行き着く先は
学校でのテストを耐え忍び、塾での眠気に打ち勝ち、バイトを最後までやりきって、迎えた共通テスト当日。
幸いが重なって、【赤い悪魔】の姿は見えなかったし、体調も上々。さらに、天候にも恵まれていて、白い太陽が空から見守ってくれていた。
思い出すと、一番励みになったのは、みんなからの応援の言葉だった。
「頑張りなさい。あなたが行きたいって言うんなら、お母さんも応援します」
希望進路に対してあんなに反対していたお母さんは当日、くるみよりも早く起きて、朝ご飯を用意して待ていてくれた。白いご飯と唐揚げを頬張るくるみに対して、次いで「頑張れ」と短く言った。
――くるみは、涙を堪えられなかった。
母は、頑張る娘を応援してくれたのだ。
会場までは、電車を乗り継いで行くと伝えていたのだが、遅延があってはいけないからと、お父さんが仕事を休んでまで、車で送迎してくれた。
ハンドルを握ったお父さんは、大きく広い背中を向けながら、後部座席のくるみに、こう言った。
「まあ、気軽に頑張りなさい。何かあれば、お父さんが助けてあげるから」
その言葉にいくら救われたことか、今になっても計り知れない。あらゆるリスクと不安から、父の言葉は守ってくれて、セーフティーネットの役割をしてくれた。
メールを開いたら、多くのメッセージが。通知の件数が、未読で27もあった。
バイト先の店長、奥さん、リョウ先輩、後輩まで。
さらに、来栖と夏目、そして……
――健闘を祈る。ファイト。
ゆずるからのメッセージも送られてきていた。
くるみは、みんなの期待を背負って、受験会場である大学の構内へ。
――結果は、合格だった。
春から、無事に大学生だ!
****
来る春。一人暮らしへ向けた準備に忙殺された、三月の中旬。
桜は、時期早くも満開になっていて、高校の卒業式を迎えた。
これで、この紺色の制服に腕を通すのも最後だなと思いつつ、玄関先へ。
姿見を確認して、今日も変わらずかわいい自らの容姿を確認した。制服や白のYシャツにシワはなし。リボンは丁寧に結ばっていて、表情はこれでもかってぐらい晴れやか。寝ぐせも、ヘアアイロンでしっかり伸ばしたから大丈夫。
友達と写真を撮るためのスマホを持ったのを最後に確認して、家を出ようとする。
「くるみ?本当に車じゃなくていいのか?」
背中に、お父さんの声を受けた。
車での送り迎えは無くていいのかというお父さんの確認に、首を縦に振って「大丈夫」と言った。
「じゃあ、気を付けてね。お父さんも、後から行くから」
「え、そうなの?お母さんだけじゃなくて?」
「もちろん!わが娘の卒業式のために、大学に休みをもらってきたんだから!」
腰に手を当てて、誇らしげなお父さんににっこり笑いかけて、手を振る。
「いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
お父さんとのしばしの別れを告げて、自転車に跨り、勢いよく漕ぎ出した。朝のほんのり暖かい風に首元を撫でられながら、景色を背後へと流していく。
木漏れ日が当たるアスファルト舗装、でこぼことした道路をまっすぐに行くと、それに面した家が見えてくる。
――加賀美家である。
「やっほー!おはよー!!」
私が自転車を漕ぎながら声を張ると、玄関前で自転車のカバーを外しているゆずるが、こちらにくるっと振り返った。
彼は「ああ、おはよう」と、いつもの彼らしい薄い反応とともに、朝の挨拶をした。手を、振り返してくれている。
「今日、高校最後だね~」と言いながら、玄関前の彼に歩み寄った。
「うん。お互い、頑張ろう」
「今日は卒業式だけでしょ?べつに、頑張ることなんてないじゃん」
「あ、確かに」
低い声で言った彼は、いつもの眼鏡をかけておらず、ちょっと真新しい顔をしていた。コンタクトレンズをしているらしかった。
黒いマスクで顔の半分を覆い隠し、光に乏しい黒い瞳を左右に揺らすゆずる。眼鏡をかけていない顔は、爽やかさと優しさがにじみ出るようで、これもこれで良いなと思った。
「そっか……七瀬と学校行くのも、帰るのも、これで最後か」
目線を足元の石ころに移すゆずるは、瞳の裏側で思い出を想起して描くようだった。
「そうだね。さすがに、大学までは一緒にできなかったから……」
残念そうに眉尻を落としたゆずるの方を、ポンと叩いた。
大学への進学ともなれば、学習の内容がより具体化して、専門性を帯びる。であるから、同じ大学へというのは、なかなか難しいものがある。
ゆずるは社会科が詳しい大学への進学が決まっている。どうやら、国際関係や政治、経済、社会学について、深く学ぶことができる学科があるらしい。
ちなみにくるみは、英米語学科という学科の下で、米英の英語やフランス語、ドイツ語を含めた語学、文化人類学、国際文化やメディアを学ぶ予定だ。
「でも、永遠にお別れっていうわけじゃないからね。また、暇なときに、私の家に遊びに来てよ」
「一人暮らしするんだよね?」
「うん。都内にマンションがあるんだけど、その中の一部屋を借りられたの。家賃は、半分、お父さんが払ってくれるって」
「へぇ。よかったね」
自転車のカギをガチャンと言わせたゆずるは、サドルに跨りながらも、視線は、絶対にこちらの瞳を貫いてくる。まるで、ロックオンされているみたいに。
いつだって、人の話を聞くときは、目線を合わせてくれる彼の誠実さが、しみじみと感じられる。
「マンションに、遊びに行っていいってこと?」
「もちろん。また面白い話あったら、聞かせてよ。あ、あと、お父さんからゲームも買ってもらったから、休みの日に一緒にやるとか、楽しそうじゃない?」
未来を思い描くと、妄想が止まらなくなってしまう。
大学では新たな出会いが待っているだろうし、旧友との関わりは、これからも続く。成人の年齢だから、何をするも、何を買うも、どこに行くも自由。大学の友達とイギリスやドイツ旅行をしてみたいと思うし、ゆずると休日にのんびりとゲームをするもよし。夏目とは、水族館にでも行きたいなと思い、やりたいことが次々と浮かんでくる。
「なるほど。暇なときに、お邪魔させてもらおうかな」
「うん」
二人で自転車を漕ぎだして、高校へ。
今日が、最後の登校日だ。
未来への明るい想像が膨らむ一方で、ゆずると、こうして自転車を漕いで登下校できるのも、これで最後かと思うと、ちょっぴり寂しい。




