第17話『不思議の少女と白い兎』
今宵の空に風はなく、耳を澄まさずとも聞こえる虫たちの鳴き声と星月の輝きがあるのみ。
ただ、屋根を挟んだ二人の間には、そのどれとも違う何かが、ただ静かに、音もなく胎動しているようだった。
「……随分と、毛嫌いされたものだなぁ」
そんな静寂を先に破いたのは、黄金の少女アリス。
だがしかし、そのセリフに白ウサギが反応することはなく、空気は再び沈黙に閉じられる。
「ふむ……。そう睨むな。それでは怖くて話もできぬではないか」
「…………」
「随分と彼奴にご執心のようだが」
顎をしゃくり示した遥か向こうに立つのは、自らの【読み手】黒衣。
「、……」
「……ふむ。彼奴に対しては、随分とわかりやすく反応するもんだな」
白ウサギの表情は依然変わり得ない。その薄い口元も、整った眉根も、紅い瞳も、脈拍でさえも。
しかしアリスにはそれが違って見えたという。
「貴女は」
不意に、白ウサギが口を開く。
「貴女は、あの人にとっての、何」
その問いに、アリスは目を丸くする。
「これは……なかなかに異な事を聞いてくる。彼奴は私の【読み手】で、私は彼奴の【妖精】だ。よもや、知らぬわけではなかろう?」
「違う」
聞き返すアリスに、だが白ウサギは否定する。
「そうじゃない。貴女が、あの人を、どう思っているのか」
「ふむ……」
相も変わらぬ人形のような鉄面皮に、謎の問いかけ。アリスは白ウサギの意図がイマイチ掴むことができず、顎に手を添え思案する。
普段の——いつものアリスであるならば、何を世迷言をと一蹴していたのだろうが、仮にも自分を負かした相手だ。無下にすることはアリスのプライドが許さない。
何より、そんなことをアリスに問いかけるこの鉄面皮が、何故かとても人間くさく見えるのだ。
「ふむ、彼奴は……そうだな。言うなれば、私に何か不思議を与えてくれるやも知れぬ存在だ」
ちらり、とアリスは白ウサギの反応を伺うが、白ウサギの表情は依然として変わっていない。むしろアリスはそれを、話を続けろという合図として受け取る。
「私は元にいた世界を自ら飛び出したクチでな。摩訶不思議な出来事が普遍的に繰り返されるあの世界に飽き飽きしていたのだ」
思い出すのも億劫となった我が故郷。忌々しくもただそこに在るだけという怠惰の世界。
そんな牢獄のような世界を飛び出し、【妖精】として人間の世界へとやって来た。
「そうして、彼奴と出会ったのだ」
クルリと、アリスはドレスを舞わせて話す。
「彼奴は愚かにも、過去に失った妹を救いたいのだと言った」
「…………」
「過去を取り戻したなど愚の骨頂に他ならない蛮行だが、それでも私はそれを面白いと思ったよ」
それはまだ、つい一週間前のこと。すでに数ヶ月前の出来事のように懐かしく感じられるが、ついさっきの事のようにも思い出される鮮烈な記憶。
アリスにとっても、それは刻むに値する思い出だ。
「あの感情は、あの思いは、私にはなかったものだ。他者への依存。他者への願望。他者への情熱。情念。それを私は見たくなったのだ。あの愚か者が踊る、この舞台をな。それを——」
「もういい」
またも、白ウサギは不意にアリスの言葉を遮る。
だが今度のそれは、
「もう、それ以上は————いらない……」
明確な、拒絶。
その証拠に、薄氷のような鉄面皮に嵌め込まれたかのような紅の瞳は、まるで鮮血のように輝きを溢れさせていた。
あたかも、憎悪の涙を流すかのごとく。
「ふ……。あまり話をしない奴だとは知っていたが、他人の話まで聞かぬ奴だとはな。何が気に食わぬのかは知らぬが、人の話は最後まで聞いていくものだ。そして聞いていけ。——それを私は気に入ったのだ。その舞台で、私も共に踊ってみたいのだとな。それに何よりだ。彼奴はこう言った——」
「 もう二度と、私を一人にしないとな! 」
途端、さきほどまで向かいの屋根にいたはずの白ウサギが弾丸のごとく速度でアリスへと向かい、互いの矛を交わらせ両者は戦闘を開始する。
月の光を浴び黄金に輝く大鎚と、白金の光を反射するアリスの愛傘。異色の武器との鍔迫り合いは、真夏の夜に金属音の旋律を奏で立てる。
だが、そう長く接しているわけにもいかない。
「っ!」
咄嗟に、アリスは大鎚を斬り払う。
——BRiRiRi!!
瞬間、大鎚から雷撃が迸る。目を焼くほどの閃光は、とても電気ショックなどというレベルのものではない。
そのあまりの威力に、アリスは一瞬目元を覆う。
「っ————!!」
ほんの一瞬。たった一度アリスが閃光に目を瞬いたほんの一瞬の隙。その隙をついて、白ウサギの小さな体が目の前まで疾駆する。
追随するのは、鈍重なる金槌。雷光の輝きを吸い込み、白ウサギの疾駆と共にアリスへと叩き込まれる。
だがそれを、アリスは受けない——。
縦に差し出した愛傘を軸に、暴れ牛の如く襲い来る金槌の上を転がり躱す。
そして槌を躱した先にあるのは、無防備に晒される白ウサギの右脇腹。
(殺っ————)
だがアリスの碧眼が映した景色には、予想とは違うものが含まれていた。
(左——?)
差し出されたものが何か認識するよりも早く、それは音を鳴らす。
それは左手。金槌を振り回した勢いのまま、背中越しに差し出された白ウサギの左手だ。
そしてそれが意味するのは——、
「『火打ち石』」
電光石火。その小さな声が聞こえると同時に、アリスの眼前が爆裂する。火打ち石などという控え目な表現では済まされない、暴力的なまでの爆発がその空間にある全ての物を焼き払う。
爆発は一瞬。まさに石火の如く炸裂した爆発は、その爆煙が晴れるのもまた一瞬。
その【魔法】が何を焼いたのかを、見定めるのも。
(円…………?)
白ウサギの紅い瞳に映ったのは、その瞳と形を同じくする丸い、くるくると回る白い物体。物体はすぐに回る速度を緩め、その正体をあらわにする。
その正体は——
(傘————っ)
「『うしろの少年だぁれ』——」
紅唇が口遊みたるその詩の名は、『かごめかごめ』。前回の戦いにてアリスが用いた詩の一つ。
その効果は、
(後ろ————)
への、瞬間移動。
であるならば。
「っふ————」
一息に、振り向き様の瞳を穿つ。
さきほどまで正面にあったはずの銀槍を、手に持って。
「————————っ」
紅の剣閃が、夏の夜空に流れ落ちる。
白ウサギの頬に一筋の傷をつけて。
(躱された————!)
まさに紙一重。
体を後ろに反らすようにして、白ウサギはアリスの刺突を既のところで躱していた。
そしてこの一瞬の空白は、形勢を変えさせるのに十分。
ピシッ——
「しま——」
白ウサギは反らした体の流れそのままに、空いた左足でアリスの日傘を蹴り上げる。
そしてアリスの視線は、飛ばされた日傘を追ってしまう。
それは決してアリスの間が抜けていたわけではない。生物としてはごく当たり前の反射的行動。ほんの一瞬。眼球の動きだけが釣られてしまったたったの一瞬の出来事だ。
だがその一瞬でも、白ウサギが振りかぶるのには十分過ぎる間。
低空をスイングさせた大鎚が、風を裂きながらアリスへと突き走る。
『 二羽の黒い鳥が 丘の上にいた
一羽はジャック 一羽はジル
飛んでけジャック 飛んでけジル
帰って来いジャック 帰って来いジル 』
——ギン
アリスがその詩を謳った途端、アリスの手にはどこからともなく日傘が現れ、飛来した金槌を受け止める。
「惜しかったな」
「……わらべ歌」
「ああ、そうだ。それが私の【魔法】『不可思議迷楼の童詩』だ。謡った詩を合言葉にありとあらゆる事象を具現化する、私がもっとも得意とする【魔法】だ」
それはつまり、詩を謡いさえすればどのような現象でも引き起こせるということ。まさにおとぎ話に出てくるような万能の魔法だ。
「だがこれでも色々と制約があってな。そもそも適当な言葉を並べるだけでは起動しない上、私自身が納得した詩でなければまともに発動はしえない」
故に安易な簡略化も不可能。その上複雑な効果を発揮させるためにはそれ相応の詩が必要となってくる。
「便利なようで、案外扱いづらい【魔法】よ」
白ウサギと鍔迫り合いながら、アリスは困ったとでも言いたげに首を振る。
「私の【魔法】よりも、感心すべきはお前の【魔法】だ」
そう言ってアリスは、まさに今競り合っている金色の大鎚へ視線を落とす。
「いやさ流石だなその武器は。槌になったかと思えば槍へと変わり。あまつさえ雷さえも放つとは」
その脅威は、今しがたアリス自身が身を以て体験したこと。
「そしてただの武器ではない。雷の力を宿した程度の武器ではそれほどの威力は出はしまいよ。なればそれは、雷そのものを槍の形へと洗礼した武具。そんなものが存在するとするならば神話の——神代の代物だ。そしてその答えは……貴様だ白兎」
「…………」
「古今東西、雷を司る神は数多在るが、こと兎と関わりを持つ神となれば話は別だ。なればそれは、鬼神をも屠ったとされる軍神の武具『インドラの炎』!」
その話を聞いても、白ウサギの表情は依然変わらぬまま。だがしかし、アリスには今の白ウサギの顔に書かれていることが手に取るようにわかる。
すなわち、お前は「何が言いたいの」か。
「決まっている。であるならば、貴様の正体は、自らの肉体を差し出し月へと召し上げられたと言われる古の兎。アジアを中心に広まる『月の影の兎』がお前だ。違うか、玉兎!」
玉兎。それは中国を中心にアジア圏で古くより知られている『月の兎伝説』にて、月に住まうとされている兎の総称。
曰く、腹を空かせ倒れている老人を見つけた猿、狐、兎の三匹が、老人を助けるためにそれぞれ食べ物を用意した。猿は木の実を、狐は魚を獲ってきたが、兎だけは何も採ってくることができなかった。それでも老人を助けたいと考えた兎は、自ら食料となるべく火の中へ飛び込んだ。その姿に心を打たれた老人は神としての正体を現し、その行いを後世に伝えるために兎を月へ昇らせたのだと言う。
アリスは白ウサギの原典に、そう当たりをつける。
「……答える義理はない」
だが白ウサギは認めない。
「ふ……。それもそうだな」
しかしアリスはその答えに笑う。否定ですらないその答えが、何よりの証明であることに。
「なればその神の一撃を持ってして、この私を討ってみるがいい」
長らく鍔迫り合っていた二人は、アリスの方からその拮抗を破り、互いに距離をとる。
「間違っても、さきほどと同じなどと思うなよ?」
「…………」
距離をとったと言っても、二人の間にある距離はさほど広くない。屋根一つ挟んだ、家屋三軒程度の距離だ。
その決して広いとは言えない距離に、風が湧く。今夜の空には風はない。虫の声が聞こえるだけの、静かな夜だったはずだ。事実、風が吹いているのはこの場所だけ。急速に集まる二つの魔力源に対し、空気が物理的に反応を示しているのだ。
アリスは耳を澄ます。いや、特段何かを音を拾おうとしているわけではない。呼吸をするたびに、辺りの音が鮮明に聞こえるようになっているだけだ。
自分でも驚くくらい、心が高揚しているのがわかる。とても気分がいい。自分の呼吸音に僅かな絹すれの音、心音までが身近に聞こえる。耳で聞いているというよりも、五感全てで聞こえると言っていいだろう。
それに伴い、辺りの音も鮮明に聞こえてくる。何も聞こえないということが、鮮明に。
おそらくは、既に黒衣とユウタの戦いは決したのだろう。
なれば結果は明白だ。心配など、する余地もない。
であれば、次は己の番だ。
そう己の中で呟いて、アリスは視る。
見晴るかす視界の先。そこで静かに立つ、白の少女を——。
風が、止んだ——。
「”これは帝釈天より賜りし天の雷。悪しき者どもを滅ぼす、裁きの鉄槌……”」
大鎚から長槍へと変じた雷が、白き音を鳴らして唸り立つ。
そんな白夜に変わる世界の中、鈴の音が鳴る——。
『 通りゃんせ 通りゃんせ
此処は何処の 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに 参ります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ 』
凛と、音がする。
それは既に詩に非らず。
神へと奉納する、巫女の祝詞だ。
なれば、夜空に現れたその光り輝く路は、神へと通づる参道か。
否。神を騙りし者を屠るための、それは神々の戦場だ。
そしてその少女が手に持つは、前回の戦にて竜を穿った星々の槍。
またも、空気が固まる。
まるで時間が止まったかのように続くたった一拍の時間。
片や、金色に迸る雷槍を持ちし銀雪のウサギ。
片や、白銀に輝く星槍を持ちし黄金の少女。
二人の小さき少女の時間が今、動き出す。
「金剛杵『雷霆神槍』」
「『星霜纏いし神殺の槍』——!」
白銀の星々と金色の月光が夜空にて衝突する。
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお————!!」
「……、……………………………………………………………………………………っ」
金色の輝きは雲もないのに雷鳴を轟かせ、夏夜の静寂を破り去る。
白銀の光は七色に尾を引いて降り注ぎ、流星群の如く空を照らし出す。
だが、それも一瞬。
白に包まれた夜空は均衡の崩壊によってその色を急速に変えていく。
すなわち、星々の七色に——。
「く……………………」
無表情を貫いていた白ウサギの顔に、初めて苦しみの色が混じる。迸る雷光は悲鳴を上げ、そして——、
「あ————」
ピシリと、そんな音を立てて、白雷に亀裂が走る。
「だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ————!!!!」
壊れた雷は星々へと呑まれ、箒星のように夜の住宅街へと落ちていく。
「アリス……、白ウサギ……」
一人の少年が、その光を見守りながら。
次回、月が綺麗ですね。




