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バニーガールは神ではない!


 正直、うれしさよりも戸惑いの方が大きかった。


 方や全国規模の時代小説大賞の受賞者。方や地元の本屋オーナー主催の超ローカル文学賞受賞者。同じ賞作家でも天と地、月とすっぽん、ハワイのキラウエア火山と鳥取の羽合はわい温泉ほど違う。


 そんな彼女が俺の小説を好きだと? 単に先輩に対するお為ごかしじゃないのか。あの時、助けられて弱気になっていた彼女が、自身の立場の劣位性故に発した慰謝ではないかのか。


 そうだ。俺は、気を使われているだけだ。きっと白鳥だって、いや新入部員の一年生連中だって、俺が桐生や白鳥と比肩するような作家でないことは感じ取っているに違いない。


「よっ、国重!」


 足取り重く部室に向かう俺を、ミュージカルスターさながらに両手を広げ、滑るような動作で呼び止めたのは、科学部の三条だった。


「いや――国重先生、というべきかな?」制服の上に白衣を羽織ってすっかり科学者気取りだ。目は悪くなかったはずだがメガネを掛けている。以前までは茶髪でチャラい頭をしていたが、今は前髪で顔半分を隠したような鬱陶しいヘアスタイルに変わっている。元文芸部SFオタクがかたどったキャラらしい。


「そう言う言い方はやめろ。それに何だ? その格好は」俺は元SF書きへの、せめてもの礼儀としてツッコミを入れる。


「これか? これはな、ギャップ萌え狙いだ」前髪をはらいながら、喜々として応える三条。右斜め後方からの返しがきた。


「あぁ? 何と何のギャップだよ?」


「理系と思わせておいて、実は文系」


「そりゃ、魅力なのか? むしろスペックダウンしないか?」


「フッ、甘いな。考察が甘すぎるぞ国重。原理原則と前例踏襲、常識と論理的思考に基づいた状況判断を旨とする理系女子にファンタスティックはそぐわない。むしろ拒否され禁忌の的となるだろう。だが彼女らは神の意に従い、掌の上で踊ることしかできない、哀れな戦乙女ワルキューレだ。だが、俺たちはどうだ。俺達は何者だ?」


「――この世界の神をも凌駕する、無限の可能性を秘めたる翼ある者、大いなる孤高の存在……」


「そうだ――」


 三条は校庭に面した窓に肘をかけ、前髪をかきあげ、まるで世界を俯瞰する絶対者のような半眼を校庭へと流す。


「化学反応も物理法則も全てはこの世の神が造りしものだ。それは我々人類が世の理の中にいる限り――いや、世の理に則ることを前提として作られたルールだ。この世界は神が用意した箱庭だ。だが俺たちはそれを知る。科学が限界を迎えたとき、人々は知るだろう、自分たちが苦悶し解明してきたことは、最初・・から・・まっていた・・・・・なのだ・・・と。理系どももいずれはたどり着く終焉の地。それを俺たちはこう呼んだ――――『約束の地』とな……。彼女は言うだろう、『裏切られたわ。三条くんってロマンチストだったのね』と動揺を隠そうとするクールな眼差しはとめどなく揺れ惑い、やがて自身が信じてきた全てを破壊される恐怖に苛まれ、己が身体をひしと抱きしめる」


 恍惚とした表情を浮かべ、三条は両腕で自分の身体を抱いた。


「そして俺の元に跪くと『あなたのことを知るために、私はこんなにも遠回りをしていたのね』と悔恨の念を呟くだろう。だが、違うよ、貴女はまだボクを理解できていない、宇宙を知ったことで全てを知った気になるのはよそう。ボク達は互いを知らなさすぎる、人と人がわかり合うためには――――」


 三条、理系にどんな恨みがあるのかわからないが、バカにしすぎだ。


「ふん、甲子園に行ける学校は最初から決まっているんだ、無論優勝校もな……量子確率論で容易にはじき出せるのさ。それすなわち人は神の掌でロマンティックな三文芝居を演じているに過ぎない……そしてそんなものを応援に行くとは、自ら地に穴を掘りブラジル人に地底人と間違われて、わざわざ袋叩きに遭いに行くようなものだ」


 確率論のくだりは一瞬信じそうになったが、なるほど、いまだ引きずっているという訳か。


「で、なんの用だ? 用がないなら俺は行くぞ」疑似科学にかぶれた文系科学者さぎしの戯れ言に付き合っている暇はない。


「っとっと。国重ちゃん、つれないねぇ」左手をさしだし、さらに俺の行く手を遮る三条。


「なんだよ、いつから俺のことをそんな風に呼ぶようになったんだよ、気持ちわりぃな」


「……変わったな、国重」


「変わったのはお前だ、三条」


「ときに、だ――」


 三条は白衣の襟を正し、俯き加減でメガネのブリッジをついと持ち上げ、俺のことを横目で覗き込むように視線を投げかけてくる。


「正面向いて話せないのか、お前は。俺は急いでいるんだが」嘘だったが、もちろん三条は聞く耳を持たず続ける。


「ときに、貴様。このところ頻繁に部活を早退しているそうじゃないか。晴れて受賞作家となれた余裕か? それとも目標達成による燃え尽き症候群か?」


「いや、そんな……なにも……」


「いい医者を紹介するぞ」


「科学者じゃないのかよ……」


 今は文芸部を抜けた三条とはいえ、あの一年の苦楽をともにしたラノベ仲間に、こっそり俺一人が桐生先輩の部屋でラノベを貪っているなど、どうして告白できようか。


「貴様、おれたちに(・・・・・)隠していることがあるんじゃないのか?」


「な……なんだ、よ……別にそんなことは」


 窓外の光に反射して一瞬光った伊達メガネの奥で、三条の鋭い視線が俺を捉えていた。


「俺はな、ずっと思っていたんだ――何故昇りはじめの月は大きいのかと」


 なんだ、何かの暗喩か? あれは目の錯覚だ。見かけの高度が低い状態の月は、視界内の前景にある建物や山の稜線などと相対比較してしまうため、比較対象物がない高空に昇った月よりも大きく見えるというだけだ。


 ただ、なぜそのような心理的錯視が誰にでも起きるのかは、完全には解明されていないらしい。


「月が大きく見えるのは、昇りはじめの太陽、すなわち日の出に対し拝みたくなる気持ちと同じだ」


「は?」


「日が沈み、太陽の影響力が失われた空は薄明を迎える。それは空間を支配する者の理が及ばない一時だ。古来より人々はこれを逢魔が時と呼び、魔の者の世界と人界とが重なる時間だと恐れられた。しかしその時はあまりに短く、やがてぽっかりと姿を現す月により、次元の歪みは正される。そして月は静寂なる闇夜の中でただひたすら生命の営みと、夫婦の営みを見守るのだ。太古より月がアフロディーテと呼ばれるゆえんだ」


 いや、違うだろ。ギリシア神話のアフロディーテはすなわちローマ神話のヴィーナスであって、金星を指す。


「そもそも、バニーガールがセクシーなウサギちゃんを模した衣装となったのも、この愛と性の女神がモチーフだからだ。つまり和洋折衷の神なのだな」


「ッちょっと待て! なんの話か解らんぞ。それから三条、バニーガールは神ではない!」


「――ああ、すまないな。つい科学部にいると理屈っぽくなる。いかんな、知識のひけらかしはしない主義なんだが」思い出したように前髪を直す。


 三条、その主義は貫き通したほうがいい。そして我が学園の科学部にとってお前の言動は、放射能汚染レベルの危険物かつ、回収不能案件だ。


「俺は観測のため、昨日も昇る月を見ていた。魔の者が去る足音に安堵しながらな。しかしどうだ、俺の視界の前景に月を愛でながら、公園で戯れる仲睦まじき男女の姿があるではないか。その光景を見ていると、いつもよりも月がにじんで見えたのだ。さらに、いつもより月が赤く見えたのは世界の終わりか?」


 三条はどこに隠し持っていたのか、双眼鏡を手にしていた。月を観測している者の機材とはとても思えんが。


 そんな俺の怪訝な視線を無視して、ズレてもいないメガネのブリッジをまた引き上げた。そしてそのまま顔を天井へと向け、洟をすすった。まさか、泣いてるのか?


「オイ、三条……なんの話だよ」


国重先生ぐにじげぜんぜい……あなだのこどですよ……」三条は両手を白衣のポケットに突っ込み、上を向いたまま顔を背けていた。声が湿っている。


「はぁ?」


「部活を早退し……夜な夜な公園で婦女子と逢瀬おうぜを過ごしているだど、部にれればどうだることでじょうなぁ!」


 突然振り返り、つかみかかってきた三条を懸命に振りほどこうとするも、涙と鼻水にまみれくしゃくしゃになった泣き顔から逃れるのに精一杯だった。


「あれはっ、桐生だ! 桐生幸子だ! お前が考えてるような関係じゃない!」


「じゃあ、だんですか! だんで『先輩……好きです!』なんてごくはくざれたんだよぉおおう!」


「っていうかお前、俺達の後を付けてきてたのかよっ! それに、それはお前の聞き違いだ! 桐生は、俺の受賞した作品のことを好きだといったんだ、俺のことじゃない!」


 俺の片腕は、ぶら下がるような三条にがっつり掴まれている。どこで盗み見されていたのか。迂闊だった。が、どうやらもつれ合っていたところまでは見られていないらしく、そこは不幸中の幸いか。


「だいたい、あのお堅い桐生が男に興味があると思うか? ましてや受賞後の校正作業で毎日頭がいっぱいなんだ。色恋沙汰にうつつを抜かしている暇があるもんか。いいからその手を離して、俺から離れろ!」俺は三条の顔面を足蹴にして引き剥がし、構わず脇を抜けて部室へと足を向ける。


 まったく、下衆の勘繰りも甚だしい。なんで俺と桐生がそうなるのだ。もし俺と彼女が付きあうようなことになったら、桐生先輩に何を言われるか……というか、何を書かれるか分かったもんじゃない。


 俺は努めて何も考えまいとした。背後に崩れる疑似科学オタクとは出会わなかったことにしよう、何の役にも立たない情報を、風圧で記憶から吹き飛ばしてしまおうと、部室へダッシュで向かった。


 しかし、去り際、背後を撫でた三条の台詞が、制服の袖にこすりつけられた鼻水よりも頑固に、俺の心に染みついてしまっていた。


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