第8話『一夜明けて』
「昨日スッゲェ雷だったよなー」
昨日と変わらず降り注がれる白い熱射。むしろ今日の方が暑いのでは勘ぐりたくなるそんな正午前のそんな時間帯に。
黒衣とアリスは昨日よろしく、陽炎揺らめくアスファルトの住宅街を二人は海月のようにふらふらと歩いていた。
「雷?」
否。ふらふらとしているのは俺のみだったらしく、アリスは自慢の水玉模様の日傘の下、一人涼しげにその綺麗な顔を覗かせていた。
「ああ。十二時頃だったか。スッゲェ音が鳴ってよ。まさに天を貫かんばかりの雷鳴だったな。アレにはさすがにビビったね、どうも」
雨も降っていなかったから妙な感じはしたが、夏の天気は変わりやすい。こうも連日熱帯夜が続けば、昼も夜もそう違いはないのかもしれない。
そんな俺の反応とは裏腹に、アリスは――
「うー……む。覚えていないな」
と、悩ましい表情で結論を出す。
「まぁ、そうだよな。夜の九時にはお眠になってちゃうお子様なお姫さまはさすがに覚えてないよな」
「なっ……。し、仕方なかろう。夜の九時以降はお化けが起きていてはいけないと、姉様たちが……」
お化けて。一体この【妖精】様は何才のつもりなんだか。【妖精】に年齢があるのかはわからないが。
いや。案外精神年齢はそこまで高くないのかもしれない。外見や無駄に古風な喋り方に惑わされていたが、実際は見た目ほどの年齢すら届いていないのかもしれない。だというのなら、行動が妙に子供っぽいこととか、味覚が案外お子ちゃまなことも説明がつく。
だがつい先日、さらっと年齢について聞いてみたところ「淑女に年を聞くとは何事かっ」と怒られてしまった。ホント無駄なところでめんどくさいヤツだ。
——身体の方は、とうに大人なんだがな……。
「で、だ」
「ふぁ!?」
知らず知らずのうち。アリスのとある部分に目を奪われていた俺は、アリスの声に奇声をあげてしまう。
「何を変な声をあげている。まぁいい。そんなことよりも、だ」
そう言ってアリスはジロリと黒衣を睨む。
…………。
なんだろうか、その「だ」というのは。
もしかしてそれは何か質問をしているつもりなのだろうか。いくら黒衣がアリスのパートナー――【詠み手】であるとはいえ、いきなり平仮名一文字の問いを投げかけられて答えられるわけがない。
嫌な予感は感じつつも、仕方なしにと聞いてみる。
「…………なんでしょうか」
「何処へ行くのかと聞いているのだ」
あーはいはい。わかってましたよー実は。何も言わずに家を出たのだ。目的地の一つでも気になるのは当然のことだろう。でもシャクじゃないですか。何でもホイホイ答えてやるのは。そもそも俺は一人で行くつもりだったんだ。
だからこそ黒衣はこう答える。
「別に……」
なにもこれは意趣返しというわけではない。
ただ単純に、言いたくないだけ。
そんな適当な俺の反応に、アリスは珍しくため息なんぞを吐く。
「一応、わたしはあのサムライ女からお前を学園に連れてくるよう言われているのだが」
——え、なにそれ。初耳なんですけど。
アリスの意外な発言に、俺の鼓膜はビリリと汗をかく。
「そりゃあ特に言っていないからな。言えばお前はわたしを置いてさっさと出かけてしまうだろう」
——まぁ、なぁ。
だが、だからと言って、アリスがわざわざ杏子の言葉に従う理由はないはずだ。コイツが何か弱みを握られているとも思えない。
それとも他に、何か俺に着いてくる理由でもあるのだろうか。
「まぁわたしがわざわざあの女の言うことを聞いてやる義理も道理もないのだが。そうでなくとも、お前はわたしのパートナーなのだ。そう簡単に離れるわけにはいかないのだ」
「はぁ……。そういうもんなのか?」
「そういうものだ」
フン、と。鼻息を荒くしてアリスは肯定する。
よくはわからないが、兎にも角にも着いては来るらしい。
まぁ昨日みたいにどっかに連れて行けば、何か興味あるものを勝手に見つけて勝手に遊ぶだろう。
姫君の気分を害するわけにもいかないしな。
「それで、その手荷物は何なのだ?」
「ん? これか?」
アリスは俺が肩にかけて持つソレを怪訝な表情で指差す。
「これはあれだ、お土産」
「オミヤゲ? ヘンテコな模様をしているが、食い物なのか?」
「ああ。食べれるぞ。夏の定番ってやつだな」
「ほう。それはそれは……」
「言っておくが、お前に食べさせるために持ってくんじゃないからな」
「む。なんだそうなのか」
さっき土産って言っただろ……。
「ん? だが土産ということは、渡す相手がいるということではないか」
するどい。
「というか、この道は昨日と同じ道だな」
……実はわかってんじゃないのかコイツ。
「……はぁ。まぁ、一応な。昨日昼飯ご馳走になったし、そのお礼だよ」
「…………。ほんとお前はアレだな。お人好しと言うか何と言うか」
「何のことだよ」
「日頃面倒臭いだの何だのと宣っているわけにはマメと言うか、お節介が過ぎると言うか……。つまるところアレだなお前は。ツンドラ」
「…………もしかして→ツンデレ?」
「そうそれだ」
ビシリと、納得いったように指を指す。
コイツは、一体どこからそんな知識をこの短期間で仕入れてくるというのか。
これはテレビの時間を制限すべきなのかもな。
「一応言っておくが、俺はツンデレ違う」
「む、そうなのか? 口で言っていることと相反する行動をとる者をそう呼ぶと聞いたのだが?」
あながち否定できない自分を呪いたい。
「まぁいい。その話は今はいい。置いておくとしよう。ああそうだよ。今向かってるのはユウタくん家だよ」
まったく。皆まで全部言わせやがって。
「うむ。まぁ普通に知っていたが」
コイツ……。
「で、俺の目的はわかってると思うが、お前はそのままついてくるのか。昨日と同じとこだぞ」
好奇心の塊みたいなコイツが興味を持つものなど、あの家にはないと思うのだが。
「うむ。さっきも言ったであろう。わたしはお前のパートナーなのだ。お前が行くと言うのであれば、わたしが行かない道理はない。そういうことだ」
夏色の笑顔を咲かせて、そんなことを言ってくる。
なぜか俺はその笑顔を直視できなくて、思わず顔をそらしてしまう。
「そ、そうか」
「うむ。そうなのだ」
なんだかな。調子が狂う。
昨日は一時とはいえ、あんなのにも機嫌が悪かったってのに。
「それになんだ。わたしもまだ、彼奴には何も言っていないしな」
そっと静かに、頰を撫でる風に紛れて、アリスはそう呟く。
「それって――」
アリスの呟きに、黒衣が口を開きかけたその時。
陽炎の向こう側で何かが揺れる。
何か……黒い影のようなものが……。
「おじいさん?」
黒衣が疑問を抱くと同時に、足元から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
視線を下げたその先には――、
「ユウタ?」
昨日別れた少年、ユウタの姿がそこにあった。
「ユウタ……。どうしたんだこんなところで。……一人か?」
黒衣は辺りを見回すが、昨日と同じく、そこにはおじいさんの姿もおばあさんの姿もありはしなかった。
「えっとねぇ。おじいさんはね、疲れたんだって」
「疲れた?」
「うん。ちょっと疲れて寝てるから、今日は一緒に遊べないんだって」
そんなことを言うユウタではあるが、落ち込んでいるような様子などはなく、その説明もぴょこぴょこと体を弾ませながらのものである。
「そうか。それなら仕方ないな。で、ユウタはこんなところで何してたんだ」
ユウタは「えっとねぇ、えっとねぇ」と体を揺らしながら少し考えて、
「探してた!」
と、黒衣を指差しそんなことを言う。
「探してた? 俺をか? なんでまた……」
「えへへ~~。おじいさん、遊ぼ遊ぼ!!」
黒衣の質問に、ユウタは実に簡潔に答えてくれる。
そんなユウタの姿に、クロエも思わず笑みがこぼれる。
「おう、いいぞ。俺もちょうど暇してたところだしな」
「なーにが暇してたところだ」
ぼそりと何かを呟いたアリスを睨めつけ流が、スッとソッポを向きやがる。
「それと、ユウタ。俺の名前は「おじいさん」じゃあないぞ」
「? おじいさんはおじいさんじゃないの?」
ユウタのその可笑しな質問に黒衣は頬を綻ばせながら腰を落とす。
「ああ違うぞ。ていうかこの歳でおじいさんって言われると普通に傷付くんだけどな」
「じゃあ、おじいさんはだあれ?」
「くろえ。黒衣だ」
「クロエ! クロエクロエ!」
「おう。そうだぞ。黒衣だ黒衣」
「じゃあね、クロエ。こっちのおねえさんは? おじいさん?」
ビクンと、我関せずとばかりに日傘を回していたアリスは、唐突にユウタくんに指を指され、思わず肩を震わせる。
「はは。どーだろーなー? そうかもしれないなぁ?」
「なっ……。わ、わたしのどこが老人に見えると言うのだ!」
否定しない黒衣に思わず憤慨の意を唱えるが、そこではたと気付く。
ニマニマとこちらの顔を伺う、黒衣の顔に。
「う……。なんなのだ、その顔は」
「いや~~。なんでも~~?」
「っ~~~~。もうよい! それより、行くのであろ? さっさと行くぞ!」
夏の暑さにも動じない美白の顔を赤に染めて、アリスは一人ズンズンと進んで行く。
「そういえばクロエー。それなーにー? みどりいよー? 大っきいよー?」
ユウタは黒衣の持つソレを物珍しそうに見つめる。
「ん? ああこれか。これは――」
瞳を輝かし黒衣の手土産に興味を示すユウタに、黒衣は期待を裏切らぬよう勿体振ったタメを一呼吸作ると、
「――西瓜だ」
と、丸く実ったその果実の名を告げる。
*
「あまーい!!」
外は緑、中は赤という、言葉にしてみれば意外と奇妙極まりなその果実『西瓜』に齧り付き、その味についての総評を率直に、かつわかりやすくユウタは述べる。
その感想に異議はなく、確かな甘みが口の中へと広がるを黒衣は感じる。
「うむ。確かに、これはなかなかに美味なものだ。スイカ、と言ったか。その姿形は面妖なれど、その美味さは確かなものと言えよう。甘さもさることながら、この奇妙な食感もどこか唆られるものがある」
なにやら食レポなどをおっ始めたアリスだが、なにはともあれ満足しているならそれはよかった。最初は悪魔の果実だの中身が血の色だの散々と罵っていたのだが、この笑顔を見たら色々ツッコム気力も失せるというものだ。
とはいえさすがは姉さんだ。いつも何かにつけてどこからか貰ってくるが、それのどれもが常に一級品だ。物事の価値や値段といったものに興味の薄い姉さんは、貰ってくる物の生産地や名前を一切覚えては来ない。だがその全てがただの一口で上等のそれだとわかるほど物ばかりだった。
帰ったら礼を言わねばなるまい。
特に今回は、良い笑顔を二つも見ることができたのだから。
「おお、これは何とも見事な西瓜じゃ。実がずっしり詰まっとるのがよぉわかる」
そんな和やかな縁側に嗄れた声がやって来る。
「おじいさん!」
現れたのは、ユウタから床へ伏せっていると聞いていたおじいさん――西方魚見の姿だった。
「お邪魔しています、魚見さん。ユウタくんから体調が優れないと聞いてたんですけど、起きていても大丈夫なんですか?」
笑顔のユウタとは対照的に怪訝な表情を浮かべる黒衣に、おじいさんはカッカッカと枯れた笑い声を上げる。
「こりゃあ心配かけてしもうたかのぉ。なぁに、大したことはありゃあせん。儂ももう年じゃからのう。身体が言うことを聞かん時もままあるというもんじゃ。じゃが、宇佐美くんがせっかく美味い西瓜を持ってきてくれたというんじゃ。これを食べん手はないのぉ」
おじいさんはその長い顎髭を手で撫でながら、ユウタの隣へと腰を下ろす。
「どーれ一つ……。ん――うまい!」
まるで酒でも嗜んでいるかのように、おじいさんは細い瞼をさらに細くし感嘆の声をあげる。
「じゃが、こうするとより……ん――やはりうまい」
おじいさんはどこからともなく取り出した小瓶から何かを西瓜にふりかけ、さらに頰を弾ませる。
「おじいさん。それなあに?」
「ん? これか? これはなぁ、塩じゃ」
「おしお?」
「ああ。んまいぞぉ」
「かけるかける――」
おじいさんに塩かけてもらったユウタくんは西瓜を一口。美味しかったのか塩辛かったのか、ユウタくんは足をばたつかせ可愛らしい唸りをあげる。
「…………」
そんなユウタくんの様子を輝く瞳でアリスは見つめる。わかりやすいヤツめ。
「それじゃ、少しお暇させてもらおうかね」
アリスがユウタと変わらぬ反応をしている頃、おじいさんはそう言って席を立つ。
「大丈夫ですか。やっぱりまだ……」
「カッカッカ。いやなに。老いぼれは起きるのが早ければ、寝るのもまた早いだけじゃよ。歳をとるのはほんと難儀なもんじゃて」
おじいさんは変わらぬ笑顔でそう言うが、やはりどこか身体のふらつきを感じさせる。
「……あまり無理はなさらずに」
「ん? カッカッカ。若いもんに心配させるようじゃあ、儂もまだまだじゃの。なぁに。少し、暑さにやられただけじゃ。心配しなさんな」
そのあとおじいさんは「ゆっくりして行きなされ」とだけ言って居間を後にした。
「あらあらあら。おじいさんはもうお休みになったんですか」
おじいさんと入れ替わるように、おばあさんが居間へとやって来る。その手には麦茶がなみなみと注がれたコップが四人分。
「まったく、仕様のない人ですねぇ。せっかくユウタのお友達が来てくだすってるというのに」
「いえ、お休みのところお邪魔したのはこちらですし」
おばあさんは縁側には座らず、一歩引いた部屋の中から麦茶を手渡してくれる。
「奥方、一つ聞きたい」
コップの麦茶が半分ほどなくなった頃。静かな夏の空気を破ったのは、意外にもアリスだった。
アリスはユウタが庭先へとやって来た蝉を追いかけたのを見計らったかのようなタイミングで、口を開く。
「あら奥方だなんて、こんな婆さんには勿体無いわね」
どこか上品に口元を覆い照れを隠すおばあさんを気にせず、アリスは話を続ける。
「ご主人が体調を崩されたのは、いつ頃からだろうか」
その妙な問いに、黒衣とおばあさんに一瞬の間が空くが、すぐにおばあさんが答えを返す。
「そうねぇ……。おじいさんももう歳だから、随分前から体を壊すことも多くはなってきたけれど……。ここ最近――特に五日くらい前からかしら。よく寝込むようになったのは」
おばあさんは頰に手を当て、考えるようにしてアリスの質問に答えを返す。
意図の見えぬその質問。一見すればおじいさんの体調を心配しての内容にも思えるが、そのアリスらしからぬ硬い表情からは、それとは違う別の何かがあるように感じられてならない。
「アリス……?」
黒衣の呟きにアリスは答えず、一人「そうか……」と小さく納得の声を出す。
「もう一つ、無礼を承知で聞かせてもらいたい」
そして、躊躇ったような声色でアリスは告げる。
「あの子は――ユウタは、貴女達の本当の孫なのだろうか」
次回、もう夕方です




