狙われた命と護衛②
「ナイフを持った人に襲われた?」
勝元が驚いた声を出した。柚たちは、あの出来事が現実であったことを確かめ合うように顔を見合わせると、黙って頷いた。
あの後、無事『家』に戻ってきた柚たちは、先に『家』に戻って待っていた勝元と創の二人と合流していた。
「かなりまずくないか、それ。警察に連絡は?」
勝元が尋ねると、ようやく息を整えた桜草樹が、ゆっくりと首を横に振った。
「していません。中梛さんのおかげで、全員無傷ですし」
「それに、この状況で通報するリスクは高い。桜草樹さんが被害者となると、大ごとになりかねないし、『家』やプロジェクトのことも知られる可能性がある」
凪沙も、走って火照った顔を仰ぎながら言った。
確かに、桜草樹家の長女が被害に遭ったとなれば、大規模な捜査が行われてしまうかもしれない。そこでこのプロジェクトや『道』のことが知られてしまえば、魔法に過敏になっている今の社会情勢からしても、色々とまずいことになってしまう。
「誰も怪我してないのは良かったけど」
創が心配そうに眉をひそめた。
「その犯人、そのまま逃げたんだよね?」
「うん。中梛くんに阻止されて、すぐに逃げていった。凶器が手元になくなったのもあって、分が悪いと判断したのかもね」
凪沙が淡々と答えた。自分も桜草樹の手を引いて一緒に犯人から逃げたというのに、冷静な状況判断だった。
「ちょうど中梛がいて、本当に良かったな」
勝元がしみじみと言った。本当にその通りだ、と柚も思う。あのとき、偶然中梛が通りかからなければ、前の連休に起きた、会社での襲撃事件と同じ流れになっていただろう。
「犯人が桜草樹さんを狙っていたのは、確実なのか?」
「うん、間違いない」
凪沙が断定した。柚と三ツ花も頷く。
柚の目の前まで来た犯人は、襲ってきた瞬間からずっと、桜草樹のことだけを見ていた。だから、何も分からない中、それだけは明確だった。
「桜草樹さんが通るまで、ずっと待ち伏せしてたんだろうね。桜草樹さんが来たのに合わせて向かい側から歩いてきて、すれ違うときにナイフで刺そうとした」
凪沙は、表情を険しくした。
「狙いがはっきりしているから、創が心配する通り、また襲ってくる可能性も高いと思う」
「そう、ですよね……」
桜草樹は、青ざめた顔で目を伏せた。その横顔を見て、柚の胸がきゅっと痛む。
「桜草樹さん、大丈夫……?」
大丈夫なはずがないのに、柚は思わずそう尋ねた。桜草樹は、柚の顔を見ると、青ざめた顔のまま、それでも穏やかに微笑んだ。
「平気です。命を狙われることは、今までもありましたから」
「……」
咄嗟に何も答えられなかった。
考えれば当然のことだった。彼女は、あの誰もが知る桜草樹家の長女だ。柚のような一般人と違い、昔から命の危険に晒されることだってあったはずだ。
「そっか。桜草樹さんには、命を狙われる理由があるから……」
勝元も、今それに気づいたという様子で、いたたまれない表情をした。
「あの……」
と、三ツ花が小さな声で言った。皆の視線が集まり、居心地悪そうに肩をすぼめた後、彼女はおずおずと尋ねた。
「さっきの犯人、前の魔法使いとは、違う人でしたか……?」
それを聞いた瞬間、柚の背筋がサッと凍る。
そうだ。確かに、あの後あの犯人がどうなったか、結局分からない。警察に逮捕されたわけでもないだろうし、社長があのまま逃がした可能性もあるのではないだろうか。
しかし、そんな恐ろしい心配は、凪沙によってあっさりと崩された。
「違う人だったよ。それは大丈夫」
深刻さを吹いて飛ばすような凪沙の言葉に、柚たちは皆、安堵のため息を吐いた。
「よかったです」
三ツ花も、心の底から安心した、というように言った。
「あのときの犯人も、桜草樹さんを狙っていたように感じていたので、もしかして、と思ってしまって」
「……え?」
柚の口から、声が漏れる。
あのときの魔法使いも、桜草樹さんを?
「あ、私、変なこと言いましたか」
焦る三ツ花に、柚は慌てて「違うよ」と首を振る。
「ちょっとびっくりしただけ。あのとき、周りを見る余裕がなかったから、魔法使いが桜草樹さんを狙ってたなんて気づかなくて」
「でも、私の勘違いかもしれないので」
「勘違いじゃないと思うよ」
凪沙が静かに言った。
「あの犯人も、多分、桜草樹さんを狙ってた」
「……」
知らなかった。
あの日、初めに攻撃されたのが櫟依だったこともあり、特に目的の人物はいないのだと勝手に考えていた。桜草樹のことも、景山によって床に倒された後、たまたま手を向けた先に立っていたからだと思っていた。
けれど、部屋全体を見渡せる位置に立って成り行きを見守っていた凪沙がそう言うのだから、きっとそうなのだろう。
でも、そうだとしたら。
「じゃあ、その犯人も、桜草樹家に対して何かをしようとして、桜草樹さんを?」
創は、勝元と顔を見合わせた。勝元も頷く。
「そうだよな。桜草樹さんが狙われているなら、その理由は桜草樹家の一人だからってことだと思う。護衛がいない間を見計らって、攻撃しようとしているってことか」
そうかもしれない。でも。
柚は、桜草樹のことを見た。桜草樹も同じことに思い当たったのか、驚きと不安が混ざった顔で柚を見つめた。
桜草樹が狙われる理由。
わざわざ魔法使いが、桜草樹を狙って襲撃を実行した理由。
それが、桜草樹家の一員だからではなく。
『扉の番人』だからだとしたら。
「……まあ」
柚たちの様子を一瞥した後、凪沙は口を開いた。
「桜草樹さんが命を狙われているのは確かだし、これからも気を付ける必要があるだろうね。桜草樹さん、ここ以外だと護衛が付いてるんだよね?」
「はい。普段は常にそばに控えています」
桜草樹は頷いた。そして、「でも」と表情を曇らせる。
「私の『道』は、自分の部屋の中にあるので、外に出なくても使えます。家族には『道』のことも、こちらに来ていることも何も伝えていません。それに、初日にも参加者一人で来るよう指示があり、会社には私一人でしか入っていませんし、私以外に『道』は使えないので、ここに来ている間は護衛を付けることができないのです」
「そうか。なら、ここにいる間の対策を立てないといけないな」
勝元は、「うーん」と考え込んだ。
「どうするのがいいのか……」
「解決策なら、そんなに深く考えなくてもあるでしょ」
あっさりと、凪沙は言った。
「本当ですか?」
桜草樹が真面目な顔で尋ねた。
「私がここや会社に来なければいい、というものでしょうか」
「どういう感情で言ってるの、それ」
凪沙がじっとりした目で桜草樹を見た。
「簡単だよ。ここにいる間は、中梛くんに護衛をしてもらえばいい」
その答えに、その場にいる全員が息を飲んだ。
「そうか、中梛に」
勝元が、腑に落ちた、という顔をした。
「確かに、それが一番簡単で都合がいいな。今回助けてくれたのも中梛だし、参加者の一人だから色々心配ないし」
確かにそうだ、と柚も納得する。
今回助けてくれたのも、それに前の襲撃事件で、魔法使いの動きにいち早く気が付いて反応したのも中梛だった。
並外れた身体能力と戦闘能力。そしてそれだけではなく、相手が凶器を持っているような状況でも冷静に動けるほど、彼は肝が据わっている。ただ喧嘩慣れしている、というだけではないほどの能力を持つ中梛ならば、桜草樹の護衛に適任だ。
「しかし、そんなものを引き受けてもらえるのでしょうか」
桜草樹が心配そうにつぶやいた。
「私の護衛なんて、中梛さんにメリットがありませんし」
「さあね。それは、桜草樹さんの交渉次第でしょ」
凪沙がすげなく言った。桜草樹の表情が引き締まる。
「はい。まずは直接依頼してみます」
「私もついていってもいい?」
柚は桜草樹に尋ねた。桜草樹の秘密を知る数少ない人のうちの一人として、桜草樹の命に関わる局面には立ち会いたかった。
桜草樹をじっと見つめる柚を見て、桜草樹は少し嬉しそうに微笑んだ。そして、再び表情を引き締めた。
「はい、よろしくお願いします」