『道』④
「まさか、あんなところでこの四人が揃うことになるとはね」
凪沙が柚の隣で、頬杖をついたまま言った。柚もそれに「だよねー」と苦笑いを返す。机を挟んだ向かい側に座っている勝元と創も、柚と同じような表情を浮かべていた。
あの後、柚たちは一度自宅に戻った。そして、改めてここ――柚の家のリビングに集まっていた。もちろん、今日あったことについて話し合うためだ。
「それにしても、この四人で集まるのって、まあまあ久しぶりだよな」
勝元がしみじみとした口調で言った。それに、凪沙が頷く。
「前会ったのは、お正月だったっけ。初詣か何かでちょっと会ったくらいだけど。ちょうど三か月くらいだね」
もうそんなに長いこと会っていなかったのか、と柚は少し驚く。
小学生の頃は、毎日のように放課後に集まって遊んでいたけれど、勝元と凪沙が中学に入学した頃から、その回数は急激に減った。高校生になった今では、四人ともがそれぞれ違う高校に通っているのもあって、全員が揃うのは年に数回程になってしまっていた。個人で会ったり、連絡を取り合ったりしていたけれど、こうして四人とも集まるのは久しぶりだった。
すぐ近くに並んだ、三人の顔。大好きだったあの頃の懐かしい感覚が、身体の奥底でうずいた。何だか嬉しかった。
「創、またちょっと背が伸びたよね」
柚が声をかけると、創は嬉しそうに笑った。
「うん、最近やっと伸び始めて」
「じゃあもう少しで私の身長も超すかな」
凪沙がからかうように言う。創は困ったように頬を掻いた。
「うーん、どうだろう。一応それが目標だから、達成したいなあ、とは思ってる」
「目標低いね。私、特別背が高いわけじゃないよ」
「そんなことないよ。今の目標としては十分だと思う」
「そっか」
凪沙が柔らかい笑顔を浮かべる。凪沙のこういう顔のせいで、柚の「かわいい」の基準や価値観は狂ってしまったのだと思う。目が肥えた。
「俺は、創はこのサイズのままでもいいと思うよ」
創の頭を、勝元がくしゃりと撫でた。確かに、創にでかくなられても困る、と柚は心の中で同意した。
「おー、楽しそうだねえ」
キッチンの方から、グラスを乗せたお盆を持った蓮人が歩いてきた。机の前まで来ると、それぞれの前に、丁寧な手つきでグラスを置いていく。
「水しか用意できないけどごめんね」
「いえ、ありがとうございます」
勝元が軽く頭を下げた。
「わざわざこんなところまで来てもらってごめんね。ここ山奥だし、みんなの家からは少し離れているのに」
「気にしないでください。蓮人さんとも話しておきたいと思ったので」
役目を終えたお盆が、机に静かに置かれる。蓮人は、勝元の言葉に頷くと、一番手前のイスに腰かけた。
「じゃあ、本題に入るけれど」
蓮人が真剣な顔で、柚たち四人を見据えた。
「五科工業の、対象者が抽選で選ばれる『特別プロジェクト』。それに四人全員が選ばれた、ということだよね」
柚たちは、皆大きく頷いた。
「私たちの他にも、元々知り合いの人もいるみたいだよ」
柚は、あの印象が強すぎる二人の顔を思い出しながら言った。藍代と、確か、天瀬、といったような気がする。
「研究内容とその他の仕事、寮の説明については、この資料に書いてある通りだよね」
蓮人が、机の真ん中に置かれている配布資料を指さした。柚は頭を縦に振る。
「じゃあ、ここに書いていないことで、今日の様子とか、詳しく教えてくれないかな」
その言葉に対して、まず口を開いたのは勝元だった。
「集められたのは、色々な場所から来た高校生十人。柚がさっき言ったことを除けば、集められた人たちに共通点はなさそうでした。当日の流れとしては、まず五科工業本社ビルでこの資料の内容の説明があって、その後、寮に移動して、メイド服の女の子に寮内を案内してもらって、『道』の設定をして、解散でした」
真面目なトーンの話の中で、「メイド服の女の子」の違和感がすごい。
「『道』っていうのは?」
蓮人が首を傾げる。流石に魔法のことは大っぴらにできないからか、資料の中には「特別な技術での移動」と記載されているだけで、『道』の詳しい説明は書かれていなかった。
「寮と自宅との間の空間を、一瞬で移動することができる扉みたいなものです」
勝元が険しい表情を浮かべた。その瞬間、蓮人の表情が固まった。徐々にそれは、驚愕の表情へと変わっていく。
「それってつまり」
引きつった声が、蓮人の喉の奥から絞り出される。
「魔力を使っている、っていうこと?」
机の上に置かれたグラスの氷が、カラン、と音を立てて揺れた。
咄嗟には、誰も、声を出すことができなかった。息を吸うことででも壊れてしまいそうなほど緊張した空気。自然と、『道』の説明を初めて受けた時のぞっとする感覚が背中に蘇った。
「……社長は、魔法使いの転移魔法の技術を利用したものだと言っていました」
ややあって、勝元が口を開いた。
「それに、その『道』を管理する魔法研究者の話によると、魔力を『道』のような技術に応用することは、一部の相当優秀な研究者にしかできないそうです。詳しい説明などは、特になかったですけど」
「そっか。なるほどね」
蓮人は、机の木目をじっと見つめていた。
「実際に、『道』を使って帰ってきたんだよね。どんな感じだった?」
「話通り、本当に一瞬で目的地に行くことができました。身体にかかる負荷も、異変も、特になく。使ったことないし見たこともないから分からないけれど、多分、本当に転移魔法の技術が使われているんだと思います」
勝元が、グラスの表面に付いた大きな水滴を、人差し指で撫でるようにすくい上げた。指先で形を歪めた水滴は、バランスを崩したようにポロリと零れて、机の上で弾けた。
「……俺たちは、魔法の研究や実験のために呼ばれた、っていう可能性もありますよね。本当の研究目的は魔法の利用で、俺たちがそれの実験台になる、とか。そうだとしたら、あれだけ報酬が高いのにも説明がつく気がします。危険だし、不確定なことだから」
「その可能性は高い、ような気もするけれど」
蓮人は、考え込むように顎に軽く手を当てた。
「そうすると、わざわざこの四人を集めた理由がよくわからない。全国の高校生の中から選ばれるにもかかわらず、この四人が一人も欠けることなく選ばれたことからして、何か意図や基準があるだろうとは思う。けど、四人全員が同時に満たすような条件なんて、T市に住んでるってことくらいだし……」
「でも、T市に住んでることが重要になるなら、参加者全員T市から選べばいいですよね。そうしないっていうことは、確実に俺たち四人を狙って選んだことになる」
確かにそうだ。この四人が選ばれたことが偶然だなんてこと、万に一つだってあり得ない。
勝元が言ったことと、今日、他の参加者たちと話したこと。それらを考えると、柚たちがかなり危険な立場にあることは確実なようだった。
蓮人が、今までずっと静かに話を聞いていた凪沙に目を向けた。
「凪沙ちゃんはどう思う?」
声をかけられることを予想していたのだろう。凪沙は、少し姿勢を正すと、戸惑うことなくすらすらと話し始めた。
「魔法を利用しようとしているのは本当だと思います。その実験台で私たちを意図的に選んだことも十分あり得る。まだ分からないけれど、他の六人も何らかの条件を満たした人たちが意図的に集められたんだと思う。見た限り、共通点は無いみたいだけど、実際関わってみないことには、何とも言えないです」
凪沙は、柚たちのことを見回して、「それに」と続けた。
「それに、『厳正なる抽選』なんて明記してたくせに、私たちが知り合いだって他の参加者に話すのを止めることもしなかった。当然、誰もがそこで会社への不信感を抱くはずなのに。それでも余裕があるのは、参加者が会社に素直に従って『特別プロジェクト』に参加する、っていう自信があるからとも捉えられる」
「脅してるみたい、ってやつか」
「うん。向こうはこっちの情報を持っていて、かつ進んだ魔法の技術を持っている。参加を拒否したらどうなるか、分からない」
目を伏せて、凪沙は言った。
「ただ、それが悪用されるとも限らない、とは思ってます。もし悪用するつもりだとしたら、もっと徹底的に『特別プロジェクト』や『道』のことを隠すだろうし、何だか今の隠し方だと中途半端のように感じる。勝元も会社で話したときに言っていたけど、あれだけの大企業だから、わざわざ危険な橋を渡ることもないと思う。社長や景山さんの立ち振る舞いに、やましいところもなさそうだし」
凪沙の指が、グラスの表面をそっと撫でて、線を描く。
「まあ、不安がないわけじゃないけど、今のところは従っておくのが一番危険もないんじゃないかな、とは思ってます」
滑り落ちる水滴でできたグラスの線が徐々に枝分かれしていく様子を眺めながら、柚は少しだけ、力を抜いた。
その時、スッと隣から手が伸びてきた。その手が、膝の上に置かれた柚の手に触れる。慌てて隣を見ると、凪沙と目が合った。力を抜いた指先に、ぎこちない疲労が残っている。無意識に、柚は掌を固く握っていたみたいだった。
「心配することないよ」
凪沙は、今までの発言に続くような雰囲気でそう言った。その声は、いつもの凪沙の声よりも固いように聞こえた。
凪沙も、不安なのかもしれない、と柚は思った。意図的に用意された、危険かもしれない場所に自ら足を踏み入れなければならないのだから、当然だ。それでも、凪沙のその言葉は、柚にとってはとても心強かった。
「うーん、そうだよね」
そう言うと、蓮人は大きく息を吐き出した。
「凪沙ちゃんの言う通りなんだよね。参加してもしなくてもリスクはありそうだし、判断材料も少ないから、何かを断言することだってできない。危険のないことを信じたいけれど……」
蓮人と、はたと目が合う。反射的に柚は背筋を伸ばした。
「柚は? どう思う?」
「……どう思う、って?」
蓮人の瞳の黒が、真っ直ぐ目に飛び込んでくる。
「どう思う、っていうよりも、どうしたい、って言った方が良いかな。ちゃんとしたことは全く分からない状態だけど、柚は本当にこれに参加する?」
「私は……」
手に触れる凪沙の手が温かい。柚は目を逸らさないまま、答えた。
「私は、参加するよ」
蓮人の瞳の表面が、微かに揺れた。柚は無意識に、身を少し乗り出した。
「参加しても参加しなくても危険があることは分かってる。それなら、なるべくこの家の助けになる方を選びたい。それに、この三人がいるから大丈夫だよ」
柚は幼馴染三人を順に見回した。三人は、それに応えて力強く頷いた。
少し息を吸い込んだ後、蓮人は、ふっと表情を和らげた。そして、気が抜けたように、背もたれに軽く体重をかけた。
「分かった。ありがとう」
そう言って、蓮人は困ったように笑った。いつもの笑顔。それに柚は少し驚く。
「いいの?」
思わず聞くと、蓮人が軽く笑った。
「いいの、って何?」
「え、だって、もっと反対するかと……」
普段なら、学校の行事やちょっとした外出でも、こっちが心配になるほど心配して、本当に大丈夫か、何かあったらこうしろ、なんて口うるさく言うのに。今回は、参加せざるを得ない、といった感じではあるけれど、それでも何も言ってこないのは意外だった。
どういう風の吹き回しだ。何か変なものでも食べたのだろうか。
表情から柚の考えていることを察したのか、蓮人が苦笑する。
「反対しないよ。柚が決めたことだし、それも僕たちを思っての決断だし。正直、ありがたいと思ってる。それに、柚が言った通り、この三人もいるから」
蓮人は、柚との会話を静かに聞いていた三人に目を向けた。その視線に、三人とも微笑んだ。
「ありがとう。お兄ちゃん」
柚は蓮人に笑いかけた。蓮人も優しく笑った。
「柚なら大丈夫ですよ。任せてください」
勝元はそう言った後、真面目だった顔つきを突然崩した。
「でも、本当はめちゃくちゃ心配なんじゃないですか」
「……そうだよ」
ぽそりと呟くように、蓮人は言った。どこか気迫のある声に、柚は思わずゾッとする。蓮人は俯くと、頭を抱えた。
「心配だよ心配に決まっているじゃないか。何か危険なことに巻き込まれるかもしれないんだ。柚に何かあったらどうする。辛い思いをしたらどうする。本当はこんなことに参加するなって誰が何と言おうと全力で止めたかったよ本当は」
ノンストップで口から流れ出る言葉。通常運転だった。
「それにしても」
蓮人は頭から手をどけて、顔を上げた。切り替えが早すぎる人だ。
「僕はどちらかというと、柚よりも創くんの方が心配だよ。さっきは勢いで『この三人がいる』なんて言ったけど、創くんは本当に参加するの? 創くんなら、断ろうと思えば断れそうな気もするけど」
「それは俺も思った」
勝元が創の方を向いた。突然話題の中心となった創は、虚を突かれたような顔で、目を瞬いた。
「全然情報もない不確かな誘いで、場所は遠く離れた都心。家が経済的に厳しいわけでもないし、外出だって避けてきただろ。それなのに、わざわざ電車を使ってまで五科工業に来たってのが、なんか意外だった。よく決断したな」
柚は、五科工業で会った時の、青白い創の顔を思い出した。不運体質の創は、周りの人に迷惑をかけないようにと、極力外出を避けるようにしていた。公共交通機関だって、小学校低学年の頃から一度も利用していなかっただろう。案の定、電車は事故で遅れ、創は自分に責任を感じているに違いない。
「うん、迷ったけど、まあ、何というか」
創は、スッと視線を逸らした。口を開きかけて、また閉じる。その先の言葉はなかなか続かなかった。
「……ねえ、創」
凪沙が表情を少し険しくして言った。
「招待状をもらったとき、何て言われたの?」
「あ、いや、えっと……」
創の目元が、サラサラの前髪で隠れる。
「これといったことは、何も……」
「招待状、やっぱりスーツの男の人が届けに来たんだよな」
勝元も創に尋ねた。
「俺が受け取ったときは、中梛くんが言ってた通り、脅しというほど強くはなかったけど忠告された。後悔することになるだろう、って」
「勝元くんも?」
柚は驚いて言った。状況は、柚の時と同じようだった。
「私も言われた。後悔するだろうって。じゃあ、凪沙ちゃんも?」
「うん、私も同じような感じ。怪しい雰囲気の男の人が、家の前で待ってた」
凪沙は答えると、もう一度、創に質問した。
「創は、何て言われた? 何で参加することを決めた?」
凪沙が創の顔を覗き込むようにじっと見つめる。創は、少し間を開けてから、口を開いた。
「僕も同じような感じだよ。後悔するだろう、って」
創は顔を上げて、穏やかな笑顔を見せた。
「ただ、それだけだよ。それで、実際に行ってみたら三人がいたから、じゃあ、参加しようかなって。それに、みんなが言ってたみたいに、断ることで危険なことが起こって、家族に迷惑かけることになるのも嫌だから」
「……そっか」
凪沙がため息を吐くように言った。創の顔を上目遣いで見て、黙り込む。勝元も、何か喉につかえているような納得のいかない顔をしながら、それ以上何も言わなかった。
記憶の隅で、あの日の光景がパッと弾けた。四人の中の、痛い記憶。
ああ、ダメだ。私たちは何も変わっていない。
「……じゃあ、四人とも参加するってことだね」
蓮人が暗くなった空気の中、努めて明るく言った。救われたような気持ちで、四人は大きく頷いた。
「もしも何か危険な目に遭ったり、気になることがあったりしたら、必ず僕や周りの人に相談するようにしてね。創くんも、何かあれば、朔也に相談すると良いと思う」
蓮人は、四人の目を順にしっかりと見つめた。その言葉が、何よりも心強かった。
柚は、まだ口をつけていないグラスの水を一気に飲み干した。喉を通った水は爽やかだった。
と、その時、玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー。ってあれ、お客さん? 三人来てる……え、ちょっと待ってちょっと待って、え、嘘でしょマジで? うわお、ひょえー」
変な鳥のような奇声と共に、老朽化したこの家の廊下を突き破らんばかりにどたどたと足音が迫ってくる。ピンと張った緊張の糸は切られ、部屋にいる五人の顔が諦めたような表情を浮かべた。
ああ、嵐が来た。柚は凪沙と目配せすると、机の上のグラスをもって立ち上がり、静かに部屋の隅に避難した。
それと同時に、吹っ飛ぶほどの勢いで部屋の扉が開いた。