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降臨


 クラゲのもとで話に花を咲かせた後、夏目と映画を一本見に行った。話題の青春アニメ映画だったのだが、ゆずるの頭は、七瀬のことでいっぱいだった。



 夏目と遊んだ後にでも、七瀬に会いにいくべきか……



 いったんは家に帰るとして、明日にでも、都内の七瀬のもとに遊びに行ければ、最高だろうと、ゆずるは思った。


 明日、日曜日、都内の七瀬宅にお邪魔させてもらうと決意したときには、既に、スクリーンがエンドロールを流していた。せっかく夏目と映画に来たのに、内容があまり頭に入っていなかった……




 悩みすぎて、考え込んで、疲れてしまった。



 映画館を出るころには、夕日によって空が若干、赤っぽく染まっていた。夜の暗がりが、近づきつつある時刻だ。



 別れ際、夏目は、耳打ちするような囁き声で言った。


「わたしは、君とくるみちゃんの恋を、応援しているゾ」

「そういうのは、恥ずいから、やめろ……」


「うむ。では、良い夜を」


「ぐ、ぐっとないと……」



 独特な口調の残響にまみれて、夏目は自宅の方向へと歩んでいった。居酒屋やバーが乱立する煌びやかな通りの人混みに紛れて彼女の背中が見えなくなるまで、ゆずるは、夏目の背中を傍観していた。




――あらゆる不安とリスクを消し去るために、「死」へと踏み出そう。



 しかし、夏目と会ったことで、その決意は揺らいでしまっていて、恐らく、崩れている真っ最中だった。


「……」



 ゆずるは、スマホをぐっと握りしめながら、メッセージを打ち込んだ。


 相手は、七瀬である。一対一での最後のメッセージは、今年の4月……つまり、高校の卒業式の後で、途絶えていた。



『久しぶり、元気?』



 と、短くメッセージを送っておいた。



 彼女から返信があれば、明日にでも会いたい旨を伝える。




――もしも、一週間以内にメッセージが返ってこなければ、死を歩む。



 それは、七瀬が自分に興味がないことを暗示しているだろうから。そうであるならば、もう失うものはないだろうから。



 自らの胸に誓って、ゆずるはスマホをリュックにしまって、帰宅するために歩き始めた。





****




 星がきらめく夜空を、暗雲が侵していた。



 そういえば、今日の朝、家を出る前にも、こんな雲を見たなと、ゆずるは歩きながら、思い返した。



 靴裏が、コツコツと地面のアスファルトを踏みしめる音だけが響いていて、妙に不気味だった。


 七瀬宅、及び加賀美家周辺は、林のようになっていて、小高い丘の上に、木々が多く植わっている。現在のような夏場は、天までを鬱蒼とした木の葉が隠してしまって、道は、闇に閉ざされる。街灯と、その他の家々の明かりが、道しるべとなった。



「……??」


 不気味だ。とにかく、様子がおかしいように思える。


 

 家々の明かりは、いつもの通りだが、聴覚が「いつもと違う」と訴えている。


――うるさいぐらいの虫の歌が、聞こえないのだ。身を震わせるほどの恐ろしい静寂が、闇と満ちていたのである。



 熊が出るなんてことは、東京だからありえないのだが、猪とか、鹿とかの害獣が、道の脇の草むらから突然に飛び出してきても、何ら不思議に思えない雰囲気さえ漂っていた。



「ぉ……」


 背後から幽霊か、人ならざるものが、もしかしたら憑いて来ているかもしれない。或いは、ナイフを持った人殺しが追いかけてきているのではないかという、妄想の延長線上の不安に駆られ、背後へチラチラと振り向きながら、家へと早歩きで向かった。



 靴裏が地面を叩く自分の音が、まるで背後から聞こえてきているようで、さらに焦燥を煽った。



 自宅前、ようやく見慣れた白い壁や、赤茶色っぽい屋根を視界に収めて、胸を撫でおろす。




――ただ、視線を向けたその先の光景に、すっかり目を奪われてしまった。


 玄関のドアに向かうことなく、道のさらに先へと、踏み出していた。



 木々の間からは、目下の町明かりと、天から見守る月が見えたのだ。


 町明かりの白い光が溢れていて、まるで蛍の光のように群がっていた。ゆずるは、それと似た色をした、空の高いところにある月を仰視する。



 満月の光が、地上に向かって縦に一直線に伸びていたのだ。こんな現象が、果たして、科学という支配者の下の世界において、有り得るだろうか。




――不思議な感覚は、夢でも見させられているようだった。



 そして、月の光を見つめる、ある一人の、金髪の人間を、そこに見た。




……七瀬?


 ゆずるは、呆然とした。あの金髪で、整然とした後ろ姿は、七瀬胡桃ななせくるみなのではないかと、思った。



 道路と崖とを隔てる石積みの上に立って、無言で、月の縦に伸びた光を見つめている女性。その先は、数メートルはある崖だ。落ちれば、骨折では済まなそうな高さある崖に踏み出しそうな予感を漂わせながら、女性は、夜風に金の髪を揺らめかせていた。


 もしも彼女が七瀬ならば、どうして、七瀬がここに?という疑問が起こった。



 彼女は、ここから離れた都内のマンションに住んでいると聞いたのだが。


 やはり、夢なのか。


 七瀬であれ、そうでなかれ、崖のきわに立つのは危険だ。何をしているのかと、声をかけるぐらいならば、この口下手な自分でもできると、自分に言い聞かせたゆずる。




 足音を殺しながら、駆け出していた。




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