生まれたもの②
「以前、『司者』の魔法の副産物、という記述を目にしたことがある」
皆の注目を受け、朔也はそう切り出した。
「現れた当初は知らないが、現在まで存在している『司者』というのは、いわば世界を管理する神からその力の一部を分け与えられた存在だ」
朔也は、突然解説を求められたとは思えないほどスラスラと説明を始めた。
「『司者』には、精霊と同じような魔法が使える権限を与えられている一方で、その力は精霊の力そのものよりは不完全だ。だから、権限を越える強い魔力を使うと、歪みが生じてしまうらしい。その歪みの結果、不思議なものが生まれたりする」
「それが、この……」
桜草樹は、両手にすっぽりと収まっている物体に目を落とした。それは、桜草樹の手の上が自分の居場所だと見せつけるように、穏やかな表情でくつろいでいる。
「『生命の司者』の場合、生じた歪みに『生命の司者』の力が作用して、生物のような何かが生まれることがあるらしい。俺も昔何となく読んだことがあるくらいで、それほど記載も多くなかった記憶があるから、詳しくは知らないがな」
そう言うと、朔也は桜草樹に尋ねた。
「桜草樹さんは今、これに触れたことで、忘れていた記憶を取り戻した、ということで合っているか」
「はい、その通りです」
桜草樹はしっかりと頷いた。
「事件の前日あたりで入月さんと口論になったことや、事件当日の出来事、攻撃を受ける直前や受けた瞬間のことなど、あの出来事に関する記憶が一部欠けていました。それが、この生物に触れた瞬間、蘇ってきたのです」
「やっぱり、忘れてたっていう解釈で良かったんだな」
勝元が苦笑いをした。
「凪沙にお礼を言い始めたあたりからそうなんだろうと思ってたけど、凪沙のこと煽ってる可能性も微妙に捨てきれなかったから」
「さすがに私もそこまではしません」
「本当に?」
「はい」
涼しい顔で、桜草樹は答えた。
「忘れていたのです。入月さんに強く言われたときに感じた怒りも、上手く皆さんとお話しできなかった不安も、魔法使いから攻撃を受けたときの恐怖も、そのまま全部」
そして、桜草樹は目を伏せた。手の上から自分を見上げるつぶらな瞳を見て、悲しそうに微笑む。
「入月さんに対して上手に言い返せず、逃げるしかできなかったことも、冷静になれず周りを見られていなかったことも、みっともないと自覚していました。家族や学校の方々には、絶対に見せられないような姿でした。だから、忘れたいと願ってしまったのかもしれません。情けない限りです」
「そうネガティブに捉えることもないと思うが、影響はしているかもしれないな。一番忘れたいと思っていたからこそ、その記憶が抜け落ちた、という可能性もある」
朔也は、慰めることもなく淡々と答えた。冷たいような気もするけれど、桜草樹の性格的には、彼の反応が適切なのかもしれないと思った。
「では、この子は、私の弱い部分が具現化したような存在、ということでしょうか」
「そうかもしれない。おそらく、忘れたくて離れやすくなっている記憶や感情がちぎれて、そこに『司者』の力が融合して実体化した、ということじゃないかと思う。自分から離れた記憶に触れることで、再びそれを取り戻すことができた」
朔也は、ちらりとそれを見た。視線に気づいたそれはぴょんと跳ねて、また身体を震わせ始める。
「こういうのって、接触した後はこいつが消滅するとか、桜草樹さんの中に取り込まれて元に戻るとか、そういう展開がお決まりだと思うんですけど」
震えるそれを見て、勝元は言った。
「確かに、特に変わらないね」
創も、それをまじまじと見た。確かに、桜草樹が触れる前と後とで、特に何か変わった様子も見えない。
「一度生まれたら、消えることはできないのかもね」
凪沙が言った。柚はおもわず「えっ」と声を上げる。
「ごめんね、私のせいで。こんなことがあるなんて知らなかった」
まさか、何もないところから新しく生物を生み出してしまうなんて。人として許されないタイプのことである気がして、今まで自覚していなかった力の恐ろしさに背筋がゾッとする。
「こんなこと滅多にない事例だろう。俺も全く気にしてなかった」
朔也はさらりとそう言った。その言葉に、柚は少し救われた気分になった。
「でも、これで記憶がなくなっていた理由がはっきりしたな。もし魔力の影響が出ているなら、他の記憶にも影響がないかどうか調べる必要があると考えていたところだった」
朔也がそう言うと、天瀬が「それさー」と突然声を出した。
「何か当然のように話してるけど、桜草樹サンの記憶がなくなってたなんて、オレ初耳なんすけど。あれから桜草樹サンと凪沙センパイ、揉めてる様子なかったから、もう仲直りしたんだと思ってた」
「思い出しちゃったってことは、またギスギスする感じ……?」
櫟依も不安そうに言った。
「お互いまだ、思うところはある感じなんですよね?」
「もちろんです」
桜草樹はにこりと微笑んだ。凪沙は、我関せずという顔で黙っている。
「ここ最近の会話を聞いてさすがに気になってきたんだが、凪沙は一体何をしたんだ」
朔也が呆れた顔をして尋ねた。確かに、ここまで何度も話題に出されたら、そろそろ気になってくるのも当然だった。
「いいでしょ、もう終わったことだし」
凪沙は素っ気なく答えた。
「桜草樹さんは、今までの出来事の理由を色々と知った上で私のことを嫌ってるんだから、それで終わり。あとは勝手に私の黒歴史にでもしておけばいいんじゃない」
まあまあ拗ねているご様子だった。
「入月さんのおっしゃる通り、もう終わったことですから、気を遣わなくて結構ですよ。これからは何かあっても、動じることがないよう気を付けますから」
桜草樹はにこやかに言った。もう既にギスギスしている状態に、柚たちは皆、ため息を吐いた。