プロ作家以外の創作物発表を禁ずる
勢いよく扉を開いて、部室に飛び込んだ俺は歯噛み、乱暴にブレザーを脱ぎ、シャツのネクタイを緩めると、どんと両手を机についた。そうしながらも、普段から冷静沈着を我が身に言い聞かせてきた俺にして、これではあまりに情動的な行為だと内心しくじりの舌打ちをしていた。
「A君、いきなりどうしたんですか……!」部長が目を丸くして俺のことを見上げた。俺は彼にではなく、ここにいる全員に向けて言った。
「くっ……みんな聞いてくれ――今後、想像創作作品に類する書物や映像作品は全年齢を対象とし、今まで受賞および書籍化したデビュー作家、すなわちプロ作家以外の創作物発表を禁ずる……アマチュア作家規制法の可決だっ!」
力を緩めない掌が今にも机にめり込んでゆきそうなほど、俺は激高し力の制御を見失っていた。
「落ち着いてください、A君。一体どうしたって言うんですか? 順序立てて説明してくれないと……」と宥めに脇にきた部長の襟を、俺はぐいと掴み、勢いのまま壁際まで押し付けた。部長は身長一六五センチと俺よりやや低く、華奢な体格のせいで体力的に抵抗ができなかった――いや、俺の圧倒的熱量に押されて彼は声を出すことも出来なかったのだろう。
「馬鹿者……部長、君は何も知らないのか? 新聞くらい読めよ! ネットニュースでも構わん! それにお前らは解っているのか! この由々しき事態を! 俺達はウェブ上ですら作品を発表できないんだぞ!」
そう言って俺は部室にたむろする部長以下、部員達を手刀で薙ぎ斬った。彼らはその気迫に満ちた声にびくりとし、だらけた体を硬直させた。
「まさか……いや、予測できたことだな……」窓際で広辞苑を読んでいた部員Bこと、木ノ下が紙面に視線を落としたまま、こちらに顔も向けずにボソリと呟く。
「まあ、俺達には関係ないことじゃねぇか、何を焦っているんだ部員A」と自嘲的な笑みを浮かべてスマホゲームに興じるのは、部員Cこと小山田だ。
部員A、B、C。それは俺達に与えられた蔑称、屈辱たる記号。賞を取らない部員など名を名乗るに値しない存在であると、俺たちは部の顧問の方針に従って名を奪われた。
結果を出せないものは名を名乗ることを禁ずる。またその名を口にすることも禁ずる、と文芸部ローカルルールとして、“アルファ蔑称”という制度が設けられた。今後はコンテスト等の事前に催される部内審査で“不可”判定をされた部員は、俺達に続くアルファベットを与えられることになるという。とはいえ今のところそれ以上に部員はいないのだが。
人気作を執筆する者だけが頂点に君臨することを許される文壇に、先輩も後輩もない。まして成人だろうと未成年だろうと、才能ある者はすべからく名を馳せる。ただ成功を渇望するだけの者は、結果を導き出すまではその名を知られることなどなく、忸怩たる思いをつのらせたまま有象無象の泥沼の中で喘ぎ続ける。
それはこの小さなコミュニティの中であっても同じである。
やがて俺は自分の置かれた立場を相対的に俯瞰し消沈する。その法案が可決したとて、部長と副部長には何ら影響をおよぼすことがないと気づいたからだ。わかっていながら、わかりたくなかったのは俺だけだった。
「国重せ、あ、いえ……A先輩。こんな時に言うのも何ですが……私、今回の時代小説大賞で受賞したんですよ。いま受賞の通知が……」
「ああ……そうみたいだな」
桐生が並み居る強豪を押しのけて二次、三次審査をくぐり抜けた事は知っていた。大賞受賞にまで及ぶとはまさか思わなかったのだが、机上のパソコンディスプレイには、編集部からの祝辞のメールが開かれていた。
「桐生さん、努力した甲斐があったね。君もこれで小説家としてデビューだ」
俺のことを一顧だにしないこの男、白鳥茜十六歳、多分童貞じゃない。顎の先まである前髪に縁取られた、女子と見紛うような美麗な顔立ちに、九号も余裕で着れます的な華奢な体格はまるでモデルのようにスラリと美しく、立ち居振る舞いは高校生にあるまじき優雅さすら感じさせる、非現実的チート美少年。もう一度言う、多分童貞じゃない。
この容姿年齢にして、すでに未来の文壇を担うトップライターとまことしやかに噂されており、すでにツィッターのフォロワー数は十万を超え、登下校は編集社の車が毎日送り迎え、外出先ではSPが常についているという噂である。
奇しくも、この世紀の天才作家を生み出した俺達の文芸部は自ずと全国的に注目され、その顧問である吉原美奈子教諭は、文芸部改革の第一人者として、休日のたび各地の講演に引っ張りだこだった。二年前施行された想像創作媒体禁止法により、ラノベにまみれた全国の文芸部に指導が入ったのだが、同時にそこから健全たる文芸部へと生まれ変わることなく消えていった部も珍しくはない。にわか仕込みで部員に執筆スタイルを指導、変更させ、表向きの体裁を整えた部もあったが、実力が伴わないという理由でやはり伸び悩んでいるのが現状だ。
俺達はその大多数の中で希有な成功例と言って良いだろう。俺はその栄えある文芸部の一員であり部長ではあったのだが、昨年における白鳥の大躍進ととも任期を全うすることなく、たった五ヶ月で部長の立場を追われた。
端にも棒にもかからず、うだつの上がらない俺たち二年生が在籍することはかろうじて許可されたが、あくまでそれは、部として存続するための頭数合わせであり、俺たち超底辺作家が表立ってこの学園の文芸部員を標榜し、名を語る事はご法度とされた。
それはすべて、この白鳥茜の名を汚す行為であると、固く禁じられ、部内でも白鳥はおろか部員同士で俺たちの名を呼ぶことすら禁止にされた。
世間じゃ俺達の文芸部は、部員の約半分が受賞経験者のエリート集団などと、ずいぶん誇張された見られ方をしていた。白鳥、桐生の一年生、そして俺達ABCの二年生部員合わせても五名、うち受賞者は二人だけだ。まあ、ほぼ事実ではあるが、しかし、学園はこの令聞を快く受け入れ、流れに従うことをよしとした。
従って、最上級生である俺達の三人が最底辺であり、受賞の経歴がない事は部として秘匿したかったのだ。まさに触れざるものとして。
この春俺達は三年生に進級する、そして白鳥の威光にあやかりたいと願い、作家を志す新入生が、こぞってこの部を目指して入学してくるだろう。そうなった時に俺たちは強制引退の憂き目にさらされることは必至。
そんな簡単なロジックが彼らも理解できないはずはない。だが、日々広辞苑の内容を暗記するしかない木ノ下と、部室に来てもスマホゲーム以外にやることのない小山田に、状況を打開しようという気概は一切見受けられない。
俺、一人なのか?
俺は一人で立ち向かわねばならないのか?
いや、創作活動など所詮は孤独なものだ。チームプレイで助け合うことなど出来ない。桐生だって一人孤独に同級生とは話題共有できない時代物を書き続け、白鳥という稀代の才能に触発され、遅れを取るまいと食い下がり、遂に受賞。そしてデビューへの道を切り開いた。
その桐生の姉、大学生の身ながら超売れっ子作家としてBL小説界に君臨し続ける、海原桐子こと、桐生洋子は今の俺達の現況を憂いながらも、這い上がれ、私も孤独だった、と檄を飛ばし続けてくれている。
受賞しなければならない。せめて一賞、どんな地方文学賞でもかまわない。受賞さえすれば俺も作家の仲間入りになれる。名を、名前を取り戻すのだ。
白鳥茜は紳士だった。部長としてこの部に君臨したものの、名を奪われた俺たちを顎で使うようなことはしなかったし、自身の才能に胡座をかくことなく、今も新作に対して真摯に向き合っている。
先程のような俺の暴虐もまた、小説にかける情熱ゆえであると、やさしく穏やかな口調で静かに俺の手を取り、熱を鎮めた。
もとより一年生としては落ち着いた雰囲気を持った白鳥であったが、この余裕、この寛容さは受賞作家ゆえに生まれる神域の微笑みだ。思わず俺は膝の力が抜けて床にひれ伏しかけた。もう作家など目指さず、彼の作品の一読者として居られたらどんなに楽だろうか、そうも思わせられた。
だが、その度に俺は自身を奮い立たせ、挫けそうな膝を伸ばした。「ははっ、いつか俺はお前を追い越す。それまでにせいぜい印税を稼いでおくことだな」と。
部内の冷たい視線とため息にめげずに、今日も俺はキーボードに向かう。