2.少女
「だ、大丈夫ですか…?」
聞きなれた緊張している人の声だ。
「大丈夫でーす……。」
でも心地よい声、聞いていると眠くなってくる……。
「えっあのっ!ちょっと!ここで死なないでください!」
声がフェードアウトしていく俺に、少女は驚いたような心配したような、でもなんだか少し嬉しそうな顔をする。風になびく髪は月の光を受けてきらきらと輝いている。海外の人かな、すごいかわいい。眠気に従って意識を手放そうと瞼を閉じると、少女に胸ぐらを掴まれ優しくぺちぺちと顔を叩かれる。
「起きてくださいっ死んじゃだめですよ!」
少女に腕を強く引っ張られるが、抵抗する元気もない。瞼が勝手に閉じていく…。
「ど、どうしよう!死んじゃう!」
少女の焦った声が聞こえるが、眠気に抗えない二徹の俺は体から力が抜け反応出来ないでいる。
「こ、こうなったら……。」
ゴッ
「いってぇ!!」
凄まじい頭突きをくらった。
女の子に本気の頭突きをされる日が来ると思わなかった。頭が割れるかと思った。
だけど、目は覚めた。意識が覚醒すると、体が思い出したように突然小刻みに震えだす。そういえば俺は寒い格好だった。
「ごめんなさい!痛かったですよね……?」
「だ、大丈夫です……。」
暖かい少女の手で冷え切った手を掴まれ、その暖かさになぜだか涙が出そうになった。
「こんなに冷えて!やっぱり死にそうではないですか!このカンテラでせめて暖まってください!」
「……ありがとう。」
少女が腰に下げていたカンテラを目の前に掲げ、つまみを捻ると、じわっと灯りが点く。どういう仕組みなのかは分からないが、暖かい、指先に熱を感じる。
「あったか……。」
「湖に落ちたのですか?」
「はい…………湖?」
「随分と体が冷えていらっしゃるようですが、まだ肌寒い季節ですから体を冷やしすぎるのは体に悪いですよ。」
「はい……肌寒い?」
単語がいちいち引っかかる。この少女は今、湖と言った。この池は湖というほど広くないし、湖と呼ぶ人なんていない。それに、今は真冬で肌寒いなんてもんじゃない、はずだ。俺の体がよほど冷えているのか、もはや寒さは感じないけど。
「森で迷われていたのでしょう?もしよろしければ私の家が宿屋ですので、いらしてください。」
「宿?いいんですか?」
「はい、もちろん!」
体が冷えきってしまう前に行きましょう、と言う少女に手を引かれて立ち上がった。本当はもう歩きたくないくらいだが、こんなところから早く出たいという気持ちの方もあるのは確かだ。
しかし、この可愛らしい少女は変わっている。こんなレトロなカンテラを持ってこんな夜中に公園にいるなんて、変わっている。とてもじゃないが、現代人とは思えない。
さぁ、行きましょう、と振り返った少女の顔は、手に持った光に照らされ、まるで絵画のようだった。
-
地図を見ながら少女は俺を先導する。時折首を捻っているにが心配だが、Uターンすることがないので、一応迷ってはいないようだ。
先程は気がつかなかったが、少女は杖をついていた。右手で杖をつきながら歩いている。暗闇でよく分からないが足を怪我でもしているのだろうか。少女から多少は警戒されているのか、全然喋らないので聞くに聞けない。そもそも初対面で聞くことではない。しかし、一言も喋らないと森の静まり切った雰囲気に恐怖を感じる。何か喋って欲しい!俺が怖いから!!
しばらく歩いて、無言で少女の後をついていくのに耐えきれなくなった俺は、ついに目の前の少女に話しかけることにした。
「あのっ!俺!ミタカと申します!助けてくれてありがとうございました!」
「いえそんな、私は何も……」
ドンッ
少女が俺の声に反応して立ち止まろうとした時、地面が物凄い勢いで揺れた。
「うわあああ!!!何だよ?!」
あまりの揺れに立っていられず、地面に尻餅をついた。地震だ。森が揺れている。慌てて少女の方へ視線を向けると、少女も同じように尻餅をついて、杖を抱え込むようにして握りしめている。
「大丈夫?!」
「は、はい!!」
元気な返事が返ってきたから、頭を打ったりはしていないようだ。良かった。
「揺れが収まるまで動いちゃダメだ!」
立ち上がろうとする少女を大声で呼び止める。それを聞いた少女は俺の言った通り、立ち上がるのをやめた。ギュッと目を瞑り、怯えているのが俺でもわかる。
ゴゴゴゴゴゴ……
凄まじい音の地鳴りが聞こえる。これは本当地震なのか?あまりの揺れに、自分がその場から動いているように感じる。
-
しばらくすると揺れは収まった。近くの木が倒れたりしてこなくて本当によかった。こんなに揺れるなんて、うちのマンションは大丈夫だろうか?
今すぐにでも立ち上がろうとする少女へ声を掛けようとした時、ドカンと大きな音を立てて地面がもう一度揺れた。
「わぁああ!!」
立ち上がろうと、片足を立ていた少女はバランスを崩し、悲鳴を上げて勢いよく背後の木へ頭を強かに打ち付けた。ゴキッと音が聞こえてきそうなくらい痛そうなぶつけ方だった。
「大丈夫?!?」
慌てて駆け寄るが反応はない。抱き起こして頰を叩いてもピクリとも反応しない。一瞬死んでしまったのではないかとヒヤっとしたが、呼吸が聞こえるの生きてはいる。気絶しているだけのようだ。しかし、いち早く医者に診せなければならない。
救急車を呼ぼうと、ポケットから携帯を取り出そうとして、池に投げ捨てた社用携帯と、ベンチに放り投げてきた鞄の中のスマホを思い出した。
「そうだった……。」
助けは呼べない、そしてここは全く知らない場所。
だが、ここが危険なことは分かる。またいつ揺れるかも分からない。びしょびしょの見知らぬスーツ男に背負われるのは嫌かもしれないが我慢して貰おう。
完全に脱力し、木にもたれ掛かっている少女をよっこいせと背負う。重い。人間としては恐らくかなり軽いが、二徹明けのボロボロサラリーマンには死ぬほど重い。
「うっ……これはどこまで行けるかな……。」
一歩踏み出した時の自分の一歩の重さに、つい弱音を吐いてしまう。
少女が持っていたカンテラと地図を抱え、俺は暗い森の中を歩き出した。