大学デビュー
大学生になった、七瀬胡桃。
好きな服で通い、好きな講義を履修して、好きな人と学食を囲む日々に、忙しいながら、くるみは満足していた。
以前の中華屋を離れ、新たにアパレル販売のアルバイトに就いた。接客や品出しは得意分野であったため、業務はさほど苦労せず、また、幸運なことに、先輩後輩に、店長という「人」の相性が良かった。
ただし、一つ、心を締め付けることがあった。
それは……
「くるみちゃんのカレシって、どんな人なの~?」
「え……」
とある日の昼下がり。同じ学部内で、フランス語の講義を通して仲良くなった浅間と、豊田という二人の女子と学食のお弁当を囲っていた時のこと。
茶髪のミディアムヘアが躍る浅間が、声高に聞いてきた。次いで、豊田が顎に人差し指をあてがう、あざとっぽい仕草をして付け加えた。
「くるみちゃん、めっちゃかわいいもんね~カレシも、もしかして、両手の数ぐらいいた……?」
「いやいや、そんなことはないよ、さすがに」
すぐに否定を挟んだが、香り高い湯気が立つカフェラテを嗜む浅間は、首を傾げて、納得していない様子。
「遠慮しないでって~ウチは、今までの18年間で、たった3人しかいなかったから、自信持って」
浅間の唐突なカミングアウトに、くるみは目を丸くした。
次いで豊田も「わたしは、2人」と、指を二本立てて付け加えた。
――3人も!?2人も!?
「そ、そんなにお付き合いした人がいるんだ……」
「え、普通だよ~」
意外だという反応を示しておいたが、カフェラテの白いミルクが口元についている浅間は、それを「普通だ」と評した。
そんなにお付き合いすることが、普通……?
心の内側に、焦りが湧いて出た。
……私は、人を好きにはなれど、一度たりともお付き合いしたことがないのに。
「で、くるみちゃんの人数は?」
重ねて尋ねた豊田。
追い詰められたくるみは、目を細めるニッとした微笑みを作りながら、右手の人差し指を立てた。それを見た二人は「ええ!?」と驚きの声を揃えた。
「たった一人……!?」
「マジで!?意外なんだけど」
二人の言葉が、まるでナイフの刃のように鋭く、心を穿つ。
もしかして、自分だけが取り残され、置いていかれてしまっているのではないかという、劣等感が、そこにはあった。二人の言葉が、それを鮮明に自覚させてきたのだ。
くるみは、自身のかわいらしさというものを、ある程度自覚していた。それを武器の一つに、交友の輪を広げてきたが、そういえば、「お付き合いする」という深い段階まで達したことがなかったと、振り返る。
ひとさし指を立てたそれは、嘘である。好きな人は、確かにいたのだが、お付き合いをした経験は、なかった。
――芸術肌のゆずる然り、イケメンのリョウ先輩然り。
「くるみちゃんみたいな美少女がお付き合い経験一人だけとか、世も末だわ」
「それな」
浅間と豊田は、手元のカフェラテとコーラを、それぞれ交換し合った。
「で、くるみちゃんの人生の、たった一人の人って、どんな人なの?」
「あーそれ、気になるわ~」
空色のネイルを指で撫でまわしている豊田。
くるみは、友人二人の眼を、どのように誤魔化そうかと考えた。そして、ゆずるの顔を思い出した。
「なんというか……感性が独特な人だったよ」
「その言い方だと、今は、付き合ってないの?」
「え、あ、うん。小学生の時からの知り合いだったんだけどね、大学来てからは、全然会ってない」
コーラを飲んでニッと笑った浅間は、「顔は?性格とかは?」と、尋問のように訊いてくる。
――胸が、張り裂けそうだった。
本当は、お付き合いもしたことがない人の顔を思い出して、眼前の二人に伝えることは、どこか劣等感と申し訳なさを煽った。
浅間も、豊田も、交際経験があるというのに、自分だけが皆無で、取り残されている。
「顔に点数つけるのって、あんまり好きじゃないんだけど……しいて言うなら、70点……ぐらい?口数は少ないんだけど、自分にも友達にも、私にも誠実な人だったよ」
――ごめんね、ゆずるくん。
あなたの知らないところで、顔の評価を勝手にしてしまって、勝手にお付き合いした相手に含めてしまって。
「なんか、さっきから意外だなぁ。『口数少ない』かぁ……くるみちゃんって、コミュニケーション好きだから、口下手な人って合わないと思ったけど……」
「はは……落ち着いた雰囲気の人、けっこう好きだよ」
乾いた笑いを笑いながら、浅間の選定眼を掻い潜る。真は、交際経験皆無ということを悟られないように。
『口下手』それは、ゆずるが自分を卑下して称するときに言っていた。
落ち着いた人といえば、一年と二年で同じクラスだった夏目の顔も思い浮かんだ。高校時代の、ゆずるに並ぶ親友だった。夏目は、表では落ち着いたメガネっ子だったが、裏では、ゴスロリ衣装やコスプレ衣装好きの子に変貌した。彼女も、ゆずると別なベクトルで「感性が独特な人」で「口数少ない人」だった。
今でも時々、メールを交わしている。「一人暮らし、寂しくない?」と、昨夜は送られてきて、嬉しくなった記憶が未だ鮮明だ。
「そういえばさ、今の彼氏の【カレシ】がさ、めっちゃいい」
「んぐっ、いきなりエグイのぶっこむね!」
豊田がさりげなく、自然な話し口調で下のネタを口にしたからか、浅間が口に含んだコーラを吹き出しかけた。「この前の金曜日なんかさ~」と続きの話をする豊田のキンと高い声に対して、くるみは鼓膜でシャットアウトした。
正直、「そっち系」の話は、あんまり得意じゃない。
母も、父も、家でそういう話をしてこなかったし、仲がよかったゆずるやリョウ先輩も、そういう雰囲気の人ではなかったからか。強いて言えば、夏目に【赤い悪魔】の相談をしたぐらいか。
だから、適当に「うんうん」と頷いたり、「ヤバイね」と相槌を挟みながら、手元のお弁当をモグモグ食べるのに集中した。
「理想は?ウチは、週一」
「え、わたしは毎日でも構わんけど」
「それはヤリ過ぎでしょ」
「ガハハっ」
人目も気にせず、大きな声で豪快に笑った豊田が、ちらっと、こちらに振り向いた。手に持ったコーラの容器に入っている氷を揺さぶって、ガラガラと鳴らしている。
――私……?
くるみは困惑の色を隠しきれなかった。
言葉を詰まらせそうになりながら、プチトマトを噛んで飲み込んで、言葉をよくよく吟味して、紡ぎ出した。
おそらく、理想の頻度を答える流れなのだ。
「んん……私は、週3……とか?金曜の夜と、土日両方」
たどたどしい感じに答えたくるみは、一人で勝手に、顔を赤くしていた。
なぜなら、聞こえるはずもない声を、幻聴で聞いてしまったからだった。耳元で囁く二人の声が、鼓膜を心地よく揺らして、体を芯から熱くさせた。
「かわいいよ、くるみ」という、リョウ先輩が囁く甘い声……
「デッサンさせて」と、低い声で言い寄ってくるゆずる……
らしくなく、妄想の世界に囚われたくるみの頬は、紅を刺したように赤くなっていて、カっと熱くなっていた。
――もしも、好きになった二人に挟まれて、こんなこと言われてしまったら、私は、恥ずかしさで死んでしまう!
「んんん~!」
「くるみ……?どした?」
「あ、大丈夫。ダイジョウブ……」
梅干しを食べたときみたいに表情をすぼめたくるみの異変に、浅間が心配した。すぐに顔をあげて、何も問題はないという平常の顔を装った。
そっち系の話題は、豊田を発端に、止まるところを知らない。
「くるみ、金土日の週末3回が理想って、用意周到だねぇ~平日はチャージさせて、週末の有り余った時間に、一気に出させるつもりでしょ。策士~」
「トヨちー、言い方ヤバいって、やめなよ」
浅間が豊田の肩をぺしっと、軽く叩いた。そんなコントみたいなやり取りを経て、豊田はまた「がはは」と笑った。
くるみにとって、二人の会話は次元が違っていて、付いていけなくなってしまうことがあった。何というか……二人とも、我が強すぎる。
もしかして、自分のコミュニケーション能力は、偽りのものだったのではないかと、疑ってしまう。夏目や来栖、リョウもゆずるも、こういう時は静かに耳を傾けてくれるのだが、眼前の浅間と豊田の二人は……常に言葉のマシンガンを撃っているみたいだった。
今まで円滑にコミュニケーションができたのは、周囲の人たちが「聞き上手」かつ「聞き専」の傾向が強かったからなのではないかと。
そうして、落ち着かないお昼休憩は、あっという間に終わってしまう。
三限は、国際文化論で、二人とは別の科目の履修となっている。浅間、豊田の二人とは別れて、一人で指定の教室に向かった。
今はただ、寂しくって、彼の低い声が、どことなく恋しかった。
彼が隣にいてくれれば、寂しさも、劣等感さえも払拭できるというのに……




