『道』③
そして、再び地下室。
「えー、では、今から『道』の設定をしたいと思うです。皆さん、この地下室とどの場所を繋げるか、ちゃんと決めましたね?」
集まった十人と景山の前に立ち、ルリはそう呼び掛けた。皆が無言の肯定を示したのを見て、満足げに大きく頷く。
「じゃあ、名前を呼ぶので、順番に設定していきましょう。『道』は、二階の部屋と同じで、右側から順に男子、女子の五十音順に並んでるです」
ルリは、景山から手渡された名簿に目を通しながら、順に名前を呼んでいった。
設定にはそれほど時間はかからなかった。ルリが手に持っていたスマホのような機械に地図が表示されており、繋げる場所をその地図上で指し示すと、ルリが何やらその機械を操作した。設定は、それで完了のようだった。
全員分の『道』の設定が終わった後、ルリはワクワクした表情で、マジシャンのようにバッと両手を広げていった。
「ではでは皆さま。どうぞ、『道』を通ってみてください。向こうへ行ったら、すぐに戻ってくるようにしてください」
それを合図に、皆が枠をくぐり、消えていく。柚も、枠が作り出す四角の表面にそっと手を差し伸ばす。すると、その境界面で水の中に入るような感覚がした。腕の周りの空気が、光の膜となって揺れる。すぐ、身体も吸い込まれるようにその膜を潜り抜けた。
一瞬、音が消えた。
一瞬、色が消えた。
一瞬、輪郭が消えた。
一瞬、感覚が消えた。
そして、気づいた時には、柚は自宅の前に立っていた。ちょうど、裏庭に当たるところだ。
……家だ。
棒立ちのまま、動けなくなる。目の前にあるのは、紛れもなく自分の家だ。今朝出発した、見慣れた自宅。そして、突然の場面の切り替えに思考が追い付いていないからか、どこか知らない場所のような、馴染みのない風景のようにも感じた。
気分で言うと、タイムスリップしたような感覚だ。実際にしたことはないけど。
止めていた息を、細く吐き出す。
すごい。
転移魔法、という単語がちらつく。本当だ。これは、転移魔法だ。
これは、魔法使いが使う、魔法だ。
吹いてきた風が、柚のお腹の辺りを通り抜けていくような感じがした。生ぬるくて、スースーする。喉の奥につかえたような違和感が強い。
しばらく呆然とした後、ふと、ルリにすぐに戻るように言われていたことを思い出した。柚は慌てて振り返ると、周りの風景に溶け込むようにして姿を薄くしている枠を再び潜り抜けた。
一瞬の空白の後、柚はまた『家』の地下に戻ってきていた。
突然のうす暗さに、感覚がうまく追いつかない。映画の上映が終わった後の明るい映画館のような、不思議な感覚だった。
部屋の中に並ぶ皆の目が柚を見ていた。どうやら戻ってきたのは柚が最後のようだった。柚はその視線を、どこかふわふわした気分で受けながら、皆の前に立っているルリと目を合わせた。ルリがこくり、と頷く。
「全員無事に行き来できたみたいですね。じゃあ、これで『道』の設定は終了です。何か異変があった時には、早急にルリに知らせるようにしてほしいです」
お願いします、とルリは小学一年生がするように深々とお辞儀をした。
「それと、『道』の注意点としては、『道』は設定した本人のみが通れて、他の人には使えないです。また、繋げた先の方では、普段は実体がなく隠れていますが、『道』がある場所に本人が近づくことで見えるようになり、利用することができます。他の人が近づいても、『道』が現れることはありませんので、安心してください」
なるほど、と柚は思う。それならば、他の人が勝手に自宅に来るようなことはなく、セキュリティ面でも大丈夫そうだった。
「さてと、これでとりあえずルリのお仕事は終わりです。この後は景山さんに任せちゃってもいいですか?」
身体の端々まで一直線になりそうなほどしっかり伸びをしたルリが、伸びたまま身体を反らせて、後ろに立っている景山を見た。艶やかな黒髪が、ルリの肩からふわりと浮く。そのままブリッジでもしそうな勢いだ。
「ええ、構いません。ありがとうございました」
そう言うと、景山は柚たちをぐるりと見回した。
「これで、一通りの説明は終わりです。この後、持って来た腕時計を私に渡してください。腕時計は後日、機械を埋め込んだ状態にしてお返しします。
本日は腕時計を渡した方から解散です。ここで過ごされてもいいですし、設定した『道』を使って自宅にもどっていただいても構いません」
そうして景山は、まるで柚たちを不思議な世界へ誘うかのように、恭しく頭を下げた。