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トレーシング・ユア・ワールド  作者: あやめ康太朗
第5章 存在意義とはずれくじ
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    アクセス②

「うわあ……」

 柚は、手元の通帳を凝視して、感嘆の声を上げた。


 このプロジェクトに参加してから初めての給料日。通帳には、アルバイトの先月分の給料と、そして、招待状に示されていた報酬の五百万円が記されていた。


「ええ……?」

 並んだゼロの数を、数えることもしないまま眺める。二か月ほどで転がり込んできた金額としては異常だ。実は柚の欲望が生み出した幻覚なのではないかと、かなり本気で思った。


「すごいね……」

 隣で同じようにゼロの並びを見つめている蓮人も、言葉を失っている。


 これだけの額が手に入ったのだから、本来は手放しで喜ぶべきなのだろう。脅されている立場だったから選択権はなかったとはいえ、『特別プロジェクト』に参加した理由には、この報酬もまあまあな割合を占めていた。だから、その報酬を手に入れられたのは、願ってもない状況なのだけれど。


「……」

 柚は、蓮人と無言で目を見合わせた。


 プロジェクトが始まって、まだ二か月。契約期間は一年。まだ、かなり期間は残っている。


 加えて、五科工業が柚たちの魔力のことを知っていることが判明してしまった。つまり、自分たちの命運をあちらに掴まれている状態のまま、残りの契約期間を過ごさないといけないということだ。


 五百万円。

 前払い。

 柚と蓮人の頬を、冷や汗が伝う。


 いよいよ逃げられない、という感じだった。


「ま、まあ」

 蓮人が引きつった顔で微笑む。

「結局、参加を継続する選択肢しかないわけだし、家計的にも前より余裕が出るのは確かだし、ここはありがたく使うことにしよう」

「そうだよね」

 柚も同じように微笑んだ。蓮人の言う通り、逃げることなんてできないわけだし、使えるものは素直に使うべきだろう。


「え、もう報酬もらえたの?」

 リビングの隅でこそこそと話していた柚たちに、百合が近寄ってくる。柚は持っていた通帳を無言で百合に見せた。それを見た百合の動きがぴたりと止まる。


「うぇ……」

 魂を通帳に抜き取られたような顔で、百合は目だけを動かして柚のことを見た。

「これ、本物?」

「うん」

「お姉ちゃんが書き足したわけじゃないの?」

 あなたの姉はそんな悲しいことをする人なのか。


「そっかあ。本物なんだ、これ」

 印字された金額を指でなぞって、百合はしみじみとつぶやいた。

「……本物かあ」

「本物だよ」

 あまりにも驚いた様子でそう繰り返す百合に、蓮人がクスリと笑った。そして、唐突に「よし」と力強く言った。


「せっかくまとまった金額が入ったわけだし、そろそろスマホを買おうか」

「本当に!」

 柚と百合の声が、一ミリもズレることなく揃った。


「ホントにいいの? ホントのホントに?」

 飛びかかるような勢いで、百合はずいと背伸びをして、蓮人のことを見上げた。目を爛々と輝かせる百合の様子に、蓮人は自然な笑顔を浮かべた。


「こんなところで嘘は言わないよ。ちゃんと買いに行こう」

「やったーーーーーー!」

 両手を突き上げて、百合は無邪気に飛び跳ねた。そのまま、「やったやった」と飛び跳ねながら部屋の中を移動し始めた。幼い子供のような喜び方に、蓮人が愛おしそうな笑顔を浮かべた。


「本当にいいの? お金かかっちゃうけど」

 百合ほどはしゃぐことはしないけれど、内心踊りだしそうな喜びを抱えながら、柚は蓮人に尋ねた。蓮人は、そんな柚の気持ちも見透かしているように、「いいよ」と笑った。


「ないのも不便だったし、いい機会だからね。それに――」

 蓮人はそこで、少し表情を引き締めた。


「これからは、世の中の情報を知っておいたり、何かあったらすぐに連絡を取れるようにしたりしないといけないと思ったから」

「あ……」

 蓮人を見ると、彼は弱々しく微笑んだ。


「前の連休のときのこと、後悔してるんだ。もしスマホを持っていたら、もっと早く桜草樹さんのことに気づけたかもしれないし、柚が魔力を使って倒れたときに、もっと早く駆けつけられたかもしれない」


 何気ない様子でそう語る蓮人の横顔は、桜草樹の事情に気づいたときのような、自分を責める雰囲気はなく、穏やかだった。けれど、きっと彼は、言葉通りずっと後悔し続けているのだろう。


「ごめんね、急にこんな話をして」

 蓮人は、先ほどの言葉をなかったことにするように、軽く笑った。


「柚も、凪沙ちゃんたちと連絡が取れなくて困ることも多かったんじゃない? これからは、何かあればすぐに連絡できるようになるよ」

「あ、そうだね」


 柚は頷いた。凪沙たちとの連絡手段があまりなくて困ったことは、『特別プロジェクト』でまた会うようになってから、かなりの頻度であった。創はスマホを持っていないから今までと変わらないけれど、凪沙と勝元にもっと簡単に連絡を取れるようになるのは、純粋に嬉しかった。


「ねえ、いつ買いに行くの?」

 舞いながら部屋を一周して戻ってきた百合が尋ねた。

「なるべく早めがいいよね?」

「早めがいい!」

 食い気味に答える百合。蓮人は「分かった」と答えた。

「じゃあ、今度の休みに行こうか」

「そんなにすぐでいいの?」

 花が咲くように、百合の顔がパッと明るくなる。


「絶対だよ。絶対今度の休みだからね」

 小さい子が親との約束を念押しするようなその姿は、普段からテンションの高い百合にとっても珍しいくらいに無邪気だった。本当に嬉しいんだろうな、と柚も思わず微笑んだ。


 スマホ、か。

 胸が高鳴る響きだった。皆が当たり前のように持っているあの機械が、ようやく柚の手元にも来るのだ。


 スマホがあれば、凪沙や勝元と、もっと頻繁に連絡を取ることができる。もっと、二人との距離が近くなる。安心感に似た喜びが、柚の心を満たした。


「これからは友達といっぱい連絡とれるんだよね」

 嬉しそうに、百合もそう言った。きっと、百合も柚と同じような感情を抱いているのだろう。


「SNSのアプリも入れたいなあ。みんなが写真投稿してるの、楽しそうでやってみたかったんだ。翠ちゃんの投稿もチェックしたいしー、動画とかもいろいろ見れるんでしょ。あとはあとは……」


 やりたいことを弾んだ声で列挙する百合に、蓮人が苦笑いをした。

「ほどほどにするんだよ」

「分かってるよ、大丈夫」

 大丈夫じゃなさそうな声で、百合は答えた。そして、「あー、楽しみ」とうっとりした表情でつぶやいた。


「あ、でもさ」

 興奮を少し落ち着かせた百合が、ふと柚のことを見た。


「スマホをゲットした後も友達出来なかったら、お姉ちゃん、スマホを持ってないことを言い訳にできなくなるね」

「……」

 そういえばそうだった。


「……別に、今までも言い訳にしてたわけじゃないし」

「……ふーん」

 じっとりとした目でこちらを見つめる百合から、柚はゆっくり視線を逸らした。


「結局、『特別プロジェクト』だっけ? そこに参加してる人たちとは友達になれたの?」

「いや、まあ、私にしては仲良くなれたとは思うけど……」

 柚は、参加者の皆の顔を思い浮かべながら言った。言ってはいけないことを曝け出しすぎていて、仲が良いとかいう次元じゃないような気もするけれど。


「じゃあ、その人たちと、ちゃんと連絡先交換するんだよ」

 じりじりと柚との距離を詰めてくる百合。圧がすごい。

「約束だからね」

「……分かった」

 柚は渋々頷いた。それを確認して、百合は満足げに頷いた。


「よし、これでお姉ちゃんの課題を一個解決できるね」

「課題……」

 私は、課題解決を課されているのか。


「そんな顔しないでよ。百合、お姉ちゃんのこと心配してるんだから。これからちゃんと生きていけるのかな、とか」

 大真面目な顔で言う百合。そんなことを妹に言わせてしまうなんて、なんて情けない姉なのだろう。


「それに、もう一個、解決できるかもしれないんだよ」

「もう一個?」

「そう」

 百合は、ビシッと柚を指さした。


「ズバリ、方向音痴をどうにかできるかもしれないのです」

「……」

 そんなわけないだろう。


「だって、スマホって、地図アプリがあるんでしょ。ただの地図じゃないよ。自分が今いる場所も、進む方向も教えてくれるんだよ。それがあれば、お姉ちゃんの方向音痴だって、解決はできなくても、改善できるかもしれないんだよ」


 柚の冷めた目に、百合は焦りながら言った。柚は、そっと首を横に振る。

「無理だよ、さすがに。だって私、小さいスーパーの中でも、慣れた通学路でも、家に帰る道でも迷うんだよ」


 皆から言われ続けたように、もはや一般的な方向音痴ではないのだ。今まで散々頭を悩ませてきた体質が、スマホごときに解決できてたまるか。


「今度試してみようよ。やってみないと分かんないじゃん」

 百合が、若干拗ねた顔をした。

「それで上手くいったら、お姉ちゃん、一人で好きなところに行けるようになるんだよ」

「それは、確かに嬉しいけど……」


 何となく、上手くいく気がしない。蓮人を見ると、彼は困ったように微笑んだ。


「大丈夫だよ。相手がどこにいるか分かるGPSアプリっていうのもあるんだよね。遭難しても助けに行けるよ」

「……そうだね」


 そこまで来たら、かなり末期な気がするけれど、柚はとりあえず頷いた。百合の言った通り、やってみないと分からないのは事実だ。


「楽しみだね、お姉ちゃん」

 にこにことそう言う百合に、柚は引きつった笑顔で「そうだね」と答えた。


 スマホが手に入ることは、ついさっきまであんなに楽しみだったのに、途端にプレッシャーになってしまった。柚は、密かにため息を吐いた。

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