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4.ようこそ

 瞼の向こうに眩しさを感じ、ベッドから飛び起きた。窓から差し込む朝陽に思考が停止する。

太陽が昇っている……?


「やらかした!」


 5時には起きなくちゃいけなかったのに!今日は始業前から忙しいんだ。早く着替えて今すぐ家を出ないと。

 そう思いながら着ていた服の裾に手を掛けたところで、自分が纏っているものが、いつも寝ている時に着ているTシャツでなはないことに気がついた。なんだこれ、こんな服は持っていない、大体よく見ればこのベッドだって俺のものじゃない。


 目を泳がせながら部屋の真ん中に立って辺りを見回す。ベッドが一つ、ベッドサイドテーブルが一つ、窓が一つ、壁には見たこともない土地の地図が掛かっている。一つも知らない、こんな部屋知らない。

 首筋にゾワゾワと鳥肌が立つのを感じる。ここはどこなんだ。仕事のし過ぎでつに何かやらかやらかしてしまったのか?


 絶望しかけたところで、昨日の出来事を思い出した。終電を逃したこと、携帯を投げ飛ばしたこと、池で溺れて死にかけたこと、森で遭難しかけたこと、少女とこの宿屋へ辿り着いたこと。


「池に入ったあたりから頭おかしくなったんかな……。」


 さっきまで眠っていたベッドに腰掛け、頭を抱える。記憶が、途中からファンタジーになってしまっている。どう考えても自分の頭が過労でおかしくなったとしか思えない。

 あのクソボケ上司のせいだ…。これで労災は下りるのだろうか、労災が下りなかったら絶対に許さないと、歯が欠けそうなくらいギリギリと奥歯を噛みしめる。


 怒りで爆発しそうな頭に、コンコンコンッと扉がノックされる音が響く。


「失礼致します。」


 俺が返事をする前にスッと扉が開かれ、丈の長いワンピースに、白いエプロンをした少女が静かに部屋の中へと入ってくる。顔を伏せながら扉を両手で抑え、なるべく音を立てないように気を使いながら。



「お゛はようございます……。」


 思ったよりドスの効いた声が出てしまった。先手必勝で挨拶しようと思ったのに、危ない職業の人みたいになってしまった。


「わっ起きてらしたんですね。おはようございます。」


 少女は俺が目覚めていたことに驚いたが、すぐに笑顔で朝の挨拶を返してきた。輝くような笑顔だ。その笑顔につられて思わずへらっと笑ってしまう。エスターっていうんだっけ、こうしてみると本当に可愛らしいな。


「どうかしましたか?体調はいかがですか?」


 その顔をじっと見つめていると、少女はさらに目尻を下げて優しく微笑む。その笑顔に、俺の思考は停止する。

 あのピンクがかったクリーム色の髪どうやって染めてるんだろう。ていうか日本人じゃないのかな。目が大きいな、今まで生きてきた中で一番可愛い気がする。

 難しく考えることを放棄した頭は、目の前のことだけを実況し続ける。


「どこかお辛いところはございませんか?」

「えっ、あぁ、大丈夫です。むしろあなたは大丈夫なんですか。」


 はい、問題ないです。そう言いいながら少女は窓を開ける。爽やかな朝の風が入ってきて、少女の前髪を揺らす。その風を柔らかな風を感じて、これは現実だと感覚で悟る。それと同時に、ここはどこなんですかと聞くべきか、聞かずにいるべきか、と脳が審議を始める。でも、もしそれを聞かなければ、もう一生自分の部屋には帰れない気がすると直感が告げている。


「エスターさん?こ、ここはどこなんですか。」


 意を決して少女の背中に話しかける。この質問を、この少女へするのは怖かった。だって、この子の服装はどうみても現代日本の服装じゃない、コスプレなんかじゃない、日常的に使われているのが分かる布の痛み具合、エプロンの汚れ方、それは昨日今日で用意出来ないものだ。明るい部屋で見れば尚更それを感じる。


 自分で質問をしておきながら、バクバクと鳴る心臓を誤魔化すようにベッドから立ち上がる。


「はい、エスターです!ちなみにここは私の叔父の宿屋ですよ。」


 少女が穏やかな声で答える。ゆっくりとした動きで、ベッドサイドに置かれた水差しから、側に置かれたコップへと水を注ぐ。その光景を見ていると、今日は仕事へ行けないかも、なんてやけに現実的な恐怖を感じる。


「いやそうじゃなくて。」


 俺が聞きたいのはそういう事じゃない。

 静かな部屋に、水がコップに注がれる心地良い音が響く。トクトク、という音は強いリアリティを俺にもたらす。


「……。」

「公園の中なんですか。」


 戸惑うように押し黙るエスターを良いことに俺は一人で喋る。


「池に落ちちゃって!携帯落としちゃったから……」


 俺は今、現実逃避をしている。

 俺は仕事のし過ぎで頭がおかしくなってしまった。仕事のし過ぎでついにあたまがおかしくなったんだ!!俺のあたまが……。俺がおかしいんだ。


「ここは公園ではありませんよ。」


 そんな俺の気持ちを裏切るように、少女は優しい声でどうぞ、と水の入ったコップを両手で差し出してくる。

 もし今コップを受け取ってしまったら、もう現実へ戻れないようなそんな気がした。コップを受け取るのを躊躇って、指先が空を切る。


「…ありがとう。その、もし、頭がおかしいと思ってもちゃんと答えて欲しいんだけど、ここって日本?」


 少しヤケになって質問する。もういっそ楽にしてくれ!


 だが、少女は俺の言葉を聞いて一瞬唇を震わせた。そうですよ、か、違いますよ、のどちらかでバッサリと切り捨てられると思っていた俺は面食らう。この少女は何を言おうとしているのか、一体何と返されるのか、どんな返しをされても動揺してしまう、そんな気がしている。


「にほん、聞いたことあります。やっぱり飛ばされてきた方だったんですね。」


「は?飛ばされ?」


 少女は予想とは大分違う答えを返してきた。飛ばされるって何だ。俺は実は突然海外へ左遷になっていて、その出来事がショックで記憶を失ってたのか?というか、”にほん“を聞いたことがあるって、何だ。


「この世界へはたまに人が飛んでくるんです。にほん?から飛ばされてきた方が以前にもいらっしゃいましたから、恐らく隣の世界ではないでしょうか。」


 少女はさも当たり前のようにペラペラと語る。この道ではよく交通事故が起きるんだと説明するくらいの当たり前の知識のように。


「この世界?」


 自分自信へ問いかけるように繰り返す。


「飛ばされてきた?」


 気付きたくない。映画の見過ぎだ。この現代の日本とは思えない少女の服装や部屋の内装も、地図に書かれた知らないのに読める文字も、違和感があるのに当たり前のように喋る事ができる自分の言語も、全部気のせいだ。


「私嬉しいです。」


 少女は俺が受け取らなかったコップを再び差し出す。


 やめてくれ、まだ心の準備ができていない。


「飛んできた方なんて本当に本当に久しぶりです。」


 俺に現実を突きつけないでくれ。


「この宿と、この世界へようこそ!」

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