35.相談
地図が想定より早くなくなったので、早々に宿へ戻ることになった。
ダリアはよほど嬉しかったのか、行きの時ほど怯えた様子はない。相変わらず3人で手を繋いではいるけど、目を瞑らないと歩けないなんてことはない。
「全部売れたわね。」
「ああ、本当によかった。嬉しいね。」
「ふふ、本当に、売れた!」
むしろリューの方がどこか上の空で、目の焦点もあっていない。あれだけ売れると豪語した手前、売れませんでしたでは終われなかったから、売れて本当によかった。
絶対売れると確信はしていたけれど、実際にあの勢いで売れるのを目の当たりにすると、それはそれで嬉しい。俺の見立ては間違ってなかった。
「ふふ、また早く森、動けばいい。」
「いやそれは勘弁して。」
リューは嬉しさのあまり物騒なことを言っている。確かに森が動けば次の地図を作って売ることができるけど、そこまで頻繁に動かれては生産が追いつかなくなってしまう。
「追加の発注はもちろんするわよね?」
「ああ、当たり前だ。宿でも売りたいしな。」
ここまで順調だとエスターに報告するのも楽しみだ。どんな顔して喜んでくれるだろう……。
-
てくてくとひたすら森の中を歩く。
最初は片道ですらあんなにしんどかったのに、もうそこまでの辛さは感じない。今なら一日に2往復でもできそうだ。進んでやりたくはないけど。
「あの、それで、少しいいかしら?」
「うん?」
視線を左右に振り、落ち着かない様子のダリア。俺の握っている手に力を込めてくる。
「もしかして、こないだの相談?」
「そ、そうよ。」
この間聞きそびれてしまった相談は、俺はてっきり森が怖いということについてかと思っていたが、どうやら違うらしい。
「あの、その……」
一瞬リューに視線を向けて、どうしようかと考えている素振りを見せる。
「リューには何も聞こえていない。」
リューが珍しく自ら空気を読んでパッと繋いでいた手を離すと、両手で耳を塞ぐ。
「いえ、聞いて。リューにも聞いてほしい。」
ダリアはそっとリューの手を掴んで耳から外させる。その強張った表情に、一体どんな深刻なことを相談されるんだろうと息を飲む。俺だけでは解決できないことだったらどうしよう。
「あの……」
「私……も…………」
「も?」
「文字が読めないの……」
まさか、と思った。
ダリアは顔を伏せて、俺とリューの返答を待っている。彼女が文字を読めないなんてまるで気がつかなかった。少なくとも今までそれで困る瞬間はなかった。
彼女は何を思って相談相手に俺を選んだんだろう。俺は専門家でもないし、魔法使いでもない。もし治して!と言われてもそんことはできない。
「それで、どうして俺に?」
「ミタカはっ!ミタカの世界では普通なんでしょう?文字を読めることが!」
どこでそれを聞いたんだろう。
確かにあの世界では文字を読める事が、当たり前だった。しかし……
「まぁ……俺の居たところでは読める人が多かったよ。」
「だったら!どうやったら読めるようになる?!皆読めるなら、私だって……!」
全員がそうではない。お嬢とまで言われるダリアが文字を読めないのは……
ダリアは必死だ。必死に俺にしがみついてくる。俺という異物が、何か解決策を持っているのではないかと期待している。隣の世界にある未知の技術を求めて縋ってくる。
「飛んで来た人には初めて会ったの……!」
しかし、俺にはそれをどうすることもできない。この世界の文字を理解できていても、理論を何も知らないから普通に教えることもできない。
「ダリアは今まで文字を学んだことは?」
「あるっあるわよっ……私が双子のネリネと同じ教育を受けていないわけないでしょうっ!」
お嬢、と呼ばれるダリアとネリネは教育を受けていないわけじゃない。むしろその辺の一般人よりもいい教育を受けているんだろう。これは俺の推測だけではなく、ネリネの手紙からも分かることだ。彼女らはきっと人より高水準の教育を受けてきている。それにも関わらず文字を読めないというのは、つまり俺にはどうにも出来ない。
「そうだよね、ごめん。文字はどんな風に見えてるの?」
「う、」
「う?」
「動いて、見える……。」
文字が動いて見える、つまり普通とは違う見え方をしているようだ。つまり、無学から来ている非識字じゃない。これは俺でなくてもきっと治せない。それに、治すものじゃない。
「ダリア」
「何」
「俺にはそれは治す方法は分からない。だけど、それはきっと治すものじゃないと思うよ。」
「そんなっ……私は活字拾いもできないのよっ……。」
印刷所の娘なのに、跡取りなのに、文字も理解できていないなんて、情けなくて死んでしまいそうだと嘆く。目が潤んで、今にも零れ落ちてしまいそうだ。
「わっ私は、文字も読めないのに、努力が足りないから……っ」
「どうして?リューは、ダリア好き。」
「すっ……だって、あなたと違ってまともに本を読むこともできないのよ。」
以前、リューの記憶力についての話をした時に言っていた。本を何度も読み直さなくて済むのはうらやましいと。あの時はそうだな、としか思わなかったけど、何度も読み返すというくらいだから、動く文字を何度も見つめなおして理解しようとしているんだろう。
「リューは文字が読めなくても好きだってよ。」
「な、何で?私は人並み以下なのに……」
「本が読みたいなら、リューが読んであげる。」
いつものあの自信に満ち溢れてたダリアに戻ってきてほしいと思う。こんなことで自信を失って欲しくない。
彼女は仕事が出来るし、誰よりも真剣に取り組んでくれる。文字が読めないことで今まで迷惑したことなんてない。今日だってダリアの力がなければ成功しなかったんだ。
「今日まで文字が読めないことに全く気がつかなかったよ。だって、いつもちゃんと覚えているだろ?何でも紙に書いて覚えようとしている俺と違って、紙に書いて覚えることもない。それなのに、全部覚えてるってことは努力してるってことだ。」
「努力してる……?」
「人より苦手なことがあるってことは、それだけ普段から努力してるってことだよ。」
今の俺は新入社員も同然だから、毎日メモを撮りまくっている。エスターの指示は分かりやすいけど、俺がそれをきちんと覚えていられるかはまた別の話だ。
仕事中メモを一回も取れないなんて考えたくもない。毎日毎日メモを取って、見直して、やっと一人前に仕事が出来るんだ。いくら真面目にやっていても忘れるものは忘れる。そういうものだ。リューのように特別な能力がないダリアは、一体どれだけ気を張って普段の生活を送っているのか。
「私は、人並みになれてる?」
「人並み以上だよ、今日だって大成功だったろ!」
「そうだそうだ。」
「後でノアにも聞いてみよう、何か分かるかも。」
「ノアは……頼りになる?」
ノアは仮にも医者だからな。
「だから、心配しなくていいよ。」
「そっか、そうかしら……。」
自信をなさそうに眉を下げるダリアの腹に、リューががしっと抱き着く。
「一緒に本読んで。リューは文字、読める。だけど理解できない言葉ある。」
「あ、あら、じゃあ仕方ないわね。私が言葉の意味を教えてあげるわ。ちゃんと覚えているから、ね。」
少し照れたように微笑んで見せてくれる。
良かった、笑顔になってくれて。
「そういえば、前に来たお客さんが双子ちゃんの片方が泣き虫って言ってたけど」
「うるさいわね、泣き虫で困ることあるの!?」
「泣いてるダリア、面白い。」




