第15話『ようやく』
その戦闘が行われていたのは、星々の光降り注ぐ民家の屋根の上。
まるで映画さながら。家々の屋根から屋根へと飛び移り、三者による逃走劇を繰り広げられていた。
その先頭。星と月とが顔を出す明るい夜にあっても、決して晴れることのない影をまとった獣の如し形をした存在——ユウタ。
そのユウタを背後から追うのは、手に持つ小刀が似合う今は眼鏡なきメガネ少女。鬼瀬杏子。
「フッ——」
杏子は吐き出す息と共に、手に持った一本の小刀を三本同時に投擲する。
投擲された小刀は見事、ユウタが家の屋根へと着地したと同時に、ついた右足だけを囲うように突き刺さる。
それぞれの小刀の頭に刻まれた文字は『と』『し』『ろ』。
すなわち——、
「『閉じろ』——!!」
瞬間、三本の小刀を頂点とした三角の力場が形成される。
さながらそれは、邪を封じる結界。
杏子が持つ、五十音の小刀で斬り結んだ現象を簡易顕現させる【魔法】『言霊遊び』。
「Gッ————」
だが所詮それは急造の結界。大きさも足首を捉えるのが精一杯で、強度もユウタが少し力を入れればすぐに壊れてしまう。
ただ、今回においては、それで十分。
たった一秒の足枷。それだけ稼げれば、いくつもの戦場をくぐり抜けて来た杏子にとっては万の隙。
中空に固定した小刀を足場に、ユウタの懐へと一瞬で距離を詰める。
ユウタも杏子の存在を認識し反撃に手を伸ばすが、時は既に遅く。杏子の刃はユウタの首元を真っ赤に搔き切る——
「っち————!」
だが杏子は既のところで刃を引っ込め、すぐさま後ろへ後退する。
瞬間。杏子が立っていた場所へと雷撃が迸る。
雷撃は通り抜ける空間にあるものすべてを焼き尽くし、消えていく。
ほどなくして、スンと嫌な臭いが鼻腔を突き、杏子は苦々しく笑みを浮かべながら雷撃の放たれた方角へ視線を送る。
「まったく、容赦なんてあったもんじゃないわね……」
そこにあったのは三十メートルほど離れた家屋からこちらに雷槍を向ける白ウサギの姿。
しかし臭いがするのは僅か目の前。焼け焦げたユウタの腕から、その臭いは放たれていた。
(ユウタのことを気にすることなくあたしを狙ってきた。つまりユウタは守る対象であっても、仲間ではないってこと。てことは目的はやっぱり、アレよね……)
杏子の脳裏によみがえるのは、一週間前。黒衣とアリスが【魔女】を倒した後に起こったあの出来事。
【魔女】から根こそぎ魔力を吸い取った、白ウサギの姿を。
(つまるとこ、ユウタもあの時と同じ、コイツの苗床ってわけ)
どういう理由かは知らないが、この白ウサギという【妖精】はどうも魔力を集め回っているらしい。それも他の【妖精】に集めさせるというタチの悪い方法で。
おそらく、ユウタが人間を襲っていたのも同様の理由だろう。そしてある程度魔力を集め終われば体良く回収、という算段だ。
「さながら、自分は植物管理人ってとこかしら」
まったく、笑えない。
ならばその花々を横から刈り取ろうとする自分たちは窃盗業者か何かか、はたまた単なる害虫か。
どちらにせよ、邪魔者であることは変わりないらしい。
この容赦のない雷撃がその証拠だ。
「それに何か知らないけど、あたしは嫌われているみたいだし」
ただそれは、あの子も同様のようだが。
何にせよ、一筋縄ではいかないのは確かだ。これほど強力な雷撃をそう何度も放てるものではないはずなのだが、白ウサギの表情からは気にした様子を伺えない。単に魔力量が桁違いデカいのか、それとも何かしらの条件があるのか。
(この子を取っ捕まえて脅したら大人しくなるかとも思ったけど、この様子じゃそれも無理そうよね)
焼け焦げた腕を抑えのたうち回るユウタを見て、杏子はため息の一つも吐きたくなる。
そんなことを考えていた矢先——、
杏子は視界から、白ウサギを見失う。
決して油断などしていなかった。相手はあの白ウサギだ。油断などできるはずもない。考え事をしていたとはいえ、それで敵を見失うなど、そこまで杏子も間抜けではない。実際、視線は一度たりと外してはいないし、余所見はおろか瞬き一つしていなかったのだ。
ただ突然、白ウサギの姿が忽然として消えたのだ。
(っ————そうか!)
気付いて一瞬、杏子はすぐに行動へ移る。
すなわち——急速離脱——!
「っ瞬間移動…………!」
その場を離れた杏子は、一瞬前自分が膝をついていた場所の背後から、白い影が現れるのを視界に入れる。
【魔女】の時にも見せた、何もない場所から現れる瞬間移動の魔法。
現れた白ウサギは不意にパチンと指を鳴らす。
「『火打ち石』」
途端、凄まじい規模の爆発がその白指から弾かれる。
「ぐ……」
凄まじい余波に、急激に飛び退いた杏子は身体が吹き飛ばされそうになるのを必死に堪える。
「何が火打ち石よ。爆発の間違いじゃない」
余波でコレだ。もし直撃を受けていたら気絶程度じゃ済まない。粉微塵。よくて身体が消し飛ぶ程度だろう。
「……冗談じゃないわね」
何が危険度Aなものか。単純な戦闘力で言えば、この白ウサギは先日の【魔女】を軽く凌駕する。
杏子が戦慄する一方、この爆煙を撒いた白ウサギはやはり変わらぬ無表情で逃げた杏子へと視線を向けていた。
だが、
「…………」
白ウサギの雪のように白い頬に、一本の赤い線が入る。
見やれば、背後には小刀が突き刺さっていた。
おそらく、回避のついでに杏子が放っていったのだろう。
つられて気付く。そこには倒れていたはずの影——ユウタの姿がなくなっていることに。
「まったく。いつものことだが、君は【妖精】使いが荒いな本当に」
こちらを見る杏子の隣。そこに立っていたのは、紅白の裃を纏った長身の美丈夫。桃太郎だ。
桃は猫のように首根っこを掴まれたユウタを、適当に屋根の上へと放り捨てる。
ユウタは爆風の影響もあってか、逃げる体力も残っていないらしい。
「邪魔を……」
やはり一切の表情はなく、白ウサギは無感情にも見える視線で逃げた杏子と突如の参戦となる桃をみる。
頬にできた赤い線は傷となり、赤い血液が流している。
(一矢報いた、と言いたいところだけど、未だ状況は劣勢。目的のユウタはこちらにいるとは言え、お荷物抱えた状態じゃ不利と言わざるを得ない)
相手は上級の【妖精】。気象現象である雷を操り、危険度Aと目される謎の【妖精】。
【読み手】である人間二人のうち一人はいつ辿り着くかわからず、一人は負傷し劣勢。主要戦力である【妖精】は一人がダウン。
(桃も現界はできているけど、それでも辛うじてのはず。戦闘に参加できるかは正直怪しい)。
頭の中で冷静に状況を分析するが、解決の糸口が見出せない。
(逃げるだけなら今のあたしでもできるかもしれないけど……)
だがそうした場合、ユウタは置いて行く他ない。お荷物一人背負って逃げられるほど、この相手は甘くはない。
だが、それでは意味がない。
白ウサギは無理でも、ユウタを止めるには今がチャンスなのだ。正体がバレた以上、もし今を逃せばどこかへ雲隠れしてしまう可能性がある。ユウタがそうしないでも、白ウサギが何か手を打ってくるだろう。そうなってからでは遅い。
(それにおそらく、あの子はそれを望まない)
散々言うことを聞かない後輩を思い、杏子はついにため息を吐く。
(あの子と離れてからそろそろ五分……)
「桃。いける?」
「一撃だけならば」
杏子の問いかけに、桃が端的に答えを返す。
その返答に満足したように、杏子は口元に笑みを浮かべ。
「充分!」
と、そう笑う。
「っ!」
トトトトトトト——と、未だ痛みに悶えるユウタを囲うように、七本の小刀が屋根へと突き刺さる。
頭に刻まれた仮名はそれぞれ『う』『か』『く』『さ』『し』『よ』『ろ』。
すなわち——、
「『鎖形牢閣』
七本の小刀は鎖へと変わり、堅牢なる檻が出来上がる。
(でも、効果は一瞬)
鎖形牢閣。杏子が自らの【魔法】で編み上げた、堅さに定評のある守護の檻ではあるが、その効果は一瞬。一度ぶつかれば、どのような攻撃だろうと砕けてしまう、一度限りの楼閣だ。
(でも今は、それで十分のはず)
思って杏子は、四本の小刀を顕し、掛け合わせる。
「一刀『不動明王』——」
四本の小刀は一振りの長刀へと変わる。
一時の刀の銘は『不動明王』。杏子が不動明王尊から名をとった一振りだ。ただ、そこに仏の守護も明王の力もあるわけではない。ただ名を借りただけの、紛い物にも劣るもの。その力はすなわち、『不動』。不動という、ただ一点のみだけを貫いた刀だ。
だが、掛け合わせた仮名は『お』『と』『ふ』『み』の四本のみ。『不動明王』を形成するには、音が足りない。
これがこの『言霊遊び』の欠点。一度に使える仮名は五十音から一つずつのみ。同じ音を形成するには綴る言葉を選ばなけれなばらない。
(でも、弱い言の葉じゃあれは防げない)
刀を向けた先。そこには、三度雷を迸らせる白ウサギの姿。
一撃で決める腹づもりらしい。
「まったく。ちょっと戦いが大雑把じゃないかしらね」
冗談混じりに軽口を叩くが、手には刀と共に汗も握る。
「来なさい、バケモノ!」
「消えて——今度こそ」
白ウサギは月を見上げるほど高々と宙へと跳び、限界まで迸らせた雷槍を杏子たちへと投擲する。
「桃——!」
「応!!」
桃は腰に提げた長刀を居合並みの速さで抜き、飛んでくる落雷の如き一撃を受け止める。
だが、それも一瞬。桃の体は徐々に薄れ、消えていく。
「桃っ!」
「はぁぁぁあ——!!」
しかし、桃が消え去る刹那、桃はその長刀を振り抜く。振り抜かれた刀は風を逆巻き、雷を削ぎ落とす。
どのような理屈か。切り裂かれた雷はその威力を半分にまで落とす。
だが半分へと縮められても雷であることに変わりはない。
半分の雷は桃の背後に立っていた杏子へと迫り行く。
「く————、ぅ……」
桃が消えた今、杏子一人稲光を抑え込む。
【魔法】によって強化されたはずの刃も、すぐにヒビが入り、押し戻される。
元より耐えられるはずなどない。相手は神と崇められた自然の槌だ。いくら【魔法】が奇跡を起こすものだとしても、純粋なる力の前では平伏すほかない。
だが、それでも——
(後輩に、情けない姿見せるわけには、いかないでしょうが——!!)
「どうして……」
そんな白雷を真正面から受け止める杏子の背後から、声が聞こえる。
「なんで、お姉ちゃんが頑張るの?」
その声は、聞き覚えがある。
背後を振り返る余裕などなくとも、それが誰のものかは一目瞭然だ。
「なんでって、随分とおかしなこと聞くのね。そんなの、決まってるじゃない」
そう。ずっと前から——一週間前のあの時も同じ。
「馬鹿な後輩がアンタを気にかけてる。あたしが頑張るのは、それだけで十分でしょうが!!」
「————っ!!」
吼える。白雷に向かって、杏子は背後に吼える。
背後で影を薄れさせた、その少年に——。
「だから! 早く来なさいよ、バカーーーーーーーー!!!!」
瞬間。雷が霧散する。
辺りは白から真夜中らしい黒へと一変し、音も聞こえない轟音から音無き静かな夜へと帰ってくる。
「ったく……。いつもいつも、なんでそうあたしの約束に来ないのよ」
壊れた刀の向こう側には、白雷の代わりに、二人の人影が立っていた。
「すみません、先輩」
一人は少年。夏休みだというのに学生服を着た、自称不良の少年。
「でも、今日はサボりじゃなくて遅刻だから、許してくれますよね?」
「ハッ。言い訳甚だしいな。だが、それでこそ私のパートナーか」
そしてもう一人は、エプロンドレスをまとった黄金の少女。
どこか英国のお嬢さまを思わせるが、その立ち居振る舞いは歴戦の戦士のそれだ。
その少女は杏子の向こう側へと水玉の日傘を広げ、まるでウチにある誰かを守るようにして立っている。
「白ウサギ……」
「…………」
呼ばれた白ウサギは、少年が現れてもなお変わることなき無表情で一行を見つめている。
「戦えるか」
「それを今聞くのか?」
「ふ。ああ、野暮の問いだったな」
「ああ。覚悟なんて、とっくに出来てる。お前と契約した、あの夜から」
「ならばすべきことはわかっているだろう」
「ああ。あの時と同じだ。もう迷いなんてありはしねぇ。だから先輩も、安心してみていてください」
「ふ……。ならば行くぞ、人間。いいや、クロエ!」
「ああ。こっからは先は俺の——」
「わたしたちの、時間だ!!」
新たな呼び名を胸に、夏に咲く妖精の夜の、その最終局面が始まる——。
次回、黒衣が殴ります