第13話『敗北』
その日の夜はどうしてか音がなかった。
聴こえるとするならば、どこか遠くで鳴り響くサイレンの音くらいなものか。
普段ならば虫たちの大合唱が昼夜問わずに繰り広げられているとというのに。
特に今夜は夜空の星々一つ一つを掻い摘めるほどに澄み渡った晴空だ。
そんな絶好の合唱日和だというに、何か虫たちが一斉に逃げ出す理由でもあると言うのだろうか。
無論——、ある。
ギン——と、金属音が鳴り響く。
激しく火花を走らせ、月光を浴びた二つの影が幾度となく交差する。
一方は、月の光を吸い込んだかのように光る眩い黄金色の髪を揺らしたエプロンドレスの少女——アリス。
もう一方は、子供くらいの大きさをした——影。
さきほどまでまさに子供の姿をしていたはずのそれは、アリスも既知の稚き子——ユウタ。
ただそのユウタの姿は、今は溢れ出た影に覆い隠され、まともに人の形と認識するのは難しい。
むしろその形は、二足歩行をした獣に近しい。
どこかで立ち上がることを覚えた、バケモノのそれ。
逃げ出したのは虫たちに限らず、さきほどまでそこで喚いていたはずの不良児たちの姿ももはやない。いつの間にやら逃げ出したのだろう。ご丁寧に先にやられた小太りの不良もいなくなっている。仲間が連れて行ったのだろうか。
せっかく助けてやったと言うのに礼の一つも言わず、助け甲斐のない奴らだ。
だが、これはこれで好都合だ。
何故なら、これで足手まといを気にすることも、誰かに見られることもないのだから……!
そうとわかれば、話は早い。
影——ユウタは幾重ものフェイントの後、アリスの正面へと現れる。
烈火の如く鋭い蹴り。通常の人間ならば防御した瞬間、腕もろとも肋を砕かれ、内臓を弾けさせるほどの勢いだ。
だが相手は【妖精】。
避けるも受けるも、造作のないこと。
しかも予備動作にあったフェイントも、攻撃動作には存在しない。
真っ直ぐ直線軌道の、ただ威力が強いだけの蹴り。
ならば——。
アリスは日傘を前へと突き立てる。
だが、その突きは影の蹴りへは向かわない。高速で迫る蹴りの横スレスレを——滑る。
意図のわからぬ行動に、勢いの止まらぬ蹴りはアリスの頭をかち割らんと迫り——、
日傘が、絡みつく——。
傘の形状が変化したわけでも、【魔法】を用いたわけでもない。
だが、ただ真っ直ぐに伸びる傘はまるで、蛇のように影の足を絡め取り、次の瞬間には蹴りの勢いをそのままに地面へと組み伏せてしまう。
「ぅ……、……っ!」
「勝負ありだ、ユウタ。お前の目的はわからぬが、まずはそのおかしな武装を解いて、大人しく——っ」
言い終わるのを待たずに、ユウタを覆う影が溢れ出す。
勢いに押され、アリスは堪らず後ろへ飛び退く。
「っ……!」
溢れる影は止まらず、どころかその勢いはさらに増していく。
そんな影をユウタは気にすることなく、ゆっくりと、立ち上がる。
まるで、糸に吊られた人形のように、不気味に……。
「食べなきゃ……、早く……。お腹が、空いた、から…………。ううん、違うよ。そうじゃ……違くて……。なん、だったかな……。そうだ、おじいさん……。おじいさんに会うんだ……、だから……——」
「 食べなきゃ 」
人形とは、我ながらよく言ったものだ。
影に操られるようにしてギシギシと動くその様は、まさに操り人形。
だが、その姿はもう”人”形と呼べるのか。
なぜなら、溢れた影が纏わり付いたその姿は、すでに人の形に非らず。
頭から長く伸びた両耳。地面を削る鋼の蹄。野生にギラつく赤い眼光。
辛うじて二足歩行をしているが、前屈みになったその姿を、人などとは決して呼ばない。
獣と、そう呼ぶのだろう。
「G r r r r……」
白い牙を見せこちらを睨むその貌に、もはやユウタの面影はない。
どころか、人の——子供の姿であったことすら疑わしい。
目の前に立つ其れは、紛うことなきバケモノ——【妖精】だ。
「ユウタ……」
苦々しく呟いたその言葉。決して届くなどとは思っていなかったが、それでも声に出さずにはいられない。
ユウタのことは出会った初めから疑っていた。
いくら人らしい振る舞いをしていても、その所々に垣間見る異様さは隠しきれるものではない。
だが、それでも。
それでも、そうであってほしくなかったと言えば、それは嘘となる。
ならばせめて……。
「ならばせめて……、わたしが引導を渡す。あの阿呆に代わり、このわたしが……!」
『 一、二数えて靴を履き 』
アリスがそう謡うと、どこからともなく鎖が現れ、ユウタの左腕に絡み付く。
『 三、四数えて戸を叩く 』
次に現れた二本は右腕へと巻き付き、力を入れようとも外れない。
『 五つに六つ、棒切れいくつ
七、八、星がきらきら瞬いて 』
次の四本は足を掬い取り、堪らずユウタは膝を折る。
『 九つ、十、獣が叫ぶ 』
最後の二本は首へと巻きつき、ユウタの体の自由を奪う。
「Guuu……」
なおも牙を剥き、自身を縛るアリスへとその赤き眼が睨みつける。
それをアリスは、碧い瞳で見つめ返す。
「すまんな、ユウタ」
アリスはそれだけを呟くと、再び謡い出す。
『 釘がないから蹄鉄打てない 蹄鉄なくては馬駆けられぬ
馬もなくては騎士戦えず 騎士もないから戦もできない
戦がないから国が滅びた 全ては蹄鉄が打てない所為 』
詩に合わせて水玉模様の日傘が輝き出す。
まるで月光を吸い込んだかのようなその輝きは、銀。
ならばそれは日傘に非らず。魔を穿つ、銀の槍。
「さらばだ、ユウタ——」
アリスは駆け出す。
黄金の瞬きと銀閃の尾を引いて。
満天の星空に覆われた暗き道筋を、真っ直ぐに。
ただ一点。影の——ユウタの心臓を目指し——穿つ。
だが——、
「————っ!」
まるで、雷でも落ちてきたかのような金切り音が炸裂し、アリスの一撃は弾かれる。
そこに現れた、とある白き存在によって。
「お前は……っ」
「…………」
声を荒げるアリスに反して、突如現れた来訪者はただただ無言に、その紅の瞳をアリスへ向ける。
白ウサギ。人間たちの間で危険視される、神出鬼没の【妖精】。
一週間前の事件の際も、最後の最後で彼らの前へと現れ、【魔女】の魔力を根こそぎ奪っていった【妖精】だ。
そして何より、あの顔は……。
「どういうつもりだ」
「…………」
アリスの問いに、白ウサギは沈黙で返す。
まるで聞こえていないかのように、身動きも、表情すら変えず。
「何故わたしの邪魔立てをする」
「……」
「答えぬのか、それとも答えられぬのか。どちらにせよ、わたしの邪魔をしたのだ。タダで済むと思ってはいないだろうな」
「……ま」
「……? なんだ」
「邪魔」
「っ——!!」
白ウサギのぼそりと言った一言に、アリスは毛を逆立て目を見開く。
「邪魔はっ! 貴様の方であろうが——!!」
思わず、アリスは飛び出す。
自分でも意外なほど、頭に血が昇っているのを感じる。
だが止められない。止まることなど、できない。
昨日から胸の奥で溜まっていた何かが、自分を後押しする。
吐き出してしまえと、わたしを走らせる——。
「あああああああああ————!!」
勢いを乗せた、上段からの斬り下ろし。銀の閃光が弧を描く。
だが、手応えはない。何かにいなされてしまう。
「っ————」
続け様に日傘を振るう。振り下ろしからの、逆袈裟斬り。
だが——、
——キンッ
その高速の一撃すらも、容易く受けられてしまう。
「っ…………」
「……」
そこでアリスは見る。白ウサギの得物を。
それは、大槌。
一週間前相見えた大男の【妖精】坂田金時。彼が持つ大斧にも引けを取らぬほどの、それは巨大な槌。
まるで自ら発光しているかのように神々しく輝く、金の槌だった。
白ウサギはその自分の身体よりも巨大な大槌を、か細い両腕で振り回す。
「……これはまた、珍しい得物を持っているではないか。だがその斯様な細腕で、わたしの愛傘をいつまで耐え切れるか——!」
「…………」
路上にて鍔迫り合う二人の少女。
だが言うに反して、アリスの体は動かない。
どころか、その体はゆっくりと押され始める。
そして——、
「っ……、しまっ——」
功を焦ったのだろう。白ウサギの思わぬ膂力に押され、アリスは足を滑らせる。
そしてその隙を、白ウサギも見逃さない。
金の大槌を軽々と回し、崩れたアリスの鼻先へと叩き込む。
『 っ——、ミルクのように白き壁の中
絹のように柔らかき膜に ——』
咄嗟に詠った詩に乗せられ、白い半透明の壁が大槌からアリスを守らんと現れる。
だが大槌はまるでバターでも叩くかのように壁を破壊し、アリス共々吹き飛ばす。
「ぐっ——!!」
アリスの体は、クリケットの球を彷彿とさせるほど路地を転がり、十数メートル先の地面でごろりと止まる。
重い一撃。だが、あれは白ウサギの全力などではない。
白ウサギは今一撃を振りかぶって放ったわけでも、【魔法】を使ったわけでもない。
ただの小手先。アリスとの鍔迫り合いを弾くために放った一振りに過ぎないのだ。
——それで、この威力か……。
アリスは手をつき立ち上がろうとするが、膝は笑い視界も歪む。
口内は鉄の味が染み渡り、不快感をより募らせる。
「目障り」
遠くで立つ白ウサギの呟きは、なぜかはっきりと聞こえてきた。
だが、怒りを露わにしようにも、何故かその気力すらも湧いてこない。
——何故だろうな。
「貴女は邪魔な存在。あの人にとっても」
その呟きが聞こえてくると同時に、バリバリと、何かが迸る音が聞こえてくる。
霞んだ瞳で、アリスは見る。
それは——雷鳴だった。
正しくは天高く、雷雲より在るはずの雷。古くは神の鉄槌とさえ呼ばれた雷が、たった数十メートル先の路地で迸る。
白ウサギが持つ、大槌から。
否。既に其れは大槌に非らず。白ウサギの武具は一丈ほどもある鉾へとその姿を変え、その全身より雷光を走らせる。
目を覆いたくなるほどに、煌々と。
一目見て、理解する。
あの光に、敵う相手などないと。
あの光はまさに、天罰そのものなのだと。
ならばあれは、神々の——。
「は…………」
自然と、立ち上がらぬ膝から力が抜ける。
なおも光を増すそれを見て、立ち尽くすように。
——何故だろうな。
やがて視界全ては白で覆い尽くされ、夜の街も、星空も、自分さえも見えなくなる。
そんな世界でアリスは、一人思う。
——何故お前は、此処にいないのだ。
「消えて」
遥か遠くで、そんな声がしたような気がした。
だがそれも、既に聞こえない。
近づく雷鳴によって、全てが掻き消える。
自分の——声さえも。
「———…………、———…………、———…………」
——そのはず、だったのに。
「 ——アリス!! 」
その声が、届くまでは——。
「 人間…………っ!」
次回、やっぱり主人公が助けに入るのは王道です




