第2章 [14]
サティアナが部屋を出て行ったあと、マティアスはひとつ大きなため息をついた。
そして、ルイーズの清書が終わるまで静かにお茶を飲む。
カタン、と、ルイーズが席を立ち、マティアスの隣に腰を降ろした。
「ご確認くださいまし。」
「ああ、ありがとう。」
言葉少なに書類の授受をし、マティアスは書類を確認した。
サティアナがビッグスターとして立派に役目を果たさなければいけないことは判っている。貴族として、民を守るのは当然のことである。しかしひとりの父親、ひとりの母親として、愛娘のことが心配で仕方ないのだった。
書類に目を通し終えて、マティアスは右手で瞼を軽くさすり、己の眼球を労った。
「サティアナが段々と遠い存在になってしまうようだな…。」
「ええ、目の前に座って笑ったり泣いたりするあの子は今も変わらないのに。わたくしはこの頃、あの子に明日会えるかどうかの確証もないような感覚に襲われる事があるのですわ。」
涙を我慢するルイーズをそっと抱き寄せ、マティアスもギュッと目を閉じた。
「あの子は我々の娘であり、ビッグスターという英雄であり、我が守護神様の使いだ。これからいちばん大変になるのは本人だ。我々はなるべく寄り添って、少しでも彼女の心の安寧を守ってあげよう。我々の手から離れるまでは、彼女にとって一番の理解者であることを努めよう。」
「……そうですわね。いつでも笑顔を絶やさない様にいたしましょう。」
マティアスとルイーズはお互いの顔を寄せ合って誓い合った。
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サティアナは自室に戻り、明日からの授業の準備を始めた。
(歴史学、地理学、魔法学、外交学、人体・魔体学。これらの必須科目は、アンハードゥンド領地でやってきた内容とどれだけの違いがあるのかわからないけど、しっかり学ぼう。)
「…あとは、それとなくシャルロッテ殿下が選択なさる科目を聞いてから自分も選択科目を決めようかな。」
ビッグスター養成修養クラスの座学は幹部騎士養成修養クラスと合同の授業となり、それぞれ必須科目以外は選択制である。
選択科目は自由に選ぶ事ができ、一年間で修了する。
特に試験等は無い。あくまでも補助的な科目であり知識見聞を深めるためのもの。なので中にはやんごとなき理由で選択科目を受講しない生徒もいるのである。
ビッグスタークラスの一年生は1日おきにめざめの神殿での修行が入るため座学に割ける時間が多くない。
学年が上がると座学に割ける時間が増えるため、選択科目の授業数も増やすことが出来るが、ビッグスターとしての能力を磨くことが優先されるため、選択科目も必要最低限に留まる傾向である。
それでもシャルロッテが何か選択科目を受講するならば、主である神から賜った御役目のために自分も彼女に従って同じ科目を受講しようと決めたサティアナであった。
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翌朝。
「おはようございます、サティアナ姉様。」
「おはよう、リアム。あさっての朝出発だよね。」
「はい、あさっては姉様と朝の日課をご一緒させてもらうことは出来なそうなので、明日までよろしくお願いします!」
「うん。寂しくなるなぁ。向こうに戻ってからも頑張るんだよ~リアム。」
「はい!私も姉様に負けないように精進します!」
(ふふ、リアムはここ最近変わり出したな。王都に来てからそれは顕著になっているね。甘えん坊の男の子から一人の男子になる、次期辺境伯になる準備をし始めているんだなぁ…。えらいぞリアム!)
感慨深そうにサティアナがリアムを眺めながら、準備運動を始めた。
サティアナの朝の日課は走り込み、体力訓練である。
故郷にいるときからずっと続けている日課である。
王都にきてからはリアムが仲間に加わった。
故郷の城は大きかったので、走り込みは敷地内を周回していたが、王都では別邸の外へ出て昼間とはまた違った顔の朝の町中を走っている。これはサティアナにとってもリアムにとっても良い気分転換になっていた。
走り込みのあとは筋力を鍛える。ここ数日リアムと朝の日課をともにする間、サティアナなりの跳躍力の鍛え方と子供ならではの体術や身体の使い方をリアムに教えていた。悪い大人と対峙した時、身体の大きくないリアムが逃げるために必要な力だと思ったからだった。
「うん!いいねリアム、今のはとても上手な使い方だよ!」
「はい!」
「今のをもう一回やって今日はおしまいにしようか。」
「はい!」
サティアナにとっては、弟とふたりきりで過ごす残り少ない貴重な時間であった。それはリアムにとっても同じ意味を持っており、両親には相談出来ないちょっとした悩み事や、大人には話しても意味がないと思われるようなくだらない話などを姉弟で話すのは楽しかった。
サティアナは、自分が領地で騎士団の先輩方に良くして貰ったように、リアムにもそんな仲間ができれば良いなと思った。あさっての朝皆を見送る際、お師匠様ことゼフラに頼んでこれから先なるべくリアムを見守って貰おうと思った。
愛弟子からのワガママである。面倒見の良い彼のことだ、何だかんだ気にかけてくれるだろうとサティアナは目論むのだった。




