39.開かずの間
「今日もいい天気ですね、お客様もいらっしゃるといいのですけど。」
ああああああばああああああ……
「そうですね、人が来ないとどうにもなりませんからね。」
うぎゃああああああ……
「ええ……もうちょっと来てくださると嬉しいですね。」
だあああああぁぁぁぁぁ……
「俺ももっと頑張りますね!」
朝の清廉な空気に、叫び声が混じってくる。恐らく2階の掃除をしているであろうサヴィの声だ。いい加減慣れたけど、うるさいことに変わりはない。
ここ数日であの男のあとにも何人かお客さんが来ていた。彼らもこの叫び後を聞いていたはずだから変な噂が立たなければいいけど……。
「サヴィさん大丈夫でしょうか。」
「本人が大丈夫って言うんだから大丈夫でしょう。」
うっかりするとパワハラだからな。俺はパワハラのない企業を目指しているから……
「それよりも、聞いてほしいことがあるんですよ。」
「な、ん、ですか?」
「次に雇う人のことなんですけど、優先順位をつけて雇っていこうと思ってるんです。」
「そ、そうですね!お掃除の方も雇う事ができましたから、次はどういたしましょう。」
若干挙動不審な様子のエスター。俺が何か爆弾発言をするとでも思っているような態度だ。
「エスターさん何か……」
その時ピタっとずっと聞こえていた叫び声が止まった。
「し、死ん……?」
「まさかそんな不吉な。」
あまりに唐突に止まった叫び声に悪い想像を膨らませてしまう。叫びすぎて血でも吐いたんじゃないか?そうでなくても錯乱して頭をぶつけたとか、そういう可能性もある。やばい俺パワハラじゃん?
不安げに天井を見つめるエスターとの間に、見に行くか、どうするか……という空気が流れる中、バタバタと誰かが階段を駆け下りてくる。
「エスターさん!!ちょっと聞きたいことあるんすけど!!」
「生きっ……どうか致しましたか?」
「2階の一番奥の部屋開かないんすけど!」
「それは……。」
サヴィ生きてた。
しかし、2階の一番奥の部屋か、あの部屋には俺も入ったことがない。
俺が宿の中を掃除をしていた時も、あの部屋は掃除をしなくていいと言われていたから部屋の中がどうなっているのか全く知らない。建物全体でもあの部屋だけ違う鍵になっていて、マスターキーでも開かないという話を以前ノアがしていた。鍵をなくしてしまったらしい。
所謂開かずの間というやつだ。しかし、それを聞いたのもここに来てすぐのことだったので、詳しいことについては聞けていない。俺からしてみれば完全に謎の空間で、中が気にならないと言ったら嘘になる。
「そこは掃除なさらなくて大丈夫ですよ。」
「えっ?!でも外から見ても窓とか凄い汚れてるし、掃除したいす!」
「そうですか……でも、鍵をなくしてしまっているので……」
「開ければいいんすか?」
「えっ」
当たり前のように開ければいいと言い放ったサヴィは、どこから持ってきたのか針金を取り出す。でもやっぱり、素手で触るのは嫌なのか手が震えてまくっている。すっごいブレてるけど大丈夫?
「開けられるのか。」
「任してくださいよ!」
「……ではお願いします。」
-
サヴィはわーわーと騒ぎながら鍵穴に針金を差し込む。そして、カチャカチャと針金をいじっていると、5分もしないうちにガチャっと音がして鍵が開いた気配を見せる。
「本当に、開いた……。」
「はい、開きました!」
エスターは呆然として、息を震えさせながらドアノブに手を掛ける。エスターがこんな様子になるなんて、この中には一体何があるんだろう。
一度胸に手を当てて深呼吸をすると、エスターは扉をゆっくり開いた。
「うわっ!」
「え゛あ゛」
扉を開いた途端淀んだ空気と共に埃が廊下にぶわっと広がる。
「あ゛」
「おい!サヴィしっかりしろ!!」
サヴィが白目を向いて倒れる。突然頭から爪先まで埃に包まれて、気絶するほどショックだったらしい。肩を掴んで揺するが起き上がる気配はない。
「エスター!」
名前を呼ぶが聞こえていないようで、呆然と立ち竦んでいる。ふらふらと覚束ない足取りで部屋の中へ入って行く。
「ちょ、待って!」
サヴィを廊下の端に寄せてからエスターの後を追う。お前は申し訳ないがもう少しそこで寝ててくれ。
「う……!」
部屋の中は長年掃除されていないようで、半端じゃない埃っぽさだった。舞い上がる埃に、ごほごほと咳き込み、息も絶え絶えになりながら部屋の窓を開ける。
「ゴホッゴホッちょ、エスター!」
咳き込みながらエスターに声を掛けるが、それにも応じない。
「本当に……」
手で埃っぽい空気を払いながら、部屋の中を見渡す。
中は俺が想像していたよりも普通の部屋で、俺が使わせて貰っている部屋とそう間取りの違いはなかった。目立つものと言えば、壁一面が本棚になっていることだ。
「お、すげぇ本だ。」
窓から新鮮な空気が入ってきて、俺に酸素を届けてくれる。長い間使われていないだけあって、積もりに積もった埃で喉がやられてしまいそうだ。
「ここは、お兄様の部屋なんです。」
「そうなんだ。」
「だから、ずっとここは閉まったままになっていました。ずっと……
開かずの間はエスターの兄貴の部屋だったようだ。今まで飛んでいったという情報だけで何も分からなかったが、ここに部屋があったのか。よく考えてみれば部屋があっても何もおかしくはないのだが、エスターは普段の生活の中で兄の話題を全然出さないので、てっきりここには住んでいなかったのかと思いこんでいた。
「お兄様は、鍵を持ったまま飛んで行ってしまったので、もうここは帰ってくるまで開かなくてもいいかななんて思っていました。」
なるほど、だから鍵がなかったのか。それにしても自分の部屋だけ違う鍵にするなんて変わってる人だったんだな。
「そっか、なんか無理やり開けさせちゃってすみません。」
「いえ……むしろこういった機会がなければ開けられないままになっていたと思いますから。」
ちょっと見てもいいですかと言って、口を押えながら本棚に収まった本の一冊を抜き出す。文庫本ほどのサイズで、背表紙には何も書かれていない。
片手で埃を払ってから適当なページを開くと、手書きの文字がズラッと並んでいた。
「これ、日記かな」
人の日記を盗み見るのはあまりいい気分はしないが、エスターも特に止めないのでそのままペラペラとめくる。
すると、そこに気になる記述を見つけた。
“湖と隣の世界“
「これって……」
その言葉に心臓が大きく跳ねる。これを読んだら、自分はここから本当に帰ることになるのではないか。と焦る。俺は帰り方を探していたはずなのに。
「世界を飛ぶ方法……」
次のページをめくると、興奮したように崩れた文字が残されている。
飛べる時は大体森が動いているようだ。
いつかは場所によって違う(湖の次は明後日!)
あの湖の底から飛べる(必要なものを鞄に詰める)
どうやら本当に最初から隣の世界へ飛ぶつもりで、あの湖に飛び込んだらしい。
「こんな準備していたなんて、お兄様はもう……」
「明後日ていつの明後日なんだよ……。」
エスターも少し呆れたようにため息をつく。こんな満ち足りた世界から異世界に飛ぼうなんて、ちょっと、いや大分変わってる。特にこの世界の人にしては。
というか
「あの湖以外からも飛べるのか。」
「そのようですね。」
もしかしたら、俺は近々本当に帰ることになるんじゃないか?本当に……
「帰れる……?」
そう思うと、自分でも理解のできない寒気が背中を走った。




