第20話『別れとこれから』
「癌だったの」
二度目の妖精の夜から一週間と少しが経って。唐突に、おばあさんが切り出した。
「それも末期癌。見つかったときにはもう手の施しようない、なんて言われて。驚くわよね、いきなりそんなこと言われても。それは、私たちだってもう若くなんてないんだから、いつそんな時が来てもおかしくないって思ってはいたけど。それがまさかあと一ヶ月の命だなんて……。そんなこと、夢にも思ってなかったわ」
空は快晴。今日も空高く積み上がる夏の風物詩を見上げながら、時折横切る飛行機雲に視界を泳がせる。
「もともと、「もうこの世に未練なぞない」なんて笑って言ってた人だけど、いざその時が来るとやっぱりショックだったんでしょうね。普段と変わらないはずなのに、どこか元気がなく見えてくるの。それこそ、ふとした拍子に消えてしまうんじゃってくらい」
ここは黒衣の住む住宅地からは少し離れた、見慣れぬ住宅地。黒衣の家がある住宅地よりは古い建物が散見する、数世代前につくられた場所だ。
つまるとこ、おじいさんとおばあさんが住む家の、その前だ。
そこでおばあさんは、黒衣と共に彼らを眺めていた。
「そんな時だったわ。あの人が、あの子を連れてきたのわ」
おばあさんはいつか見せた楽しげな瞳で、話を続ける。
「驚いたわ。いいえ。見知らぬ男の子を連れ帰ってきたこともそうだけど。それ以上に、あの人があんなに楽しそうにしている姿に。一日をただ過ごすだけだったあの人が、夜になるとわたしに話すの。「明日はどこへゆうたを連れて行こうか」だとか「明日はあれを食べさせてやろう」だとか。そんなことばっかり、楽しそうに……」
つい先日の出来事を、まるで大昔を振り返るかのように、おばあさんは語る。
「だからあの子——ゆうたには感謝してるの。不謹慎かもしれないけど、私たちのところへ来てくれて、ありがとう、って……」
そこでおばあさんは、どこか遠くを見つめるように空を見る。
最近のことではなく、数年前を思い出すかのように。遠く、ポツンと流れる小さな雲を、一つ見つけて。
「『ゆうた』は、亡くなった息子夫婦の子供なの」
思わぬ告白に、黒衣はギョッと目を開かせる。
その様子を見て、おばあさんは可笑しそうに口元を軽く押さえる。
「ふふ……。いいえ、ごめんなさい。違うの。正確には、息子夫婦の子供の名前をとったの」
勘違いを納得して、黒衣は胸を撫で下ろす。
「あの子とは似ても似つかない大人しい子だったわ。外で遊ぶよりも、部屋で本を読んでいる方が好きだって言うくらい。もしあの子に似ているところがあるとするなら、それはおじさんによく懐いていたことくらいかしらね……」
一つ一つ、思い出を重ねるようにして語るおばあさんに、黒衣は一つ胸に湧いたありふれた質問を、恐る恐る尋ねてみる。
「あの……。その子がなんで亡くなったのか、聞いても……?」
おばあさんは「ええ」と答えると、黒衣に話してくれる。
「もともと体の弱い子だったの。お医者さまにも、大人になるまでは生きられないだろうって言われてたわ。それで、あの子が八歳のときに、ね……」
「そう……なんですか……」
「ええ。……もう三年も前のことになるのね。もっと随分前のことのような、ついこの間のことのような気分だわ。……まぁ、だからこそなんでしょうね。あの人が、あの子を放っておけなかったのは」
おじいさんがユウタを引き取った真意。その本当のところは、もう今となってはわからない。ただおばあさんの言うように、おじいさんの中にそういった感情があったのは
おじいさんがユウタを見つけた時、そこまでのことを考えていたかはわからない。ただ、ユウタが『ゆうた』くんに似てようと似ていなかろうと、おじいさんはおそらく、ユウタを助けていただろう。年が近くなくとも、たとえ男の子じゃなかったとしても。きっと。
それだけは、黒衣は胸を張って言える。
だが、だからこそ思ってしまう。
「本当に、いいんでしょうか。……俺が、あの子を引き取っても」
そう。黒衣は先日、そう決めたのだ。おじいさんが最期に残した言葉を、守るために。
だが今は、先日堅く胸に決めたその思いも、わずかに揺らいでしまう。それほどの想いを、何も知らない自分が受け継いでもいいのかと。
しかし、おばあさんは黒衣のその迷いに、肯定で返す。
「ええ。もちろんですよ。あの子は、今ではあの人の忘れ形見みたいなものですけど、おじいさんがそう決めて、あなたたちが頷いてくれた。そしたらもう、わたしの口の挟めるところなんてありゃしないんですよ」
いつものことだと、慣れたものだと、諦めた様子でおばあさんはそんなことを言う。
「なんか、すみません……」
「いいんですよ、いつものことですから。あの人は、一度これと決めたら意地でも曲げなかったんですから。きっと、今回もそうですよ」
そう言って、おばあさんはようやく視線を降ろす。
「それにね——、
*
先日。おじいさんの葬式の後——。
「ユウタ。おじいさんはああ言ってたけど、お前は【妖精】だ。お前はお前の好きなように生きていいんだ。このままおばあさんと一緒にいても、おじいさんは——」
そう言い聞かせる黒衣に、ユウタは頭を振って。
「ううん。ううん、クロエ。ボク、クロエと一緒がいい。ボク、クロエと一緒にいる!」
そんなことを、元気よく言ってくる。
*
「——ああ言われてしまっては、わたしも引き下がるしかないわ」
青空を写したような笑顔で、おばあさんは見つめる。
その視線の先には、息子夫婦の——奥さんと話すユウタとアリスの姿。
そしてユウタは、大きく膨らんだ奥さんのお腹を、恐る恐る、しかし好奇心に顔を輝かせて、そっと優しく触れていた。
それから少しして、おばあさんは息子夫婦に連れられ行ってしまう。
どこか遠く、知らない地へと。
その様子を、ユウタはただ手を振って見送った。
おばあさんを乗せた車が見えなくなるまで、ずっと。
「…………」
普段のユウタらしくない無言の背中を見て、黒衣は隣に並び話しかける。
「行っちゃったな」
「……行っちゃんたね」
未だおばあさんが去った方角から目を話そうとはせず、その手も振り上げたまま止まっている。
「寂しいか」
「うん。さびしい」
「そうか」
「でも、全然さびしくなんかないよ」
「うん?」
一見矛盾した答えを返すユウタを、黒衣は眉を捻らせて見下ろす。
そこには、
「だって、クロエがいるもん」
これから家族となる少年の、愛らしい笑顔が咲いていた。
「まったく……」
そんな顔をする少年を、黒衣は撫で回す。
不覚にも、慰められていたのは自分なのだと気付かされた腹いせに、黒衣は目一杯ユウタの頭を撫でる。おじいさんに変わり愛情を注ぐ、その手始めと言わんばかりに。
「それじゃ、帰るか」
「うん!」
元気の出たユウタの手を引いて、歩き出す。
ユウタにとって新しい我が家となる、自宅へと。
*
「息子さんの奥さん、なんだって?」
昼間の帰り道。早々に手を離し、少し先で何かに興味を引かれるユウタを見ながら、隣を歩く相棒へと声をかける。
「ん? ああ。来月、生まれるんだと。今度は、女の子だそうだ」
「そうか。それは……いいことだな」
「ああ。いいことだ」
少しの間が開く。だが、決して嫌ではない。むしろ、今はこの空気が心地よいとすら感じられる。
そうして黙っていると、ユウタが向こうで手を振ってくる。
「…………子供って、いいもんだな」
思わずそんなことを口にしてしまう。
黒衣にとって子供時代というものは何かと思い入れのある所為か、ついそんなことを口走ってしまった。
だが隣を歩く相棒は何を勘違いしたのか、ニヤリとイヤラシイ笑みを浮かべる。
「なんだぁ〜? もしかしなくとも、今のは愛の告白というやつではなかろうな」
本当、面倒くさい。
「もしかしねぇよ。どこをどう聞いたらそういう話になるんだよ」
「ん〜〜、そうかぁ〜〜? それにしては情熱的な目でわたしを見ていた気がしたが?」
「夏の日差しが暑いだけだ。頼むからいい話で終わらせてくれよ」
黒衣は頭を抱える。あんなことがあって少しはこの相棒との関係性も変わったと思ったのだが、案外そう思っていたのは黒衣だけなのかもしれない。
「ま。わたしも、お前がどうしてもと言うのなら考えてやらんでもないがな」
「はぁ……。さいですか。それはありがとうございます」
「ああ。感謝しろ」
まったくもって、前途が思いやられるというものだ。
「クロエ〜〜」
そんな感じに、夏の暑さと隣を歩く黄金の少女の煌めきに頭を熱くしていると、少し先で遊んでいたはずのユウタがこちらへ走ってくる。
「どうした?」
「クロエ。あそこ、なんか変だよ。なんか揺れてるよ。あれなぁに?」
「あれ? ……ああ。あれは『逃げ水』だな」
「にげみず?」
「ああ。夏になると、ああいう風に、追いかけても追いかけても遠くへ逃げてしまう水が出てくるんだ」
「ふぅん。不思議だね」
「ああ。不思議だな」
実際は夏の暑さによる蜃気楼なのだが、ここはメカニズムを解説するよりも共に同調した方がいいだろう。
だが、予想外にも同調した奴が一人、隣で日傘を落とす。
「な、なんだあれは……」
「え」
「く、クロエ! 本当に不思議だぞあれは。何がなんなのだ! もしや【妖精】の仕業ではなかろうな!」
「いやいや待て。落ち着け。そして冷静になれ。あれはだな、空気が夏の暑さで膨張してだな——」
「こ、これが落ち着いていられるか! こうなれば、善は急げだ。来い、二人とも。あの不可思議なモノを、捕まえるのだ!」
その声を号令に、黒衣以外の二人は一斉に走り出す。
「あ、お前ら——」
「ほら、クロエ。早くせねば置いていくぞ」
「クロエ! 早くいこ」
二人はこちらを振り返り、手を伸ばす。
その光景に、黒衣ははたと思い出す。
奇しくもここは、数日前に初めてユウタと出逢った場所なのだと。
あの時はすれ違って顔を合わせなかった二人が、今は黒衣を顔を向け手を伸ばす。
そんな光景に、つい顔をほころばす。
「なんだニヤついて。気持ちが悪いぞ、クロエ」
「クロエ、気持ち悪い?」
「ああ、ごめん。なんとなくな」
「ふむ、変な奴だ。……それでは、行くぞ!」
「うん!」
「ああ。アリス——、
*
「名前はどうするの?」
「え?」
「名前よ名前。その子の名前。その子【妖精】なんだから、ユウタが名前じゃないんでしょ? だったら、名前はちゃんとしないといけないわよ。アナタがその子の【読み手】として、ちゃんと契約したいのならね」
「…………。ユウタは、それでいいか? おじいさんからもらった名前を捨てることになるけど」
「……ボク、『ユウタ』って名前が好き。おじいさんがボクにくれた名前だから。でもボクの本当の名前も好き。その名前も、ボクの『おじいさん』がくれた名前だから」
「……そうか」
「でもね。クロエには、ボクの本当の名前で呼んでほしいな」
「どうしてだ?」
「あのとき、クロエが呼んでくれたらから。だからボクは思い出したの。ボクがどこから来て、なんでおじいさんを探してたのか。だからボクは、クロエの前では『ユウタ』じゃなくて、本当のボクなんだ」
「うん。そうか」
「それにね。それに、ボクの『ユウタ』って名前は、ボクじゃない子の名前だから。だからちゃんと、その子に返さないといけないの」
それを聞いて、黒衣も理解する。
この子はちゃんと、知っているのだと。
【妖精】とはいえ、ユウタはまだ子供で。そこは人間となんら変わりなく、きっと子供ながらの思いもあるのだろう。
だがそれでも、きっと前に進めるはずだ。
そこもきっと、人間と同じはずだと思えるから。
「そうか。だったら、いつかちゃんと、返しにいかないとな」
「うん。だからよろしくね、クロエ。ボクの名前は——
*
——ピノキオ!」
そうして、新たに小さな【妖精】を一人増やし、黒衣とアリスの夏は再び走り出す。
遠くを逃げる、陽炎を追いかけて。
これで今回の話は終わります。
次回は今回出てこなかったアイツが出てきます。




