表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖精の円舞曲 ~Fairy Waltz~  作者: ことぶき司
第1章『 夏の陽炎はよく揺れる 』
2/21

第2話『何はともあれ、まずは手始めに』


 空間を切り裂きながら、銀の刃が迫り来る。

 目にも留まらぬとはまさにこのことだと思いながらも、なんとかその一閃に反応する。


 途端、全ての物事が動きを止める。

 黒衣以外の、この世全てが――。


 それを目の端で見届けるとすぐさま体を動かし、刃の当たらぬ場所へと回避を行う。


 そして一秒も満たぬ間に、世界は再び動き出す。


「お」


 避ける術などなかったはずの高速の一振り。その攻撃を回避された彼女は、むしろ嬉しそうに口元を綻ばせる。


「だったら、これはどう?」


 言葉と同時に、突如刃が黒衣の正面・左後方・右後方それぞれ三方向から出現する。それも着弾のタイミングを絶妙にずらしたいやらしい攻撃だ。

 だがそれも、先の攻撃と同様難なく回避してしまう。

 それは端から見れば、あたかも瞬間移動でもしたかのような突然の移動。時間的な連続性のない不可解な回避。


 そうまるで、『魔法』でも見ているかのような。


 その不思議では片付けられないあり得ない現実を目の当たりにして、その少女は「ふん」と目を細める。


「時間停止の魔法……、なるほどね。まったく、便利な魔法もあったものね。いくら『魔法』がなんでもありの反則級必殺技だって言っても、さすがにこれはやり過ぎよ。使えば一発退場もの。イエロー飛び越えてレッドまったなしの反則技だわ」


 難なく回避した黒衣を驚くでもなく、むしろぐちぐちと悪態をついてくる。

 まさかの反応を示す少女に、黒衣は一歩前に踊り出す。

 今が好機と、そう言うように。


「確かにその魔法は驚異だわ。人智を超えた、神話の域にすら到達するほどのね」


 少女の結論を待たずして、黒衣は間髪入れずに時間を停止する。

 一秒にすら満たぬ僅かばかりの時間。その時間を持ってして、黒衣は一気に距離を詰める。


 時間停止が解除された頃には、黒衣の身体はすでに彼女の目の前。

 拳も届く黒衣の攻撃圏内。

 だがしかし、目の前にあったはずの少女の体が、突如として視界から掻き消える。


「でもその魔法には、三つの弱点がある」


 聞こえてきたのは、黒衣の左側。

 なんてことはない。ただ単に、少女は黒衣の左側へとその細い体を逸らしていたに過ぎない。黒衣が目の前に踏み込んでくるタイミングに合わせ、移動を開始していただけに過ぎないのだ。


 だがつまりそれは、黒衣の魔法の発動を予測し、さらに解除される時間までの行動すらも逆算されていたということ――。


「一つは、魔法の効果がほんの一瞬だってこと」


「くっ――」


 黒衣は回避を試みるが、一度乗った体重はそう簡単には動かせない。

 そしてその隙を、少女は決して見逃さない。


「それはつまり、魔法発動のタイミングさえ読んでしまえば、あとは簡単に効果の切れる時間も予測してしまえるということ」


 彼女は浮いた片足を踵から蹴り上げ、黒衣を宙へと放り出す。


「そしてそれは、決定的な隙となる――」


 瞬間、黒衣の周りに数十本もの刃が現れ、黒衣目掛け飛翔する。


「っ――――」


 宙へと投げ出された黒衣は身動きを取ることすらできず、たまらず時間を停止させる。


 決定的な隙。確かにその通りだ。だがこの魔法は強制的に相手の隙を作る、まさにチート技。

 それはあの【魔女】すらも退けたほど。

 ならば、この魔法に抗えるものなど存在しないはず。


 黒衣は宙に浮いた体を無理矢理捻り、刃の通らない場所へと身を滑り込ませる。

 だが――、


「な――――」


 そこにあったのは、一本の刃。刃に隠れるように潜ませてあった、もう一本の刃だ。


 その刃へ反応を示す前に、時間は解除される。


「っ゛――――!!」


 肩へと刃が掠め、制服もろとも肌を裂く。


「そして二つ目。その魔法は、アナタの認識を超えはしない」


 その言葉通り、視線を巡らせた黒衣の視界に飛び込んできたのは、黒衣の知り得ぬ八本もの刃。派手に展開された刃の影へと巧妙に隠されていた、認識外の刃だ。


 そしてその刃全てが、あらゆる角度から黒衣の喉元を狙っていた。


「じ、時間停――」


「そして三つ目――。魔法発動後の遅延時間」


 彼女の言う通り、黒衣の魔法は発動しない。

 それは言われずとも、黒衣自身もわかっていたこと。

 だが、そうでもしない限り、いまの黒衣にその攻撃を回避する術など残ってはいない。


「そして最後。アナタの相手があたしだったこと――」


 迫り来る八本もの銀閃の向こう側に見えたのは、可愛らしくウインクなどしている少女の――鬼瀬杏子の姿だった。


 かくして黒衣は、『本の鬼』こと完全無欠の図書委員長鬼瀬杏子に敗北を喫したのだった。


   *


「ダメね」


 タンッ、と杏子は乱暴に湯呑みを置き、机を鳴らす。だが中のお茶は波を打つだけで、一切外に溢れはしない。


「全然ダメ。それでよくあの【魔女】に勝てたものね」


「……はい」


 大福を口に運びながら、鬼瀬杏子は短くそう宣った。


 それを聴きながら、黒衣はシュンと縮こまって正座をさせれている。

 首からは『わたしは負けました』などと書かれた板を下げられている。


「ん……、これ美味しいわね」


 と、本当に美味しいとばかりに、杏子は顔を綻ばして口元を覆う。心なしか膨らんだ頰も赤く染まっているようだ。


「そうであろうそうであろう」


 そこで何故かアリスがその大きな胸を反らせて誇らしげに首を上下する。

 なんでお前が偉そうなんだよ。


「と言うかアンコ、ついてるぞ」


 指摘されたアリスはぐしぐしと可愛い顔を手で拭う。


「その菓子はわたし自ら見初めたものだ。美味くて当然、でなければ舌が腐っているのであろうな!」


 さすがにそれは言い過ぎだと思う。

 と言いたいところなのだが、本当に美味いからタチが悪い。


 この大福。見た目はどこにでもある普通の豆大福で、実際中も皮と餡子と豆のシンプルな一品だ。だがそのシンプルさがまた侮れない。ぎっしり詰まった餡子は甘さ控えめで、だからと言って塩気が強すぎることもなく、見た目に反したすっきりとした味わいで喉を通っていく。甘さと塩気の絶妙なるバランス配分の為せる業なのだろう。テレビでも見ながら食べれば二、三個はペロリといけてしまうほどだ。なんでも、東京の方にも支店を出すほどの人気店らしく、俺とアリスが言った時もこのクソ暑い真夏の平日にも関わらず、それなりの量の客が足を運んでいた。外国人客も多く、テレビがくるほどの人気店という話も頷ける。


「ホントに美味しいはねぇこの大福。あたしはあんまり間食はしない質なんだけど、うん、これなら毎日でも食べられるわね」


 思いの外気に入ったのか、杏子はまた一つペロリと大福を平らげてしまう。


「そうは言うが、杏」


 そこで前触れもなく杏子の背後へ現れたのは、一人の美丈夫。時代劇で見るような紅白の裃を纏い、長い黒髪を後ろでにまとめた長身の美男子。その派手な装いもそうなのだが、何より目立つのはその腰に差した長モノ。自身の身長ほどもある大きさの日本刀――大太刀だ。白塗りの鞘に納められた刀を腰に差し、現代ではまず見ない服装を身に纏った彼のその姿はまさに時代劇さながらの『侍』といった姿だ。それもそのはずだ。彼もまたアリス同様おとぎ話の世界の住人であり、杏子のパートナーとして存在する【妖精】。日本で知らぬものなき童話『桃太郎』の主人公その人だ。


 そんな鬼退治で知られる桃太郎だが、何故かその手には急須が握られており、現れるや否や杏子の湯呑みにコポコポとお茶などを注ぎ始めた。

 なんとも間抜けな絵面だが、本人は気にせず話を続ける。


「君もよく、週末の帰りにコンビニでケーキを買っているじゃないか。それも一個五百円もするなかなかに高価なものをだ」


「なっ! ちょっとアンタなんでそれを……」


「知らないわけがないだろう。現界せずとも、私は君の命令がない限りは護衛のため君の側にいるのだから」


「だ、だからってこんなところでバラす必要は――」


「そんなつもりはなかったのだが。ただ単に、私は事実を話しただけだ。まさかあれで隠し事をしているとは、さすがに思わなかったものでね」


「っ~~~~……」


 桃に悪びれた様子はなく、むしろ困ったように眉根をひそめる。

 対照的に杏子は口元を歪めて耳の先まで顔を真っ赤に染める。


「そんなに恥ずかしがることですか? 甘いものくらい誰でも食べるでしょ」


「い、イメージの問題よ! 鬼瀬の娘であり、学内では成績優秀運動神経抜群の頼られる先輩であるあたしが、よりにもよって週末コンビニデザートで悦に浸るスイーツ女子だなんて。そんな噂立とうものなら切腹ものよ!」


 ——そ、そんなになのか……。


 まぁ確かに、杏子は学園内でも名の知れた優等生だ。その容姿もさることながら、学園最大派閥であり、国内きっての蔵書量を誇る図書館塔の管理を任された学園最大派閥のエリート集団・図書委員会の委員にして、その長を高等部一年の頃から務める完全無欠の委員長さま。その本に対する愛ゆえ、違反者に対して厳しい(当社比)処罰を下すことから『本の鬼』の異名で畏れられている。とは言うものの、普段は窓辺で静かに本を読むような文学少女らしく、その落ち着いた雰囲気とルックスも相まって男女問わずに人気が高い。中でも女子からは影で「お姉様」なんて呼ばれ方で慕われているらしい。まぁ、俺は満月に聞くまで知りもしなかったのだが。


 そんな文学少女の代表例らしいメガネいいんちょが耳から湯気を噴いて顔を赤くしていると、唐突に机をバンと叩いて立ち上がる。


「そ、そんなことよりも! 今大事なのは黒衣くん、アナタの話よ!」


 ——うっ……。うまいこと話が流れたと思っていたのだが、やはりそううまくはいかないらしい。


「アナタの魔法、もう一度試させてもらったわ。時間を操る魔法……と言うよりも、止める魔法かしらね。何にせよ、強力な魔法には変わりないわ。まったく、とんでもないモノを引き当てたものね」


 感心しているのか呆れているのか、はたまたその両方か。とにかく杏子はズズズと桃の淹れたお茶を飲みながら胡乱な目付きで黒衣を見てくる。


 だが黒衣は、伏し目がちに頭を振る。


「そんな、便利なものじゃない。時間を止められるのはほんの一瞬だけで、何か一つの行動を起こすのが精一杯。時間の操作なんて、とても……」


 実際、つい今しがた杏子に完敗したばかりだ。完封と言ってもいい。そんな状態でスゴイと褒められても実感など湧くはずもない。


 だが杏子はそれを否定する。


「なーに贅沢言ってるのよ。時間よ時間。時間を止められるのよ。漫画やアニメであるような夢の魔法よ。うまく使えばなんでもし放題じゃない。どうせなら、そのうら若い情動でも発散してきなさいな。あ、もしかしてもう使った?」


 ムフフフ、となにやらいやらしい笑みを浮かべる杏子。この人、基本的には優秀で美人なのだが、時々とんでもなくダメというか、妙な感じに高校生とは思えないんだよな。ぶっちゃけおっさんだ。


「はぁ……。そんなことに使いませんよ」


 というかそんな発想はなかった。


「あ、間違ってもあたしに使ったらダメだからね。もし使おうものなら、それ相応の覚悟しなさいよね」


「たとえ俺が自殺志願者でも、それだけはやりませんよ」


「まぁ、でも? あたしにそんなことしなくても、アナタにはすでに素敵なお姫さまがいるもんね」


 ……まさかとは思うのだが、それはもしかしてコレのことを言っているんじゃないだろうな。


 黒衣が視線を向けると、アリスは「ん?」と丸くした目をパチクリさせる。

 その手には行きつけに買った特大のシュークリームが握られている。


 だから、クリームついてるぞ。


「む、なんだ? わたしの話か?」


「違――」


「ぶっちゃけ、そこんとこどうなのよ」


 黒衣の否定を遮って、杏子が身を乗り出す。


「どう? とは?」


「だからね。アリスも、【妖精】とはいえ立派な女性なわけじゃない?」


「うむ、そうだな」


「そして彼も、うら若い身体を持て余した男の子なわけよ」


「別に持て余してな——」


「そんな二人が一つ屋根の下で同居してる。これで何も起こらない方がおかしな話(オカルト)じゃないかしら」


 ——んなわけあるか。


 杏子は嬉々として、その輝かせた目をアリスへと近づけ質問を募らせる。その姿は才色兼備の委員長さまどころか、井戸端会議に熱中するおばさんさながらだ。さっきの件といい、俺の中の先輩の評価が音を立てて崩れていく。外面気にしてたんじゃないのか。


 だが悲しいかな。俺の意に反して、その好奇の目を向けられたお姫さまはうんうんと頷いていらっしゃる。


「確かにその通りだ、サムライ女よ」


「じゃあ……!」


「いや。残念なことに、此奴からそのようなアプローチは未だない。さすがにおかしいと思いソッチの可能性を考えたのだが、どうもそういうわけでもないらしい。その証拠に、風呂上がりにはいつもわたしの肌を舐め回すような視線でチラチラと見つめてくる」


 ——見てねぇーよ! そりゃ誰でも真っ裸の女が家ん中うろちょろしてると目につくだろう! というか目のやり場に困るんだよ。いい加減裸でくっついてくるのやめてください勉強に集中できないんです。


「へぇ~それはそれは。ごちゃごちゃと言ってる割にはちゃんと興味はあるんじゃないの。なんで襲わないの?」


「お、襲……」


「言ってやるな、サムライ女よ。男というのは得てしてそういうもの。プライドばかりを気にして、失敗を恐れあと一歩のところを踏み出せぬのだ。経験がないのならなおのこと。つまるところ、臆病<チキン>なのだ」


「なっさけないわねー。男なら甲斐性の一つや二つ見せなさいってのよ。そんなんだから幼馴染の女の子にも逃げられるのよ」


 ——こいつら……、人が言い返さないと思って好き勝手言いやがって……。


「というか、だったら先輩の方はどうなんですか?」


「あたし?」


「ええ。先輩だって一応は男女のペアじゃないですか。だったら浮ついた話の一つや二つ……」


 黒衣がそういうと、きょとんとした目で杏子は後ろを振り返り、急須を持って佇む桃に一瞥すると、


「ないわね」


「ないな」


 と、二人揃ってそう答える。

 あ、はい。自分で聞いてなんですが、なんとなくそうだろうなと思ってました。


「それよりも黒衣くん。あれ、ちゃんと持ってきてたかしら?」


 与太話もここまでと話題を変えてきた杏子に、俺も表情を引き締めて答える。


「ええ」


「見せてもらえる?」


 答えの代わりに、俺は制服の内ポケットを探り、言われたとあるものを取り出す。それは――


「これは……、銀時計?」

 そう。黒衣が取り出したのは、銀の鍍金が施された懐中時計。いわゆる銀時計だ。一昔前には贈り物や名誉の証としても重宝された一品だが、これはそれらとは違い、派手な装飾も何もない、僅かに煤けた地味なものだ。


「これが……黒衣くんの【原典オリジン】なの?」


「たぶん、ですけど……」


 自信なさげに言う俺に、杏子は訝しい視線で銀時計へと向ける。


「随分と薄汚れた時計ね。中は……と?」


 パカッ、と銀時計を開いた杏子は、不意に疑問符を頭に浮かべ。


「もしかしてこれ、壊れてるの?」


「はい」


 そう。杏子の言う通り、その銀時計は壊れていた。


 跳ねるように開いた銀時計の中身はその子気味の良さとは裏腹に、とてもひどい有様だった。白く広がる文字盤はⅠからⅥの半分が欠け、残った後半部分も所々が掠れ読み辛くなっていて。針も一本、短針が欠けていて、残った長針も五十九とⅫの間を繰り返し刻むのみで、まるで時計の体を成していない。


 もはや壊れているとも言い難いこの時計を、黒衣はそうだと答える。


「理由を聞いても?」


 いいかしら? と問う杏子に、黒衣は返事をせぬまま話始める。


「……昨日先輩に聞かれて、真っ先に思いついたのがこれなんです」


「ふーん……」


 杏子はそう相槌を打つだけで、何も言ってこない。


 【原典オリジン】。杏子が言うには、それは人間にとって魔法の媒介となる魔道具アイテム。形は個人によって千差万別で、一つとして同じものは存在しないとのこと。ただ共通しているのは、それがその人間にとって思い入れの深い物であるということ。


「昨日電話で伝えたけど、【妖精】との【契約】によって【読み手】に与えられるものは三つあるの。一つは【妖精】。【契約】を結んだ【妖精】は決して離れ得ぬパートナーとして結ばれる。二目は【魔法】。その人間の願いの形として現れるのが【魔法】よ。その人間の願いの本質が【魔法】となって現れると言われているわ」


 それは確か、俺がアリスのパートナーとなった次の日にも聞かされた内容だ。【妖精】と【契約】を結んだ者は超常を超えた奇跡の力【魔法】を得る。それが【読み手】であると。


「そして三つ目。それが【原典】と呼ばれる道具よ。これは【魔法】を使用するための媒介となったり、【魔法】そのものに必要だったりと、人によってその役目も様々。一説にはこの【原典】自体が【妖精】との【契約】を結ぶ証だとも言われているわ」


「契約の……証?」


「その証拠に、【原典】が壊れた【読み手】は【契約】が破棄され、【魔法】が使えなくなるわ」


「なっ……」


「それだけじゃない。【契約】が解除され人間との繋がりを失った【妖精】は、【魔力】を補給できなくなり、最悪消滅するわ」


「な――」


「な、にっ……ごふっ、……!!」


 黒衣より先にアリスが驚きの声を上げ、その勢いで食べていた饅頭を詰まらせる。


 ——ていうかお前も驚くのかよ。


「アナタ……、【妖精】のくせにホンット何も知らないのね」


「し……、仕方なかろう。わたしは外に来たいから来ただけなのだ。【契約】のルールとか常識とか、そんなものは大して興味がない」


「わからなくはないけど、それにしてもねぇ……」


 呆れてものが言えないとでも言いたげに、杏子は眉間を押さえて首を振る。


「実際、先日戦った大男。アイツを倒すために、あたしは契約者の持つ本型の【原典】を破壊したわ」


 その話も聞いた。俺を殺そうと狙った巨岩の大男。その正体はかの有名な童話『金太郎』の主人公『坂田金時』であり、不死にも近い復活力を魔女によって付与されていた金時の討伐に、杏子は契約者である己の後輩の持つ本型の【原典】を破壊。狙い通り【契約】を失い【魔力】を絶たれた金時は弱体化、見事桃の手によって倒されたという話だ。


 その話を聞く限りでも【読み手】である人間の持つ【原典】は【妖精】にとっての弱点。最悪死にすら直結しうる急所であることに違いはないのだろう。


「だからこそ、【原典】の守護は【読み手】にとって最重要課題。命の次に大切な――いいえ。契約している【妖精】にとっては自分の命を他人に握らせているに等しいもの。それ相応の責任と覚悟が伴うのよ」


 その上【魔法】すらも失うのだから、【原典】を失うことイコール人間にとっても死。杏子は捲し立てるようそう告げる。


 黒衣が自然とアリスの方へと視線を向けると、アリスも同じく視線を合わせる。


 一週間前。黒衣とアリス、杏子と桃はとある【妖精】と対峙した。【魔女】――【妖精】の中でもとりわけ強力な力を持つとされる『茨の魔女』との戦い。学園を舞台としたその戦いはいくつもの激闘の末、黒衣たちが勝利。魔女の陰謀を阻むことに成功した。もちろんそこにはいくつかの犠牲も存在した。だがあれほどの事件だったにも関わらず、一人の命も奪われることがなかったのは、偏に運がよかった。ただそれだけのことだ。もし何かが一つでも事が食い違っていたら、ここでこうしてふざけ合ってもいられなかったかもしれない。


 【妖精】は人知を超える存在だ。その力、身体能力、構造に至るまで人間のそれを遥かに凌駕する。だがそれは決して死なないというわけではない。たとえ銃で体を撃たれたところで【妖精】が死ぬことはないだろう。それなりのダメージは負うだろうが、時間と魔力さえあれば回復は可能だ。だがそれが【妖精】によって強化されたものや【魔法】だったならばどうだろうか。人を超える力を持つ【妖精】とはいえ、人を超える力で害されたならばその限りではないはずだ。それが人間ならばなおのこと。現実、黒衣はそれで一度死んでいる。


 あの時は奇跡以上の奇跡が重なったからこそ生き延びることができたが、そんな都合のいいことが何度も続くわけがない。


 そしてそれは【妖精】も同様だ。あの魔女との戦いでアリス自身も幾度となく傷を負った。そして最後にはその存在すら消失しかねない事態にまで陥っていた。今ここでこうしてどら焼きなんかを頬張っていられるのは、ただの偶然――奇跡でしかない。


 悲願の達成。それこそが黒衣とアリスが【契約】を結んだ理由であり、【契約】の本質ではあるが、生きていなければそれも叶わない。であるならば、生き延びることは目的達成のために必要な課題。先輩の言う通り、最重要課題なのだ。


 当たり前と言えば当たり前のことだが、すでに幾度という死線をくぐっているからこそ必要な認識でもある。


 そしてそれには自分の体――命を守ることだけではなく、【妖精】にとっての急所【原典】を守り切ることも必要になってくる。

 【妖精】の死はつまり人間自身の死へとつながる。そしてその逆もまた然り。

 【妖精】と人間は運命共同体。それは言葉だけでなく、まさに文字通りなのだと認識を改めさせられる。


「あ、そうそう。あたしの【原典】はこれね」


 そう言って、杏子はひらひらと小太刀を見せつける。


「へ?」


「あたしの愛刀『雛祭ひなまつり』。本来はこの一本だけだけど、あたしの【魔法】『いろは刀』で五十までを同時に複製・操作することができるの。プラス『言霊遊び(ことだまあそび)』って技で斬り結んだ五十音の現象を擬似再現。これがあたしの【原典】と【魔法】の概要よ」

「……はい?」


 一息にそうまくし立てた杏子に、黒衣は思考が追い付かず間抜けな声を上げてしまう。

 ――何を言っているんだ、この人は。


「なによその顔。もしかしてわからなかったわけじゃないでしょうね。あいにくだけど、もう一度言ってあげるほどあたしも優しくは――」


「いや、そうじゃなくて」


 否定する俺に先輩は眉をひそめるが、さすがにこれには物申せずにはいられない。


「なんでそれを俺に教えるんですか!」


 さっき杏子は言った。【原典】の守護は【読み手】にとって最重要だと。【原典】イコール【妖精】の命だと言うのなら、それは自分の命を守ることにもつながる。

 だと言うのに、杏子はそれをいとも簡単に、【魔法】の情報というオマケまでつけて黒衣に話したのだ。同じ【読み手】である、黒衣に――。

 だが杏子は訝しむ眉を呆れ顔に変えて息を吐く。


「別に。そんな驚くほどの意味はないわよ。ただ、不公平でしょ? あたしはアナタたちの【原典】(弱点)を知ってるのに、アナタたちは知らないなんて。気になるのよ、そういうの。だから教えた。それだけの話よ」


 なんでもないと、杏子はそう言ってまた茶を啜る。


「気になるなら忘れてくれて構わないわ。でも知っておいた方がこれから何かと役に立つかもしれないわよ。また、いつあんなことがあるかわからないんだから」


 杏子はそう静かに言う。


 確かにその通りだ。【妖精】がどれほどの頻度で人の世へ現れるのかはわからない。でも、今自分の隣にはその【妖精】がいる。先日の事件もそうだし、四年前のあの日も。黒衣はこの短い人生の中ですでに二度――もしかするとそれ以上の数の【妖精】と遭遇しているのだ。


 これからもあの様なことがその身に降りかかるかはわからない。だからこそ、常にその覚悟をしておくことが懸命なのだろう。


 だが、それでも黒衣は納得いかないとばかりに顔を固くする。

 そんな黒衣を見て、コトリと、杏子は湯呑みを置いて息を吐く。


「一応、これでも感謝してるのよ」


「え――」


「先日の事件。元は魔女の仕業ではあったけど、あたしの身内があの事件の一端を担っていたのはどうしようもない事実。最後は学園全体を脅かすほどにまで発展したのも、元を辿れば発端はこの図書館塔の騒動からだったわけだし。結局のとこ、内輪の問題を処理できなかった私の責任でもあるの」


「そんな、ことは……。その魔女に協力してたのは、俺の幼馴染みだったわけですし」


「園咲さんも、うちの身内の一人よ。何も変わらないわ」


「でも……」


 そうじゃない。


「先輩は悪いわけじゃないですよ。なんて言えばいいのかわからないですけど、先輩が全部責任を背負うようなことじゃ……」


 先輩の所為じゃない。ただそう伝えたいだけなのに、うまく言葉が出てこない。あれから四年間。あまり人と関わってこなかった弊害がこんなところで出るなんて。


 黒衣が自分の口の拙さに歯痒さを感じていると、不意に笑い声が聞こえてくる。

 杏子だ。


「フフ……。いいえ、ごめんなさい。ただ、そんな必死に誰かに庇ってもらうなんて、初めてだから」


 そう言って杏子は柔らかい笑みを浮かべる。


「黒衣くんて、見た目のわりに案外優しいわよね」


「見た目の割には、余計じゃないですか」


「そうかしら。そうかもね」


 意外にも、杏子はその『本の鬼』などと言うあだ名からは想像できないほど、穏やかに笑っていた。

 何がそんなにおかしいのか、コロコロと。楽しそうに。

 剣の鬼も【妖精】も、何も関係のないただの女の子のように、口元を弓なりにして。


「うん。ありがと、黒衣くん」


「ん?」


「お礼よ、お・れ・い。さっきも言ったでしょ、感謝してるって。だからアナタには、何かお礼をしなくちゃいけないわね」


 笑顔の杏子は畏まってそんなことを言ってくる。


「お礼なんて。そんなのいいですよ。実際あれは俺の問題でもあったんですし。先輩が一方的に気にすることなんて」


 だが杏子は、頭を振る。


「ううん。それじゃあたしが納得しないの。納得できない。自分勝手でも、あたしはあたしの納得したいようにする。だから……ね、黒衣くん」


 ゆっくりと、一歩一歩を確かめるように近づいてくる杏子は、生クリーム色の笑顔で黒衣を見上げ、そして――


「だから特訓ね」


 理解のできない一言を、桃色の唇で告げてくる。


「へ?」


「アナタとあたしは一つの秘密を共有する特別な仲になったのよ。秘密の関係……ううん。それこそ、運命共同体のようなものよ」


 字面的にはトキメキの一つでもあるはずなのに、この異様なまでの残念感はなんだろうか。


「だからこそ、アナタには強くなってもらわないといけないわ。委員会の所属ではないけれど、アナタも立派なあたしの後輩なわけよ。そんなアナタが貧弱なんて、神が許してもあたしが許さないわ」


 弱いとか貧弱とか言われると、微妙に傷付くのですが。


「それに何より、そんな稀少魔法レアスキルを宝の持ち腐れになんてできると思う? いいえ、出来ないわ。出来ようはずがないわ! アナタもそう思うでしょ、黒衣くん!」


「え、あ、はい?」


 バッ、と指を差され、黒衣は思わず声が上ずってしまう。


「返事は大きく一回!」


「は、はいっ!」


「だからこそ、このあたし自らアナタを指導してあげるわ。夏休みの間、みっちりとね」


 ――え、今何か変なことを言わなかったでしょうか? 夏休み中、みっちりと?


「あのぉ……、それって拒否権は……」


「あると思う?」


 笑顔だった。さっきと寸分変わらない、優しい笑顔。だが背後にはっきりと鬼が見える、そんな笑顔。


「思いません……」


「なら良し」


 よかぁないとは、さすがに言えなかった。


「そうと決まれば早速始めるわよ。大丈夫。あたしが指導すれば、アナタを【魔法】が優秀なだけの二流三流にはしないわ。アリス、桃! アナタたちも手伝いなさい」


「何やらよくわからぬが、心得たぞ」


「はぁ……、やれやれ」


 二者二様の反応を示して、話の外にいた二人の【妖精】も立ち上がる。


「さぁ、行くわよ黒衣くん! 夏はまだ始まったばかりなのよ!」


 輝いていた。否応なまでに、今の杏子は輝いていた。


 忘れていたが、杏子は『図書委員会会長』という文系女子学生代表のような肩書きを持っている反面、『剣道部主将』というゴリゴリの体育会系な肩書きも所有しているのだ。

 文武両道を地で行く、まさに優等生の鑑のような存在。


 だがしかし、今まで日陰の隅っこで惰眠を貪っていたような黒衣とって、その活気は眩しすぎるほどの熱量を放っていて。

 とてもではないがついていけるワケもなく。かと言って反論の意思すらも消失しかねないほど、今の杏子は夏の太陽のごとく光り輝いていた。


 そんな杏子に為す術もなく、黒衣はその首根っこを引っ掴まれてはズルズルと引きずられて行く。


「はぁ……。ホントもう、めんどくせぇ……」


 夏の日差しはいつの間にか中天に差し掛かり、より一層暑い日差しを世界に降り注ぐ。



 日陰に隠れるモノを、曝け出してしまうほどに。



次回、新キャラ登場です

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ