第9-2話『すれ違い2』
「何で、あんなことを聞いた」
「…………」
茜色の空を浴びるその声は、夏の空気に反してとても冷たく聞こえて。
今まで聞いたことのない黒衣のその声に、アリスは言葉を詰まらすしかなかった。
「あの場であんなことを聞く理由なんてなかったはずだ。そりゃあ気にもなるのはわかる。端から見ても、あの家族は何か他とは違うってのは感じてたことだ」
親のいない子供。二人だけで子供を育てる老夫婦。他の子供とは遊ばず、町を一人徘徊するユウタ。
これだけで、ユウタが他の子より多少異質なのは理解できる。
「でもな。だからって、他人の過去を根掘り葉掘り聞いていい理由になんてならない。そんなこと、していいわけが——」
「ユウタは————」
そこでようやく、アリスは口を開く。
苦しそうに、絞り出すようにして。
「ユウタは…………人ではない」
そんな、言葉を。
「お前……何言って——」
「ユウタは……、ユウタは【妖精】だ」
そして出てきたその言葉で、黒衣は思い出す。
「……お前、まだそんなことを——」
「嘘ではない。上手く隠してはいるが、人からズレたあの違和感。あれは確かに——【妖精】のものだ」
「っ————馬鹿馬鹿しい」
「……疑うのか?」
「当たり前だろ。その理屈でいくと、奇怪な行動をとった子供は漏れなく【妖精】ってことになんだろうが。そんな道理が通るわけが」
「だが——」
「仮にだ。仮にそれが事実だとして、あの二人はどうなる。まさかとは思うが、あの年寄り夫婦もグルなんて言い出すんじゃないだろうな」
「それ、は……」
そこで再び、言葉を詰まらせる。
「やっぱりな」
「っ…………、違う。おそらくだが、あの二人は何も知らされてなくて。ただユウタに利用されているだけで——」
「そうだったとして。【妖精】契約者がいないとこっちの世界に入ってこれないって話じゃなかったのか? 何も知らない二人が、【妖精】と契約なんてできるとは到底思えない」
「それ、は……。おそらく、他の誰かがユウタと契約を……」
途切れ途切れになるアリスの声。その声で、振り向かずともアリスの目が泳いでいることが十分に見て取れる。
「支離滅裂だ。話にならねぇ」
「…………」
反論はない。諦めたのか、アリス自身矛盾に気がついたのか。
どちらにせよ、アリスの馬鹿な話は終わりらしい。
「……なぁ、アリス」
だから今度は、黒衣が口を開く。
「俺は正直、あの家族が羨ましいと思ったんだ」
「羨ま、しい?」
「ああ。たとえ血が繋がっていなくても、まるで本当の家族みたいに——いや、本当の家族以上に繋がり合えているあの家族を、俺は心の底から羨ましいと思ったよ。血が繋がっていても、そうじゃない家族もいるってのにな……」
黒衣は少し遠くを見て、そう語る。
「だからこそ、俺はユウタの力になりたいって、そう思ったんだ。あの家族が少しでも幸せになれるように、怠惰で何もできない俺だけど、俺なりにそう感じたよ。お前は違うのかよ、アリス」
吐き出すように、苦しむように、黒衣はアリスに告げる。
お前も俺と同じ思いのはずだろうと。
だからこそ、アリスもその背中からの問いに答えを返す。
「いや……いいや。わたしも……、わたしもそう思っている。家族の——父上や母上、姉上たちのありがたみは、わたしもよくわかっている。だからこそ、わたしは——」
「だったらなんで、お前はそうやって——!」
振り向いた黒衣の表情はくしゃくしゃで。まるで涙を流しているかのようも見えて。
「そうやって……、何もかも乱そうとするんだよ……」
ほぼ嗚咽のようなその声に、アリスの方が苦しくなってくる。
だからこそ、真実を言わねばならない。
「……時間がないのだ」
「……時間?」
「奥方は言っていた。ここ最近、ご主人の体調が良くないと」
「ああ。末期の癌だって話だ。だから余計に——」
「違う。そうではない。あの衰弱は、そうではないのだ」
アリスは必死に首を横に振り、否定する。
「あれはおそらく、ユウタがご主人から魔力を受けているからだ」
「何を——」
「おかしいとは思わなかったか。体調を崩して寝込んでいたはずのご主人が、わたしたちが家を訪ねた時には何もなかったかのように迎えてくれていた」
「それは……、そういう日もあるだろ。別に、何もおかしなことじゃ——」
「二度とも、ユウタが家を離れていたときのことだ」
黒衣の言葉を遮って、アリスは叫ぶ。
「確かに、偶然かもしれない。だが、ユウタが【妖精】だとすれば、身寄りがないことも、記憶が曖昧だったことにも全部説明が——」
「お前は……」
アリスの説明を割って入ってきたその小さな言葉に、アリスは表情を固まらせて顔を上げる。
「お前はそうやって、ユウタを悪者にしたいのか」
「っ…………違う。わたしは……、わたしは別に、ユウタを悪だと決めつけているわけでは——」
「もう十分だ。これ以上、そんな話は聞きたくねぇ」
そう言って黒衣は、そっと顔をアリスから背ける。
それはまるで、もう見たくないとでも、言っているかのように。
「な、何を……。お前は、何を言って……」
喉がひりつく。自分の声とは思えないほど、口から出てきたその声は普段とは震えていて。
「十分だって言ったんだ。お前の話なんか、もう聞きたくねぇ」
何を言われているのかわからなかった。
そんなはずがないのだから。
何故なら、この人間は——
「な、なぜだ……。お前は……、お前はわたしのパートナーで——」
「聞きたくねぇって言ったんだ」
「っ…………」
「頼むから……これ以上、何も言わないでくれ」
決定打だったのだろう。
伏し目がちに放たれたその一言に、アリスは自分でも無意識のうちに足を後ずさる。
「…………っ、なぜだ。お前はわたしのパートナーで……、わたしは、お前の……、っ……」
その言葉を最後に、アリスは走り出す。
黒衣とは逆の、夕陽の沈む方角へと。
「……くそっ」
吐き捨てるように言ったその一言は、誰もいなくなった路地へと吸い込まれ、わずかに顔を出していた夕陽とともに夜の帳へと消え去っていった。
次回、年上の女性っていいですよね