降臨……?
リョウ先輩に、バイクで家の近辺まで送ってもらった。大した距離ではないが、その短い時間が、沈んだ心を呼び起こして、躍らせてくれるのである。
「わざわざありがとうございます、リョウ先輩♪」
「いえいえ。こうやってバイクで走ると、気分良くなるでしょ?」
「はい!すっごく楽しかったです」
リョウは、バイクに跨りながら、エンジンを吹かしてUターン。「それはよかった!」と言いながら手を振って、夜の闇の中に消えて行ってしまった。
彼に届くようにと、近所迷惑を承知のうえで、声を張り上げた。
「今日はお忙しい中、ありがとうございましたー!」
広い背中を見せるリョウが、右手を挙げていた。どうやら、声は届いたらしい。
あたりには、静寂が満ちた。
それも当然で、11月だから、虫の音も鳥の歌も聞こえてくるはずがないのだ。それに周囲には、七瀬胡桃以外の人間がおらず、皆、家の中の温かい光の中にいる。
リョウと夏目と夕食を共にして、思う存分話しをするのは、本当に楽しかった。
――ただ同時に、寂しさと、やり切れなさがこみ上げてくる。
「相談、できなかったな……」
一人暮らしについては、リョウから色々と聞くことができた。ただ、肝心の進路については、気後れしてしまって、打ち明けることができなかった。あの楽し気な空気を壊してまで悩みを打ち明けることは、憚られたのだ。
どうすれば、違う進路を望む母を納得させられるか。どうすれば、苦手な分野の勉強を乗り越えられるか。
それは今も、胸の内にわだかまりを作って、つかえて、モヤモヤと残留している。
「ああ、数学と歴史のワークやらないと……」
道の真ん中でぼーっと突っ立っていた自分を俯瞰して考えて、無駄にする時間が惜しいこと、やらなければならないことを思い出す。
週明けには、数学の小テストが控えているし、歴史は課題の提出が待ち構えている。
くるっと反転して、家の方向へと歩き始めた。
その時、ふと、景色を見た。
「わあ……」
感動を引き出すには、あまりに容易なぐらい、美しい景色が広がっていた。
家の周囲は木々が植わっていて、道路を覆い、夏は大きな黒い影を落とすのだが、今は、肌をつんと刺す寒さを伴う冬であって、木の葉がすべて枯れ落ちているのである。
その木々の間からは、目下の町明かりと、そこを天から見守る月が見えたのだ。
……気が付かなかった、家のちかくで、こんな綺麗な景色が見れるなんて。
町明かりの白い光が溢れていて、まるで蛍の光のように群がっていた。その一つ一つに誰かの人生が宿っていると考えると、目が潤んで、涙を誘われる。
――自分は、今にも崩れてしまいそうなのに、数えきれないぐらいのたくさんの人が、頑強に世を生き抜いている。
自分はなんてちっぽけで、弱々しい存在なんだと、思い知らされる景色だ。
そして、空の高いところにある月を仰視する。
すると、月の光がすーっと、地上に降りてきた。
「んん?」
思わず声が出た。見たことがない現象に、目を細めて、よく見てみる。
それでも光は、ぼんやりとしながら地上に脚を伸ばして、ついに降り立った。
――なんだろう、この不思議な感覚は。夢でも見ているみたいだ。
月の光に飲み込まれそうになった。光が磁力を帯びていて、体が磁石になってしまったみたいに、光が降り立った方向に、気が付けば歩いていたのだ。
もしかすれば、光を掴めるかも。
もしかすれば、あの光が降りた場所に神様がいるのかも。
そんな幻想めいた、ありえない思考に囚われていて、道路と崖を隔てるガードレールに寄りかかっていた。
危うく、目下数メートルのアスファルト道路まで、転落するところだった。
落ちていたら、骨折で済むかどうか怪しいレベルの高さだった。
「……あれ?」
やっぱり夢の中にいるような感覚だった。
ふと、もう一度光が降り立った場所に目を細めてみれば、もう、そこには光が伸びてはいなかった。月も、何の異変もなかったと言い張るように、空の高いところで沈黙している。
不思議なこともあるもんだなと思いながら、開けた景色に背を向けて、家へと向かった。
――あの光が、天から降りてきた、露に濡れた【蜘蛛の糸】のようにも見えた。
気が付けば、重い瞳を上げて目覚め、そこが布団の中であったと分かった。
月の光が伸びて地上に降り立ったあの光景が、現実であったか、夢であったかは、曖昧だった。ただ、リョウと夏目と夕食を食べたことは現実だと確信していて、メールの履歴にも、夏目と別れた後のやりとりが残されていた。
「月曜って歴史あるっけ?」
「あるよ。あと、提出物忘れないで!」
こんな具合のやりとりの履歴が残っていた。
たぶん、疲弊している。
心も体も、たいへん疲れていたのだ。だから、光が変な風に見えて、夢と現実の境界も曖昧になっていたのだろう。
そうだ、今日は土曜日だから、バイトがある。
人生は、長すぎる。まだ高校生をやっていて、その時点で疲れ切っている。
果たして、現行の努力が良い形で報われる時は来るのだろうか。
そうやって考えながら、ベッドから起き上がって、乱れた髪をヘアゴムで後ろ手に結んだ。




