第14話『隣』
一度目は、遥か遠く。
鳴り響く雷鳴が、視認できる程度の距離。
二度目はより近づいて。
インターバル解除と同時に再度発動。
一秒にも満たない須臾のひと時を、全速力を持って駆け抜ける。
三度目には、すでに視界は白雷に包まれていた。
視覚は白一色し、聴覚は轟く雷鳴に意味を成さない。
頼れるのは、張り裂けんばかりに叫ぶ自らの喉と、頼りなく伸ばした右手のみ。
感覚がないに等しい世界で黒衣は、静止しているのかもわからぬ世界でただ、手を伸ばし——、
人差し指が、わずかに触れる。
*
雷が落ちる。
前兆など、ありはしない。
元より、今宵は星々見晴るかす快晴の空だ。
雨はおろか、雲一つとてなく、雷など落ちよう筈もない。
だが現実に、雷は熱帯夜に静まる閑静な住宅街の、その一角へと降り注いだ。
町角で一人膝をつく、少女の元へと——。
その筈、だった。
「止まれ——『壊れ掛けの銀時計』
そんな声が雷鳴の向こう側で聞こえた刹那、異常は起こる。
立っていたのだ。少年が——。
雷がかき消えたわけでも、相手へと返されたわけでもない。
神槍へと洗練された雷の威力範囲外。雷電が撥ねるギリギリ外に、学生服をまとった少年が立っていたのだ。
白雷に消された筈の、黄金の少女を抱いて。
「——っっぶねぇ〜〜……。間一髪キキイッパツだぜ〜〜」
少年は額に汗を流して、アスファルトを抉った雷槍の跡を見る。
まるで交通事故から逃れた程度の、軽口で。
「やっぱりお前なのか……、白ウサギ」
「…………」
無言を持って返すそれに、少年は僅かに眉根を落として視線を向ける。
「昨日俺が言ったこと覚えてるか? お前は俺たちの敵なのかって」
「覚えている」
淡々と、唇だけを動かして白ウサギは答える。
聞こえるはずのない、小さな声で。
「ああ。そうだろう。覚えててくれなきゃ、さすがの俺も涙の一つも出てくるってもんだ。でもな白ウサギ。今の俺は、どっちにしろ泣きたい気分だ」
少年の意図がわからぬのか、白ウサギは首を傾げ問い返す。
「なぜ?」
「お前が、アリスを傷つけたからだ」
少年は自分の腕で眠る少女へと視線を落とし、静かにそう答える。
「お前は言ったよな。出来るなら、俺とは敵対したくないって」
白ウサギはコクンと首肯する。
「それは俺もおんなじだ。俺もお前と、敵になんかなりたくはねぇ」
「なぜ?」
「んなもん知らねぇよ。お前が妹に似ているだとか、なんか気になっちまうとか、色々理由はあるかもしれねぇけど。今はもうそんなこと関係ねぇ。全部知らねぇ。ただ俺は、コイツとおんなじように、お前も傷つけたくはねぇ。それ、だけだ……」
理由になんかなってはいない。
説明にもなってはいない。
ただただそれは、子供の癇癪のように、イヤだと駄々を捏ねているだけ。
だがそれは、やはりこの少年らしい。
「それじゃあ、ダメか……?」
命令でも指示でもなく、お願いするように少年は白ウサギへと求める。
だが、白ウサギは——、
「理解できない」
やはり表情一つ変えず、唇を動かす。
「昨日も言ったはず。私は目的があって此処へ来た」
「その目的とやらに、その子が必要なのか」
次に向けられたのは、白ウサギの後ろで怯えた様子で揺らめく子供の形をしたような影。
「肯定」
さきほどと同様の口調で、白ウサギは頷く。
「そうか……。悪いが白ウサギ。俺はその子に伝えなきゃいけないことがある。だからここは一つ、俺とお前との仲ってことで、少し見逃しちゃあくれないか」
「承諾できない」
「どうしてもか?」
「貴方にどのような理由があろうとも。私は目的のためなら、どんな手段も厭わない。もしそれを邪魔する者が在るのなら——」
「……ああ。全力で排除する、だったけか?」
「肯定」
皮肉交じりに笑う黒衣に対し、白ウサギのその顔に表情はない。
「……そうか」
少年は何かを確かめるように、右手の平へ視線を移し、握る。
「だったら、もう仕方がない。俺も俺の守りたいモンのために——俺の目的のためにそこをどいてもらう。歯ぁ食いしばれよ、白ウサギ」
「望むとこ」
白ウサギは手にした槍を構え直し、臨戦体制へと移行する。
「ちょっとちょっと。二人だけでまぁ盛り上がっちゃって。真夏の夜だからってちょっと熱くなり過ぎなんじゃないかしら?」
軽口を叩いて少年の後ろから現れたのは、短い髪を揺らして鬼瀬杏子。
その姿はいつもと違い、眼鏡を外し鋭い眼光を顕にしている。
「あ、先輩」
「ちょっと。「あ」って何よ「あ」って。まるであたしの存在マルッと忘れてたみたいな言い草ね」
「い、いえ……そんなことは……」
少年はそう言うが、その台詞はどうしようもなく震えている。
「仕方ないでしょ。時間を止めた高速移動なんて、いくらあたしでも追いつけるわけないんだから。ちょっとは自重しなさいよね」
このような状況においても緊張感などないかのように振る舞う彼女だが、少年が抱くそれを目にすると、静かに正面の白ウサギへと居直る。
「なんとか無事だったみたいね」
「ええ。なんとか」
「だったらまずはその子を安全なとこまで運びなさい。ここは、とりあえずあたしがなんとかしといてあげるから」
意外な申し出に、黒衣は思わず声をあげる。
「でも——」
「でももヘッタクレもないわ。アンタのパートナーなんでしょ。だったら、……大切にしたげなさい」
杏子にそう言われては、少年ももうぐうの音も出ない。
「……はい。ありがとうございます」
「ってわけ。まずはあたしの相手をしてもらうわよ、白ウサギ」
「不愉快」
「あらあらあらあら。随分と嫌われたものね。この子ん時との対応の違いがあからさま過ぎじゃないかしら。そんなにもこの子のことを気に入ってるのね、月の兎さん」
杏子がそれを言った途端、白ウサギの様子が目に見えて変化する。
表情は変わらねど、その瞳の紅が一層濃さを増す。
「 消えて 」
今までの白ウサギにはない、それは威圧。
だが杏子はどこ吹く風とでも言いたげに、ニヤリと口の端を釣り上げる。
「あら怒ったかしら? でも残念ね。生憎だけど、あたしの目的はアンタじゃなくて、こっち——」
ヒュ——と、杏子は小刀をユウタへと向けて投擲する。
僅か一瞬。されど一瞬、怒りに隙を突かれた白ウサギの反応は遅らせる。
だが、投擲された小刀はユウタの喉笛へと迫るものの、ユウタ自身がその場を離れ当たらない。
しかし杏子の断続的な小刀の射出によって、ユウタはさらに後方へと追いやられる。
「じゃ、黒衣くん。また後でね。出来れば早く来なさいよね」
下手なウィンクなどして、杏子は白ウサギを迂回してユウタを追いかける。
白ウサギもまた、杏子に続くようにしてユウタを追う。
一瞬にして、その場は真夜中らしい静寂に包まれる。
「アリス」
そんな二人ぼっちの世界で、少年は私の名を呼ぶ。
*
「アリス」
「…………」
俺は胸の中に抱く少女へと、そっと呼びかける。
だが、返事はない。
「アリス」
二度目の呼びかけも、やはり返事はない。
だが、わかる。
返事などなくとも、嗚咽に揺れる絹すれと徐々に浸みていく服の濡れで、俺はアリスに意識があることを知っていた。
本当なら、ここは声をかける場面ではないのかもしれない。
今すぐこの少女をベッドへと運び、次の朝までそっと寝かしといてやるのが正解なのだろう。
だが、今はそうも言っていられる状況ではない。
俺はもう一度、こんな状況でもなおも美しさを損なわない絹綿のような髪をそっと撫で、少女へと呼びかける。
「アリス」
「…………、……」
ぼそりと、少女が何かを呟いたことを体の振動で伝えられる。
だが聞き取れなかった俺が待っていると、少女はもう一度、さっきよりははっきりとした口調で呟く。
「何故だ」
未だ嗚咽交じりのその声に、俺は胸が痛くなる。
「何故……何故お前は、私を信じない。……信じようとは、しないのだ」
顔を上げぬ少女が振り絞ったその一言が、俺を貫く。
そこ、なのだと。この少女が気にしていたことは。
「お前はっ……、お前は、私のパートナーなのだろう!」
「ああ」
「なら……、なら何故、お前は私の隣にいないのだ。何故お前は、私を一人にするのだ」
意外、だった。
まさかアリスが気にしていたのが、それだったなんて。そんなことだったなんて。夢にも、思ってはいなかった。
「ぅ……、ぐ…………」
漏れ出る嗚咽を必死に堪えて、俺の服を掴む拳を一層強くする。
孤高の少女だと、思っていた。
何にも、誰にも手折られぬ孤高にして高嶺の花なのだと、俺は思っていた
常に強くあり、常に強く在ろうとする。それがこの少女なのだと。俺はそう思っていた。
実際、そうなのだと思う。この少女は常に強く、常に高く、常に前へと進む。
人ではないのかもしれない。だが、誰よりも人足らしめんとする。彼女が何であろうと尊敬に値する輝くべき少女。
そんな風に、俺は思っていた。
だが違った。
少女は孤高。
それに間違いはない。だが、少女は決して、それをよしとしていたわけではなかった。
「もうイヤなんだ。暗い夜道を歩くのも、何処かわからぬ場所に迷うのも。それが私の運命と言うのならせめて、誰かと一緒がよい」
孤高ではある。強くもある。類い稀なる才も、実力も。
だがこの少女はどこまで行こうとも、少女なのだ。
ただの一人ぼっちの、少女なのだ。
「お前の願いも、私の願いも、全て己の物だと言ったのは、お前ではないか」
「ああ」
「なら何故、お前は私と共にいない」
「ああ」
「何故お前は、……私を見ない」
「ああ。ごめん……」
「もう、一人の夜道を歩くのは嫌なんだ……」
僅かに揺れる頰で、服が冷たく滲む。
「ああ。もう二度と、お前を一人で歩かせはしない」
ならせめて、少しでもそれを拭えるように。
「もう、何処かへ迷うのは嫌だ……」
震えるその手は、いつもより小さく見えて。
「ああ。もう二度と、お前を一人で迷わせたりはしない」
その手を握り返したいと、今は思った。
「もう、一人は嫌だ」
でもそれはなんだか、少し躊躇われて。
「ああ。もう二度と、お前を一人になんか——しない」
だから俺は、さっきよりも強く、少女を抱き締める。
「…………嘘つきめ」
見れば少女は顔を上げ、潤んだ碧の瞳で俺を見つめ返していた。
「嘘じゃないさ。俺が今まで、お前に嘘を吐いたことがあるか?」
「ふふ……。さぁ、知らぬな。なにせ私は、まだお前と会って一週間して経ってるいないのだからな」
「そういえばそうか」
こいつが来てから色々と濃かったから、すっかり忘れていた。
「なら、もっとこれから俺のことを知ってくれ。代わりに、俺もお前のことを知っていくから。もっとお前のことを、知りたいから」
「女の子を知りたいなどと、色情魔なのも大概にしておいた方がよいぞ。でなければ、あの娘に嫌われるというものだ」
痛いところを突かれるが、不思議とイヤではない。
「かもな。だけど、お前は俺のパートナーなんだろ?」
「ああ。そのつもりだ」
「だったら、否が応でも俺はお前のことを知ってやる。お前の瞳の色から、その無駄にデカイ胸の大きさまでな」
そう言うと、少女は瞳をパチクリとさせて俺を見つめる。
「フフ……ハハハ……。いいだろう。お前が望むなら、私の全てを教えてやろう。その代わり、だ。お前もそれ相応の覚悟をしろよ? なにせ、私の全てを知りたいと言うのだからな」
「ああ、望むところだ。なにせ俺は、お前のパートナーなんだからな」
コツン、と。どちらともなく、俺と少女は額を合わせる。
「ああ、そうだ一つ」
「なんだよ」
「私も、お前の名を呼びたい」
「? 呼んでるだろ?」
「いいや呼んでない」
「んーー? あー……」
そういえばコイツ、あの夜にわざわざ名前聞いてきたってのにずっと『人間』呼びだったな。
そこはなんか自己責任な気がするんだが……。
「で?」
「で? ではない。その、だな……」
「?」
「今更、だが……、お主の名を呼んでもよいか?」
「ホント、今更だな……」
今更過ぎて、ちょっと真面目に驚いてしまった。
「う、うるさいな。いいから、よいのか悪いのか。どっちなんだ!」
ホント、変ところを気にするお姫さまだ。
「良いに決まってんだろ。だって俺は——」
「ああ。パートナーだったな、クロエ!」
コツンと。今度は二人の拳を合わせる。
反撃の、狼煙の代わりにと。
次回、先輩が頑張ります




