだった。


「うん。特別に作ってもらったんだ」

 創は袖をまくって、柚たちにリストバンドを見せた。


「腕時計、買ってもすぐに壊すから元々持っていなくて、柚みたいに貸してもらったとしても多分すぐに壊しちゃうから、何か壊れない他のもので代用できないか相談したら、これにしてくれた」


 そんなこともできるのか、と少し驚く。創にとって、腕時計は不都合だ。それにすぐに対応できるところに、大企業の力が現れているのかな、と思う。創の細い手首に巻かれたリストバンドは、とても創に似合っていた。


「へー、良いね。似合ってる」

 近くに来た勝元が言うと、創は「うん、良かった」と柔らかく笑った。そして、サッと袖を元に戻した。


「気に入ってもらえましたか?」


 後ろから落ち着いた声がした。振り返ると、すぐ後ろに景山が立っていた。


「はい。とても良いです。無理な相談に応えてくださってありがとうございます」

 創が天使スマイルを浮かべて言った。眩しい。くらくらする。


 これを真正面から食らったら、景山さんもやられちゃうかな。そう思って見ると、景山の表情は少しも変わっていなかった。思わず感嘆の声を挙げそうになる。大企業の社長秘書となれば、このくらいのダメージなんてどうってことないくらい冷静沈着なのか。


「……」

「……」

「……」

「……?」


 返事が、ない。


 景山は、じっと創を見つめたままだった。創の顔が、どうしよう、怒らせたかもしれない、と青くなる。奇妙な沈黙がその場に満ちた。


「……いえ、全く問題ありません。お気になさらず」


 長い沈黙の後、ようやく景山が口を開いた。怒った様子はない。


 全然大丈夫じゃないな、景山さん。

 しっかり敗北していた。


「あなたをここに招いたのはこちらなので、精一杯対応させていただきます。当然のことをしたまでです。今回は事情が事情ですからね。そう気にすることもありませんよ」


 そう言うと、景山は、持っていたファイルから四枚紙を抜き出した。


「参加者の名簿です。無いと何かと不便だと思うので、一人ずつに配っておきます」


 景山が、紙を順に手渡していく。柚はそれを、軽く会釈して受け取り、そこに並んだ文字に目を通した。


 名簿は、男女別で五十音順に並べられているようだった。名前と、そのフリガナが書いてある。



『藍代昴琉  アイシロスバル 

 蒼柳創   アオヤギツクル 

 赤羽勝元  アカバカツモト 

 天瀬烈   アマセレツ   

 櫟依崇史  イチイタカシ  

 中梛紫   アツナムラサキ 

 入月凪沙  イリツキナギサ 

 桜草樹一華 オウカヤナイチカ 

 白葉柚   シロバユズ   

 三ツ花穂乃 ミツハナホノ 』



 十人分の名前を眺めながら、こんな字を書くのか、と柚は感心した。口頭で聞いただけだったから、漢字で見るのは初めてだった。


 それぞれの漢字とフリガナを見ていると、ふと違和感を覚えた。


 中梛くんの位置がおかしい。

 『中』の字を『なか』と読んでしまったのだろうか。確かに、漢字だけで見れば、間違えてしまいそうだ。


「あの、景山さん」

「何ですか」

「あの、中梛くんの位置、間違ってませんか?」

「中梛くん、ですか」


 景山は不思議そうな顔で柚の手元の紙を覗き込んだ。そしてすぐに、ああ、とため息に近い嘆きの声を上げた。


「そうですね。直しておきます」


 景山は柚たちに背を向けて歩き出した。


「まったく、社長はこういうところがダメなんですよ」

 不機嫌そうにぶつぶつと呟く景山。その背中に、柚は恐る恐る声をかけた。


「あ、あの……」

「はい、何でしょう」


 景山は何事もなかったように、きりっとした顔で振り返った。切り替えが凄い。


「あの、この紙返した方が良いですか?」

「ああ、そうですね。忘れていました」


 景山は、柚たちに配った分の名簿を回収した。他の人たちにはまだ配っていないようだった。


「また修正してお配りします」

 柚たちにそう告げると、景山は、「皆さん」とその場の全員に、よく通る声で呼びかけた。


「本日はこれで終了です。任意のアルバイトは明日から始めますので、希望する人は明日の八時にここに集合してください」


 そう言うと、景山は『家』を出ていこうとした。そのスーツの裾を、近くにいたルリがぐいと掴んだ。


「何ですか、ルリさん」

 微かに驚いた表情を浮かべる景山に、ルリは精いっぱい背伸びをして顔を近づけると、目を爛々と輝かせて言った。


「歓迎パーティーですよ」

「……何ですか」

「だから、パーティーをするですよ。皆さん、この後やることないんでしょ。解散するんでしょ。なら、今からルリが用意しますよ。親睦を深めるのですよ。社長も、今後のためにみんな仲良くできると良いって言ってたじゃないですか」


 飛び跳ねるようにかかとを上げ下げしながら、ルリはキラキラをまき散らして景山を見上げる。眩しそうに目を細めながら、景山は答えた。


「いいですよ。頑張ってください」

「え、景山さんも参加するですよ」

「しませんよ。会社に戻らないと」

「でも、どうせ暇ですよね」

「はい?」


 キレ気味でルリを見下ろす景山。切れ長の目が鋭く光る。かなり怖い。


「いいですよね、いいですよね」


 それにも臆さずキラキラを飛ばし続けるルリ。違う意味で怖い。


 両者のにらみ合いが、しばらく続いた。柚たちはハラハラとその様子を見守る。


「……分かりましたよ」

 根負けした景山が、大きくため息を吐いた。


「ただし、少しだけですよ。社長も待っていますし。まあ別に放っておいても構わないとは思いますけど」

「ホントですかあ」


 ルリの顔がぱあっと明るくなった。見ている人が思わず微笑んでしまいそうなほどあどけない笑顔だった。


「それじゃあ、今から準備しますね。準備って言ってもちょっとした料理しか出せませんが、いいですよね。気分だけでもパーティーで来てください。十分くらい経ったら食堂に集合です。待っててくださいね」


 頬をピンクに染めたルリは早口でそう言うと、パッと食堂の方に駆けていった。それを柚たちは、ほっと息を吐いて見守った。

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