3 北の国の魔女の話
やあやあ、ご機嫌よう、未来の紳士淑女達。
私は見ての通り、しがない──はいはいわかった、今年はもう前口上は終いにするよ──渡り鳥、以下省略。
この冷え冷えとした空気よ。これを味わってこそ、やっとナイトニアに来たんだと実感出来るというもの。ああ今日は一段と寒いね、心が凍みるようだ。昨日来れなかった事怒ってる?ごめんよ。いやその……別に怒ってないなんて気を遣わなくて良いんだよ?……素気無くされるのもそれはそれで複雑なんだ。
大人には断れない酒杯ってものがあるのさ。自腹じゃ飲まない高級品、二度と出会えないビンテージ物、偉い人が目の前で注いでくれた一杯、そして親愛なる友人らと酌み交わす久しぶりの乾杯──人が酒を飲むのは舌で味わう為とは限らない。
酒には滅法強い方なんだが、然しもの私も物量作戦に一兵卒では勝ち目がなくてね。惨敗の翌日には立ち直れないが、今は清々しい気分なもんだよ。
貴重な子供時代の冬の一日を無駄にして申し訳ない。お詫びに金平糖をどうぞ。5粒ずつ取っていって──おチビちゃんは指を折りながら数えると良い、12345、はいこれで5つだ。みんなに行き渡った後に、まだ余ってたらもう一度回す事にしよう。
御覧、この可愛らしい毬栗みたいにツンツンした金平糖は、砂糖だけで出来てるんだ。小さな砂糖粒から愛情を注ぐ職人の手で、ここまで大きくなったんだよ。パパやママが手塩にかけた君らみたいに、ぬくぬくと甘い汁を吸って育ったボンボンさ。
待て待て待ち給え、お菓子を貰ったらすぐ帰ろうとするの止めようか。金平糖はお詫びだって言っただろう?──本日のおやつは最後に配る事にしたんだ。今日はチーズクッキーを用意してるよ。甘い金平糖の後に食べるちょっと塩っぱいクッキーは最高だぞ?──わかってくれて嬉しい。
ナイト湖北は国内屈指の砂糖大根生産地だ。我らが甘味を謳歌出来るのはそのお陰。愛しい冬薔薇の君が為に導入し栽培を奨励した、初代ナイト公の英断に感謝する事だね。
そうだ今日はナイト湖の月の精、ナイト公爵家について──はい、魔女の事を話すんでした。覚えてるよ、酒で忘れてくれるのは大人だけの特権だな。
魔女の歌なんて無いんだけど、これじゃあ吟遊詩人の名が廃ると思わないかい?相棒の名笛、東鳥も歌を忘れると言うもの。ここは一曲どうだろうか?ダメか。
ああ魔女ね、魔女……………………。
正直、私は魔女の話はしたくないんだ。気乗りしない。
思い出そうとすると頭に靄がかかるというか……そう、心が拒絶するんだ。痛みを伴う思い出が多くて、ね。
星が瞬く程に箒でぶちのめされた時とか──何だよ、ちょっと石投げただけだよ、謝ったってば。もう昔の話だ。
幼馴染なんだよ魔女とは。
私が君らぐらいの歳にやった精算済みの過去さ、今は人に石なんて投げないって。もちろん君らもやらないようにね。
そりゃもう、村の悪童全員で謝り倒したよ。バーバヤガーみたいにおっかなかったし──ああ、この辺りじゃ言わないか。
バーバヤガーは、魔女の事だ。と言っても、私が話を聞いた魔女とは別の種類の、怖くて悪い魔女なんだ。妖しい術で子供を攫って喰う、痩せぎすで意地悪な人喰い老婆。そんな怖い化け物が森の奥で、鶏の足が生えた家に住んでるんだよ。そうか、羨ましいもんだ……トアル国にはバーバヤガーがいないんだなあ。
あれ?話した事なかったっけ?ジャックも知らないの!?──じゃあ話した事がなかったんだな……これはうっかり。
私はここよりもっと北の、神聖連邦共和國の出身だよ。その中でも北の端っこの寒村が、我が故郷だ。小麦がろくに育たないから芋ばっかり作ってる辺鄙なつまらない所さ。
だから寒さや雪には慣れててね、こんな冬のナイトニアに稼ぎに来るような吟遊詩人、私くらいだよ?
その辺りじゃ昔から、みんな子供の頃は、早く寝ないとバーバヤガーが来て攫われるぞ!頭からバリバリ喰われてしまうぞ!って脅されるんだ。嘘吐いた時とお手伝いしない時もおんなじように言われるな。
うちの親は語りが上手くて上手くて、子供を震え上がらせる天才だった。もう寝ようと思っても逆に目が冴えて眠れなくなるアレだよ。怖くてトイレにも行けなくなるし散々。
あの頃の私らにとって、魔女と言えばバーバヤガーの事で、魔女はみんな悪い奴だったんだ。
だからな?──石投げちゃったんだよ。
あいつら魔女だ、って大人がヒソヒソ噂してるし、あの子とは遊んじゃいけませんって親にも言われたし。
何より、人喰いバーバヤガーが近くに住んでるなんて怖いじゃないか!
まだ小さい方の魔女ならやっつけられるかも、なんて子供心に必死だったんだ──まあ、結果はさっき言った通りだが。
その小さい方に、妖術でも魔術でもないただの古ぼけた箒で、しばかれながら村中追い回されてね。いやはや、痛いしおっかないし、生きた心地がしなかった。
終いには箒が折れちゃって、箒が壊れたのもおまえらのせいだ!って更に目を吊り上げて怒り狂ってさあ、ここでバーバヤガーにみんな喰われるんだと背筋が凍り付いたよ。
折れた柄の方をまだ振り上げようとした所で、もう1人の魔女が来て止めてくれなきゃどうなってた事やら。
そう、魔女は大人と子供、2人いたんだ。ちょっと前にお祖母さんと孫娘だけで村に引っ越して来てね。
みんな喰われたくない一心でひたすら謝ってさ。孫はまだプンプンしてたけど、お祖母さんは孫もやり過ぎたって、許してくれたよ──新しい箒は弁償させられたけど。元からボロだった癖に……。
ベソかきながら悔し紛れに、バーバヤガーなら折れた箒くらい得体の知れない術で直せるもんだろ!って言ってやったら、折れた箒を投げつけられた上に、あんたまだバーバヤガーなんて信じてるの?ダッサ!って鼻で笑われたんだよ……。
あんな意地悪な女の子、他に見たことない。黙ってりゃ可愛い子にしか見えないのに──とまあ、これが私の経験した魔女との最悪な出会いだ。間違っても、石を投げるのは絶対に止めておくように。
何をどこから話せば良いんだろうか……。
まず、魔女は魔術を使う女性という意味じゃない。魔女と魔術師は全くの別物だ。妖術を使ったり魔物を操ったりもしないし、もちろんバーバヤガーでもないよ。
そうだなあ……一言で表すなら賢人、かな。とても知識が豊富で頭の賢い人の事を、魔女と呼んでいた。何故なら、知識は魔の司る領域だからだ。
人は多くのものを魔から与えられている。知識、魔術、魔力、魔とは神よりもずっと近くで人に寄り添う存在だ。
魔は待っている、人が驕り高ぶり、思い上がるその瞬間を。そして思い知らせるんだ、どれ程役立たずのちっぽけ愚か者なのかを。知識を得る度、人はより深い知識の底無し淵を覗く事になる。手を伸ばしても到底届きそうにない知の果てに、人は嘆き無力感に打ちのめされる。
君らも高い所から落ちて痛い目見た事くらいあるだろう?──高ければ高い程、痛いだけでは済まなくなる。捻挫や骨折、下手すれば死んでしまう。
同じ理屈なのさ、魔も人を高みへと誘って、そしてあっという間に手のひらを返す。その時の嘆きたるや、ただ突き転ばすのとは桁違いだ。そうやって魔は嘆きをより多く効率的にゲットしてるという訳。流石、知識を司るだけあって頭が良い。
だから、魔に頼り切りは良くない。けれど魔がいたからこそ、人はここまで進歩し強くなった。驕る事なく怖れる事なく、程々の付き合いが大事なんだ。
魔女は、もちろん程々の付き合い方を知っている。
でも、神聖連邦共和國──神連國は、唯一絶対の神を信仰していて、その対極である魔を忌み嫌っている。
そのせいで魔女は嫌われ者さ。神連國が興るずっと前から、シャーマンやその末裔はその土地を代々守護してきたのにね。魔女だとバレたら捕まってしまうから、誰にも秘密にして隠れて暮らしている。
うちの村では魔女は薬屋だった。効かない薬しか置いてなかったけど。
性格の悪さと金に汚いの以外は普通の人間さ。
孫の方はもっと普通。箒を持たせるとバーバヤガーだが、打ち解けると面倒見の良い姉御肌の箒の乙女だった。
怪しげな魔術や妖術なんか使えやしないし、惚れ薬も作れないし、子供も攫わない。てっきり攫った子供を煮る為の大鍋だと思ってたら、洗濯用だったし。
私はとにかく悪タレで悪さばっかりしてたからね、やれ肝試しに庭に入っては植えたばかりの苗を踏んづけてしまったり、棒切れ振り回してたらすっぽ抜けて洗濯中の大鍋にクリーンヒットしたり、カエルやザリガニを放り込んで驚かせたり、新品の箒を何度も献上したよ。あんまり何度も箒を持って行くもんだから、お返しに飛切り沁みる塗り薬をくれたんだ、あのケチンボが。親に仕置きとして塗られたけど、あれは金輪際もう二度使いたくないと思ったね。
バーバヤガーじゃなきゃただの偏屈な婆さんだと思ってたのに、魔女だと分かったのは引っ越して来て3年程経ってから。
魔女に命を救われた。
悪疫が村を襲ったんだ。
尻から血が出てね──はいはい、笑い事じゃないって。私の尻穴は健在だから、心配してくれなくて良いよ。
……え?君のお父さんが?……それはその、お気の毒に。お父上の名誉の為に聞かなかった事にしとくよ。丸い輪っかみたいなクッションが良いらしいって聞くけど、お母さんに試しに作って貰ったら?
だからね、悪疫だって言ってるだろう。ケツ穴からもう離れなさい。
ああもう……赤痢だよ。
ナイト湖と魔術の恩恵を受けるトアル国では信じられないかも知れないが、今でも貧しい村では半数以上も死者を出す事がある恐るべき疫病だ。
食っていくだけでやっとの貧しい村だった、魔女がいなかったらどれだけの死者を出した事か──こんな旅雀の身じゃ今度こそもうダメだって思う事も何度かあるけど、その時ももう死ぬんだろうなと思ったよ。
魔女が何をしてくれたのかは、実は私も知らないんだ。ただ、母に水を切らすなと指示したらしくて、吐いても下しても兎に角少しでも良いから飲んでってひたすら飲まされた。
この水、妙に不味いなあ……と思った頃からだんだんと回復して、薄いスープが腹に収まった時は、飲んだスープより涙で出た分の方が多かった気がするよ。
母は反対する父を振り切って、裸足で家を飛び出して行って魔女に縋ったそうだ。
村の西側だけで済んだが、それでも8家族で18人死んだ。酷いところは一家4人が全滅だ。魔女の忠告を聞かなかったんだ……。
でもそれで魔女が実は良い魔女だったかって言うと、それがそうでもなくてね……
その一家全滅した家に火をつけて燃やしちゃったんだ。アレは駄目コレも駄目って、厳しかったらしくて、私が助かってなかったら父は絶対従わなかったって、後で言ってたよ。
魔女の儀式が効いたんじゃなくて、治まるタイミングだっただけだって言う人も結構いたんだな、これが。死にかけたのはお前じゃないから言えるんだ!、って私がキレる前に父がキレてたよ。
魔女の何が良い魔女じゃないかって、……高いんだ。薬代が。末代までかかっても払いなって、病み上がりの私にまで言ったからね、あの守銭奴。
魔女は痩せギスの婆さんだって思ってたのに、ぽっちゃりをかなりオーバーしてる恰幅の良いご老人だった。
その後もダメになった芋畑に魚を埋めて祈祷したり、変な事ばかりやってたよ。
大して効かない頭痛薬を売ってる癖に、拝み倒して症状を話すと煎じて作ってくれる薬は抜群に効いたよ。高くつくけど。
いくら腕が良くてもボッタクリが目に余るって、みんな呆れてたけど……置いていってしまう孫娘の為に随分貯め込んでたみたいだ──心臓を患ってたそうで、ある日ポックリね。
ろくでもない薬しか置いてなかったのも、腕が良いと噂が立つとすぐ異端審問官が来るからなんだ。箒の乙女が言ってた。
私はね、救いようのない馬鹿ガキだったから、魔女にバーバヤガーみたいに人を喰うのかって尋ねた事があるんだよ。
鶏締めるのも手間なのに人間なんて面倒臭くて食わねえよってさ。でもね、その後に言ってたんだ。人なんか食ったって味がするもんかいってね。
子供の時は何も気にしなかったけど、ふとある日気付いたんだ。
魔女達は東の方から迫害されて逃げて来た。
諸国を旅して書物に拝する機会を与えられると、私が生まれるよりずっと前に、北東部は芋の病気が蔓延して何も収穫出来ず、大勢死んだ年が続いた事があったらしい──そして神連國が、救済と言う名の侵略でその辺りをまとめて併呑したんだ。
魔女はそれで住む場所も生きる権利も奪われて、流れ流れてうちの村まで辿り着いた。
ねえ……もし、もしも、人を食べたら。どんな味がするだろうね?
飢え果てて、それを食べるしか生き残れなかった時、口にしたなら。
きっと美味しいご馳走だよ、久しぶりの食べ物なんだから。
でも……どんな味か、説明しようとしてもきっとわからない──味なんてするもんかいって、あの人は言っていたんだよ。
私は、シャーマンの話は魔女ではなく、箒の乙女から聞いたんだ。お祖母さんは最後まで魔女である事を認めなかったからね。でも箒の乙女は私には、お祖母さんは魔女だったと教えてくれたよ。大魔女と言うべきかな。凄い人だった、色々と。
孫娘は魔女にはしないって、彼女には何も教えなかったんだ。大切に受け継がれてきた筈の知恵と誇りを、蓄えて来た知識を、自分の代で絶やす決断をした。容易い事ではないだろうね。
だから、箒の乙女は魔女だけど、魔女ではない。魔女にはなれなかったんだ。古のシャーマンから脈々と受け継がれてきた秘術は、頑固で潔いお祖母さんと共に失われてしまった。
それでも頑固な部分はそっくりだった箒の乙女は、隙を見ては手技を盗み取り、残されたメモやレシピを見て、結局……立派な魔女になったよ。
僅かな手がかりと文献を探し当て、古い記憶を思い起こし、検証や考察を重ねて、古代のシャーマンの伝承を復活してみせた。秘術は失われたままだけどね。
私はそれを手伝って、一緒に調べたんだ──禁書をどうにかして読んで来いとか、箒で恫喝されながら。
断れないよ、魔女だから頭が良いのに、それ以上に武闘派なんだもの。村の伝説の箒の乙女、そう名乗るにふさわしいくらい、彼女は本当に強かったんだ……その後も勝てた例がない。一昔前なら英雄譚に歌われる戦乙女になれたかもだ。
その後に村に左遷されて来た、落ち目の垢抜けない鈍感でビビりの生真面目なセンス皆無の司祭とあっさり結婚しちゃったけどね。
……何だよ、その目は。子供がそんなマセた目で大人を見るんじゃありません──はいはいはいはい、好き好き大好き、好きでしたとも幼馴染が。
さっさと結婚しちゃってさ、私には事後報告だよ事後報告、夏に3人目が産まれましたって、何なのどういう事!?
その結婚待った!って、颯爽と式場に乗り込む事も出来ないんだ……もう帰る動機も度胸もないよ。でもでもだってといつまでも、未練がましく詮無い事を考えてしまう。冬が死を思い続けるのと同じでさ──違うって言わないで、今は傷を抉らないで優しくしてあげて欲しい、私に。
おいジャック、笑いを堪えて慰めてくれるのはまだ嬉しいけど、おっさんって呼ぶのは止めてくれないか。私はまだ君らのパパママより若いんだから──嘘!?え?冗談だよね……本当に?
ちょっと待って、自分の歳を数え直してみるから……で村から……師匠が……トアルで……となるとこの頃には……うわあ受け入れ難い真実だな、ナイトニア勢はリアルが充実し過ぎてやしないかい!?
ああ、時の流れは無情にして冷酷だ……冬の乙女よ、我が人生を停滞の檻に匿い賜え。
許そう、もう君らは好きなだけおっさんと呼んでくれ……
今日はただの身の上話にお付き合い頂きどうもありがとう、明日は歌も曲も披露出来る事を祈るよ。
では、お待ち兼ねのチーズクッキーをどうぞ。酒宴のツマミに出されたんだが、美味しかったからキープしておいてあげたよ。一体どこのマダムのレシピだろうか。
味に覚えがあったら、可愛らしくおねだりしておいてくれないかい?
東鳥……鶫(つぐみ・冬の渡り鳥)から。※当て字です。口を噤み(つぐみ・口を閉じて黙って)囀りが聞こえて来ないという名前を持つ鳥。
ボンボン……元はアーモンドを砂糖でコーティングしたドラジェのようなお菓子。ガムとかグミ、飴も今ではボンボン。