8.町
町に入ってから何度も何度も感じる。本当にファンタジーの世界みたいだ。
何でそう思うって、みんな楽しそうだから。
露天で野菜らしきものを売っている人も、立ち話をしている人も、人生の全てを面倒と思っていそうな、投げやりな態度の人間は一人もいない。
「すげぇ。」
コンピューターや電線などは一度も見かけていないから、もしかしたらここにはそういうものはないかもしれない。ここに来るのだって歩きだったし、凄く大変だった。
でも、これは簡単には戻れなくなるかもーーー
「ミタカの目が輝いてる。」
「ふふっ」
エスターとリューはなにやら楽しそうだ。
「いつもお買い物をするお店がありますから、そちらへ行きましょう!」
エスターはリューと腕を組むと、あっちへこっちへとふらふらしていたリューを引っ張って歩いていく。結構な距離を歩いたというのにタフな子だな。
うあーと気の抜けた声を出すリューをエスターはズルズルと引きずっていく。その後を着いていくと、裏道を抜けた先、民家と民家の間、変という言葉では片付けられない変過ぎる異物が突如出現した。
「何これ。」
そこには、煌めくファンタジーのような世界観をぶち壊すように、工場が建っていた。
魔法の工場ではない。俺もこの目で見たことがあるような、上へと開く大きなシャッターだ。その横には出入りをするための鉄扉まである。やっぱり夢なんじゃないのかこの世界。
あまりの違和感に、再び自分の正気を疑ってしまう。じりじりと、建物に寄って行って観察する。巨大なシャッターが目に入ったときは工場だと思ったが、シャッターの上にはベランダ付きのアパートが2階分乗っている。そしておそらく屋上と思われる場所から不自然に渡り廊下が繋がっていて、その先には何もない。
「????」
もはや変過ぎて、逆に周囲に溶け込んでいるような気がしてくる。俺の理解の範疇を超えている。ゲームがバグってオブジェクトが融合してしまったみたいな建造物だ。夢の中で、教室の扉を開けたらプールだった、でも夢だからそのままプールへ飛び込む。そんな感覚。
「ニールさんいらっしゃいますかー?」
うっかり自分の世界へトリップしそうになるとろへ、エスターの声が聞こえきて現実へ引き戻された。
鉄扉をドンドンと叩いている。シャッターはあるのにチャイムもベルも無いらしい。
さらに奇妙な極まりない建物へ近づくと、シャッター付きの建物の裏側には町に存在する他の建物と同じような民家がくっついていることに気がつく。一体どれが本体なんだこの建物。
「何だこの奇怪な建物は……。」
「ニールはちょっと、変わっている。」
「ちょっと……?」
リューが困惑する俺を見兼ねてフォローを入れてくれるが、どうみてもちょっとではないし、これがちょっとと言われるとむしろこの先が心配でたまらなくなってくる。
エスターは扉をドンドンと叩き続けている。
「ニールさーん。ミラさーん。」
「ごめんね、今日はお出かけしてるの。」
涼しげな声と共に、建物の脇から黒いスカートの女性が現れる。半端なくスタイルがいい。ニールという名前から男性が出てくると思って油断していた俺は、突然現れた美女に少し背筋が伸びる。
「そうでしたか!こんにちはミラさん。お願いしていた物を引き取りに参りました。」
膝を曲げて可愛らしく挨拶をするエスターに、まるで舞浜だなぁ……と人ごとのように考えてしまう。ミラと呼ばれた女性は、いらっしゃいとエスターを抱きしめる。そこ、挨拶は統一じゃないんか……。
異文化を目の当たりにして油断していたところに、ミラからそちらは?と話を振られ、少し緊張しながら挨拶をする。
「初めまして、ミタカと申します。昨日、と、飛んで来ました……?」
「ミタカ」
「はい。」
「東京ね。」
「っ?!」
東京という日本よりも詳細な地名が出たことに激しく動揺する。
「私はミラ。よろしくね。」
「東京を知ってるんですか?!」
思わずミラに詰め寄ってしまう。言葉はずっと通じていたが、外国で初めて日本語が通じたような気持ちだった。
「東京から来た人がこの家を建てたらしいの。」
ミラは少しも狼狽えずに答える。ここには東京から飛ばされて来た人がいたんだ。しかも、ミタカという単語に反応するなんて、同じ場所からここへ飛ばされて来た可能性がある。今日一番のショックを受け、口をポカンと開けたまま固まる俺の背中が強く押される。
「リューは少し座りたい。」
建物へ早く入れということらしい。
小さな手に押されるままに、開かれた鉄扉の中へ入る。ミラが壁のスイッチを押すと、バチっと音がして室内が明るくなる。電球だ。この世界には電気があるのだろうか、電線らしきものを見た記憶はないが……。
建物の中は空間の半分に木箱が積まれ、残りの半分にはガラクタのように見えるものが乱雑に積まれていた。皆の反応を見るに、流石にここは居住空間でないらしい。
「少し待って」
ミラは積み上げられた木箱を、スカートであるにも関わらず軽快な足取りで登ると、一つ木箱から中身の入った大きな布の袋を取り出した。そして、そのまま袋を抱えてスカートを翻しながら飛び降りる。
「エスター!頼まれてたものはこれで全部よ。」
「はい、いつもありがとうございます。こちらお代金です。」
2人は袋と金色の硬貨数枚を交換する。あれがこの世界のお金なのだろうか。
「ミッミラさん!」
意を決してミラへと話しかけた。聞きたいことがたくさんある。ここへ来てから出会った誰よりも、“飛ぶ”ことに近い情報を持っている人だと感じる。
「なぁに?」
ミラは何を聞かれても余裕と言った態度だ。
「この家を建てた人は、今どこにいるんですかっ」
「あー、それはごめんね。もうこの世界にはいないの。4年前にどこかへ飛んで行っちゃった。」
ミラは申し訳無さそうに肩を竦める。
「飛んで帰る方法が知りたいんでしょう?ごめんね、それは分からないの。ニールに聞いたら彼の事くらいは分かるかもしれないけど……。」
ミラは困ったに眉を下げる。だけど、そう語りながらも視線が全く俺を捉えていない。そもそも俺に全く興味がないらしい。穏やかだから分かりづらいけど、俺と話すことに興味を持っていないみたいだ。
「ニールは少し遠出してるから、帰ってきたらまた今度、話を聞けばいいわ。」
そう言うと、ミラは話を終わらせてしまった。本当はもっといろいろと聞きたいことがある。しかし、恩人エスターの大切な友人であるミラへ強く出ることができないから、今日のところは諦めるしかない。
そもそも今が初対面なんだ、ここで問い詰めてこれからの関係を悪くしたくない。少なくともニールという人物に会うまでは仲良くしないと……。
「リュウ!お茶を入れてあげるわ!」
「う、うん。」
俺への興味のなさとは対照的に、リューへ急接近して強引に手を握る。リューは今までに見たこともないような表情で、歯切れの悪い返事をすると、ミラの後をついていった。
エスターはメモを広げて何やら考え込んでいる。手持ち無沙汰になった俺は、近くの木箱に腰を下ろし一息つく。
疲れた……
思いっきり伸びをすると、体から力が抜けて眠くなってくる。ちょっと仮眠しようかな……。
–
「そろそろここを出ないと日が落ちるまでに帰れないわ。」
ティーカップを持って複雑そうな顔をするリューと、今日一番にウッキウキのミラが淹れてくれたお茶を飲みながら休憩しているうちに、そんな時間になっていたらしい。仮眠することもできたし、体力はばっちり回復出来た。
この奇妙な家のもう一人の住人であるニールについてもミラに尋ねたが、ヘルメットのようなクリーチャーの絵を書いた後、建築が好きということしか教えてくれなかった。結局、ミラは絵が下手ということしか分からなかった。
「また来てね~」
シャッターの前でミラが手を振る。まだまだ聞かなければいけないことがある。きっとまたすぐにここへ来なければいけない。そんな思いを感じながらずしんと重くなったリュックを背負い直した。