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桜の木の下で

 卒業式終盤、校歌の歌い終わりに、涙を堪え切れなくなった。


 涙腺の堤防が決壊して、氾濫のごとく涙がボロボロと零れ落ちて、頬を伝った。


 中学校の卒業式でも泣いてしまったことを思い出したが、過去のそれと今の涙とでは、内包される意味が異なる。



 中学生時代は、とにかくイジメや「コドク」からの解放の意味合いが強かった。やっと、苦しみから逃れられて、追い求めた青春を迎えられるという希望の色で溢れた。



 しかし、今の涙は、友人たちや親しい先生、さらに、慣れ親しんだ高校の校舎から離れなければならないという、哀愁の色が強かったのだ。




 それぐらい、高校生活に満足していたということか。



 校歌が歌い終わって、席につく。



「大丈夫?」


 隣の夏目が、ハンカチを差し出してくれた。そういえば、ハンカチを忘れてしまったなと、いまさら思い出して、「うん……」と小さく返事を起こしながら、夏目の手の上のイチゴ柄のハンカチを受け取った。



 涙の跡を拭って、それを返却しそうとするが、夏目は「あげるよ」と言った。私は、少々迷った末に、隣の夏目をちらっと見て「ありがとう」と伝えた。


 夏目は、教頭先生の閉幕の言葉に紛れて、「ふっ」と笑った。



 生徒の退場の時間になって、涙は多少、引っ込んだ。


 先に退場する来栖は、どこか、ソワソワとしていて、落ち着かない印象だった。不自然に手のやり場に困っているようで、天井を見上げたり、あるいは保護者席のほうに目線を移したりと、挙動不審だった。



 来栖の前を歩くゆずるは、いつもの薄い表情をしていた。


 ただ、瞳がどこかおぼろげな感じで、暗い色をしていた。気のせいかもしれないが。まあ、それが彼らしいといえば、そうであった。




 教室に帰って、いよいよ3年D組の解散へ。先生が「またどこかで会いましょう」という別れの言葉を残して、永遠の放課後が訪れた。



「くるみ!寄せ書き書いて~」

「俺のところにもお願いしまーす!」

「くるみん!こっちにもちょうだーい!」


 教室を出るのを惜しんでいると、この1年、仲良くしてくれたクラスメイトたちが寄ってきて、机から身動きが取れなくなってしまう。みんな、寄ってたかって卒業アルバムを持ち寄っていて、白紙ページを差し出してくる。


 一人一人と丁寧に別れを惜しみたかったから、列に並んでもらった。



 なんという行列か。教室の端から端まで連なる人の塊は、週末の「雷鳴丸」の盛況ぶりを彷彿とさせる。


 列の中には、夏目と来栖の姿もあった。



 来栖の周囲には、男子が数人いて、何やら、来栖の肩を叩いたり、腰を指で突いたりしている。


「なにモジモジしてんだよ!」

「男見せてやれ、雷斗らいと!」

「最後のチャンスだろ!」



 来栖の周囲の男子たちがはやし立てて、来栖自身は、手に汗を握っていた。卒業式の最中のように、目が泳いでいて、視点が定まっていなかった。



 ごくりと唾を勢いよく飲み込んだ来栖は、小さい声を絞り出した。


「あの、七瀬さん……」

「な、なに?改まって……」



「――好きです!オレとお付き合いしてください!」



 時が止まったように錯覚した。周囲からあらゆる音が消え去って、無音の宇宙に放り出されたみたいな浮遊感に襲われた。


 来栖は、はっきりと、それも、周囲の人たちにバッチリと聞こえてしまうぐらいに大きな声で言った。



「え……」


 言葉が詰まった。


 まさか、こんな人の目につくところで堂々と告白されるなんて思ってもいなかったから、思考が真っ白に染まってしまった。



 来栖は再度「お願いします!」と声を上げて、手のひらを差し出してきた。



 ――まさか、オッケーの場合、その手を握れと、彼は言うのだろうか。


「言ったぁぁぁ!!」

「やべぇぇ、こいつ、ホントに言ったよ!」

「おお~」


 周囲の男子たちは、野次馬のように言葉のトゲを来栖に飛ばす。当の来栖は、そんなヤジを気にもとめず、まっすぐに、こちらの瞳を視線で貫いている。





――気持ち悪い。



 そんな感想を、心が叫びたがっていた。



 こんな人目に触れるところで、堂々と告白することが、気持ち悪いと思ってしまった。今までは友達として、仲良くやっていた来栖の顔が、今は、憎たらしく見えてしまった。



 どうして、わざわざ、今になって、こんな場所で……


「んんー……」



 愛想笑いの仮面を被って、返事の言葉を必死に考えた。実際、恋愛的な眼中に無かった来栖からの告白など、易々と受け入れたくはなかった。しかし、彼の雰囲気、性格は、友達としては、とても気に入っていたのだ。



 だからどうしても、三年間で築き上げた友情に亀裂を生みたくなかった。できることならば、そのままの距離感で、永遠に友達でいてほしかったと思う。



 ふと、過去のゆずるの姿が浮かんだ。



 理科室に呼んで、伝えにくかった言葉を勇気に乗せて伝えたとき、彼は『考えとく』と言って、背中を向けたことを、思い出した。


「ふふ、考えとく!」



 そうして、来栖を跳ね退けた。



 彼は、満面の笑みのまま、男子たちを引き連れて「お返事、待ってます」という言葉を残し、教室を出て行った。


「おい、あれ、オッケー貰えるんじゃね!?」

「最高かよ、お前も、七瀬さんも!」


 未だに賑やかに話す男子たちの声が、教室の壁越しでも伝って聞こえてきた。




――その廊下には、ゆずるが佇んでいて、教室のドアのガラス越しに、こちらをじっと見ていた。


「あ……」

「……」



 いつも通り、黙っていて薄い表情だった。何を考えているか、決して読み解けない仏頂面で、一連の「告白」を目撃していたのだ。



――告白を、受け入れるつもりはないと、彼の耳元で伝えたいと思った。



 しかし、彼は手をぴょこっと胸の前で上げて、廊下を歩いて行ってしまった。


「くるみちゃん?顔、赤いよ」

「はっ」



 列の順番待ちをしていた夏目に声をかけられて、ようやく自分が呆けた顔をして、ぼーっとしていたことを自覚した。他のクラスメイトからは「お似合いカップルだね」とか言われた。



 彼らにも「受け入れない」と言いたかった。けれど、卒業式の終了後で、浮かれて、明るい雰囲気に満ちていたクラスの雰囲気を、ここで壊すまいと、笑顔を作って、取り繕った。



「く、来栖に言ったでしょ、『考えとく』って。だから、余計な詮索とかは、やめてね!」


 どうにかこうにか、明るい感じで、楽し気にしている自分を演じた。クラスメイトたちは、それで笑っている。




――中学生時代の、みんなに嘲笑された記憶の数々が、唐突に蘇ってきた。


「わ、私、そろそろ帰るね……」

「お、俺にも寄せ書き、下さい!」

「ああ、じゃあ、春休みにね。明日でもいいけど」



 そうやって適当に言っておいて、カバンを斜めにかけて、教室を出た。クラスメイトたちからは、「またね~」と送り出された。それでもなお、昇降口まで付いてくる人たちがいた。……うざったい。


 昇降口に早足で向かったのだが、ゆずるの姿はそこになく、彼の下駄箱をちらっと見たのだが、上履きも靴も、無くなっていた。



 彼は、もう帰路についてしまった。




 高校生生活最後の日に、一緒に帰ろうと思っていたのに……




 本当に好きなのは、「あなた」だと、メールで伝えることもできた。家に行って、「告白は断るし、あなたのことが一番好きだ」と口頭で伝えることだって、可能だった。



 しかし、自分の中に眠る恥や、恐れの感情が、それを許してくれなかった。



 

「いいよ、来栖と仲良くすればいいじゃん」と、彼は感情の薄いまま言うような気がして、どうしても「好き」の二文字を絞り出せなかった。



……いや、実際には「好き」と言ったはずなのだ、修学旅行で、ふたりきりで金閣へ向かった時に。



 でも、彼は、この高鳴る気持ちに気が付いてくれなかった。察しが悪いのか、アイスが好きなのかと解釈されてしまった。




――本当に好きな人を置いてきてしまって、都内で一人暮らしを始めたことが、高校における大きな後悔だった。

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