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人の形をして現れたアフロディテ


 七瀬が家を訪ねてきてくれた日の夜。それも、彼女が帰ってからずっと長い時間が経った、月が黒い空の高くに昇っている時間帯のこと。


 


 ベッドで横になっている。今日は一段と冷え込んでいるので、厚めの布団にくるまっている。体温が布団の中に閉じ込められて、温みがあった。



 ふと、重い瞼を開ける。


 部屋は照明を落としているので、闇の黒が満ちている。おもむろにカーテンをさっと開けると、アスファルトのでこぼこした道路が見える。そこを、力ない街灯が照らし出すという景色が見えた。




 寝るときは、眠気が募るまで、果てしない妄想にふける癖があった。



 そうして色々と妄想していると、夜の寂しさを忘れることができるからである。


 また瞳を閉ざして、倒れこむようにして枕に頭を預け、想像上の真っ暗なキャンバスの上に妄想を描く。



 そこには、七瀬の姿が描き出された。


 照明が点いていない暗がりの部屋であっても、秋の稲穂を彷彿とさせる黄金の色の長髪がよく分かった。


 自分は、変わらずベッドで横になっている。七瀬は、ゆずるにまたがるようにして、こちらをじっと見つめている。



「……」


 七瀬が何かを言ったのが、口元の動きで分かったのだが、何と言っていたのかは、聞き取れなかった。こんな静かな部屋で、声が聞こえないはずがないのだが。



 これも、妄想と夢との狭間に特有の現象なのだろうか。七瀬は帰ったので、ここにいるはずもないし、彼女の体の重みが、肌の柔らかさが、鮮明に感じ取ることができる。目覚めの後から振り返ると、支離滅裂な事象であったとわかる。



「いい?」



 今度は、はっきりとした、鈴の音のように美しい声が聞こえた。その声のゆらめきが、鼓膜を心地よく揺さぶって、心を落ち着かせた。


 ゆずるは、小さく首を縦に振った。許しを示したといったほうが正確か。



 了承を得た七瀬は、月明かりがカーテンの隙間から覗く中、衣服を脱ぎだした。



 その下の真っ白な、衣服の一切の布を纏わぬ肢体を臨み、心臓の音がうるさく高鳴った。



 もこもこした寝間着も、その下に身に着けていた下着の一切をも脱ぎさって、生まれたままの姿を晒した七瀬。そのまま、体で覆いかぶさってきて、腕をぎゅっと締めて抱きしめてくれた。




 あの日……七瀬とハグを交わした時よりもさらに近しい、究極の密着を果たすに至った。自分の体と七瀬の体との間に、一糸をも介さない、最も近しい距離。



 その距離は、心臓の鼓動が直に伝わってくるぐらいに近しいものだった。互いに、どちらも、心臓が胸を突き破ってくるのではないかと心配されるぐらいに、ドキドキと胸が上下していた。



 今は、何も恐れるものはない。躊躇ためらう必要はない。なぜなら、これは妄想か夢でしかないのだから。目の前に現れた彼女が何をするも、彼女に対して何をするも、内心の自由によって許されるのだ。



 柔らかな感触を有する、七瀬の胸部の双丘に手を伸ばした。かつて『おっぱい触る?』と聞かれた時の、大きく膨らんだ期待が、ついに目の前に現れた。




 さらさらとした感触。指でちょっと押し込むと、何とも心地いい反発が、指先から伝わってくる。心臓が、爆発しそうだった。



 しかし、現実にちょっと目を向けてみると、なんだ、布団の丸みを手で撫でているだけだった。あの感触も、反発の心地よさも、ただの布団が、妄想の世界におけるリアルな感触を助けていたに過ぎなかったのだ。



 それはそうと、七瀬は、そんなゆずるを目の前にして、上下の歯を合わせて目を細めるニッとした笑みを浮かべた。


 そして、耳元でなにかを囁いた。何と言っていたか、覚えていない。ただ、彼女に言われるまま、首を縦に振ったことだけを覚えている。




――妄想の中、互いに究極の【愛】を交換し合った。互いに、それは「初めて」だった。



 手を繋ぎ合う。それだけで、幸せが過ぎて、気持ちが良くって、もうこの世界を去ってもいいんじゃないかという考えが起こった。



 こんな自分で申し訳ないと思うと同時、相手から求められるままの愛を一身に受け入れ「これは、どこまでも自由で温かい妄想の世界だから」と自分に言い聞かせて、腕で引き寄せ合うばかりだった。



 七瀬は、紅を刺したような真っ赤な頬のまま、ニッと笑っている。艶めかしくも、舌なめずりをした。人間の唾液に特有なにおいが、ちょっと鼻腔をくすぐった。





――この日初めて、七瀬を女性として扱い、考え、想い、惹かれ、見て、触れていたのだった。


 いつも思考の端っこにあった、胸に触れてみたい、素の体に触れてみたい、抱き合いたいという、ある種の欲望が、妄想と夢という形になって現れた。






――目覚めれば、そこには七瀬の姿はなかった。事が終わって、一緒の布団にくるまって眠りに落ちたはずの彼女は、妄想の世界の中へ、永遠に落ちていってしまった。



 今日は月曜日。週頭しゅうあたまで、学校があるし、何より、七瀬が隣にいないことに、深いため息が吐かれて、憂鬱さと寂しさがいっそう深まった。




……ごめんなさい。俺は、あなたのことを良くない目で見てしまったようだ。欲望のままに、妄想を描いてしまったようだ。




 うるさく叫び散らす目覚まし時計を叩くように止めて、ベッドを降りて、着替えを始めた。




 一日がはじまる。




 七瀬に、今日もまた会いたいと思った。



 しかし、実際に目を合わせたら、気まずくなってしまうのかなとも、思った。

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